雨は、空から落ちてくるというより、錆びた工場の天井から滲み出してくるように見えた。
巨大重層工業都市ニードヘッグの地表層ミズガルズには、まともな夜など存在しない。
分厚いスモッグの蓋の下で、街は今日も巨大な機械の腹の中のように唸っていた。
どこかの区画で休まず稼働し続ける巨大プレス機の、心臓の鼓動にも似た重低音が絶えず地面を震わせる。
排気ダクトから吐き出された熱気と、有毒な酸性雨が路地の途中でぶつかり、白い湯気になって這い回る。
頭上の巨大な広告板が放つ安っぽいネオンサインが、水たまりにどろりとした脂のように毒々しい原色を溶かしこんでいた。
赤、青、黄。
どれもこれも、貧乏人にだけ眩しい色だ。
場末の違法な立ち飲み屋の軒下で、大男が一人、安酒の入ったグラスを傾けていた。
男の名はシグルド。
全身の九割をファフニール社製の最新鋭戦闘義体「F-1-X」へと換装した元傭兵であり、今は企業の飼い犬である。
艶消しのガンメタル装甲には、古い弾痕も斬撃痕もそのまま残っている。磨く気も、隠す気もない。
肩と背中の排熱ダクトが低く唸り、男自身の体温で温められた白い冷却ガスを定期的に吐き出した。
焦げたモーターオイルと安酒特有のツンとした匂い。
その姿は、冷たい雨の中で休息を取る、傷ついた鋼鉄の野獣そのものだった。
そのとき、背後で水が跳ねた。
殺気と呼ぶには安っぽい、金属の擦れる不快な音が暗がりから聞こえた。
現れたのは、三人のチンピラサイボーグだった。
いずれも型落ちの作業用義体に、不格好な武器を継ぎ接ぎしたような無頼漢たちである。
彼らの狙いは、シグルドの身体を構成する高価な軍用パーツだ。
シグルドは左手に持ったグラスを見つめたまま、動かない。
男の一人が錆びたヒートナイフを振り上げ、シグルドの背後から襲いかかった。
シグルドは振り返らなかった。その意識は、まだグラスの底に残っていた。
だが――右腕だけが動いた。
左手でグラスを弄んだまま、右前腕の装甲が低く唸りを上げ、彼の意志の指令を待たず勝手に跳ね上がったのだ。
ガリッという硬質な機械音。
鋼鉄の指が、背後から伸びてきた影の顔面を鷲掴みにしていた。
安物のサイボーグ面、プラスチックの頬骨、剥き出しの配線。
次の瞬間、万力じみた握力がそれを頭蓋骨ごと粉砕した。
「あ、が……ッ!?」
男の叫びは、物理的な破壊音によって遮られた。
ぐしゃりと鈍い音が響き、赤黒い血のようなオイルと乳白色の冷却液が酸性雨に混じって地面へ散った。
硝煙すら上がらない、圧倒的な質量の暴力だった。
舌打ちをして、ようやくシグルドは振り向いた。
残りの二人が立ちすくんでいた。
片方は手にショック・ロッドを、もう片方は粗悪なオートマチック拳銃を抜きかけたまま、すでに腰が引けている。
路地裏で獲物を漁るには、相手が悪すぎたのだが、気づくのが遅すぎた。
シグルドがグラスを足元に落として割ると、二人は踵を返し、泥水を蹴って逃げていった。
追う気はなかった。
殺すのは簡単だが、簡単すぎて、意欲がわかない。
シグルドは、返り血ならぬ赤黒い合成オイルを浴びた右腕を忌々しげに見つめた。
それから、足元で酸性雨に打たれている潰れた頭部の残骸を見下ろした。
だが、そこで不意に、電脳の奥底が焼けた。
鋭い
(……シグルド)
電子ノイズに混じって、覚えのない女の声が脳裏をかすめた気がした。
泣き声にも聞こえたし、笑っているようにも聞こえた。
言葉にならない欠片だけが残って、消えた。
「……安酒のせいで、回路がイカれたか」
シグルドは眉間を押さえ、その熱を無理やり意識の底へ押し戻した。
頭痛の理由を考える習慣は、とうに捨てていた。過去なんてものは、どうせ碌でもない傷跡しか連れてこない。