ビルドファイターズ・レイヴン 作:コウサカさんちのコーヒー
「来たぁっ!!」
夜の自室。右手にスマホを握り、左手で拳を握り、サトミは喝采を上げた。
12月最初の金曜日の夜。レイヴンが試合に出る。見てぇ! でも時間が遅い。夜10時。サトミのパパママは娘の人柄を信用して自主性と自由を尊重しているけれど、16歳の美しい愛娘を夜中に賭博試合の観戦へ送り出すほど、親の責任を投げ捨てていない。
どうしよう。どうやって観戦しに行く?
危なそうだから配信映像で我慢しとこ、という常識的な考えはサトミの脳ミソからBANされていた。それどころか親の目を誤魔化して観戦しにいく方法を模索しているときた。危うい。とっても危うい。何が危ういかと言えば、この娘っ子に蛇穴へ赴くという自覚がないことがすっごく危うい。
下手すりゃカス共に拉致られて輪姦された挙句、路地裏や川岸にヤリ捨てられるかもしんない、という怖い想像がまったく働いていないところが、マジで危うい。
冗談抜きであり得ることなのだ。
盛り場に赴いた女の子が不良に車へ連れ込まれ、車内や連中の溜まり場でハメ倒され、その様をガラケーやスマホで撮られ、散々に弄ばれた末に風俗へ沈められる、なんて話は日本中にいくらでもある。
そういう怖い場所において、美人であることはマイナス効果しか生まない。美貌がさながら誘蛾灯のように虫けら以下のクズ共の注目と欲望を集めてしまう。クズ共に目をつけられた美少女が待っている結末はいつだって悲劇だけだ。
モデル商売という芸能界の端っこで活動し、事務所や先輩から芸能界の怖い話をいくらでも聞いていて、そういうトラブルに注意しているのに、サトミは自分がピラニアと鰐に満ちたプールへ飛び込もうとしている自覚がまるでない。
先のエキシビジョンマッチを観戦して無事に帰れたことも、危険を軽視している理由になるかもしれない。
16歳。子供とはいえないほど育った身体を持ち、世間の怖さを知った気でいる、子供じゃないつもりの歳頃。
「どうにかしてレイヴンの復帰戦を見に行けないかなぁ」
そして、怖いもの知らずの歳頃。何が怖いかも知らない歳頃。
〇
冬の冷たい雨が降り注ぐ。
いつも学校に内緒でバイク通学しているスミオとエリも流石にバイクは出さず、電車で学校に赴く。スミオとエリは非人間的なほど混みあう都心の電車に辟易し、雨天と車内の暖房の合わせ技で高湿度なところに様々な臭いが混じる車内にげんなりし、聖鳳学園最寄駅を降りて傘を差して歩く。
「満員電車ってキツイな……」
「ですね……」
スミオとエリはぼやきながら登校していく。
「三年になったら、さっさと自動車の免許取って車で通学するか」
「流石に車はバレちゃうと思います」
スミオの案にエリが現実的な問題を逆提示。
「ダメかぁ」スミオのぼやきが外気によって白く煙る。
「ちなみに、車はどういうのを予定してるんです?」妻が夫に尋ねるような口振りのエリ。
「そうだなぁ……」スミオは少し思案して「駐車場代とか維持費とか考えたら、高いのはまず無理だろうから、軽自動車になるかなぁ」明確な意志を込めて「ただまぁ車内が広い奴だな。これはマストだ」
「? 広い車内? 何か理由が?」利便性とか使い勝手かしら、とエリが予想して尋ねれば。
「車内が広ければ」スミオはエリに身を寄せ、耳元で囁く。「カーセックスできるだろ?」
エリは秀麗な細面に桜色を差し、艶気たっぷりに微笑んだ。
「スー君のえっち」
実にバカップルなやり取りを交わしながら校門を潜り、正面玄関に並ぶ下駄箱でウワバキに履き替えているところへ、
「おはよー、アリサワ。シノダさん」
ショートカットの美少女が声を掛けてきた。ガンプラバトル沼に首まで浸かったフナキ・サトミだ。
学校指定のピーコートにマフラー。然して足下はハイソックスで太腿は剥き出し。女子高生の”カワイイ”は寒さ暑さに負けぬ根性で出来ている。声を掛ける直前にスマホの自撮りモードで素早く自己チェックを入れたとは思えぬ、極自然で親しげな微笑みをスミオとエリへ向けていた。プロである。
