※この作品はR-18です。

機動戦士ガンダムSEED ~転移者と共に~   作:よっちょれ

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第3章【兵器の魂】

崩壊した工場区画の頭上、コロニーの中心軸を貫く巨大なシャフトの暗がりから、凄まじい推進光が突如として膨れ上がった。

次の瞬間、空気を引き裂くような甲高い物理音がコロニーの人工大気を震わせ、ひでたちの鼓膜を容赦なく叩き据える。

空間の歪みから飛び出してきたかのように姿を現したのは、白銀に塗装された未知の機動兵器だった。

 

ザフトの精鋭部隊を率いる指揮官、ラウ・ル・クルーゼが自ら駆る専用のシグーである。

その機体から放たれる圧倒的な熱量と、空間そのものを制圧するような存在感は、先ほどまで彼らが死闘を演じていた緑色のモビルスーツとは根本的に次元が違っていた。

シグーがコロニーの内部へと急降下してくるだけで、工場跡地の瓦礫が竜巻のように巻き上げられ、爆風のような風がひでたちの顔を打ち据える。

 

その暴力的なまでのプレッシャーを前に、生き残った民間人の少年少女たちや、負傷したマリュー・ラミアスは完全に言葉を失い、恐怖に縫い付けられたように動けなくなっていた。

巨大な兵器が放つ純粋な殺意が、空気の密度をねっとりと変えてしまったかのように息苦しい。

圧倒的な死の予感が、この場にいる全員の喉元に鋭い刃として突きつけられていた。

 

ひでは、崩れかけたコンクリートの壁に背を預けながら、空から舞い降りる白銀の悪魔を睨みつけた。

陸上自衛隊に所属していた頃、ひでは対空戦闘の訓練を何度も受けてきた。

攻撃ヘリコプターや戦闘機がどのような軌道で接近し、どのような死角を持つのか、歩兵の視点から徹底的に叩き込まれている。

 

だが、あのシグーという機体の動きは、ひでの脳内に蓄積された航空力学の常識を完全に破壊するものだった。

主翼を持たない人型の鉄塊が、推進器の推力と四肢を使った重心移動のみで、空中を信じられないほど滑らかに滑空しているのだ。

 

急加速、急停止、そして物理法則を無視したかのような鋭角的な方向転換。

 

重力という絶対的な枷から解き放たれたその機動は、大気圏内の航空機が持つ旋回半径の概念を嘲笑うかのようだった。

もしあれが地球上の戦闘機であれば、中のパイロットは強烈なGによって間違いなく意識を失い、脳の血管を破裂させて死んでいるだろう。

 

だが、あの機体はそれを平然とこなし、一直線にこの工場区画へと狙いを定めて降下してくる。

中に乗っているのは、遺伝子操作によって生み出された新人類、コーディネイターなのだ。

生身の人間が到達できる限界を最初から書き換えられている存在が、宇宙空間に最適化された殺戮兵器を操っている。

その事実が、ひでの背筋に氷のような冷たい汗を流させた。

 

マリューもまた、シグーの接近を視認し、血の気を失った顔で唇を強く噛み締めていた。

彼女の視線が、周囲で震えている少年少女たちと、膝をついて沈黙しているストライクガンダムとの間を激しく往復する。

彼女の頭脳は、技術士官としての冷静な計算と、軍人としての責任感の間で引き裂かれそうになっていたはずだ。

 

今から全員で走って避難したところで、あのシグーの圧倒的な機動力と広域センサーの前では、背中から機銃で撃ち抜かれるだけのただの動く的になる。

物陰に隠れようとも、モビルスーツの巨大な火器の前では、コロニーの隔壁ごと蒸発させられるだけだ。

 

逃げ切れない。

その絶望的な事実が、冷酷な真理として場を支配した。

 

「マリューさん、僕が行きます」

 

凍りつくような沈黙と恐怖を打ち破ったのは、キラ・ヤマトの声だった。

先ほどまで、自分の手が初めて奪ってしまった命の重さに怯え、自分の両手を見つめて小刻みに震えていた少年の声とは思えない。

それはひどく静かで、力強く、そしてあまりにも悲痛な響きを帯びていた。

 

