ゆきかぜとセックスをした翌日。
俺は早朝からアサギに呼ばれた。
部屋に入ってきたアサギとさくらが顔を見合わせた瞬間、俺は床に膝をついた。
「申し訳ありませんでした!」
重苦しい沈黙が室内に流れる。アサギは眉間に深い皺を寄せ、さくらは口を半開きにして固まっている。二人の表情からは怒りよりも先に、純粋な驚きが読み取れた。
「……何について謝っているのか説明しなさい」アサギが冷たく言い放った。
頭を上げずに答える。「ゆきかぜと……昨夜……その……関係を持ちました」
再び沈黙。さくらが小さく息を呑む音だけが聞こえた。
「それだけ?」とアサギが問う。その声には苛立ちではなく、どこか含みがあるように聞こえた。
「え?」顔を上げると、アサギは腕を組んだまま俺を見下ろしていた。
「貴方の懺悔はそれだけなのかと聞いたのよ」
「す、すいません。あの……他に何も言うことがなくて……」
「まあいいわ」アサギは軽く肩をすくめた。
「私達は恋人関係ではないもの。貴方が誰と関係を持とうと構わないわ」
その言葉に救われたような気持ちになったのも束の間、アサギが近づいてきた。彼女の指が俺の顎を優しく持ち上げる。
そして——唇が重なった。深く、ねっとりとしたキスだった。
舌が絡まり合う感触。さくらが目を丸くして見ているのがわかるが、アサギはそんなことなど意にも介していないようだった。
数秒後、ようやく唇が離れた時、アサギの瞳には妖しい光が宿っていた。
「でも覚えておきなさい」
彼女は囁くように言った。
「私達の事も忘れないでよね♡」
「お姉ちゃんだけズルい!私もする〜♡」
ぷっくりとした頬を膨らませながら、さくらが近づいてきた。彼女も同じように顎を持ち上げ、柔らかい唇が触れてきた。さくらのキスはアサギのものより短かったが、その分情熱的だった。
さくらとのキスが終わると、アサギは咳払いをして佇まいを直した。
「さて、本題に戻りましょう」
「昨日の一件での事なんだけど」
アサギはポケットからタブレットを取り出し、画面をスクロールした。
「彼等に見覚えはあるかしら?」
映し出されたのは信じられない光景だった。白の和服と黒の袴を着た集団が、それぞれの手に刀を持ちオークと交戦している。全員が坊主頭—正確には五分刈りだが—で統一されていた。
「躯倶留隊?」
無意識のうちに漏れた言葉に自分でも驚いた。こんな姿の戦闘集団を見るのは初めてのはずなのに、既視感があった。
「くくるたい?」さくらが首を傾げる。「どんな意味なの?」
「俺の持つ赤血操術が出てくる作品、『呪術廻戦』に出てくる集団です。禪院家という名家の戦闘部隊ですよ」
本当は少し違うんだけどね。俺は心の中で付け足した。実際には躯倶留隊はもっと厳密な特徴を持っているけど、今の状況では大まかな説明の方が伝わりやすい。
「ふーん」
さくらが興味津々にタブレットを覗き込む。
「面白い格好してるね。どうやってここに来たんだろう?」
アサギが眉をひそめる。
「問題はそこなの。彼等はこのヨミハラに突然現れ、オークと交戦したのち撤退した。対魔忍とも接触していない」
「昨日の一件はこれですか⋯⋯」
アサギは深刻な表情で頷いた。
「確かにそうね。監視カメラの映像から推測する限り、彼らは突然現れて、目的を達成したらすぐに消えたわ」
俺は額に手を当てた。
「コイツ等は原作で死んでいる筈です」
その言葉に二人が驚きの表情を見せた。特にさくらは目を丸くしている。
「どういうこと?」
アサギが鋭く尋ねる。
「あなたが言っている『原作』というのは?」
「ああ⋯⋯つまり」
