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スクリーンに映し出された文字を睨むように見ながら
夏休みの課題 自由研究
ずらずらと並んだ文字の中でその部分だけを睨みつけ、伊吹はしかめ面をした。大体、今のこのご時世に夏休みの宿題などを出す教師の方がどうかしているのだ。世には魔が跋扈し、地上のあちこちではそれに伴う人々の戦争が勃発し、今や完全に安全な場所などこの世界のどこにもないというのに。
それでは解散、という教師の声を合図にクラスメイトたちが教室を出て行く。まだ難しい顔をしている伊吹の傍に一人の男子生徒が寄った。
「ねえ。帰らないの?」
「ああ、何だ。
鞄を持って少し俯いた生徒の名を呼び、伊吹はがりがりと頭をかいた。さっきから考えているのだが、どうしてもいい案が出ない。不服をこめてそのことを話すと青藍は困ったような顔をした。クラスには父親譲りの優しい顔立ちをした青藍のことを未だに女かも知れないと思っているバカもいるらしい。机の脇に立つ青藍を見つめていた伊吹は何となくそのことを思い出した。
「大体なあ。あんのバカ教師が宿題なんて出すから俺様が悩む羽目になるんだ」
仏頂面で言ってから伊吹は仕方なく立ち上がった。
「えっ。もしかしてまた変なこと考えてるでしょ? やめてよ、もう。尻ぬぐいするの、いつもぼくなんだよ?」
「なにを生ぬるいことを!」
鞄を手に、伊吹は握りこぶしを固めて声を張り上げた。うっ、と呻いた青藍が慌ただしく教室の中を見回す。だが大声を出した伊吹自身は、教室にまだ残っていたクラスメイトたちの注目を浴びていることには気付かなかった。
「やるからには本気で! やるからには誰にも負けず! でもってやるからには絶対勝つ!」
「誰にだよ……。ああっ! まずい、探知機が反応しかけてる! かっ、帰ろう、兄さん!」
焦った風に言って青藍が伊吹の腕をつかむ。こぶしを握りしめて叫びながら伊吹はずるずると青藍に引きずられて教室を出た。
世界のあちこちで戦争や魔の騒動が起こっている昨今、学校という施設にあらゆる探知機が仕掛けられるのは当たり前になった。わあわあと所構わず喚く伊吹の声を拾った探知機が一斉に警報を鳴らす頃、問題の二人は猛スピードで校門を出た。
「もう。ちょっとは考えてよね」
疲れた顔をして青藍が深々とため息を吐く。学校から無事に離れ、並んで歩きながら、伊吹は渋い顔をしてむぅと呻いた。
「すまん。ついつい昂奮して」
「まあ、兄さんが昂奮するのはいつもだからいいんだけど……。あっ。可愛い。ちょっと寄っていい?」
ちなみに昨今は出生率も下がっており、同じ学校、同じ学年に兄弟姉妹が居てもクラスが同じになることはよくあるらしい。二人の通う私立高校は各学年に一クラスしかないため、兄弟である二人は必然的に同じクラスになった。
嬉しそうな声を上げた青藍が入っていったのはとある手芸店だ。むっつりした顔で手芸店を見つめ、伊吹は仕方なく店外で青藍を待つことにした。どうもこの手のふわふわとした店には入る気にならない。
「この辺も開けたよなー……」
店の前にあるブロックの囲みの縁に座り、伊吹はぼんやりと周囲を眺めた。少し前まではこの辺りにはたんぼくらいしかなかったらしい。だが今ではすっかり街並みが整えられている。
「お待たせ。って、何もひなたで待ってなくてもいいのに」
手芸店の袋を抱えて店から出てきた青藍が、夏の暑い陽射しに晒されていた伊吹を見て困ったような顔をする。うるせぃ、と言い返して伊吹は立ち上がった。
「んで、なに買ったんだ?」
「えっとね。フェルトとか、刺繍糸とか。この間、お父さんから型紙をもらったからマスコットを作ろうと思って」