ひでが視線を向けると、キラはすでにストライクガンダムのコックピットへ向かって走り出していた。

崩落した建物の破片や、ひしゃげた鉄骨が散乱する足場の悪い地面を、彼はつまずきそうになりながらも必死に駆け抜けていく。

その細い背中には、自分が行かなければ友人たちが皆殺しにされるという、彼が背負うには過酷すぎる現実への覚悟が張り付いていた。

 

「待って、キラ君。あなたは民間人なのよ」

 

マリューが慌てて声を上げ、痛む左腕を押さえながらキラを止めようと手を伸ばす。

彼女の顔には、大人の軍人としての強い責任感と、どうすることもできない無力感が入り混じっていた。

 

地球連合軍の最高機密である最新鋭の機動兵器を、正規の軍事訓練を一切受けていない民間人の少年に扱わせる。

しかも、これから迫り来るのは、先ほどのジンとは比較にならない圧倒的な技量を持つザフトの指揮官機なのだ。

あんな子供を再び殺し合いの矢面に立たせ、囮に使うような真似は、彼女の軍人としての矜持が絶対に許さなかった。

 

だが、負傷し、極度の疲労状態にあるマリューの足では、駆け出していくキラに追いつくことは到底できない。

マリューの悲痛な制止の声を背に受けながら、ストライクのタラップに足をかけたキラが、振り向きざまに叫んだ。

 

「でも、他に動かせる人はいないじゃないですか」

 

キラのその言葉は、誰にも反論することのできない、鋭利な刃のような真実だった。

ストライクのオペレーティングシステムは、先ほどの戦闘の最中にキラ自身の手によって、彼の超人的な情報処理能力に合わせて完全に書き換えられている。

今やあの機体は、彼以外の人間にはまともに歩かせることすらできないピーキーな専用機と化していた。

 

マリューが意地を張ってコックピットに座ったところで、あのシグーの機動力を前にすれば、何の抵抗もできないまま数秒で撃墜されるのは目に見えている。

キラの叫びは、廃墟となった工場の冷たい空気に吸い込まれ、重苦しい沈黙だけを残した。

 

ひでは、瓦礫の陰からストライクのコックピットへと吸い込まれていく少年の背中をじっと見つめていた。

まだ骨格も出来上がっていない、華奢な肩と細い腕。

日本の街中にいれば、学校に通い、友人と他愛のない話で笑い合い、何不自由ない平和な日常を謳歌しているはずの年齢の子供だ。

 

つい数年前まで、ひで自身が自衛隊の制服を着て、命を懸けて守ると誓っていた国民の姿そのものだった。

その子供が今、見知らぬ大人たちや友人たちの命を守るために、自らの命をチップにして殺し合いの道具に乗り込もうとしている。

 

ひでは、奥歯が砕けるほどの力で強く歯を食いしばった。

 

口の中に微かな血の鉄の味が広がる。

自衛隊を退官し、今はしがない民間人に戻った身とはいえ、ひでの魂の根底には長年の厳しい訓練で培われた行動原理が染み付いていた。

国民を保護し、弱者を守るために自らの体を真っ先に盾とする。

それが、彼が国から給与を貰い、過酷な訓練に耐え抜いてきた唯一の理由だった。

 

ここが日本ではないことも、地球ですらないことも、頭では完全に理解している。

自分がすでにいかなる組織にも属さない、ただの力のない個人であることも分かっている。

武器など途中で奪ったアサルトライフルしかなく、相手は十数メートルの鋼鉄の悪魔だ。

 

だが、大人が恐怖で足がすくみ、不甲斐なく立ち尽くしているばかりに、あんな子供に戦場の全責任と死の恐怖を負わせる。

その光景を黙って見過ごすことは、ひでという人間の個人的な道徳観念において、死ぬことよりも屈辱的で許しがたいことだった。

ここで逃げて生き延びたとしても、毎晩あの少年の背中が夢に出てきて自分を責め立てるだろう。

 

ひではゆっくりと立ち上がり、己の恐怖と弱さを断ち切るように、小さく、しかし鋭く舌打ちをした。

 

「大人が不甲斐ないばかりに、子供を殺し合いの矢面に立たせるたぁ、世も末だな」

 

ひでは誰に言うともなく低く呟き、足元に転がっていたゼータプラスのパイロットヘルメットを拾い上げた。

ヘルメットの硬く冷たい感触が、ひでの熱くなりかけた頭を芯から冷やしていく。

 