俺は少し躊躇しながら説明を続けた。
「呪術廻戦のストーリーを話すと長いんで掻い摘むと、五条悟という最強キャラが封印されてしまったんです。その後、彼を救出するために五車学園みたいな位置付けの高専から大量の呪具—特殊な武器や道具ですね—が禪院家に持っていかれました」
「更に当時の当主が五条悟が封印された戦闘で死亡して⋯⋯主人公の仲間に当主が譲られるのですが⋯」
俺が言葉を続けようとすると、さくらが「分かった!」と嬉しそうに割り込んできた。
「その当主になった仲間が、当主になりたい躯倶留隊を殺したんだ!」
ドヤ顔で胸を張るさくらを見て、思わず苦笑してしまう。
「残念。正確には仲間の命令で呪具回収に来た禪院真希というキャラがいたんですけど⋯⋯」
俺の声が暗くなるにつれ、さくらの笑顔も徐々に曇っていく。
「彼女は双子の妹と共に殺されかけました⋯⋯実の父親に⋯⋯」
アサギとさくらが顔をしかめる。特にさくらは「そんな⋯」と小さく呟いた。
「そして妹が真希を守るために己の術式『構築術式』を使って命を武器に変えたんです。そのおかげで真希は覚醒し⋯父親を殺しました」
静寂が流れる中、俺は続ける。
「そして彼女は妹の最後の願いである『禪院家を全部壊して』を叶えるために⋯」
「もういいわ」
アサギが手を上げて俺の言葉を遮った。彼女の目には複雑な感情が浮かんでいる。
「つまりこの躯倶留隊は本来なら真希によって壊滅させられているはずの存在ということね」
俺は頷いた。
「そうです。なのでこの異常な状況について考えると⋯⋯」
アサギは考え込むように唇に指を当てた。
「それで彼等は危険な存在で、良いのかしら?」
「それで良いと思います」と俺は続けた。
「あの家は一言で言うなら選民思想の塊ですから。自分たち以外の全てを見下し、時には仲間さえ道具のように扱います。もし彼らが五車学園に干渉してくるとなれば⋯⋯」
アサギは眉間に深い皺を寄せて頷いた。
「なるほど。非常に危険な存在というわけね」
「ええ。特に彼らは『禪院家』という組織の中でも武力担当ですから。一般の人々にはまだしもヨミハラの住人に対して容赦はありません」
さくらが不安げに口を開いた。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「一刻も早く対策を講じないと」
アサギの声は低く響いた。
「まずは情報収集よ。彼らがいつ、どこから来て、何を探しているのか」
「それに加えて防衛体制も必要でしょう」
俺は提案した。
「万が一彼らが学園に侵入してきた場合に備えて」
アサギは即断即決だった。
「直ぐに躯倶留隊を捕縛及び討伐の準備を始めるわよ」
「分かりました」
俺は立ち上がった。心の奥底で何か引っかかるものを感じながらも、今は行動すべき時だと理解していた。
ポチャンと水が落ちる音が聞こえる。此処は一体?…私は目を開けると、???
私は目を開くと驚く。戦いで燃え尽きた筈の左目が見える?
左手を見ると火傷一つない自分自身の左腕だ。
戦闘中に失ったシャツとネクタイ。メガネまでもが身に着けられている?此処は地獄なのか?私は立ち上がり情報を集める為に足を進めた。
周囲を見渡すと何処かの廃墟だ
外の方では街の喧騒が聞こえる。
私は自分の体を改めて確かめる。左目に違和感はない。痛みもない。完璧だ。戦いで焦げ付いたはずの髪も元通りになっている。
「これはどういう状況なんだ?」
口に出した問いに応える者はいない。ただ風だけが響く。
歩いていると繁華街だろうか?私は街を見ると、???