サトミの目がスミオとエリの左手薬指のペアリングを素早く盗み見る。ファンガの胸中は疼かなかった。この2人が本当にお似合いなことはサトミ自身が認めるところ。ゆえに胸中で疼きは起きない。ただ、羨望と嫉妬の狭間にあるチリリとした感覚が一瞬走ったこともまた事実だったが……その刹那の感覚をサトミが認識したかは余人には分からない。
ともあれ、サトミはしれっと”推し”と”推し”のカノジョと一緒に教室へ向かう。他愛ない会話をしながら、冬雨の冷たい湿気を蹴飛ばすように、生徒達の往来と喧噪で賑わう朝の廊下と階段を進む。このわずかな時間、サトミがなんとなくスリリングな気分を楽しみ、朝から内心でにんまりしていたことを、ここに記しておこう。
かくて何事もなく教室へ到着。いつも通りの無難で平凡で変わり映えのないスクールデイズが始まる。
午前中の授業を受け、昼休みに飯を食って友人と駄弁り、気だるい午後の授業をこなす。
そうして迎える帰りのHR前清掃。
聖鳳学園の校内清掃は当番制ではなく全員でさっさと済ませるシステムだ。
スミオは自クラスが担当する特別教室を掃除するグループで、クラスメートの面々とかったるい掃除を済ませる。とゴミ袋を校舎外の捨て場へ運ぶことに。
「マジで? この雨の中を?」と男子の一言に全員の目が窓へ向く。
冬の冷たい雨がざあざあと風切り音を奏でて降り注いでいた。誰だってこんな本降りの中をゴミ捨てに行きたくはない。
「男の子♪ ちょっと格好良いとこ♪ 見てみたい♪」と女子のお調子者が言えば。
「いやいやイマドキは女性尊重の御時世だ。ここは率先して活動してくれや」と皮肉屋の男子が切り返す。
「無難にジャンケンで良いだろ。何人出す?」
「この量なら2人ってとこじゃねえの?」
「じゃ2人負けで。最初はぐー。じゃん、けん、ほいっ!」
「なんてこったい」スミオはチョキを出して粉砕され。
「負けちゃった」同じくチョキを出して負けたカミキ・ミライが麗しく微苦笑。
というわけで、スミオとミライはそれぞれの手にゴミ袋を持ってゴミ捨て場に向かう。
ミライは学校一の美女だ。ゴミ袋を手に提げていても、その美しさは微塵も翳らない。むしろ武道経験とモデル仕事で鍛えられている姿勢とスタイルの良さが、よりはっきりと分かる。
コテコテのコミュ障陰キャだったら、ミライは会話どころか傍に近づくことすら勇気が要るレベルの相手だけれど、幸いスミオは美人相手に気後れする性質ではなく、ミライは分け隔てなく礼儀正しく接せられるタイプだった。おかげでスミオはミライと毒にも薬にもならない雑談を交わせられる。
「カミキさん、スーパーの特売チェックしてるの? なんか意外だ。そういう庶民的なことと無縁なイメージがあったよ」
美の女神様みたいな容貌の持ち主が、そこらのスーパーでおばちゃん達に交じって特売品を買い物籠へ詰める姿は、ちょっと想像できない。
「私は普通の庶民よ。スーパーの特売はよく利用してるわ」
ミライは和やかに微笑む。もっとも、本人は自覚していただろうか。その微笑に仄かな寂寥感が混じっていたことを。
カミキ・ミライは両親が既に他界しており、弟は武術の師匠と一緒に修行の旅(対外的には留学ということになっている)に出ていて、独り暮らし状態。むろん、弟のセカイとはマメに連絡を取っているけれど、それでも誰もいない戸建てに帰った時、独りで夕食を摂っている時、不意に寂しいと思う時はあった。
スミオはミライの可憐な微笑に滲む別の感情を察したが、口にしない。それは母子家庭のスミオにも覚えがあるもので、同情も憐憫もされたくないものだから。
そうして2人は高等部特別教室棟の棟外出入口に辿り着いた。出入口の先に窺えるコンクリ製ゴミ捨て場は絶賛降雨中。出入口からゴミ捨て場までの距離は短い。走れば往復で一分も掛かるまい。けれど雨足が強い。
「ぼくが捨ててくるよ」と提案するスミオ。
「そんなの悪いわ」と遠慮がちに眉を下げるミライ。
「良いから良いから」
スミオはミライの手からゴミ袋を取り、両手にゴミ袋を提げて出入口から雨中へ。
「わっ!?」思いのほか雨が冷たい。それに粒もデカいし、量も多い。こりゃたまらん、とすたこらと駆けてゴミ捨て場に両手のゴミ袋を放り、さっさと走って出入口へ戻り。一分も掛かっていないはずだが、制服は濡れ跡だらけで髪も顔もしっかり濡れている。うっかり水溜まりを踏んだ右足は裾とウワバキが冷たい。
