「いいな!? 吉良瀬兄! 弟! 放課後、指導室に来い!」
夏休みが明け、学校が始まった。今日も機嫌の悪そうな教師に怒鳴りつけられ、伊吹は渋い顔をして頭をかいた。朝のホームルームを終えた教室の中はクラスメイトの声で賑わっている。こそこそと伊吹の席に近付いた青藍が小声で言う。
「……ねぇ。やっぱりまずかったんじゃないの?」
「バカを言え。俺は事実を書いただけだ。何で怒られにゃならんのだ」
不満いっぱいの顔をして伊吹はふん、と鼻を鳴らした。でも、と呟いて青藍が恐る恐る周囲を伺う。
「みんな、商店街の客層とか、そういうの調べたみたいだよ。ぼくらだけじゃないかな、ああいうの」
「人と同じことをしてどーする。そんなじゃ勝てないだろうが」
「だから、誰にだよ」
深々とため息を吐いて青藍が弱々しく頭を振る。伊吹も口では威勢のいいことを言ってはいたが、正直不安ではあった。何しろあの教師と言ったら親を呼ぶと宣言してくれたのだ。
やべえよなあ……。母さんに知れたら。
チャイムが鳴り、授業が始まっても伊吹の頭からそのことが離れなかった。立城とのセックスをあっけらかんとした態度で見せてもいいと言っていた水輝だ。多少のことでは怒らないような気はする。だが、水輝の名前を出していないにしても、淫魔の特性としてそのことをレポートにまとめて提出してしまったのだ。共同研究者として青藍の名も連ねてはおいたが、言い出しっぺは伊吹に違いない。
「どうすっかなー……」
「ん? ああ、放課後のこと? 先生すごく怒ってたもんね」
昼休憩になり、食堂で一緒に食事をしていた青藍が疲れた顔をしてため息を吐く。そうなんだよな、と呟いて伊吹は腕組みをした。
「大体、研究対象は何でもいいって言ったじゃんか。なあ?」
「なあってぼくに言われても」
「どこも変じゃないと思うんだけどなあ。何で怒られるんだ?」
「だからぼくに訊かれても判らないってば。……あ、それ要らないならちょうだい」
フォークでトマトを避けていた伊吹に声を掛け、青藍が箸で素早くトマトをさらう。そうなんだよなあ、と呟きながら伊吹はのろのろと食事をはじめた。
長い昼休憩が終わり、午後の授業が終わる頃になっても伊吹はまだ納得出来なかった。確かに他のクラスメイトたちとは一風変わった自由研究だとは思う。だからこそいけると思ったのだし、奇抜さを狙ったことも認める。だが怒られる謂われはない気がする。
難しい顔で考えに耽っていた伊吹は遠くから聞こえてきた音にぎょっとして慌てて窓の外を見た。伊吹は窓際の席のために簡単に外が見渡せるのだ。
来た……。
背中に冷たい汗が流れる。よそ見するなという教師の声が急速に近付いてきた車の音にかき消される。もの凄い勢いで校門に飛び込んできたメタリックシルバーのスポーツカーがタイヤの軋みを上げてカーブを切る。
よりによって母さんの方かよ。けたたましい車の音に惹かれて窓に鈴なりになったクラスメイトを余所に、伊吹は頭を抱えて突っ伏した。
「うわ! 誰だ、あれ! 先生か? すげえ派手な車!」
「うお、超美人!」
「えっ、どこどこ!」
男子校だったのもまずかったのかも知れない。叱りつける教師の声が教室の中に響く。だがクラスメイトたちは我先にと窓に飛びつき、身を乗り出して外を見ている。
「……兄さん」
「ああ……覚悟を決めろ、青藍。死ぬ時は一緒だ……」
騒ぎに紛れてこっそりと寄ってきた青藍に伊吹は重々しく頷いてみせた。
*****
伊吹は青い顔をして青藍と並んで座っていた。青藍もやっぱり伊吹と同じように顔色がすこぶる悪い。