私の目の前には奇妙な光景が広がっていた。人々が行き交い、店が営業し、子ども達が遊び回っている。しかしよく見れば、彼らの中には明らかに人間ではないものが混ざっていた。角や鱗を持つ者、翼を持つ者までいる。
「これは⋯」言葉を失ったまま周りを見渡す。上を見上げれば、遥か遠くに人工的な照明の灯りが点々と見えている。ここは地上から切り離された空間なのだ。
懐かしさと同時に恐怖が湧き上がる。昔読んだ童話の一場面が脳裏をよぎった。千と千尋の神隠し——迷い込んだ少女が不思議な世界で様々な出会いをする物語。
今の私はまるで千尋だな⋯と自嘲気味に呟く。
でもこれは夢ではない。頬をつねると痛い。それに——私は左手を見る。戦いで焼けただれたはずの腕が、今は何事もなかったかのように滑らかだ。
「どうやら私は別の世界線に飛ばされたようですね」
信じられないことだが⋯⋯しかし目の前の情報が現実だと雄弁に語っている。私は辺りを見渡しながら歩いていると、突如として尋常ではない量の血が近くの廃墟で吹き上がった。
「!」
反射的に身構える。あの周辺には『帳』が展開されている。最初からあったはずだが、他のことに気を取られて気づかなかった。
私はその方向へと駆け出した。走りながら考える。帳? これは呪霊による攻撃か? いや、だがこの世界は私の知る世界とは違う。
到着した瞬間、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
「闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え」
その詠唱で貼られた帳はより長く持つようになった。廃墟の中では躯倶留隊の面々が集まり、盗んだ水や食料を分け合って口に運んでいた。
「また水を汲んできたぞ」
入口から帰ってきた隊員がバケツを床に置くと、疲れた表情の仲間たちが安堵のため息をつく。
「ここが本当に異世界だなんて信じられないな」
一人が呟くと、皆が同様の表情で頷いた。彼らはあの忌まわしい日、落ちこぼれの裏切り者である真希に仲間たちとともに殺された思っていた。だが次に気がついたときには見知らぬ地下都市に投げ出されていたのだ。
最初は単なる悪夢だと思っていた。しかしすぐにこれが異世界であることを彼らは悟った。この世界には呪霊とは異なる怪物が跋扈していた。彼らはそれを「魔族」と呼んでいたが、戦闘能力では呪霊と同等かそれ以上だった。
初めは単なる化け物退治だと意気揚々と向かっていったが、それが大きな誤算であったと後で知ることとなった。
「おい、次のプランは決まったのか?」と隊員の一人が尋ねた。
リーダー不在の彼らにとってこれは大きな問題だった。普段であれば蘭太や甚壱といった経験豊富な隊員が自然とまとめ役になっていたが、彼らは今回の転移に巻き込まれていなかった。代わりに最も年長の者がまとまろうとしていたが、それはあまりに荷が重すぎた。
「明日は東側の出口を探すつもりだ」と若手が答える。
「だが水と食料は十分に確保できたか?」別の隊員が尋ねた。
食料は後一週間は持つだろう。武器は化け物や肌の色の違う人外を殺害して奪ったものも少なからず有る。問題は士気だった。
突然、奥の小部屋から微かに女の喘ぎ声が聞こえてきた。艶めかしいものではなく、明らかに苦痛を耐えているような声だった。
「おい、また始まったか」
ベテランの一人が眉をひそめる。最近加わった若手たちは声を潜めながらも興奮した様子で頷いた。
「しょうがねぇだろ、ここに来てから女に飢えてるんだ」
「あの女どもは俺たちが助けてやったんだからな」
「助けたってのは都合のいい解釈だろ」
「うるせぇ!文句あるなら代われよ」
罵声と笑い声が入り混じる中、女性の悲鳴が一層高くなった。彼らが攫ったり襲ってきた人間や亜人たちを相手にしていることは明白だった。抵抗できない相手を力ずくで屈服させることが、今や彼らの唯一の娯楽となっていた。
