男の言葉は最後まで続かなかった。
シグルドは一歩で間合いを詰めると、右腕を水平に薙いだ。刀身が強化外骨格ごと男の胴体を通過した瞬間、金属フレーム、人工筋繊維、骨格、内臓全てがまとめて裂けた。
切断面は一拍遅れて赤熱し、悲鳴は上半身と下半身に分断されて床へ落下する。
続けて、シグルドはサーバーラックごとその背後の二人をまとめて斬り裂いた。鋼板が割れ、内部の基板が火花を散らしながら四散した。断たれた配線が蛇のように暴れ、焦げ臭い煙を上げる。
そこにシグルドの蹴りが入り、吹き飛んだラックの残骸が逃げようとした男の首をへし折った。
右から、強化外骨格を纏った兵士がショットガンを撃ち放つ。鉛弾はシグルドの腹部にばらまかれ、装甲に鈍い凹みを刻んだ。
シグルドは踏み込みながら左肘打ちを見舞い、相手の胸部フレームを内側へ潰した。肺とバッテリーパックが同時に破壊され、男は血泡と火花を吐き、崩れ落ちた。
そこにブレードを振り下ろす。男と床のコンクリートが一緒に裂け、破断面からは白煙が上がった。
前方、三人。
銃口が揃うより早く、シグルドは近くのフォークリフトを片手で、鉄のフレームに鋼鉄の指を深く食い込ませて持ち上げ、押し出すように叩きつけた。
数トンの塊が悲鳴を上げて飛び、三人まとめて壁へ縫いつける。
外骨格が潰れて、鉄と肋骨が同じ音で砕けた。
圧倒的な出力の違い。これが、人が着る鎧と、人そのものを兵器に作り変えた義体の差だった。
奥の高所通路から重機関銃が火を吹いた。
今度は口径の大きな弾丸がシグルドの首筋と胸部に連続して命中し、上体を揺らした。だが、それだけだった。
装甲の表面で弾頭は潰れ、銀色の破片が雨のように散る。
シグルドが通路を見上げ、機関銃手の男と目が合った。
その瞬間、男の目に浮かんだのは闘志ではなく、理解だった。自分たちが撃っているのは人間ではなく、工場ごと破壊するための何かだという遅すぎた理解だ。
シグルドは足元のコンクリート片を蹴り上げる。
砲弾のような速度で飛んだ破片は男の顔面を粉々に打ち砕いた。男の体が後ろへ吹き飛ぶのと同時に、シグルドは通路を支える支柱へ巨体をぶつけるように取りつき、G-R-Mで支柱を薙ぎ払う。
分厚い鉄骨が赤熱しながら両断され、高所通路が傾いた。残っていた二人が武器を捨てて飛び降りようとしたが遅い。崩れた足場ごと床へ叩きつけられ、骨の砕ける音が連続した。
工場の中央には、まだ十人近く残っていた。
彼らはもう組織だった抵抗をしていなかった。
逃げ惑う者、物陰に隠れて命乞いをする者、狂ったように引き金を引き続ける者。
そのすべてを、シグルドは作業のように処理していった。
感情はない。怒りも昂揚もない。
進路を塞ぐ障害物を薙ぎ払うだけの、ひどく機械的な手つきで命を刈り続ける。
振るたびにG-R-Mが熱を増し、切断面から焦げた血の匂いが立つ。
殴れば頭蓋が潰れ、掴めば腕が千切れ、蹴れば外骨格ごと壁へめり込む。
人間も機械も、質量と熱と振動の前では同じだった。
壊れるときは、同じように汚い音を立てる。
最後の一人が膝をついた。
ヘルメットの下に青い顔がのぞいていた。まだ若い。
手にしているのはデータケースらしい。
震える声で何か言おうとする。
「待ってくれ、俺たちは――」
シグルドは最後まで聞かなかった。
G-R-Mが閃き、声ごと断った。
データケースだけが床を滑り、赤い筋を引いて止まる。
工場内を満たしていた銃声と怒号が消え、静かになった。
完全な静寂ではない。
どこかで火花が散り、壊れた送風機が喘ぎ、断線したケーブルが焦げている。
だが、人の声はもうない。
さっきまで三十ほどあった熱源は、床に広がる肉塊と鉄屑に変わっていた。
血はオイルと混じり、黒くぬめってコンクリートを流れる。
サーバーラックの残骸が、赤熱した切断面を晒して煙を上げている。
肩のダクトが二度、短くガスを吐く。
返り血とオイルに塗れたまま、無造作に魔剣を腕の中へと格納する。ジュッと冷却液が気化する音を立てて、前腕の装甲が重い音を立てて閉じた。
工場にはもう、シグルドに傷を負わせられるものは残っていない。
シグルドが足元に転がっていたデータケースを拾い上げる。
指先でロックを潰して開くと、中には高密度メモリが一枚収まっていた。