今から自分がやろうとしていることは、生存確率ゼロの自殺行為に等しい。

先ほどの戦闘で、自分がいかにあの機体を操縦できていなかったかは、誰よりも自分が一番よく理解している。

だが、やらなければならない時が、男の人生には必ず訪れるのだ。

 

「よし、俺が出る。キラの坊主は下がってろ」

 

ひでの低く通る声が、瓦礫の間に響き渡った。

その言葉に、マリューが驚愕の表情を浮かべてひでを振り返る。

彼女の目には、正気を失った男を見るような色がはっきりと浮かんでいた。

ひではマリューの視線を無視し、ヘルメットを脇に抱えながら、一人で灰色の機体、ゼータプラスへと向かって歩き出した。

 

「ひでさん」

 

背後から、香取の鋭い声が上がった。

 

「お待ちください」

 

鹿島もそれに続き、二人が足音を立ててひでの後を追おうとする。

ひでは足を止め、振り返って二人を鋭く睨みつけた。

その視線には、これまでにないほどの強い拒絶と、他者を寄せ付けない威圧感が込められていた。

 

「待て。お前たちはマリューって女と一緒に、この場から離れて艦へ向かえ。俺一人で行く」

 

ひでの声は低く、絶対に逆らうことを許さない絶対的な命令の響きを持っていた。

これから彼が向かうのは、あのシグーという空を飛ぶ化け物が支配する絶対的な死地である。

先ほどの、腕を失って手負いだったジンとの戦闘とは全く次元が違う。

生き残る確率など万に一つもない。

 

だからこそ、これ以上この二人の女性を巻き込むわけにはいかなかったのだ。

いくら彼女たちが艦娘などという特異な存在であろうと、ひでにとっては、彼女たちもまた守るべき民間人の女性でしかなかった。

男が死地に向かう時、女を道連れにするなど言語道断だ。

 

「私たちも行きます」

 

香取がアンダーリムの眼鏡の奥の瞳を真っ直ぐにひでに向け、凛とした、一切の迷いのない声で即答した。

その声に恐怖や動揺は微塵も含まれていなかった。

ひでは顔をしかめ、自衛隊の教官時代を思い出すような大きな声を荒げた。

 

「馬鹿野郎。男が、女をあんな死地に連れて行けるか。ここで隠れてろ」

 

ひでの怒鳴り声は、工場区画の空気を震わせた。

 

それは、彼女たちを無駄死にさせたくないという、ひでの不器用な優しさと保護欲の裏返しだった。

普通の女性であれば、この屈強な大人の男の剣幕に怯えてすくみ上がるだろう。

 

だが、香取はひでの怒鳴り声に一歩も引くことなく、静かに、しかし力強くひでの目を見つめ返した。

その眼差しは、大人の男の安い感情論や自己犠牲の精神を真っ向から切り捨てる、冷徹な知性に満ちていた。

 

「ひでさんは元普通科の隊員なのでしょう」

 

香取の静かな問いかけが、ひでの熱くなった頭に冷水を浴びせるように響いた。

 

「生身での白兵戦や、小火器の扱い、地形を利用した戦術行動に関してはプロフェッショナルであると推察します。ですが、あのような未知の巨大兵器の操縦や、高度な火器管制システムについては、所詮素人の域を出ないはずです」

 

香取の言葉は、一切の容赦がない、ひでのちっぽけなプライドを抉る冷酷な事実だった。

先ほどのジンとの戦闘を思い返す。

 

ひでは機体の制御の大部分を香取と鹿島の二人に任せきりだった。

彼がやったことと言えば、トリガーを引き、暴れ狂う操縦桿を力任せに握りしめていただけだ。

彼一人の処理能力では、あのピーキーな機体をまっすぐ歩かせることすら不可能だったのだ。

 

「うっ……それは……」

 

痛いところを正確に突かれ、ひでは言葉に詰まった。

反論する言葉が何一つ見つからない。

自分の未熟さを誰よりも自覚しているからこそ、香取の客観的な指摘は深く突き刺さる。

ひでの沈黙を見て、鹿島が香取の隣に並び、真摯な瞳でひでに訴えかけた。

 

「私たちは艦艇の魂を持つ身です。技術体系は違えど、兵器との親和性は常人とは比べ物になりません」

 