心底嬉しそうに微笑みながら青藍が言う。うえー、と舌を出してから伊吹はため息を吐いた。何故、双子だというのに自分と青藍はこうも嗜好が違うのだろう。一見、女にも見える青藍の横顔をちらりと見てから伊吹はうんざりした顔をした。
「よくそんな女みたいなちまちましたことが出来るなー。俺は絶対、無理だ」
「あはは。お母さんみたいなこと言って」
だが不思議と兄弟で喧嘩をしたことはない。伊吹は適当に話をしながらいつものコースを辿った。
カラフルな煉瓦敷きの遊歩道の脇には様々な店が並んでいる。街の中心辺りはいつも賑やかだ。
「でもね。兄さんも良くないと思うよ。ただでさえぼくらは目立つんだから」
とあるハンバーガーショップに入り、席に着いた青藍が控え目な声で言う。そうかー? と間延びした返事をしてから伊吹は目の前に積まれた大量のハンバーガーを睨みつけた。
「それでは、これよりタイムを測らせていただきます。制限時間は三十分! 用意、スタート!」
声高に店員が号令をかけた直後、伊吹は目をきらりと光らせてハンバーガーの包みを一つ取った。包みを剥がしてハンバーガーを食べ始める。
「だってねぇ。ぼくらは一応、飛び級しててクラスのみんなとはあんまり面識がないし」
「んむんむ」
凄まじいスピードでハンバーガーを食べつつも、伊吹はきっちりと青藍の言葉に頷いた。まるでそっちのけで会話を続ける二人に驚いたのか、ストップウォッチを握った若い女性店員が不思議そうな顔で二人を見比べる。
「兄さんは売られた喧嘩は全部買っちゃうし……あ。唇のところ、ケチャップついてる」
ふふ、と笑って青藍が素早く伊吹の口許を指で拭う。悪い、と詫びつつも伊吹は次々にハンバーガーを片付けていった。
「それにね。この間も授業中に寝てたでしょ。先生に目を付けられても仕方ないと思うよ?」
「よし、食った!」
最後の一つを片付けてから伊吹はアイスティを取り上げた。二人の座る席の傍に立っていた女性店員が唖然とした顔でストップウォッチと二人を見比べる。
「くっ、クリアです! し、新記録です! 五分七秒!」
「ん。賞品くれ」
何でもないことのように頷いて、伊吹は店員に手を差し出した。慌ただしくエプロンのポケットを探った女性店員がクラッカーを鳴らす。それはいいから、としかめ面をして伊吹はしつこく店員に手を出した。店の奥にすっ飛んでいった女性店員が、何故か数人の店員を引き連れてくる。
「だから、賞品……」
「おめでとうございます!」
店員たちが声を揃えて言うのを聞いて伊吹はため息を吐いた。ついでのように幾つもフラッシュをたかれる。ちゃっかりとそっぽを向いてカメラを避けた青藍が苦笑する。
「そういえばここの早食いの賞品は何なの?」
「一年分ハンバーガー無料券」
「……また……。そんなの勝手に貰ったらお父さんに怒られるよ?」
ひとしきり騒いだ後、店員たちは伊吹の手に無料券を押しつけて去っていった。伊吹は封筒に入った無料券を大事に鞄にしまい、青藍の前のトレイに手を伸ばした。デザートにと先に頼んでおいたアップルパイを取り上げる。
「いいんだよ。母さんにさえ見つからなかったら」
問題ない、と頷いて伊吹はアップルパイにかじりついた。そうなのだ。この手のものを母親に見つかったらろくなことにならない。いつだったかは忘れたが、せっかく手に入れたフルコース無料券も、プール無料券も、全部母親に取り上げられてしまった。そのことを思い出して、ふと伊吹は食べる手を止めた。
「ん? どうしたの?」
「そうだ!」
アップルパイを片手に伊吹はがたんと椅子を鳴らして立ち上がった。青藍が不思議そうな顔をして首を傾げる。教師の鼻をあかしてやるにはこれしかない。
「うははははは! 俺様天才!」
