誓印の残響 作:義隆
誓印本契約の公開審査は、神殿の大広間で執り行われた。
白い石壁に囲まれた広間には、すでに百人を超える人々が集まっていた。貴族、騎士団の幹部、神殿の高位神官、そして加護を持つ者たち。壁際には数列の椅子が並べられ、中央には審査のための演壇が設けられている。演壇の床には、あの魔法陣が金色の塗料で精緻に描かれていた。幾何学模様の中心には、契約者が立つべき二つの足形が刻まれている。
天井からは長い白布が何枚も吊るされ、窓から差し込む午後の光を柔らかく拡散させていた。その光が広間全体を包み込み、すべての輪郭をわずかにぼやけさせる。まるでこの場が、日常とは切り離された特別な空間であることを強調するかのように。
カインは人垣の前方、演壇に向かって右側の席に座っていた。
左手の甲で、小盾の紋章がかすかに脈打っている。緊張のためか、それとも別の理由か、紋章の周囲の皮膚がひりつくように熱を持っていた。彼は右手を膝の上で軽く握りしめ、指の関節が白くなるのを感じていた。
演壇の左側には、グレアムが立っていた。
深紅の騎士団正装に身を包み、左胸には剣の高位戦闘加護の紋章が燦然と輝いている。彼の姿勢は常に変わらず、無駄がなく、正確だった。両足は肩幅に開かれ、背筋はまっすぐに伸び、両手は体側に自然に下ろされている。しかしその右手の親指だけが、かすかに内側に曲がっていた。まるで誰かの手首の内側をいつでも捉えられるように、待機しているかのような角度で。
そして演壇の中央——二人の足形のうち、左側の場所に、リーシャが立っていた。
彼女は純白の治癒師の礼服を纏っていた。布地は薄く、身体の線をかすかに透かせるほどだ。胸元には銀糸で生命の杯の紋章が刺繍され、腰のあたりで絞られた帯が、彼女の身体の曲線を強調していた。首元は開かれ、鎖骨から胸の上部にかけての肌が露出している。その肌は、広間の柔らかな光を受けて、陶器のように滑らかに輝いていた。
彼女の左手の甲では、生命の杯の紋章がすでに淡い黄金の光を放っている。本契約を前に、加護が予期的に活性化しているのだ。紋様は以前にも増して複雑で、蔦の装飾は枝分かれを繰り返し、三つ葉の刻印は幾重にも層を成して、見る者を吸い込むような奥行きを持っていた。
カインは彼女の横顔を見つめた。
栗色の髪は今日、後ろで一つに束ねられ、うなじが完全に露出していた。そのうなじには、産毛が陽光を受けて金色に輝いている。彼女の視線はまっすぐ前方——演壇の正面に座る審査官たち——に向けられ、横のカインを見ることはなかった。
老神官が演壇の正面、一段高くなった審査席に座った。左右には二人の補佐官が控え、羊皮紙と羽根ペンを手にしている。
「これより、高位治癒加護保持者リーシャ・フェインの誓印本契約に関する公開審査を執り行う」
老神官の声が広間に響き渡った。ざわめいていた観衆が静まり返る。
「誓印契約は、加護を持つ者同士が互いの力を増幅し、より高次の能力を発現するための神聖な契約である。本契約においては、契約者間の接触パターンが固定され、生涯にわたって帰属バイアスが維持される。ゆえに契約相手の選定は、当人のみならず、王国全体の戦力に影響を及ぼす重大事である」
老神官は一呼吸置き、リーシャを見た。
「候補者として、二名が名乗りを上げている。第一位候補、騎士団幹部グレアム・ヴァレリウス。第二位候補、下位戦闘加護保持者カイン・アルトリウス」
広間のあちこちから、ささやき声が漏れた。第二位候補の加護の低さに驚く声、あるいは幼なじみの関係を知る者からの同情の声。それらはすぐに静まり、再び沈黙が広間を包んだ。
「まず、第一位候補グレアム卿より、契約後の成果予測と維持方針を述べられよ」
グレアムが一歩前に出た。彼の足音は硬質で、迷いがなかった。
「私は数値で語る」
彼の右手が上がり、指が三本立てられた。
「過去三ヶ月間の誓印更新において、リーシャ・フェインの治癒加護増幅率は平均三十二パーセントを記録した。これは同期間の神殿における全誓印契約者の平均値、十八パーセントを大きく上回る。さらに、実戦任務における治癒成功率は百分率で九十七パーセント。失敗事例はわずか一例のみだ」
彼は右手を下ろし、今度は左手の甲の紋章を示した。
「私の戦闘加護においても、増幅率は平均二十八パーセントに達している。相互増幅の効率としては、過去五年間の全契約の中で第三位に相当する。これは数字だ。感情や思い出ではない」
彼の灰色の目が、一瞬だけカインの方に向けられた。そこには、もはや軽蔑すらなかった。ただ事実を確認するだけの無機質な視線。
「接触パターンの最適化はすでに完了している。手首内側への親指圧力、呼吸の交互同期、脈拍の相互確認。これらの手順は、リーシャ・フェインの身体に完全に記憶され、加護はこの接触を『正しいもの』として認識している。本契約後は、更新頻度を週四回に増やし、増幅率をさらに十パーセント向上させる計画だ」
彼は言葉を切り、リーシャの方を向いた。
「私は彼女の加護を最大化する。感情ではない。効率だ。それが彼女の価値を最も高める方法であり、王国に対する私の責務でもある」
