戦記エロゲーの最強悪役貴族に転生したので暴虐のかぎりを尽くそうと思ったのに、なぜかヒロインたちに激重感情を抱かれるようになった 作:佐間野 隆紀
開戦の予兆
あれからさらに数日が立ち、イェルバウトの体を乗っ取ってしまってから間もなく二週間が経過しようとしていた。
ゲーム内ではまったく描かれることはなかったが、イェルバウトの辺境伯としての一日は存外にも忙しい。
ラコーツ辺境伯領の主だった政務は宰相であるディミトリが担っているが、それでも細々とした決裁についてはいちいち指示を仰いでくるし、軍部を取りまとめる騎士団長からは日々近隣の情勢についての報告が上がってくる。
とくにエルザをこちら側に引き入れて以降、西の地に棲まう魔族がこれまでとは異なる動きを見せるようになったらしく、新たに編成された魔族部隊と連携しながら哨戒を強化しているのだとか。
もっとも、イェルバウトが魔族と本格的にことを構えるのはもう少し先の話であるはずなので、こちらについては今はまだそれほど気にしなくても問題ないだろう。
ちなみに至天騎士を欠いたことで再編を余儀なくされた騎士団だが、幸いにも新たに編入されたエルザ率いる魔族軍との融和は想定に反してすんなりと進んだらしく、これについてはディミトリも驚いていた。
まあ、先の魔族の動きとあわせてもともとのゲームシナリオがそうなっているのだから、俺からすればいずれも既定路線ではあるのだが――。
唯一の懸案事項は、この新たに再編された部隊の中に本来のゲームシナリオには存在しない因子が紛れ込んでしまっていることだろう。
そう、システィナ改め、ルナニアである。
もともと本来の主人公であるアルトリウスの父ハイネ伯爵に仕えていたルナニアは、ゲーム開始時点ですでに聖騎士の称号を授与されるほどの優秀な騎士だった。
あの日以来、彼女は自ら積極的に軍事訓練に参加し、この数日の間にすっかり騎士団長の信頼も勝ち取って、気づけば小隊を任されるほどにその地位を確立している。
もちろん、実際に隊を与えてよいと許可したのは俺なのだが、その際は本当にどうしたらよいものか判断に迷ったものだ。
この先のシナリオの都合上、遠からず俺はアルトリウスと正面から対峙することになる。
となれば、ルナニアとアルトリウスが戦場で相見えてしてしまう可能性も大いにあるわけで、そうなれば本来のシナリオにはなかった展開に発展することは避けられないだろう。
しかし、ここでルナニアには部隊を与えないという選択を選ぶことも俺には難しかった。
イェルバウトの立場に立ったとき、その提案を拒絶する理由がなかったのだ。
もちろん、もともとはアルトリウスの父であるハイネ伯爵に仕えていたルナリアが土壇場で裏切る危険性を考慮して――といった難癖をつけることはできる。
だが、敢えてそういった危険因子を手の内で泳がせ、馬脚を表したところで圧倒的な力で押し潰していくところにイェルバウトの強さとカリスマ性があるとも思うのだ。
少なくとも、ディミトリに対してはそうだった。
後に彼はラコーツ辺境伯領内に結成されたレジスタンスと結託して謀反を起こすが、すべてを予期していたイェルバウトによって瞬く間に制圧され、その後はアルトリウス側に亡命することになる。
つまり、仮にルナニアに裏切る可能性があったとしても、イェルバウトなら敢えて部隊を与えるのではないか。そして、実際に裏切ったところで容赦なくその目論見を踏み潰していくのではないか――そう思うのだ。
苦渋の決断ではあったが、イェルバウトの仮面を被り続ける必要がある以上、俺もまた彼が辿るであろう道を選ぶより他になかった。
もしこの先、ルナニアとアルトリウスが戦場で相対した上で本来のシナリオにないイベントが発生したとしても、そこはもう腹を括ってアドリブ力を発揮するしかない。
「イェルバウトさま、ダーゼンブルグ卿から書簡が届いております」
そして、本日も公務の時間がはじまる。
ディミトリはいつもどおり恭しく一礼して執務室に入ってくると、そう言って一通の手紙をデスクの上に差し出してきた。
内容については読まなくても分かっていたので、俺は敢えて退屈そうに肩をすくめてみせる。
「読め」
「はっ……私が読んで、かまわないものなのですか?」