鹿島の声には、自身の存在意義に対する強い誇りが込められていた。

彼女たちは人間の姿をしてはいるが、その本質は過酷な海戦を戦い抜くために生み出された兵器である。

電波の波長を読み取り、レーダーのノイズから敵の位置を割り出し、火器の管制をリアルタイムで最適化し、機体の状態を肌で感じ取ることができる。

 

それは、ひでがどれほどの訓練を積んでも、生身の人間である以上絶対に到達できない領域の情報処理能力だった。

 

「私たちが索敵とシステムのフォローをしなければ、あの異常な機動力の敵を前に、ひでさんは何もできないまま絶対に死にます」

 

鹿島の言葉は、脅しでも悲観でもなく、ただの精密なシミュレーションに基づく客観的な事実の提示だった。

彼女たちの言っていることは、残酷なまでに正しい。

キラが構築したあの異常な情報処理システムを、ひで一人の反射神経で制御することなど物理的に不可能だ。

 

ストライクのカバーに入ろうと飛び出したところで、あのシグーの圧倒的な機動力を前にすれば、ひでの乗るゼータプラスはただの固定目標となり、ものの数秒で消し炭にされるだろう。

生き残るためには、いや、キラという少年を死なせないための囮としての役割を果たすためにすら、彼女たちの艦娘としての能力が絶対に必要だった。

 

ひでは強く唇を噛み締め、両拳を爪が食い込むほど固く握りしめた。

大人の男としての意地、女性を危険に晒したくないという保護欲。

それらがひでの中で激しく葛藤し、ひでの心を切り刻む。

 

自分が無力であることを認めるのは、これまでの人生を否定するようで苦しい。

だが、あの白い機体の中で一人で戦おうとしている少年の姿が、ひでに決断を迫っていた。

ここでちっぽけな意地を張って一人で出撃し、あっけなく死ねば、結局はキラにすべての責任と危険を押し付けることになる。

 

それは、ひでが最も嫌悪する無責任な大人の姿そのものだった。

ひでは握りしめていた拳の力をゆっくりと抜き、深く、重い息を吐き出した。

 

「……すまん。俺の意地より、命の方が大事だ」

 

ひでは、絞り出すような声で謝罪の言葉を口にした。

 

「お前たちの力、借りるぞ」

 

ひでは申し訳なさそうに、そして深い感謝を込めて、二人の女性に向かって深く頭を下げた。

それは、自分の無力さを完全に認め、彼女たちを自分を凌駕する対等な戦友として受け入れた証だった。

 

香取と鹿島は互いに顔を見合わせ、小さく、しかし決意に満ちた表情で力強く頷いた。

大人の意地と体面を捨て去ったひでの背中は、先ほどよりも大きく、そして頼もしく見えた。

三人は無言のまま向き直り、再び灰色の未完成機、ゼータプラスのコックピットへ向かって全力で走り出した。

 

 

 

崩壊の連鎖が止まらない工場の天井から、大小さまざまな瓦礫が凄まじい勢いで降り注いでいる。

ひでたちはその死の雨を掻き分け、足元の不安定な瓦礫の山を蹴り飛ばしながら、全速力で灰色の未完成機、ゼータプラスへと向かって走った。

頭上では、白銀の悪魔ことシグーの強大なスラスターがコロニー内の人工大気を引き裂き、鼓膜を破らんばかりの轟音を絶え間なく響かせている。

 

ひでが一歩足を踏み出すごとに、シグーがコロニーの隔壁や居住区を無慈悲に破壊する凄まじい振動が、コンクリートの地面を伝って足の裏を激しく打った。

息は完全に上がり、心臓は早鐘のように打ち鳴らされ、三十代の肉体が発する疲労の悲鳴が全身の筋肉を激しく軋ませている。

口の中は完全に干からび、鉄の味が広がっていた。

 

だが、その歩みを止めることは、ひで自身の道徳観が絶対に許さなかった。

数十メートル先には、すでに純白の機体ストライクガンダムのコックピットに乗り込み、一人で死地へ向かおうとしているキラ・ヤマトの姿がある。

あの孤独な少年にこれ以上の責任と死の恐怖を背負わせる前に、自分たち大人も戦場という名の土俵に立たなければならない。

 

ひでは最後の気力を振り絞って跳躍し、ゼータプラスの強靭な脚部に取り付けられた昇降用のタラップに飛び乗った。

分厚い装甲の表面は、先ほどのジンとの戦闘の余熱を未だに帯びており、タクティカルグローブ越しでも火傷しそうなほどの熱を放っている。

 

