ヘルメットを被り、手にバットを握りしめて伊吹は頷いた。静まりかえった廊下を中腰で進む伊吹の後をついてくる青藍も、やはり同じような格好をしている。足音を殺して廊下を進み、伊吹は静かに目的のドアを開いた。
暗がりを身を低くして進む。ベッドに眠る水輝は二人が部屋に入ってきたことには気付いていないようだ。
「凄い寝相だな……」
ベッドに這い寄った伊吹はごくごく小声で感想を述べた。四つんばいでベッドに近付いた青藍がひょっこりと顔を覗かせて無言で頷く。
水輝は広々としたダブルベッドで両腕両足を広げて眠っていた。いびきが聞こえないのが不思議なくらいに豪快な寝相だ。伊吹はしかめ面をして水輝の寝相を頭からつま先まで眺めてから青藍に頷いてみせた。
二人はベッドの傍に座り、手にしたバットを持ち上げた。そろそろと近づけたバットの先端でつつかれた水輝がうーん、と寝ぼけた声を上げて身じろぎする。
「感じてるらしいぞっ」
「そ、そうなのかなあ」
「バカ、今ちゃんと反応したじゃないかっ」
ぼそぼそと小声でやり取りをしてから伊吹はバットを握る手に力をこめ、もう一度水輝をつついた。するとまた水輝がうーん、と声を漏らして身じろぎをする。
「な? 見ろ。触られると感じるんだよ」
「……何か、今のお母さんの動き方、蚊とか払うみたいだったような……」
「そんなことあるかよ。ほら、お前もやれよ」
「う、うん」
二人はベッドに少しだけ身を乗り出し、揃って水輝の身体をバットの先でつついた。その度に水輝はうーんうーんと声を漏らして身じろぎする。窓からさし込む月明かりの下だから少しは水輝の表情も判る。眉を少し寄せ、呻きを漏らす水輝はきっと感じているに違いない。調子を良くした伊吹はさらに身を乗り出してバットを逆手に持ち替え、先端で水輝の大事な場所をつんつんとつついた。
「うーんー」
「ククク。あっけないよのぅ」
「兄さん、何か悪者みたい……」
不満を唱えつつも、青藍が真面目に水輝をバットの先端でつつく。こうしてしばらくつついて感じさせた後に水輝のパジャマを剥がしてしまえばいいのだ。そう思いながら伊吹は特に何も考えず、さらに身を乗り出した。
「兄さん! それ以上近付いたら!」
「へ?」
「んー……にいってんだ……って……いって」
急に水輝が聞き取りにくい声で何事かを言う。ぎょっとした伊吹は一瞬、自分のしていたことを忘れて水輝を凝視した。
「ピッチャー水輝! 第一球投げました!」
唐突にはっきりと水輝が喋った直後、伊吹は強烈な打撃を腹に食らって吹っ飛んだ。兄さん! と悲愴な声を上げた青藍が伊吹と同じように打撃を受けて床に転がる。
二人にダメージを加えた水輝はすやすやと眠り続けている。
「だ、駄目だ……この方法は危険すぎる……」
水輝に蹴られた腹を押さえ、伊吹は呻きながら呟いた。傍まで飛んできていた青藍が泣きそうな顔で言う。
「何でピッチャーなのに蹴りなの!? ねえ何で!?」
「俺が知るか!」
三回戦、敗北。
「くそう、おかしい。絶対、変だろ」
「もう止めようよお」
二人はあれからこそこそと水輝の部屋を後にし、伊吹の部屋に戻った。怒りに震える手で研究日誌を書いていた伊吹は目を吊り上げて青藍を睨みつけた。
「ここまで来てやめられるか!」
「お母さんが寝てる時は危ないから近付いちゃいけませんって言われてたのに」
どうやら青藍は脇腹を蹴られたらしい。めそめそと泣きながら青藍は脇腹を押さえている。うう、と呻いて伊吹は蹴られた腹を押さえた。何故、寝ているにもかかわらず水輝は的確に二人を蹴り飛ばせるのだろうか。
「よく考えてみろ。何で父さんは平気なんだよ。一緒に寝てるのに」
「そう言えば……」
それまで痛いだの、嫌だのと愚痴を零していた青藍がふと真顔になる。だろ? と同意を求めてから伊吹は腕組みをして力強く頷いた。
「要するに回りくどいことをするからまずいんだ。ここはストレートにだな」
「まさか、お母さんに、その、あの」
急に恥ずかしそうに顔を赤くして青藍がもじもじと指を組み合わせる。それを見た伊吹は慌てて違うと首を振った。恥ずかしがる青藍につられ、無意識のうちに伊吹の顔も赤くなる。
「父さんに頼むんだよ」
「えっ?」
「考えてみろ。父さんはなんで母さんと寝ても平気なんだ? それに、ほら、なんだ、あれだよ」
説明するのが何故か恥ずかしく、伊吹は言葉を濁した。耳まで真っ赤になった青藍が不自然に目を泳がせる。
「ええと、そうだよね。あの、ええと、えっちなことしてるんだよねっ」
「そうそう、そうだよ! 何で父さんは平気なんだ? きっと何か秘密があるに違いない!」
「そ、それはそうかも!」
「そこでだ! 父さんに直に聞けば、秘密も判るに違いない!」
「……えー、それはどうかなあ」
それまで賛同していた青藍が急に渋い顔をする。伊吹はだが、自信満々に胸を叩いてみせた。
「大丈夫だ! いざとなったら泣いて頼む!」
「それって泣き落としってこと? 何かが違うような」
首を傾げつつも青藍が渋々と頷く。作戦は続行することになった。