夜の森を一人の少年が駆けていた。
少年の足には常人には青黒いオーラが駆け巡っており、彼に人並み外れた速度を出させていた。
そして彼の後ろでは黒い猟犬と武器を持ったオークが追っている。
月明かりも届かない深い森の中、俺──公賀修司は全力で走っていた。
息が苦しい。心臓が胸を破りそうなほど鼓動している。背後からは獣の咆哮と重たい足音が迫ってくる。振り返らなくても分かる。あの猟犬どもと武装したオークが追いかけてきているんだ。
なぜこんな事になった? 全く理解できない。
ただの高校生だった俺が、こんな異世界の暗い森で命懸けの逃走をしているなんて──。
勉強もスポーツも特筆するほどじゃない。友達はそれなりにいて、毎日適当にゲームしたりアニメ見たりして過ごす、どこにでもいるような男子高校生。
勉強もスポーツも特筆するほどじゃない。友達はそれなりにいて、毎日適当にゲームしたりアニメ見たりして過ごす、どこにでもいるような男子高校生。趣味と言えば漫画や二次創作作品を見ることで、最近ハマっていたのは『呪術廻戦』だった。五条悟や乙骨憂太たちの戦いぶりを見ては、「もし自分が術式を使えたら」と妄想するのが好きだった。
そんな平凡な日常がある日突然終わりを迎えたのは、通学路でのことだ。
いつも通り信号待ちをしていた時、目の端で何かが光ったと思った瞬間——暴走する大型トラックが突っ込んできた。
次の記憶は……何もなかった。痛みすら感じないまま意識が闇に沈んでいった。
「うぅ……ここは……?」
目を開けると埃っぽい天井が見えた。コンクリート打ちっぱなしの冷たい壁。どこかの倉庫みたいだ。体を起こすと全身が痛むが、生きてるようだ。
「トラックに轢かれたはずなのに……俺、生きているのか?」
状況を把握しようとしたその時、薄暗い部屋の奥から鈍い足音が聞こえてきた。影が近づいてくる。巨大な人型の影……いや、あれは……。
「グォルルル……」
豚のような鼻面を持つ緑色の肌の大男——ファンタジー小説で読んだことがある"オーク"だ!
「うわぁ!」驚きのあまり尻もちをついた俺を見下ろし、オークは低く唸った。
「人間ダガ、ココニイル理由ヲ知ラネェ」
ゴツい腕には血塗れのこん棒を持っている。冗談じゃない!これが本当に夢なら早く醒めてくれ!
「お前ヲ連レテキタヤツハ俺ノ知ランヤツダ。邪魔ダカラ殺ス」
オークが振り上げたこん棒が月明かりで鈍く光った瞬間、恐怖が限界を超えた。
「来んなぁぁぁ!!」
無我夢中で立ち上がり、オークの腹部めがけて拳を振るった。当然、そんな素人のパンチが効くわけがない——と思っていたのに。
「ギュアッ!?」
オークは予想外の悲鳴を上げて膝をついた。腹を抱えて悶絶している。
「え……?」
自分でも信じられなかった。拳を見ると……青黒いオーラが揺らめいている。これは……
「呪力……みたいな……?」
まるで読みふけっていた呪術廻戦の登場人物のように。偶然か勘違いかは分からないが、このチャンスを逃すまいと俺は再びオークに飛びかかった。
オークはまだ完全には倒れていない。青黒いオーラをまとった拳は確かにダメージを与えたようだが、それでも巨体はうずくまりながらもこちらを睨みつけている。
「この野郎……まだ元気じゃねえか」
恐怖が再び胸を締め付ける。しかし同時に何か……自分の中に眠るものを感じた。胸の奥深く、熱くてドロリとしたものが脈打っている。まるで血管の中に別の血液が流れているような……
「なんだこれ……」
試しにその感覚を拳に集中させると、先ほどの青黒いオーラがさらに濃くなった。もう一度オークに向けて拳を振り上げたが、
「ぐっ……!?」
突然、拳ではなく掌から液体が飛び散った。赤い飛沫——俺自身の血だ。床に落ちたそれは小さな刃の形になり、カキンと跳ねた。
「赤血……操術……?」
頭の中で『呪術廻戦』の登場人物が浮かぶ。血を使った強烈な技を使う兄貴キャラの脹相。そして加茂憲倫。彼らの姿が鮮明に蘇る。
「もしや……これは……」
試しに念じてみた。掌から湧き上がる血液が指先へ向かい、細長い杭状に集まっていく。まるで意思を持つかのように自在に形を変えられる。
「こいつを……使えるのか?」
オークは怒号を上げて立ち上がろうとしている。躊躇してる暇はない。
「いけぇぇぇ!!」