「香取、鹿島。急げ」

 

ひでは開け放たれたコックピットハッチの縁に身を乗り出し、下から登ってくる二人に向かって太い腕を差し出した。

極限の緊張状態の中であっても、香取と鹿島の動きには一切の無駄や躊躇いがなかった。

 

香取がひでの分厚い腕をしっかりと掴み、その引く力を利用して、細身ながらも鍛え上げられた体をバネのように使い、軽やかに機体の上へと飛び乗る。

続いて鹿島もまた、ひでの手を両手でしっかりと握りしめ、小柄な体を弾ませてコックピットの狭い入り口へと滑り込んできた。

三人が再び、単座式という本来であれば一人しか乗れない極小の空間へと身を投じる。

 

ひでがコンソールのレバーを引くと、分厚い鋼鉄のハッチが重々しい油圧の音を立てて閉鎖された。

完全に密閉された瞬間、外で荒れ狂っていた爆音や瓦礫の崩落音は嘘のように遮断され、代わりに密室特有の重苦しく、そして熱を帯びた静寂が訪れた。

 

「……ハッチ密閉完了。機内気圧、正常値で安定しました」

 

香取の極めて冷静な声が、薄暗いコックピット内に響く。

だが、その空間は先ほどよりもさらに過酷で、生々しい状況と化していた。

 

一度限界まで高ぶった神経と、全力疾走による肉体的な熱量、そして死地へ向かうという極度のプレッシャーが、狭い機内に充満している。

ひでの右腕には、香取の豊かな胸がこれ以上ないほど柔らかく押し付けられ、左脚には鹿島の柔らかな太ももが絡みつくように密着していた。

大人の女性二人から発せられる甘い汗の香りと、じんわりと伝わる高い体温が、ひでの全身を包み込んでいる。

 

彼女たちの心臓の激しい鼓動が、衣服越しにひでの肌へと直接伝わってくる。

先ほどの戦闘終了直後は、この密着状態による官能的な刺激に理性を大きく揺さぶられていたひでだったが、今は不思議と嫌な気は全くしなかった。

 

それは、これから共に死地に向かう者同士だけが共有できる、何よりも強固で純粋な連帯感だった。

彼女たちの高い体温と早い鼓動は、ひでがこの狂った異世界で孤独ではないことを証明する、確かな命の熱そのものであった。

 

「……すまん、二人とも。またこんな狭苦しい思いをさせて」

 

ひでが前を見据えたまま、ぽつりとこぼす。

 

「何を仰いますか。私たちの方こそ、ひでさんの背中を守らせてください」

 

右腕から伝わる香取の声は、確かな決意に満ちていた。

 

「はい。ひでさんが一緒にいてくれるなら、私、どんな計算でもやってみせますから」

 

左脚に抱き着くような体勢の鹿島も、顔を上げて力強く頷いた。

 

「香取、鹿島。状況は分かっているな。俺たちがこれから相手にするのは、先ほどの緑色の奴とは根本的に次元が違う空飛ぶバケモノだ。まともにドッグファイトをやれば、三秒で後ろを取られて蜂の巣にされる」

 

ひでの声には、自衛隊で培われた、冷徹で現実的な戦術的思考が完全に戻ってきていた。

 

「俺は機体を歩かせ、照準を合わせて銃の引き金を引くことしかできない。機体の姿勢制御、火器管制システムへの干渉、アクティブ・パッシブ両面での索敵のすべてをお前たちに預ける」

 

ひでの言葉は、自身の命の決定権を彼女たちに完全に委ねるという、絶対的な信頼の証拠であった。

 

「了解しました。ひでさんの戦術的意図は完全に理解しています」

 

香取の細く白い指先が、目にも留まらぬ速さでキーボードの上を舞い始める。

彼女の頭脳は、練習巡洋艦としての高度な情報処理能力をフル稼働させていた。

 

艦娘としての彼女たちは、ただの人間ではない。

かつて大海原で巨大な砲弾を撃ち合い、波のうねりや風向きを瞬時に計算していた兵器としての魂が、このゼータプラスという新しい鋼の体と共鳴し始めていた。

 