机に足を乗せ、高笑いをする伊吹を客たちが奇異の目で見る。青藍が深々とため息を吐き、天災の間違いじゃないのと呟いていたが、その呟きは伊吹には聞こえなかった。
その後、ハンバーガーショップを出て、二人は家に向かった。
「えっ!? ちょっと止めようよ、そういうのはっ」
もの凄く嫌な顔をして青藍が言う。だが伊吹はちっちっち、と舌打ちしながら指を振ってみせた。
「そんなことじゃ、あの教師を驚かせられないぞ」
「嬉しそうに言わないでよ……」
二人は家の玄関前に座り込み、ひそひそと話をしていた。庭に水を撒いていた庭師が不思議そうに二人を見る。
「何で兄さんってそういう変なことばかり考えるのかなあ」
どうやら説得するのを諦めたらしい。青藍がため息を吐きながら力なく首を振る。よし、決まりだなと頷いて伊吹は立ち上がった。
呼び鈴を押すといつものように執事が出迎えてくれる。ただいまと挨拶して二人は自分の部屋にダッシュした。慌ただしく鞄を置いてから廊下に飛び出す。さすがは双子というべきか、二人はほぼ同じタイミングで隣り合った部屋から出た。
「打ち合わせ通り! いいな!?」
「う、うん。判った」
戸惑い気味に返事をして青藍が頷く。そこで伊吹は頷き返し、二人は別々の方向に向かって走り出した。これから青藍はとっておきのクッキーを焼く予定だ。そして伊吹は。
「なあなあ!」
「はい? 何でしょうか、伊吹様」
廊下を歩いていた執事が足を止めて振り返る。伊吹は慌ただしく周囲を見回し、その場にしゃがんでから執事に手招きをした。不思議そうな顔をした執事が伊吹に合わせてその場にしゃがみ込む。
「どうなさいましたか? お夕食は今しばらくお待ちいただければ……」
「何で食い物の話なんだよ! いや、違う、あのな、実は」
何故、どいつもこいつも俺を見ると食い物の話だと思うのか。そんな怒りを何とか鎮めて伊吹は執事に耳打ちをした。すると執事が首を傾げる。
「はあ……まあ、確かにわたくしはここにずっと勤めておりますが……」
「しーげーもーりー」
言い渋る執事を睨みつけて伊吹は低い声を出した。
「な? 頼むよ。こないだあの変な男のこと、裏口から通してやったじゃん」
ここぞとばかりに伊吹は子供らしさを演出してみた。手を合わせて上目遣いに伺うと重森が難しい顔をする。
「いえ、そうは仰られましても、わたくしにも水輝様の好みは」
「頼むよー、教えてくれよー。俺の明るい希望に満ちた未来がかかってんだからさあ」
猫なで声を出した伊吹に根負けしたのか、重森が深いため息を吐く。
「伊吹様の将来がかかっているのなら仕方ありませんね」
「だろ!?」
喜びに目を輝かせて伊吹は何度も頷いた。はあ、と曖昧な返事をしてから重森が咳払いをし、人差し指を立ててみせる。
「首筋辺りでしょうか?」
「首」
呟いて伊吹はふむふむと頷いた。それから重森は手で筒の形を作り、伊吹の耳に小声で囁いた。首の次は胸、その次は。重森の言葉に頷きながら伊吹は脳内シミュレートしてみた。
いける! これなら確実に!
そう確信して伊吹は力強く頷いた。それでは、と苦笑をして重森が静かにその場を去る。伊吹はキッチンに全速力で走り、お菓子の準備をしていた青藍に耳打ちした。
「ええっ!? そんなこと訊いたの!? 恥ずかしいなあ、もう」
耳まで真っ赤になって青藍がぼやく。伊吹は青藍のクッキーをつまみ食いしながら眉間に皺を寄せた。
「バカ言え。これが一番確実、かつ、手っ取り早い方法だろうが」
「兄さんの確実はなあ……。あっ、ちょっと、つまみ食いしすぎ! なくなっちゃうでしょ」
膨れ面をして青藍がクッキーの入った籠を隠す。むう、と唸って伊吹は握りこんでいたクッキーを一枚ずつ頬張った。