ディミトリは驚いたように目を丸くしていたが、俺が静かに睨み続けていると、やがて観念したように改めて手紙を手に取った。
そのまま封を切って中に入っていた羊皮紙を広げ、しばしその紙面に視線を這わせる。
「これは……」
――と、その顔色が変わった。
「なんと書いてある?」
敢えて訊くと、ディミトリはその顔を怒りとも困惑ともつかない複雑な表情に歪める。
「現在、貴殿に我がダーゼンブルグ家の臣下、シュタイン子爵の息女を拐かしたという嫌疑がかけられている。これがあらぬ疑いというのであれば、直ちに我が地まで赴き身の潔白を証明せよ。もし仮に事実であるならば、我らは血を流すことになってでもシュタイン子爵の息女を取り戻す所存である……と。もしや、この息女というのは、先の奴隷商が連れてきた娘のことでは……?」
「であろうな」
俺はとくに表情を変えることもなく、静かに頷いた。
手紙にあるシュタイン子爵とは、ルナニアの父のことである。
もとは通運の要所となる小さな街を治める領主だったが、病で妻を亡くした失意から政務に携われなくなり、急速に没落。後にシュタイン領はハイネ伯爵が預かることとなり、娘であるルナニアはほとんど奉公に近い形で騎士として召し上げられることになった。
ダーゼンブルグ侯爵はそんなシュタイン子爵領やハイネ伯爵領を含むダーゼンブルグ地方を統治する上位貴族であり、ルナニアにとっては父やかつての主君のさらに上に位置する存在だったと言えるだろう。
だが、血縁でもないただの臣下の娘のためにわざわざ上位貴族が出張ってまで『血を流してでも』などと書簡で送りつけてくるのはいくらなんでも大袈裟にすぎる。
「この内容、貴様はどう思う?」
敢えて訊くと、ディミトリはしばし黙考し、やがて重々しげに口を開いた。
「先の奴隷商の件も含めて、すべては我が領を狙うダーゼンブルグ卿の謀かと……」
「おそらくはオスト運河の支配権が目的だろうな」
俺は気だるげに肩をすくめて見せながら答えた。
オスト運河とは、ダーゼンブルグ地方を北から南へ大きく弧を描きながら流れる巨大な運河の名称である。
あまりにも長大すぎるが故にその一部がラコーツ辺境領内にまで達しており、代々のラコーツ辺境伯がそこに設けた関所において他籍の船舶から通行料を徴収していることもあって、ダーゼンブルグ侯爵領側からすると実質的に北側と南側で運河を分断されている形となっている。
つまり、すべてはこのことに不満を持っていたダーゼンブルグ侯爵がラコーツ辺境伯領におけるオスト運河周辺地域の支配権を略取するため、先の魔族との抗争によって打撃を受けているであろう今のタイミングに適当な理由をでっち上げて内紛を起こそうと計画されたものなのだ。
今回はアルトリウスがボンクラだったがためにルナニアが奴隷商によってこの地に連れられることになったが、仮に通常ルートであってもダーゼンブルグ侯爵家に連なる貴族の娘が連れてこられる流れ自体に変わりはなかった。
「ダーゼンブルグからの遣いの者はどうしている?」
俺が訊くと、ディミトリの眉がまるで危険でも察知したかのようにピクリと震えた。
「別室にて待機させておりますが……」
「メリッサ」
次いで執務室の扉に向けて呼びかけると、やはり最初から呼ばれることが分かっていたかのような反応のよさでメリッサが姿を見せる。
「ここに」
「話は聞いていたな?」
「はっ」
「始末しておけ」
「仰せのままに」
メリッサが姿を見せたときと同じ早さで消えていき、その姿を目で追いながらもディミトリがやや困惑ぎみに問いかけてくる。
「よ、よろしいのですか?」
「かまわん。どうせ金で雇われた運び屋だろう。ダーゼンブルグの古狸も、まさかこのような書簡を持ってきた伝令が五体満足で帰ってくるとは思っていまい」
「確かに、身なりに対して品性に欠ける男ではありましたが……」
「騎士団長に戦支度をはじめさせろ。遠からずダーゼンブルグと一戦交えることになる」
「はっ……承知しました」
ディミトリはまだ少し納得しかねている様子ではあったが、とくに言及はしてこず、そのまま一礼だけして執務室を出ていった。
一人残された俺は、いつもどおり天井に向けて陰鬱に溜息を吐く。
いよいよ戦がはじまるのだ。