「キラ・ヤマトが構築したOSの深層領域に直接バイパスを構築し、火器管制システムおよび機体制御の中枢アクセス権をこちらへ強制的に引き継ぎます。機体の運動プログラムは、ひでさんの生身の反射神経の限界値に合わせて上限を強制カット。機動力の最高値は大幅に落ちますが、先ほどのようにおよそ人間の手に負えない速度で操縦桿が暴走することは防げます」

 

「頼む。ピーキーすぎて真っ直ぐ歩けねえんじゃ、話にならんからな。鹿島、アクティブセンサーの展開と、周囲の地形データの読み込みを急げ。シグーの死角を探す」

 

ひでが左側に密着する鹿島に指示を飛ばす。

 

「はい、お任せください!」

 

鹿島もまた、ひでの左脚にしがみつくような不安定な体勢のまま、極めて器用にコンソールのスイッチを切り替えていく。

彼女の指先もまた、香取に負けず劣らずの速度でシステムに介入していく。

 

「パッシブレーダー、最大感度で展開完了。現在、コロニー内の崩壊した構造物データを機体のメインカメラとリンクさせ、三次元マップを構築中です。敵機であるシグーの熱源反応、およびスラスターの軌跡を予測演算し、ひでさんのメインモニターにリアルタイムで重畳表示させます」

 

彼女たちの作業速度とシステムへの適応力は、人間の脳の処理能力を遥かに超越していた。

メインモニターやサブモニターを埋め尽くしてエラーを吐き出していたシステムのアラートが次々と消去され、代わりに戦闘に特化した緑色のコマンド群がモニターを美しく埋め尽くしていく。

 

機体のセンサーが捉えた微細な電磁波の乱れを鹿島が肌で感じ取り、ジェネレーターの出力の微細なブレを香取が呼吸を合わせるように補正していく。

ひでを中心として、三人の意識がゼータプラスという巨大な鋼鉄の剣を通じて一つに融合していく確かな感覚があった。

 

「火器管制システムのバイパス、完了しました」

 

香取がエンターキーを強く叩き、ひでに力強く報告する。

 

「頭部および腕部に装備されている七十六ミリ近接防御機関砲、バルカンの照準は私の視線と完全にリンクさせました。ひでさんがトリガーを引けば、私が演算したシグーの最適な偏差射撃の座標へと、自動的に弾幕が展開されます」

 

「大腿部のビーム・カノンについては、現在ジェネレーターと直結させてエネルギーをチャージ中です。未完成のシステムのため、発射できる回数には厳しい制限がありますが、直撃すれば確実に敵機の装甲を貫く威力は折り紙付きです」

 

香取と鹿島の的確な報告を聞きながら、ひではメインコンソールに表示された自機の武装ステータスを素早く確認した。

実弾兵器であるバルカンと、未知の光学兵器であるビーム・カノン。

それに加えて、両腕にはビーム・サーベルと呼ばれる近接格闘用の光学兵装がマウントされている。

だが、ひでは最初から剣を抜いて、あの異常な機動力を誇るシグーと斬り合うつもりなど毛頭なかった。

 

「真っ向勝負なんかするか。俺たちは地べたを這いずり回る歩兵の戦い方を徹底的に貫くぞ」

 

ひでは操縦桿を握り直し、深呼吸をして己の精神を極限まで集中させた。

 

「機体の推力は、敵の攻撃からの回避行動にのみ使用する。工場跡地の瓦礫や建物の残骸を盾にしてシグーの射線を防ぎ、バルカンの弾幕で徹底的に牽制する。ストライクが確実に射撃できるチャンスを作るための囮に徹するぞ。通信回線、開け」

 

「通信回線、開きます。ストライクの局地ネットワークに強制割り込みをかけます」

 

香取が通信コンソールを素早く操作し、ノイズの混じった回線が繋がる。

 

「おい、坊主。聞こえるか」

 

ひではマイクに向かって、できるだけ落ち着いた、大人の男としての余裕を持たせた声を張り上げた。

通信の向こう側から、キラの荒い息遣いと、ひどく戸惑うような声が聞こえてくる。

 

『ひでさん……!? どうして、逃げなかったんですか! あなたたちは軍人じゃない、ただの民間人なのに!』

 

キラの声には、焦燥と強い非難の色がはっきりと混じっていた。

「馬鹿野郎、それはお前もおなじだろうが。大人の男が子供を見捨てて、尻尾を巻いて逃げられるか。それに、俺たちはただの足手まといじゃない」

 