「考えが甘かった。面倒でも傘を取りに回ればよかった」
割と濡れたスミオがげんなり顔をすると、ミライは思わずというように微苦笑をこぼしてから、柔らかな面持ちで言った。
「御苦労様でした」次いで「代わりに捨ててきてくれて、ありがとう。アリサワ君」
「どういたしまして」
スミオは応じながら思う。この美貌にこの気立て。そりゃモテるわな。
・・・
・・
・
掃除の時間が終わり、校内各所に展開していた少年少女達が教室へ戻っていく。サトミも連絡廊下の掃除を終えて教室へ戻る、その最中。
サトミは見た。スミオとミライが気さくに談笑しながら歩いてくるところを。
”推し”と親友が並んで気の置けない笑顔を向け合う姿に、スミオとエリが一緒にいる光景には疼かなかった胸中が、なぜかひどくザラついた。この光景は嫌だ、と明確に生じる忌避感。サトミはその理由が分からなかった。明確に説明も言語化も出来なかった。けれど、なぜか酷く尖った棘が心を刺している。
だから、サトミは教室へ向かっていた足をスミオとミライの許へ向け直す。
「ミライ、アリサワ、お疲れー」
他意の一切ない声と裏のない微笑。けれど、その心の内は紙ヤスリのようにザラザラとしていた。
〇
雨が続く。
翌日も鈍色の空からざあざあと雨が注ぐ。
教室の外は沁み込むような寒気と冷たい湿気が支配し、教室の内は暖房の温もりに充たされ、眠気を誘う。実際、昼休み直前の4限め現在。教室の5分の1はうつらうつらしていて、数人ほど夢の世界へ旅立った。体育会系の連中が時折、空きっ腹を鳴らしている。
サトミは欠伸を噛み殺しつつ、12月の頭にある『レイヴンの復帰戦』をどうやって観戦しに行くか、頭を捻っていた。最も安易な手法は普段から泊まりに行くことがあるミライに口裏を合わせてもらうことだが、『ガンプラバトルを見に、夜中にちょっとヤバい場所へ行く』と知れば、まず協力は見込めまい。なんならサトミを案じてガチめのお説教も来るだろう。
……今回は我慢するしかない、かなぁ。
モデルという競争の激しい業界に身を置くだけに、サトミは忍耐と我慢を相応に鍛えられている。人生とは望みが叶わぬ現実に折り合いをつけること、と語ったのは誰だっただろう。T・S・エリオットだったかしら。
目線を動かして密やかにアリサワ・スミオを窺う。凛々しい顔立ち。意外と引き締まった長身。運動部系の連中やチャラい連中ほど自己主張が強くないので、あまり目立たないけれど、容貌は絵になるタイプだ。実際、アジアカップ予選やパンパシ予選の配信動画のコメント欄にはスミオを格好良い、と評する声が散見していた。
レイヴンの復帰戦……やっぱり見たい……っ! 絶対格好良い。絶対盛り上がる。見たい……見たいィ~……っ!
眠気を堪える澄まし顔の一枚下で、強火ファンガールが激しく身悶えしていた。
理性と欲に空腹と眠気がせめぎ合う四限目が終わり、迎える昼休み。
表はいまだ雨。
サトミはいつもと同じくミライと一緒に弁当を突く。スミオはレスリング部のマッスル・ヨシダと雑談しながら昼飯を食っている。今日は部室に行かないらしい。
食事を済まし、手持無沙汰になったサトミはミライの艶やかな長髪を弄り始める。
「ミライはうなじのラインが綺麗だからポニテも良いかもね」
教室内のポニテ支持派が密やかに握り拳。
「ツインテールはミライと相性が良くない感じがするわ」
教室内のツインテール至上主義者達が肩を落とす。
「サトミは伸ばさないの?」髪を弄られながらミライが問えば。
「伸ばしてはみたいけど……私、髪のくせが強いからなぁ」と眉を下げるサトミ「美容院で直すと高いし」
同じ悩みを持つ教室内の小娘達がうんうんと頷く。
「ウィッグとかは?」ミライが提案すると、
「あれもピンキリだからなぁ」サトミが慨嘆で応じた。
サトミはミライと雑談をかわしながらミライの長い髪を高めのサイドテールにまとめ、テール部分をちまちまと編み込んでいく。もちろん髪に癖がつかないよう柔めに。
そして、完成するサイド編み込みテール。
日頃の清楚な印象から離れたダンサー風のヘアスタイルは意外なほど似合っていて、傍で眺めていた野郎と小娘の口から思わず感嘆と溜息がこぼしていた。