薄い銀色の板。たかがこれ一枚のために、三十人近くが死んだ。
そのとき、不意に電脳の奥底が焼けた。
幻肢痛だ。
視界が一瞬だけ白む。
こめかみの内側よりも、もっと深いところ。
消去したはずの記憶の破片が、電子ノイズの嵐となってシグルドの意識を
(……私を、見つけて……)
電子ノイズに混じって、覚えのない女の声が脳裏をかすめた気がした。
泣いているようでもあり、笑っているようでもある。
遠い。だが、近い。
「……くそったれ」
シグルドは低く唸り、鈍い痛みを感じる延髄のポートを押さえた。
メモリを握る右手に、ほんの少しだけ力が入る。
装甲が軋んだ。
痛みというには、妙に甘い熱だった。
思い出せば何かが壊れる、そんな予感だけが残る。
天井の隅に、監視カメラがあった。さっきから気づいていた。
わざわざ壊さなかったのは、見たい奴がいるからだろうと思っていたからだ。
シグルドはカメラを見上げた。
「見物料なら高いぞ、義兄さん」
答えはない。だが向こうでは、聞いている。
天上層ヴァルハラの最高級オフィス。
白と銀のクリーンルームで、グンナルは手にしたヴィンテージ・ワインのグラスを揺らしながら、複数のモニターに映し出される映像を眺めていた。
そこには、シグルドという名の野獣が、一方的に人間を肉片に変えていく凄惨な蹂躙劇が記録されていた。
拡大表示された戦闘ログ。
弾道解析。
熱源分布。
生体反応の消失。
数値は淡々と並ぶが、画面の中で起きたことは数式では収まらない。
防爆扉を蹴り飛ばし、重武装の三十名を数分で肉塊と鉄屑に変え、しかも出力低下の兆候すらない。
G-R-Mが振るわれるたびに、モニターの光がグンナルの顔を赤く染めた。
「素晴らしい……。実に素晴らしい破壊の美学だ、我が義弟よ」
グンナルの声は震えていた。
それは感動ではなく、隠しようのない恐怖と、それを上回る激しい嫉妬によるものだった。
自分がいかに論理を尽くし、冷徹に盤面を支配しようとも、この男が振るう圧倒的な暴力の前では、言葉も権力も無力な記号に過ぎない。
モニターの中のシグルドが、ふとカメラのレンズを見据えた気がした。
その視線には、挑発とも軽蔑ともつかない、乾いた色しかない。
まるでこちらの腹の底にあるものを、最初から見抜いているような目だった。
その眼差しに、グンナルは思わず背筋を凍らせ、グラスを握る指に力を込めた。
血とオイルに塗れた巨体。肉塊の山の上で、平然とメモリを拾い上げる姿。
あれは忠実な犬ではない。
今はたまたまこちらを向いているだけの災害だ。
命令に従うのも、首輪があるからではない。ただ、噛む相手をまだ選んでいるだけだ。
恐怖が喉の奥を細く撫でた。同時に、嫉妬がその奥で毒のように広がる。
この野獣は、汚泥の底から這い上がってきたくせに、なぜ自分が持たない熱を持っているのか。
なぜ自分が丹念に積み上げた理屈の外側で、こんな圧倒的な力を平然と振るえるのか。
なぜ――と、グンナルは思いかけて、その思考を止めた。
問いに意味はない。必要なのは、制御だ。
「だが、刃は研ぎすぎれば、持ち主の手をも切り裂くものだ」
グンナルは冷たく薄笑いをして、ワインを喉に流し込んだ。
シグルドは、すでに単なる便利な道具の域を超えている。
真正面からでは殺せない。それは今、改めて証明された。
ならば、折るしかない。刃そのものではなく、刃を振るう理由の方を。
「野獣を制御するには、鎖では足りない。心を許す餌が必要だ」
グラスを持つ指先の震えがピタリと止まり、代わりに爬虫類のような冷たい笑みが口元に張り付いた。
恐怖は役に立つ。うまく飼えば、最上の知恵になる。
「安心しろ、我が義弟」
誰にも聞こえない声で、彼は囁いた。
「次は君自身の手で、君の首輪を締めさせてやろう」
ヴァルハラのクリーンルームで生まれた謀略は、いつだって最も汚れた場所へ手を伸ばす。
そして多くの場合、その手が血で濡れる前に、誰か他人の指へ血をつけさせる。
画面の中では、肉塊とスクラップの山を背に、シグルドがメモリを懐へ収めていた。
シグルドは何も知らない。
ただ、電脳の奥に残る焼けるような熱だけが、血塗れの工場の真ん中で、消え残った火種のように燻っていた。