ひでは正面のメインモニターに映る、空から恐るべき速度で降下してくるシグーの巨大な熱源反応を睨みつけながら言った。

 

「こっちの灰色の機体の制御はなんとかなった。空を飛ぶあのバケモノ相手に、いくらお前が凄いシステムを作ったからって、お前一人で勝てるわけがないだろう。俺たちが地上から弾幕を張って、あいつの動きを制限してやる」

 

『でも、そんな未完成の機体で……っ! あいつは、さっきのジンとはスピードが違いすぎます!』

 

「いいから俺の指示に合わせろ!」

 

ひでの軍人としての魂がこもった鋭い怒鳴り声が、キラの迷いと反論を強制的に断ち切った。

 

「俺が牽制してシグーの注意を完全に引く。あいつが俺を狙って回避行動を取り、姿勢を崩したその一瞬の隙を突いて、お前が確実に仕留めろ。お前が書き換えたその機体の性能なら、絶対にやれるはずだ。自分と、その機体を信じろ!」

 

『……分かりました。僕が、やります』

 

キラの覚悟を決めた声が、コックピットのスピーカーから響いた。

 

「行くぞ、香取、鹿島。舌を噛むなよ、しっかり掴まってろ」

 

「はいっ!」

 

「お任せください!」

 

三人の意志が完全にシンクロし、ゼータプラスの強靭な脚部モーターが重厚な駆動音を唸らせる。

 

崩壊した工場のコンクリートの床を蹴り破り、灰色の未完成機がゆっくりと、しかし圧倒的な重量感と確かな意志を持って立ち上がった。

メインカメラが完全に起動し、外界の鮮明な映像がモニターへと一気に映し出される。

すぐ隣では、純白の装甲を持つストライクガンダムもまた、両手にアーマーシュナイダーを構え、重心を低くして臨戦態勢に入っていた。

 

頭上の天井の裂け目から、シグーの放つ白銀のスラスター光が、まるで落ちてくる隕石のように真っ直ぐに迫ってくる。

距離はすでに数千メートルを切り、シグーが右腕に装備した重突撃機銃の冷たく巨大な銃口が、はっきりと肉眼で確認できる距離にまで接近していた。

 

「ひでさん、敵機のデータ……恐ろしい速度です! エンジンの出力が先ほどの機体とは桁違いです!」

 

鹿島がモニターの数値を見つめながら、引きつった声で叫ぶ。

 

「落ち着け、鹿島。奴の進行方向に火網を張る。香取、バルカンの射撃管制を頼む!」

 

「お任せください!」

 

ひでは操縦桿のトリガーを引き絞った。

頭部と腕部に内蔵された七十六ミリ機関砲が火を噴き、ズガガガガッという腹の底に響く重低音がコックピットを満たす。

放たれた数多の曳光弾が、工場の薄暗い空間に光の線を無数に描き出しながら、上空から降下してくるシグーへと殺到する。

香取の精密な計算に導かれた弾幕は、ただの威嚇射撃ではなく、シグーの回避進路を物理的に塞ぐように展開されていた。

 

「ちっ、下から鼠が騒ぐか!」

 

シグーのコックピット内で、クルーゼが舌打ちをするのが聞こえるかのように、白銀の機体は鋭いロールを打って弾幕を回避した。

しかし、その動きによってシグーの降下軌道がわずかに逸れ、ストライクに狙いをつけていた銃口がブレる。

 

「今だ、キラ!」

 

ひでの叫びと同時に、ストライクが地面を蹴って跳躍した。

アーマーシュナイダーを両手に構え、シグーの懐へと飛び込もうとする。

だが、ザフトの精鋭を率いる指揮官は伊達ではなかった。

 

「甘いな、小僧!」

 

シグーは空中で不自然なほど急激なブレーキングをかけ、ストライクの突進を間一髪で躱すと、左腕のシールドに内蔵されたガトリング砲をストライクに向けて乱射した。

火花を散らして実弾を弾き返すストライクだったが、体勢を崩して地上へと落下していく。

 

「あいつの動きが完全に読まれている……! 鹿島、射撃管制! 牽制を入れるぞ!」

 

「はいっ! 照準合わせます! でも、バルカンでは距離が遠すぎます!」

 

「なら、こいつを試すしかねえ! 香取、ビーム・カノンの出力調整!」

 

