グンナルは端末へ向き直り、私兵部隊へ暗号命令を送った。
『捕獲対象:グットルム
状態:生存優先
回収先:特別医療隔離室7-B』
送信の瞬間、心拍は静まった。
壊れた感情を、最も効率のよい悪意へ変換する。
そこにこそ、グンナルの真の本性があった。
地下街ニヴルヘイムは、その夜も湿っていた。
太陽の光を忘れた地下空間の片隅を、グットルムは工具箱を抱えて歩いていた。
仕入れた神経ケーブルの欠陥に文句をぶつぶつと呟きながら、シグルドの首裏ポートのノイズをどう消すか考えていた。
あの大男の右腕の反応速度は異常だ。
いつか本体より先に殺し始める前に、なんとかしてやらなければ。
曲がり角へ差しかかった時、周囲の照明が一斉に死んだ。
赤外スコープの微かな照準灯だけが闇に浮かぶ。
グットルムは即座に工具箱を捨てて脇道へ飛び込んだが、相手はそれを見越していた。
暗がりから射出された電磁ネットが体に絡みつき、筋肉が痙攣する。
声を上げる間もなく、黒い戦術装備の私兵たちに押さえ込まれた。
手首を踏み抜かれ、背中にスタンロッドを押し当てられる。
「やめろ、クソ……! 誰の差し金だ!」
答えはない。
麻酔マスクが押し当てられ、グットルムの意識は黒い底へ沈んでいった。
次に目を開けた時、世界は消毒薬と古い鉄錆の臭いに満ちていた。
ヴァルハラの奥深く、非合法な解体場に等しい秘密手術室。
グットルムは金属製の拘束台に固定されていた。
暴れさせないために打たれた筋弛緩剤のせいで、動こうとしたが身体に力が入らない。
「起きたか」
声の主を見て、グットルムは顔色を失った。
特注スーツを一分の乱れもなく着こなしたグンナルが、冷徹な観察者の目で彼を見下ろしていた。
「……なんで、あんたが」
「君の英雄に用があってね。その鍵を借りに来た」
グンナルの視線の先で、私兵が荒々しい医療用ドリルを起動した。
精密手術用ではない、骨をこじ開けるためだけに設計された暴力的な器具。
先端のビットには茶色い血の染みがこびりついている。
「やめろ……やめてくれ! 鍵ってなんのことだよ」
「君だよ」
グンナルはカートの上の透明な薬液――軍用戦闘ドラッグ「フェンリル」と、行動制御チップをちらりと見た。
「君の自我を借りる。シグルドはお前に首の後ろを預けているそうだな。その美しい信頼を、君自身の手で壊してもらう」
「やめろぉッ!」
少年の絶叫は、ドリルの駆動音に無慈悲に掻き消された。
麻酔もなしに、ドリルの刃がグットルムの薄い頭蓋骨に突き立てられる。
硬質な音が響き、鮮血が飛び散る。
骨が砕け、脳髄に直接異物がねじ込まれる凄まじい激痛。
「あああああッ!」
グットルムの悲鳴が白く飛ぶ。
視界が涙と鼻水と血でぐちゃぐちゃになる中、脳髄へ行動制御チップが打ち込まれ、続けてフェンリルが注入された。
薬液が神経を焼く。
手足の先から順に、筋肉が自分のものではなくなっていく。
指が、肘が、肩が、外部からのコマンドにジャックされ、機械のように固定されていく。
意識は鮮明なままだった。
それが最も残酷だった。
(やめてくれ、俺に、あの人を殺させないでくれ……!)
心の中で叫んでも、声帯は勝手に閉じ、言葉にならない呻きしか出ない。
私兵が、グットルムの右手に無骨な凶器を握らせた。
錆びた鉄のアイスピックと太い注射器を乱暴に束ねた暗殺ツール「フェンリル・ファング」。
シグルドにこの少年が自らの意志で作り上げた凶器だと誤認させ、絶望させるために、グンナルがわざと粗悪に偽装した悪意の塊だった。それが、万力のように固定された掌に食い込む。
痛覚と絶望、そして己の身体が大切な人を殺すための機械に成り果てたという事実が、少年の心を粉々に砕いた。
両目から溢れた涙は、毛細血管の破裂によって赤く染まり、一筋の血の涙となって頬を伝い落ちた。
「……完璧だ」
グンナルは満足げに頷いて、手元の端末で最後のコマンド画面を開く。
エリートの執念と泥沼の嫉妬が、物語を最も凄惨な悲劇へと引きずり込む。
『
認証音が鳴る。
グットルムの肉体が、自身の意志を置き去りにしたまま、カクカクとした機械的な動きで拘束台から立ち上がった。
虚ろな瞳から血の涙を流し続ける少年は、大切な人の命を奪うための絶望の行軍を開始した。