誰かが低い声で言った。「いつまでこんな生活が続くんだ?」
その言葉が宙に浮かんだ瞬間──周囲がざわつく。
何故なら⋯⋯
血の雨⋯⋯否、血の滝が振り注いできたのだ。
月明かりの届かないヨミハラの地下都市。その一角に聳える廃墟を、対魔忍の精鋭チームが取り囲んでいた。
「しかし、驚いたぜ。修司が異世界人だってよぉ」
背の高い男性対魔忍が修司に声をかける。彼の手には既に符が握られていた。
「ホント、ホント。しかも相手は修司が見てた漫画キャラだろ。強ぇのか?」
男の対魔忍が軽い調子で質問を重ねる。彼の手には糸の束が握られており、いつでも捕縛術を発動できる状態だった。
修司は冷静に答えた。
「ああ。術式こそ持たないが、彼らの剣技と体術はかなりのレベルだ。特に躯倶留隊は禪院家の精鋭部隊だからな」
今回の任務のために召集された対魔忍たちは多種多様な技能を持っていた。感知能力に優れた者。近接戦闘を得意とする秋山凛子矢鬼崎きららに篠原まり。さらには催眠や幻術に長けた者や、追跡に特化した者も含まれていた。
それだけ政府は躯倶留隊——いや禪院家の人間を危険視していた。修司が事前に彼らの性質について詳しく説明したことが大きく影響していたのだ。「公賀くん。準備終えたよ」まりが報告する。
「分かった。皆、配置につくんだ」
修司の号令一下、対魔忍たちは素早く動き出した。まりの「準備」は単なる報告ではなく、土遁能力者たちによる廃墟の完全包囲だった。土壁で出入り口を封鎖し、逃げ道を塞ぐ。躯倶留隊は帳という結界による認識阻害を過信しているのか、外の見張りは一人も立っていなかった。
(エリートだから野営とかはしていないんだろうな……)
修司は心の中でそう呟きながら、右手を掲げる。手の甲に浮かび上がった血管が脈打ち始めると同時に、彼は能力を解放した。
「赤血操術。オリジナル。血波(BloodyWave)」
掌から噴き出した鮮血は、まるで意思を持つ生き物のように廃墟全体を取り囲み始めた。やがて血の波は勢いを増し、廃墟を包み込む巨大な血の幕となっていく。その圧倒的な光景に、周囲の対魔忍たちも息を呑んだ。
大量の呪力を消費した影響か荒い声で「行くぞ」と言う修司。廃墟の中では血で固められた躯倶留隊は苦戦する。きららの氷で完全に拘束される者、ゆきかぜの雷で痺れさせられる者。まりの剛腕や凛子の峰打ちで骨を折られる者。修司は躯倶留隊の一人を殴り飛ばし軽く息をつく。
しかし、奥の部屋からパンイチの変態が剣を持って修司に斬りかかろうとする。
「危ないっ!!」
誰かが変態を殴り飛ばした。
修司は驚愕する。
男は青いシャツに七三の金髪。特徴的なメガネ。間違いない
「ナナミン」
修司は呟いた。秤風に言うならこれだけ驚いたのはアサギと初めて会った時以来だと⋯⋯。
七海は「失礼ですが、何処かで会った事は有りましたか?」
しかし、修司が言う前に
「うぅっ」うめき声が聞こえた。
二人は声のした方を見ると、何人もの女性が倒れていた。女性たちは犯された跡があり、七海はゆっくりと変態へと向かい、ガシッ!首を掴み引き上げる。
「他にも連れ去られた人はいますか?」
質問をする。首を掴まれた変態は七海の手を外そうともがくと、ドォン!七海はその腹を殴る。
「他にも連れ去られた人はいますか?」
先と同じ質問、しかし語気が強い。変態は呻くばかりドォン!!先より強い一撃が変態の腹へと突き刺さる。
「他にも!連れ去られた人はいますか!?」
大声で問う七海。変態は既に虫の息だ。ドゴォン!!黒い火花が煌めいた。変態は吹き飛びゴミ箱へと突き刺さる。
周囲の対魔忍たちは息を呑んだ。七海の圧倒的な暴力は恐怖以上の畏敬の念を抱かせるものだった。
