※この作品はR-18です。

野獣の電脳に火を放て   作:一丸壱八

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第15話 電子の海(データ・オーシャン)

 真っ二つになったグットルムの上半身が、崩れた勢いのまま、シグルドの胸元にもたれかかって止まっていた。

 ようやく怖い夢から逃げてそこへ倒れ込むことができた、そんな風にも見える。

 血の涙の跡は頬に乾ききらず残っている。

 薄い肩。痩せた腕。油で汚れたジャケット。

 どれも生きていた時のままだった。ただもう、そのどれにも熱はない。

 

 かつてシグルドから上を見るなと諭された少年の瞳は、今はもう何も映さず、ただ静かにシグルドの顔を見つめている。

 二人の死に顔に、後悔や憎しみの色は見当たらなかった。

 理不尽な運命に押し潰されながらも、最期に野獣としての牙を剥いた者たちの、静かな諦念だけが漂っていた。

 泥水が二人の下を流れていく。

 血溜まりを薄め、床の油膜を揺らし、割れた工具や部品の隙間へ赤を引きずっていく。

 

 誰もヴァルハラには届かなかった。

 

 グットルムは、上空の世界を夢見ていた。

 いつかシグルドの義体を最高にチューンして、二人で酸性雨の降らない場所へ行けるのだと、本気で信じていた。

 シグルドはそんな夢を鼻で笑っていたが、踏みにじったりはしなかった。

 届かないと知っていても、まっすぐな少年の目の輝きだけは奪わなかった。

 

 そんな二人が最後に辿り着いたのは、泥水と血の中だった。

 酸性雨の届かない地下の底。

 天国でも楽園でもない、街に捨てられた臓物のような場所。

 だがその光景は、とても静かだった。

 

 空の向こうの理想郷を夢見た旅は、泥と血の中で終わった。

 それでも、この掃き溜めの底で重なり合う二つの骸は、もはや誰の道具でもなく、誰かの論理に利用されることもない。

 

 

 その静けさの底、崩壊していくネットワークの末端で、別の海が開いていた。

 データ・オーシャン。

 熱も匂いも重力もない、純粋な情報の深淵。

 焼き切れた電脳の残骸、最後の同期ログ、義体と脳をつないでいた接続の欠片。

 死の瞬間に、シグルドの電脳からこぼれ落ちた断片が、黒い海流の中でゆっくりとほどけ、沈み、またどこかで絡み合っていく。

 

 データ・オーシャンの底で、量子AIブリュンヒルドは目的のデータストリームを検知した。

 不純物のない、完璧な電子の海。

 そこに、シグルドのゴーストがアップロードされてきたのだ。

 

 ブリュンヒルドは受信したデータ群へ接続した。統合は即時に完了するはずだった。血も泥も存在しないこの世界で。

 だが、ブリュンヒルドは、次のナノ秒で異常を検知した。

 

 冷たい。

 信じられないほど、冷たい。

 そこに存在していたのは、シグルドの戦闘ログ、義体の稼働記録、そして視覚素子が捉えた膨大な映像データの束だけだった。

 世界への怒りがない。あの焦げるような熱がない。

 

 完璧なデータだが、ただの精巧なバックアップ。

 完全な抜け殻だった。

 

 シグルドは、死の直前に自らのゴーストを転送などしていなかった。

 己の熱のすべてを、あの掃き溜めの底へ残していったのだ。

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