声とともに血の塊をオークの胸部へ一直線に発射した。ブシュッと湿った音が響き、緑の巨体が硬直する。血の杭は心臓めがけて正確に貫通していた。
「グルル……アガァァ!!」
断末魔の叫びを上げてオークは崩れ落ちた。巨体が地面に叩きつけられ、辺りには悪臭漂う体液が広がっていく。
「はぁ……はぁ……勝った……のか……」
安堵のため息をついた途端、胃の底から込み上げる嫌な感覚。喉までせり上がる酸っぱさ。
「うっ……オエェェッ!!」
たまらず床に向かって吐瀉した。異臭漂う肉片と血の海の中で胃の中身をすべてぶちまける。
「なんだよこれ……なんで……」
泣きそうになる。命を奪う感覚。温もりと重みのある存在を壊した感触。これが現実なのか? まるで漫画の中の出来事を体験しているような非現実感と、確かな生々しい匂いが混ざり合って思考が混乱する。
「赤血……操術……」
手のひらを見れば今も微かに震えている。確かに血の流れを操れる感触はある。しかし漫画のキャラクターのように簡単に扱えるものではなかった。
「なんで俺が……こんな力を持って……」
答えは見えない。ただ一つ分かることは、ここが安全ではないということ。そしておそらく——これ以上ここで留まるべきではないという確信だけだった。
胃液まみれの口元を拭いながら立ち上がる。オークの死体を改めて見下ろすと、その巨大な手にはこん棒が握られたままだ。恐る恐るそれを引き抜こうとすると—ずしりと重い。持ち上げるのは不可能に近い。
「……とりあえず、ここから出ないと」
倉庫内は埃っぽく、壁際に木箱や樽が雑然と積まれている。奥へと進むと鉄格子の扉が目に入った。鍵穴を見る限り施錠されている様子はない。運がいい——
「グオオオッ!!」
鋭い咆哮が背後から突き刺さった。慌てて振り返ると、こん棒を持った別のオークが二人、入口を塞いでいた。しかも先頭のオークの肩に何か引っかかっている……見覚えのある衣服の切れ端?
「まさか……」背筋が凍る。
「コイツハ先輩ダッタナ……オマエガ殺シタノカ!?」
オークの怒声と共に二人とも猛然と襲いかかってきた!棍棒を振り回すその動きは先程より明らかに速い。
「くそっ!」
咄嗟に横へ転がって避ける。地面に激突した棍棒が床板を粉砕した。圧倒的な力の差。今の自分では絶対に敵わない!
「死にたくない……っ!」
その一念が体内を駆け抜けた瞬間——ズキリと胸が疼いた。さっきと同じ血の脈動。同時に足首に熱い奔流が流れるのを感じた。目を落とすと青黒いオーラがふくらはぎからつま先へ迸っている。
「これだ……!」
無我夢中で格子扉へ走り寄り、蹴り上げた。バキィッと金属がひしゃげる音。勢い余って体当たりすれば扉は完全に歪み開いた。外の空気が冷たく肺に入る。
「待テェェ!」
追跡者の咆哮を背に受けつつ、俺は迷わず夜の森へと飛び込んだ——!
背後の咆哮は距離を詰めている。月明かりもない真っ暗な森の中で視界も不自由だ。それでもオークの荒々しい息遣いと地面を蹴る重たい足音が明瞭に聞こえる。
「まずい……足が……!」
木の根につまづいて派手に転倒した。地面に擦れた肘から熱い血が滴る。立ち上がろうとしても膝が笑っている。
(もう逃げられない——)
振り向くと、三匹目のオークがこん棒を構えて飛びかかってくるのが見えた。その奥には猟犬が牙を剥いて走り寄ってくる姿も。絶望が胃を締め付ける。
「くそ……!」
恐怖が爆発的に膨れ上がる。「死にたくない」その一心が全身の血液を沸騰させた。胸の奥で凝縮された灼熱が両手へと流れ込む。
「百斂……!」
かすれた声が森に響いた。掌の中で血の粒子が渦巻きながら圧縮されていく。まるでレンズのように一点に集束し始める。
猟犬の顔面が迫る中——
「穿血ッ!!」
裂帛の気合いと共に指先から血の弾丸が疾走した。閃光のごとく猟犬めがけて一直線に飛ぶ! クオンという乾いた音が鳴り、小型の獣は空中でピタリと静止し、地面に落下した。
「……っ」
猟犬の眉間に開いた穴を見つめ、わずかに震える手を押さえる。確かに命中した。しかしこの程度の威力しか出せないのか? 漫画で見た脹相や加茂憲倫の穿血はもっと圧倒的だったはずだ。
「ガァッ!?」
オークの驚愕に歪んだ顔が見えた。予想外の一撃に動きが一瞬止まったのだ。
「クソッタレ……!」
だが油断はできない。残りの力を振り絞り、再び「百斂」の詠唱を繰り返す。掌に渦巻く血液が再び収縮し始めた。