「いいですかな。ここは学問の場です。淫らな妄想に耽られても困るわけですよ」
「はあ」
そして揃って顔色の悪い二人の横にはしっかりと水輝が並んでいた。机を挟んで三人の前にいるのは、伊吹と青藍のクラス担任だ。
「ちょっと失礼。レポートを見せて頂けますか」
さらりと教師の説教を遮り、水輝が机にあったディスクを取り上げる。水輝は後ろに立っていた重森に命じ、携帯端末を用意させた。
審判の時がきた。伊吹は全身を緊張させ、嫌な汗をかきながらその時を待った。しばし端末画面を見つめた水輝がなるほど、と呟く。
「お判りですか? あなたのお子さんはですな」
「あー、悪いけど伊吹。青藍。ちょっと外に出てろ」
「は?」
伊吹は唐突に言った水輝に驚き、慌てて俯けていた顔を上げた。教師が呆れた顔をしてちょっと、と制止の声を掛ける。すると水輝は口許に手を当ててほほほ、とわざとらしく笑ってみせた。
「ちょっと先生とこの子たちの将来についてじっくりと話し合いたいんですの」
寒気がする。珍しく気持ち悪い言葉で喋る水輝を横目に見つめ、伊吹は顔を引きつらせた。それまで嫌そうな顔をしていた教師が急に顔を輝かせる。
「私の言いたいことを判ってくれましたか!」
「ええ、はいはい。……いいから出てろっつってんだろ」
にこやかに教師に返事してから水輝がごくごく小さな声で言って伊吹の脇腹をつつく。伊吹は青藍と顔を見合わせ、次いで教師を見やった。すっかり機嫌を直したのか、教師は出ていいぞと笑顔で伊吹たちに言う。
言われるままに指導室から出て、伊吹は近くの壁に背中を預けてため息を吐いた。青藍がその横に並んで同じようにため息を吐く。
「転校でもさせられるのかなあ」
「冗談。何でだよ。やっとここに慣れてきたばっかだってのに」
「でも、お母さんの口ぶりだとそうとしか思えないよ」
「う……。そ、そうか」
沈みきった顔で伊吹は肩を落とした。まさかこんなしっぺ返しがあるとは思わなかった。第一、何であの教師は人のレポートを頭ごなしに妄想と決めつけるのだろう。確かに水輝の名前は書いていないが、レポートには嘘は書いていない。
退室してから三分。唐突に指導室の扉が開く。驚きに息を飲んだ伊吹は、部屋から出てきた水輝を見て目を丸くした。けっ、と喉の奥で言った水輝が口許を拭い、横目に伊吹と青藍を見る。
「何だ。居たのか。ついでに一緒に帰るか?」
「え? あ、あの、母さん? 先生との話は……」
慌てて言いながら伊吹は指導室の中を覗き込んだ。そこで唖然とする。あれだけ威勢良く吠えていた教師はほわわんとした笑みを浮かべて椅子に力なく座っていた。重森が静かに部屋を出て扉を閉める。
「なっ、何したんだ、母さん」
「任せろ。不問にしてもらっといたぞ」
「えええ!?」
伊吹と青藍は揃って驚きの声を上げた。てっきりこれから絞られるのだと思っていた伊吹は、慌てて訊ねた。
「お、俺ら転校しなくていいのか!?」
「はー? 転校? 何だ、この学校が気に入らないのか?」
不思議そうな顔をして水輝が言う。伊吹は焦って首を横に振った。ふん、と鼻で笑った水輝が伊吹と青藍の頭を乱暴に撫でる。
「ほら、行くぞ。ちんたらしてっと追いてくからな」
そう言った水輝がさっさと踵を返して歩き出す。伊吹は青藍と頷き合って水輝の後を追った。先を歩いていた水輝がそうだ、と言って振り返る。
「今の、立城には内緒な」
唇に人差し指を当てて水輝が片目を閉じる。伊吹は青藍と顔を見合わせ、笑いあってから頷いた。
了
これで話は終わりです。
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