「貴方は……」修司が震える声で尋ねる。「七海建人……なのか?」
七海はゆっくりと振り返った。その目には明らかな警戒心が宿っている。
「先程も聞きましたがなぜ私の名前を?」
修司は慎重に言葉を選んだ。
「俺は公賀修司。対魔忍として働いている。貴方のことを書かれた漫画を知っていて……」
七海の表情が微妙に変わった。彼は警戒を緩めることはなかったが、少なくとも話を聞く態度を示した。
「漫画……?」
七海は困惑した様子で眉をひそめる。
「私は呪術師です。ここに来る前は渋谷で呪霊との戦いに参加していました」
修司は深く息を吸い込んだ。
「つまり……貴方は本当に七海建人なんだな」
「何度も言いますが、君はなぜ私のことを……」
その時、遠くから新たな悲鳴が聞こえた。七海と修司は同時に顔を上げる。
「まだ残党がいるようですね」
七海は淡々と言いながらも拳を握り締めた。
修司は決断した。
「一緒に来てくれ。貴方の力を借りたい」
七海は一瞬考えた後、ゆっくりと頷いた。「わかりました。ただし条件があります」
「何だ?」
「被害を受けた女性たちの救出を最優先すること。そして……」七海は鋭い目で修司を見据えた。「後の私の質問について誠実に答えられること」
修司は七海の目を見つめ返し、力強く頷いた。「約束する」
こうして二人の非現実的な邂逅は、新たな局面を迎えようとしていた。
七海の問いかけに応えるように、廊下の向こうから閃光が走った。
「ふんっ!まだまだっ!」
茶髪の少女が電光を放ち。そのたびに坊主頭の男たちが雷に打たれたように崩れ落ちていく。
続いて現れたのは、金色の髪をなびかせた少女だった。彼女が手を翳すと、床に氷の柱が林立し、逃げ惑う敵を次々と拘束していく。
さらに奥からは、剛腕を振るう少女や素早い斬撃で敵を圧倒する女性が姿を見せた。どの女性対魔忍も、露出度の高い衣装を身にまとっていた。
「なんなんですか!?貴方達は!?」
七海の声が廃墟に響く。修司は七海の反応を予想していたかのように頷いた。
「後で全部説明します」
修司は七海の問いを制し、残る躯倶留隊の掃討に集中した。
激しい戦闘が続く中、廊下の奥から重装備の部隊が姿を現した。先頭には政府関係者と思われる人物が立っていた。
「対魔忍部隊、ご苦労だった。こちらで拘束者の受け入れを行う」
修司は残った敵を制圧しながら指示を出し、ゆきかぜたちも被害者女性たちの保護に回った。すべてが整然と進められていく光景に、七海は困惑の表情を隠せなかった。
作戦完了後、修司は通信機を取り出してアサギに連絡した。
「こちら修司。躯倶留隊の制圧完了。被害者の救出も完了しています。それと……重要な報告があります」
修司は七海を一瞥し、
「新たな転生者を確保しました。協力を得られる可能性が高いです。それと……食事を用意してもらえますか?カスクードがあれば尚良しです」
通信が切れると、修司は七海に向き直った。
「七海さん、ここから我々の拠点に戻ります。そこで全てを説明します」
七海は依然として警戒心を解いていなかったが、修司の落ち着いた態度と周囲の女性対魔忍たちの様子を見て、ひとまず同行することに同意した。
「わかりました。ですが……一つ確認させてください」
「なんでしょうか?」
「女性たちは皆その……露出度の高い服装をしているようですが、それが標準的な制服なのですか?」
修司は苦笑した。
「詳しいことは拠点に着いてから……」
こうして七海は、全く未知の世界への一歩を踏み出したのだった。
修司は七海を連れて学園長室の前に建つとノックをして、
「公賀です。七海建人氏を連れてきました」「ええ、入ってちょうだい」
ドアを開ける。
「はじめまして、七海建人さん」
アサギの声は柔らかくも威厳に満ちていた。窓からの光が彼女の黒髪を輝かせ、その姿は威風堂々としていた。
「五車学園学園長兼対魔忍の井河アサギです」