「穿血! 穿血! 穿血ぅっ!」
矢継ぎ早に血の弾丸を放つ。一発目は猟犬の腹部に、二発目はオークの膝関節に、そして最後の一発は——
「あ……?」
視界がぐらつく。猛烈な耳鳴りと共に足元が揺らいだ。全身から血の気が引いていく感覚。貧血だ。無理に多量の血液を消耗した代償が訪れた。
「やば……」
膝をつきかけたその刹那、前方から殺気に満ちた風が吹き抜けた。見上げると巨大な牙を剥いた猟犬が眼前に迫っている。
「しまっ——」
(もう終わりか)
諦めかけたその瞬間だった。
**シュンッ**
一筋の白光が虚空を走り抜けた。猟犬の身体が上下に分離し、その半分が塵となって舞い上がる。
「……何…?」
視線の先には信じがたい光景があった。光は途切れることなく流れ続け、逃げ遅れたオークたちをも貫いてゆく。切断面からは紫色の瘴気が立ち昇り、まるで物理法則を無視するかのような剣撃が森に響いた。
「ギャアアアーーーッ!!」
オークの断末魔と共に光は消えた。数秒後には獣と妖精の死骸だけが残され、月明かりに照らされるだけとなる。
「……助かった……?」
安堵感が押し寄せた途端、全身から力が抜けていく。貧血による頭痛と眩暈が一気に襲い掛かった。
「誰が……助けた……んだ……」
答える者はいない。ただ冷たい森の空気だけが頬を撫でていく。急速に遠のく意識の中で最後に聞いたのは——
「医療班を呼んで!今すぐに!」
薄れていく視界。誰かが近づく靴音が微かに聞こえた気がしたが、抗えない睡魔に包まれるまま瞼を閉じた。
俺が目を覚ますとそこは病院の一室
輸血パックから滴る透明な管が右腕に繋がっている。冷たい針の感触が皮膚を刺し、ゆっくりと流れ込む血液が体中に広がっていく。
「……ここは?」
朦朧とする意識の中で視線を動かす。白い壁と消毒薬の匂い――病院らしき場所だ。ベッドの上には貫頭衣一枚の自分が横たわっている。
「ドクターが言ってたけど……本当にすごい出血量だったわよ」
ドアがスライドする音と共に、凛とした女性の声が響いた。反射的に視線を向けると――息を呑んだ。
「井河……アサギ……!」
唇が震える。黒髪を纏めてに、タイトな黒いスーツに身を包んだ彼女。胸元には細いネクタイ。原作で幾度となく目に焼き付けた姿と寸分違わない。まさしく『対魔忍』シリーズの看板キャラクター。
「あなた……私の名前を知ってるの?」
アサギの翠眼が鋭く細められた。「一般市民が知っているはずないのに」
「あっ……いや!その……ネットの掲示板で噂になってて……」
とっさに出た苦し紛れの嘘だった。
「ふうん」
アサギは壁にもたれかかりながら腕を組んだ。その仕草さえ洗練されている。
「まあいいわ。私はあなたの治療を指示した責任者よ。森で昏倒しているところを部下が発見したの」
「俺を……助けてくれたんですか?」
声が掠れる。彼女の瞳が一瞬だけ柔らかくなったように見えた。
「ええ。あなたがオークと猟犬を相手に抵抗していた現場を見つけた。異常な血液操作能力を見せていたけど……あれは何?」
アサギの瞳が冷たく輝いた。備え付けの椅子に腰掛けながら彼女は続ける。
「あの奇妙なオーラも気になるわ。魔力とも妖気とも違う……」
「それ……それなんです!俺のことを説明するなら全部言うしかなくて……」
震える唇を噛みしめる。正気を疑われるかもしれない。だが嘘をつけば殺される——本能的にそう感じた。
「対魔忍って……知っていますよね?」
「私が所属する組織のことよ」
「違うんです!その世界そのものです!」
つい声が裏返る。
「対魔忍は……俺の世界ではフィクションでした。ゲームや漫画のキャラクターで……あなたはそのヒロインの一人なんです!」
「……は?」
アサギの眉が僅かに動いた。
「つまりあなたは別世界の人間で?」
「そうです!交通事故で死んで……気づいたらあの倉庫に!赤血操術っていう呪術みたいな力が使えるのは転生した副作用なのか……」
言葉を紡ぐうちに喉が渇いていく。アサギは長い沈黙のあと口を開いた。
「つまり私はゲームキャラだと言うのね」
「はい……でも」
「でも?」
「目の前のあなたは本物です。触ったらきっと体温もあるし……」
言い終わる前にアサギの手が伸びてきた。冷たい指先が頬に触れる。
「……体温、感じる?」
「はい……」
思わず俯く。顔が火照るのを感じた。
「面白い話ね」