「こういう方向性もイケるのか……ミライ、恐ろしい子っ!」名作『ガラスの仮面』のキャラみたいに慄くサトミ。
「恐ろしいって……サトミがやったんじゃない」編み込みお下げを弄りながら上品に微苦笑を返すミライ。
「とりあえずヒビキさんに送っとこ」サトミはスマホを構える。
ミライは居住まいを正し、モデルらしくカメラの位置と天井の照明を考慮し、簡単に顔の向きと姿勢を調整。
「はい、撮りまーす。まずはバストショット。次はピースポーズいこっか。裏ピースでちょっと挑発的に。いいねー。じゃ次は指でハート作って可愛く。いいよいいよー」
サトミの要請にしたがってミライがポーズを取り、カシャカシャと電子的なシャッター音が続く。周囲からどこか羨ましげな視線が注がれる中、数分で撮影終了。サトミとミライの担当マネージャーであるヒビキ女史へ送信。
数分後……ヒビキ女史から返信が届く。
『お願いだから、ユッコちゃんみたくいきなりイメチェンしないでね? 少なくとも事前に相談してね? 本当にお願いだから。お願いだから』
「……想像してた反応と違うね」「うん。なんか、こう。申し訳ない気分になるね」
サトミとミライは顔を見合わせ、なんとなく反省的な気分になった。
「ユッコさんの件、割と大変なことになったみたいだからなぁ」
先輩モデルのユッコさんは事務所に断りなく大胆なイメチェンを行った結果、スポンサーの意向で秋頃にあったガンプライベントから外され、サトミに緊急登板の機会を寄越した女性である。
なお、事の影響はこれだけに収まらなかった。なんせいきなり髪を気合の入ったコーンロウにしてラップダンサー風に変身したのだ。これまでの方向性と変わり過ぎて他の仕事も無事では済まず。マネージャーだけでなく事務所のお偉いさんまでもがその後始末に奔走している中、『本場でダンサー修行してきまーす。今まであざーした。ばいばーい』なるメッセージを寄越し、アメリカに旅立った。
あ。
とその時――ミライの髪弄りと問題児ユッコのことを振り返りで、サトミに天啓が舞い降りた。
ウィッグとマスクと衣装で変装すれば、身バレしないのでは? あとは独り暮らしの先輩に協力してもらえばいいのでは? 観戦が終わったらマン喫で泊ればいいのでは? これなら親もミライも困らせないのでは?
強火ファンガールの脳ミソが具体的なプランを組み上げ始めていた。
〇
そして迎える12月最初の金曜日。宵の口。
サトミは前日から説明していた先輩モデルの家へ泊まる旨を両親に伝え、地元駅ビルの女性用個室トイレで私服に着替えていく。
用意した服はオーバーサイズのパーカーとカーゴパンツにスニーカーと没個性的なストカジ風。着替えが済んだら着替えが入っていた大型バッグに制服と通学鞄を詰め、トイレ個室を出て、洗面台の鏡と睨めっこを始める。金髪ボブのウィッグを被って調整。それから印象を変えるため、コスメグッズで目元を弄る。最後に立体マスクで顔の下半分を覆って完成。
ヨシ!
女子高生から年齢不詳なストリート系女子に化け終え、サトミは荷物を担いでトイレを後にし、駅ビルから駅のコインロッカーへ足を運び、荷物を突っ込む。
ヨシ!
今夜の会場がある最寄りの某駅へ向け、電車に乗る。
電車に揺られながら、サトミはいろんな意味でドキドキしていた。親や親友を欺いて単身、怪しい盛り場へ赴く背徳的なスリルと不安。”推し”の試合を生観戦する高揚感と期待感。ネガなハラハラとポジなワクワクの波が交互に押し寄せ、ドキドキが止まらない。
目的地の駅に辿り着き、電車を降りて駅を出れば。
ここ数日に渡って続いていた雨はさっぱりと止んでいて、澄んだ冷気が満たす夜空に綺麗な月が浮かんでいた。
輝く月を見上げ、サトミはどこか熱に浮かされたように呟く。
「……レイヴン」
Tips
フナキ・サトミ
原作ネームドモブ。本作ではオリ主の強火ファンガールになった。
親と親友に嘘をついてアングラバトルの観戦に赴くくらい沼っている。
カミキ・ミライ
原作サブヒロイン。本作ではいまだ立ち位置がはっきりしない。作者もどうして良いか分からない。
ヒビキ
原作のモブキャラ。ミライの担当マネージャー。モブキャラだけど、担当声優は名優の長沢美樹と豪華だったりする。