七海は丁寧に一礼した。
「初めまして、井河学ちょ⋯失礼、学園長。七海建人と申します」
その丁寧な物腰にアサギは微笑んだ。
「こちらにお掛けください」
三人がソファに腰を下ろすと、テーブルの上には既に湯気の立つカスクードと紅茶が並べられていた。七海の喉が小さく鳴る音が修司には聞こえた。
「どうぞ、まずはお召し上がりください」
七海は一瞬躊躇ったものの、空腹には勝てなかったらしい。カスクードを手に取り一口頬張ると、その目が輝いた。
「美味しい……」
アサギは穏やかに笑った。
「さて、七海さん。おそらく多くの疑問をお持ちのことと思います。この世界について、そして私たち対魔忍についてお話しましょう」
「ありがとうございます」
七海は紅茶で口を湿らせた。
「まず確認したいのは、ここが私の知る日本とは違う世界であること。そしてあの女性たちが『対魔忍』と呼ばれていること……」
修司は頷いた。
「七海さん、あなたの認識は正しいです。この世界はあなたの知る日本の未来ではありません。どちらかといえば並行世界に近いでしょう」
「そして対魔忍とは?」七海の鋭い目が二人を見据える。
アサギが静かに語り始めた。
「この世界では『魔族』と呼ばれる存在が古くから人類と共存しておりました。しかし近年、その一部が暴走し始めました。私たち対魔忍はその脅威に対抗するために組織された特別部隊なのです」
「魔族……」
七海は慎重に言葉を選ぶように尋ねた。
「私が出会った『呪霊』のようなものですか?」
「違います」
修司が補足した。
「呪霊は負の感情から生まれますが、魔族は物理的な実体を持ち、独自の社会体系さえ持っています。要するに魔界の住人と考えて頂ければ」
七海はしばらく沈黙した後、再び口を開いた。
「なるほど。ではなぜ女性が多くを占めているのでしょうか?」
その質問に修司とアサギは顔を見合わせた。修司が説明を引き継いだ。
「対魔忍の能力は特定の遺伝子に依存しています。そのため特定の家系に集中しやすく、結果として女性が多く活躍することになります」
七海は納得したように頷いた。「理解しました。では次に……私はどうしてこの世界に?」
アサギが紅茶を一口飲んでから答えた。
「それは不明です」
アサギは率直に答えた。
「しかし七海さんのような方の出現は極めて稀ではありません。この公賀くんを筆頭に、貴方の世界から『禪院家』の人間がこの世界に多数出現しています」
その言葉に七海の表情が硬くなる。
「多数……?彼らがこの世界で何をしているのか把握できていますか?」
修司が答えた。
「残念ながら敵対的行動をとっていました。今回制圧したのもその件です」
七海は深い溜息をついた。
「やはり……」
「七海さん」修司は真剣な眼差しで彼を見つめた。「実は私も信じがたいかもしれませんが、貴方の世界は私の世界では『呪術廻戦』という漫画として描かれています」
「……漫画?」
七海の目が細くなる。修司は予想通りの反応に内心苦笑した。
「正確にはフィクションではなく、おそらく私たちが並行世界から情報を受け取る特殊な能力を持っているのでしょう。私にはその作品を通じて貴方たちの世界の歴史や能力の知識があるんです」
「証拠は?」七海の声は冷たく響いた。
修司は即座に応じた。「まず貴方の使った技『十劃呪法』について詳細を述べることができます。また七海さんが亡くなった際の状況も……」
「そこまで知っているなら」七海は静かに言った。「私の最期を聞いてみましょうか」
その試すような眼差しに修司は一瞬躊躇ったが、覚悟を決めた。
「渋谷事変にて……貴方は特級呪霊『真人』の改造人間を多数倒しました。しかしその後に真人の術式『無為転変』を受けて……」
修司は言葉を選びながら続けた。「上半身が破裂し死亡しました。その際、死亡した親友・灰原さんと出会い、最期に『後を頼みます』と言われ……」