「了解しました。大腿部ビーム・カノン、セーフティ解除。発射可能状態です!」

 

ひでは、バルカンでは装甲を抜けず、牽制としても弱いと判断し、ゼータプラスの大腿部に装備されている未知の光学兵器、ビーム・カノンの引き金に指をかけた。

現代兵器しか知らないひでにとって、「光線」を撃ち出す兵器など、アニメや映画の中だけの空想の産物でしかなかった。

だが、今はそんな常識に囚われている場合ではない。

 

「食らえっ!」

 

ひでは意を決して、トリガーを深く引き絞った。

その瞬間だった。

ゼータプラスの大腿部から、ひでの想像を絶する現象が引き起こされた。

鼓膜を突き破るような、あるいは空間そのものが悲鳴を上げているかのような「ギュイィィィン」という甲高い電子音が響き渡る。

それと同時に、砲身から放たれた極太の赤い熱線が、一直線に上空のシグーへと向かって射出された。

 

まるで太陽の欠片をそのまま撃ち出したかのような、圧倒的な光量と熱量。

コックピットのモニターが一瞬、白飛びして何も見えなくなるほどの閃光だった。

シグーは凄まじい反射神経でスラスターを全開にし、機体を捻って直撃を免れた。

だが、そのビームの「余波」が引き起こした光景に、ひでは息を呑んだ。

 

射線上に存在していた工場の巨大な分厚い鉄骨。

先ほどのバルカンでは傷一つ付けられなかった強固な金属の塊が、ビームの光束が触れた瞬間、まるで飴細工のようにドロドロに溶解し、次の瞬間にはオレンジ色の光を放ちながら瞬時に「蒸発」して消え去ったのだ。

 

爆発すら起きない。

ただ、そこにあったはずの圧倒的な質量が、絶対的な熱量によって分子レベルで消滅させられた。

 

「なっ……!?」

 

ひでの口から、間抜けな声が漏れた。

自衛隊で戦車砲や対戦車ミサイルの威力を知っている彼にとって、金属が一瞬で気化する現象など、物理法則を無視した悪夢としか思えなかった。

 

「金属が……一瞬で蒸発した……!?」

 

右側に密着している香取もまた、眼鏡の奥の瞳を見開き、戦慄の声を上げた。

大日本帝国海軍の練習巡洋艦としての記憶を持つ彼女にとって、敵の装甲を貫くのは、あくまで「大質量と運動エネルギーを持った巨大な鉄の塊(砲弾)」であるのが常識だった。

光が鉄を消滅させるなどという現象は、彼女の大艦巨砲主義という根本的なアイデンティティを根底から粉砕するほどの衝撃だったのだ。

 

「あんなもの……大和型の四十六センチ砲でもあり得ない……。これが、この世界の兵器……」

 

鹿島もまた、顔面を蒼白にさせて震えていた。

 

兵站と補給を司る彼女にとって、弾殻も火薬も残さず、ただエネルギーの奔流だけで全てを無に帰す兵器の存在は、理解の範疇を超えた恐怖の象徴だった。

現代兵器の常識しか知らない元自衛官と、大砲と火薬の時代を生きた艦娘。

彼らにとって、「光学兵器(ビーム)」というSF映画の産物が現実に引き起こした規格外の破壊力は、自分たちの存在そのものがちっぽけな砂粒のように思えるほどの、圧倒的で生々しい恐怖だった。

 

モニターの向こう側で溶け落ちていく鉄骨の残骸を見つめながら、コックピット内には言葉にならない戦慄の静寂が降り降りていた。

 

「うおぉっ!?」

 

だが、その動揺して隙を作ってしまった一瞬を、戦場の死神は見逃してはくれなかった。

シグーが姿勢を立て直し、ゼータプラスに向けて右腕の重突撃機銃を乱射してきたのだ。

けたたましい銃声と共に、無数の実弾がゼータプラスの装甲を激しく叩きつける。

 

「きゃああっ!」

 

コックピットが激しく揺すぶられ、香取と鹿島が悲鳴を上げてひでにしがみつく。

フェイズシフト装甲が実弾の物理的破壊力を無効化してはいるものの、凄まじい衝撃波が機体を揺るがし、三人の内臓を激しく揺さぶる。

ビーム兵器の破壊力に対する恐怖と、圧倒的な死の予感が、狭い密室に充満していた。

 

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