アサギが微笑んだ。それは皮肉でも嘲笑でもなく——ほんの少し警戒を解いたような笑みだった。
「なら証明してみて。私について知っていることを」
主人公は必死に記憶を手繰り寄せた。頭の中が渦を巻く——シリーズごとに設定が変わる世界。それでも共通する核心を掴まなければ。
「……あなたの得意技は《隼の術》です。高速移動と不可視の斬撃」
「へぇ」アサギの目が細くなる。
「妹さんの名前はさくら。今はあなたが育てているはず」
「続けて」
「ノマドの総帥エドウィン・ブラックに目をつけられていて……」
「そこまで」
アサギの指が机を叩いた。
「なぜそこまで知っているの?」
その問いには「エロゲだから」とはとても言えなかった。冷や汗が背中を伝う。
「実は……!」
天啓が走ったように目を見開く。
「あなたのシリーズはたくさんあるんですが、俺が主にプレイしてたのは対魔忍RPGってやつで……そこで初期の対魔忍アサギシリーズのストーリーが解説されてたんです!」
息を整えながら必死に思い出す。ゲーム内で紹介されていたプロローグパートだ。
「あなたは婚約者の為に対魔忍を辞めようとしていたが」
「辞めるために様々な任務を受け、最後に抜け忍朧を殺害することになるけど」
声が震える。
「婚約者と結婚間際の夜に……朧が復活して婚約者の体を乗っ取って—」
「そこまででいいわ」
アサギの声が冷たく響く。その緑の瞳は深い憎悪に燃えていた。
「その続きは思い出したくもない」
室内が一気に張り詰めた。アサギの手が無意識に拳を握り締めている。
「……どうやら本当のようね。あなたは確かに私のことを知っている」
深い溜息と共に彼女は椅子に沈み込んだ。
「わかった」
アサギは眉を寄せて呟くと、
「じゃあ。あなたの能力を教えてちょうだい」と切り出した。その視線には純粋な興味が宿っている。
「オレの能力は……呪術廻戦って漫画の呪術師が使う呪力と術式です」
慎重に言葉を選ぶ。
「こっちの世界で言えば……忍術みたいなものです」
「ふむ」アサギは指先で額を叩いた。「それでその術式というのは?」
「赤血操術と言います」
ベッドの上で身を乗り出して説明する。
「自分の血を使って攻撃したり防御したりすることができる。例えば—」
俺は指先に血の球体を作り出す。
「この血を圧縮して指先から放つ⋯⋯それが先程使っていた穿血⋯⋯の劣化版です」
アサギは血の玉を見つめながら小首を傾げた。
「劣化版?」その声音には少しばかりの失望が滲んでいる。
「はい」俺は指先の血球をさらに大きく膨らませながら言った。「本来の穿血は……もっと精密で強力なものです。術式を使っていた脹相というキャラクターの場合、血液を極限まで圧縮して指向性を与え、一筋の血のレーザーのような超高速射撃として放つことができます」
アサギの眉がぴくりと動いた。「なるほど……それで君の場合は?」
「俺のはせいぜい血の弾丸止まりです」
自嘲気味に笑う。
「威力も精度も桁違いに劣りますし、何より大量出血すると……」
ふと貧血の感覚を思い出し、顔がこわばる。
アサギは椅子に深く腰掛けたまま目を細めた。「他には?その赤血操術というものは」
「いくつか派生があります」
俺は指を折りながら列挙する。「血を刃状に形成して接近戦で使う血刃や、血で相手を拘束する赤縛が有ります。ですが」
「何かしら?」アサギの鋭い追及に思わずたじろぐ。
「まだ試せてないんです」
正直に認めるしかなかった。
「そもそもこの能力を使ったのはあの時が初めてでして⋯⋯」
アサギはしばらく考え込むように黙っていたが、やがてふっと息を吐いた。
「分かったわ」
その表情が突然柔らかくなる。これまでの鋭利な印象とは打って変わって、母親のような穏やかさがそこにあった。
「まずは回復に専念しなさい」
「でも調査は—」
「今は必要ない」彼女はきっぱりと言った。「あなたの話を整理する時間が必要だし、それに……」
言葉を選ぶように一瞬躊躇い、
「あなたの能力は未知数すぎるわ。下手に刺激するのは危険よ」
アサギが立ち上がり背を向けた。「明日また来るわ。それまでゆっくり休んで」
ドアが静かに閉まり足音が遠ざかる。一人残された病室で天井を見つめるうちに、疲労が再び押し寄せてきた。輸血チューブの冷たさを感じながら目を閉じる。
「……寝るか」
再び意識が闇に溶けていく。
次回エロシーン初体験は作者のお気に入り