七海の表情が僅かに揺らいだ。
「……詳細ですね」彼は静かに言った。「ではもう一つ。転生の条件は?」
「我々が把握している限りでは」アサギが横から説明した。「元の世界での死亡が条件です。但し、能力の有無は関係ない様です」
七海はしばらく黙考していたが、やがて頷いた。
「なるほど……信じがたいことですが、現状を考慮すれば納得せざるを得ませんね」
「七海さん」修司は真剣な表情で言った。
「私たちと協力していただけませんか?禪院家の一味だけでなく、この世界にも多くの脅威が存在します」
「お断りします!!」
七海の言葉は刃のように鋭く響いた。ドンッ!!という背中の擬音が実際に見えそうなほどの迫力だった。
「私の仕事はあくまで呪術師としてです。給与契約なしの仕事は一切お断りしております」
アサギと修司は互いに視線を交わした。予想通りの反応だったが、対応策は既に用意していた。
「では条件を提示してください」
アサギが落ち着いた声で言った。
「私たちとしても、あなたのような実力者の協力は必要不可欠です」
七海は少し考え込んだ後、静かに言った。
「確かに……あの廃墟で見た光景は許せません。若い女性たちがあのように扱われるなど言語道断です」
修司は七海の表情の変化を見逃さなかった。彼の正義感が刺激されていることは明らかだった。
「それに……」
七海は珍しく言葉を濁した。
「灰原から託された以上、この世界でも後輩たちを守る責任はあるかもしれません」
「七海さん……」
修司は期待を込めて言った。
「ただし」七海は厳しい目で二人を見た。
「私の協力は一定条件下でのみ認めます。まず給与契約は必須です。そして本来の任務は呪術師としてのみ。対魔忍としての業者は従事しません」
アサギは頷いた。
「承知しました。では現在空席となっている事務職への就任をご提案します。昼間は事務員として働き、緊急時にのみ実働部隊として活動いただくというのはいかがでしょう?」
七海は腕を組んだ。
「それならば……条件によっては受諾可能かもしれません」
修司は肩の力を抜いた。「ちなみに七海さんは事務作業も得意だったと聞いています」
「漫画の設定ですね」
七海は若干苛立ちを含ませながらも認めた。
「まあ事務作業も仕事ですから問題ありません」
「決まりですね」アサギは笑顔で立ち上がった。「早速契約書を作成しましょう。」
アサギが契約書を作成している間、七海は静かに修司に尋ねた。
「あの後……虎杖くんたちはどうなったのですか?」
修司は一瞬迷ったが、正直に話し始めた。「渋谷事変の後……」
修司は渋谷事変の顛末から始まり、死滅回遊、そして最終決戦である新宿決戦までの流れを詳しく説明した。五条悟の敗北とその後の出来事について語るとき、七海の顔色が明らかに変わった。
「そんなバカな⋯⋯」七海は小さく呟いた。
「五条さんが負けるだなんて⋯⋯」
「宿儺と両面宿儺の直接対決……最後は虎杖が両面宿儺を消滅させました」
修司は淡々と続けた。
「多くの犠牲者が出ましたが、結果的には呪術師たちの勝利でした」
最後まで話を聞き終えた七海は、複雑な表情を浮かべていた。五条の敗北に対する衝撃と、若い世代が世界を救った事実への安堵が入り混じっていた。
「想像以上に厳しい戦いだったんですね」
七海は深く息を吐いた。
「灰原だったら喜んで飛び込んでいったでしょうね」
修司は七海の表情の変化に気づいた。「灰原さんとの友情は変わらず大切な存在なんですね」
七海は少し照れたように眼鏡を押し上げた。
「当たり前でしょう。どんな世界であろうと、失ったものは常に心の中にあります」
ちょうどその時、アサギが契約書を完成させて戻ってきた。
「準備ができました。七海さん」
七海は契約書に目を通し始めながら、修司に向かって小さく言った。
「虎杖くんたちが未来を守ったという事実……それは嬉しいですが」
「?」
「でも同時に複雑です」七海は契約内容を確認しながら続けた。
「私の死後も彼は成長し続けたということは……彼に多くを背負わせてしまったという罪悪感もあります」
修司は何も言わずに頷いた。七海の言葉には彼自身の重みがあった。
七海が契約書に署名する間、修司はふと思い出した。モジュロ——未来の話については今は話すべきではない。七海は既に多くの情報を受け止めている。これ以上の混乱を与えるべきではないと判断した。
「ありがとうございます、七海さん」
契約が成立し、七海が書類を手に取ったところで、修司は勇気を出して切り出した。
「実はお願いがあるんです」
「何でしょう?」
「虎杖たちのことについてお教えした代わりと言っては何ですが……」
修司は少し緊張した面持ちで続けた。「俺の呪力操作を見ていただけませんか?」
七海は眉をひそめた。「呪力操作?貴方も使えるのですか?」
「はい。実は……」
修司は胸に手を当てた。
「俺の術式は赤血操術ですが、呪力自体も操作できます。ただ、自己流なので……きちんとした指導を受けたいんです」
七海は修司をじっと見つめた。確かに修司の体から微弱ながらも安定した呪力を感じる。
「なるほど。では少し見せてください」
修司は深呼吸し、手のひらに赤い血液を集め始めた。液体のように見えるそれは、意志を持つかのように空中で形を変えた。
「ほう……」
七海は感心したように呟いた。
「基本的な操作はできていますね。ただ……」
彼は修司の腕に軽く触れた。
「無理な筋肉の緊張があります。もっと自然に流れるイメージを持つべきです」
修司は驚いた。七海の指摘は的確だった。
「助かります!ずっと悩んでいたんです」
七海は少し考え込んだ後、小さく頷いた。「分かりました。時間のある時に指導しましょう」
アサギが嬉しそうに口を挟んだ。
「素晴らしい。七海さん、他にも対魔忍たちへの指導を……」
「お断りします!!」
七海の声が鋭く響いた。ドンッ!!という擬音がまたしても空間に響くかのようだった。
「私は個人的なトレーニングを申し出たまで。組織的な指導は業務外です」
アサギは少し戸惑いながらも引き下がらなかった。「ですが対魔忍たちも貴方のような専門家から……」
「そもそも私は呪術師であって教師ではありません」
七海は厳然と言い切った。「対魔忍の教育システムには関与しないという契約も交わしました」
修司が見ていると、アサギは小さくため息をついた。
「そうでしたね……失礼しました」
「ただ……」
七海は眼鏡を押し上げながら続けた。「もし修司くんのような特殊な才能を持つ者が他にもいるなら別です」
アサギの顔が明るくなった。
「本当ですか?」
「ええ」
七海は冷徹に答えた。
「ただし個別指導のみ。それと追加報酬が必要です」
アサギは笑顔を保ちながらも内心で舌打ちした。
「もちろん。適切な報酬を用意します」
七海は契約書をポケットにしまいながら言った。「では業務開始は明日からということで」
修司は七海に深く頭を下げた。「ありがとうございます!」
七海は少し照れたように眼鏡を押し上げた。「礼は成果を見せてからにしてください」
退出しようとする七海に、アサギが最後の質問を投げかけた。
「ちなみに呪力操作の秘訣は何かありますか?」
七海は振り返り、真面目な表情で答えた。
「サラリーマン時代に学んだことがあります」
アサギと修司は首を傾げた。
「何でしょう?」
七海は静かに言った。「労働はクソだということです」
一瞬の沈黙の後、アサギはただ「あっ、はい」としか答えられなかった。
七海は満足げに頷くと、ドアへと歩き出した。
「では明日、修司くんと集合地点でお会いしましょう」
その背中には、新たな世界での使命を帯びた男の姿があった。