グレアムの説明が終わると、広間は静まり返った。数字による説得力を否定できる者はいなかった。三十二パーセントという増幅率は、確かに驚異的だった。
「第二位候補カイン・アルトリウスより、提案を述べられよ」
カインは立ち上がった。膝の上の右手を解き、演壇へ歩み出る。足が石床に触れるたびに、自分の体重が重く感じられた。
「僕の提案は、接触パターンの並行維持です」
彼の声は、自分が思っていたよりもしっかりとしていた。
「誓印契約は、確かに加護を増幅します。しかし単一の相手への帰属バイアス集中は、長期的に見れば脆弱性を生みます。契約者が死亡、あるいは加護を喪失した場合、残された側は増幅源を失い、加護の大幅な低下を招く。これは過去の事例からも明らかです」
彼は息を吸い、続けた。
「僕は、リーシャがグレアム卿と本契約を結ぶことを否定しません。しかし同時に、幼い頃から積み重ねてきた僕との接触パターンも維持する。二つの帰属先を持つことで、万が一の際の保険とする。短期的な増幅効率は低下するかもしれませんが、長期的な安定性と、彼女の加護の持続可能性を考えれば——」
「その『保険』とやらは、具体的にどれほどの増幅率を維持できるのか」
審査席の老神官が遮った。
カインは言葉を詰まらせた。数字を持っていなかった。彼が示せるのは、概念と理屈だけだった。
「……計測はしていません。しかし、帰属バイアスの分散がもたらす安定性は、緊急時の加護維持において——」
「数字のない提案に、どれほどの意味がある」
今度はグレアムが口を開いた。
「お前の言う『保険』は、要するに彼女の加護成長にブレーキをかけるということだ。最大効率を追求せず、中途半端な状態に留め置く。それは彼女の価値を下げる行為に他ならない」
彼の声には、感情がなかった。ただ論理だけが、刃のようにカインの言葉を切り裂いていく。
「それに、お前は見落としている。帰属バイアスはすでに、彼女の身体の中で答えを出している」
グレアムはリーシャに向き直った。
「リーシャ・フェイン。君の身体は、どちらの接触を求めている。正直に答えるといい」
広間の空気が張り詰めた。
リーシャは一瞬息を呑み、それからゆっくりと口を開いた。彼女の頬には、かすかな紅潮が浮かんでいた。広間の全員が見つめる中で、自分の身体の反応を語ることへの羞恥と、しかしそれを語らねばならない必然性が、彼女の表情を複雑に彩っていた。
「私……私の身体は、グレアム卿の接触を、先に、求めます」
彼女の声は小さかったが、広間の隅々まで届いた。
「更新のたびに、手首の内側に親指が触れると、胸の奥が熱くなって、呼吸が自然に合っていくのがわかります。戦場で手を差し出されたときも、考えるより先に身体が動いて、彼の手を掴んでいました。そして……その接触が終わったあとも、触れられた場所がずっと熱くて、次の更新まで、その感覚を覚えています」
彼女は自分の右手首を、左手の指でそっと撫でた。グレアムの親指がいつも触れる場所——脈が最も強く感じられる内側のくぼみ——を、指の腹でなぞるように。
「カインの手は、温かいです。小さい頃からずっと、あの手に守られてきました。でも……今は、その温かさが、どこか物足りなく感じてしまう。指が触れても、昔のように身体の奥まで温まらなくて……自分でも、どうしてなのか、わからないんです」
彼女の声は震えていた。その震えは、カインの手の中で感じていた安堵の震えとは、まったく別のものだった。罪悪感と、抗いがたい身体の真実との間で引き裂かれる、苦しげな震え。
「ごめんなさい、カイン。私……私の身体が、もう、カインの手を『一番』だと思えなくなってる」
その言葉が、カインの胸を貫いた。
彼女は「気持ち」ではなく「身体」と言った。感情や思い出ではない、皮膚と呼吸と脈拍の記憶が、彼女にそう言わせていた。それは彼女の意志ではなく、彼女の肉体が下した宣告だった。
「候補者双方の提案を聞き、契約者本人の身体的反応も確認した」
老神官が静かに宣言した。
「これより、リーシャ・フェイン本人による最終選択を行う。選択は公開でなされ、その結果は神殿の記録に永久に刻まれる。選択後の変更は、いかなる理由があっても認められない」
広間の全員が、息を潜めた。
リーシャは演壇の中央に立っていた。彼女の両手は体側に下ろされ、指先がかすかに震えている。胸の上下が、普段より速くなっていた。礼服の布地が、呼吸のたびに張ったり緩んだりする。鎖骨の上のくぼみに、うっすらと汗の膜が浮かんでいた。
彼女の視線は、まずカインに向けられた。
栗色の瞳が、幼い頃から変わらない優しさで彼を見つめている。その瞳には、十年分の思い出が詰まっていた。川で溺れかけたとき、野犬に襲われたとき、熱病で寝込んだとき。いつも隣にいたカインの手。一拍置いて差し出される手のひら。小指から順に絡まる指。最後に親指が手の甲をなぞる感触。呼吸が合った瞬間の、筋肉の奥から湧き上がるような安堵の震え。
それらすべてが、彼女の記憶の中にはまだ生きていた。
しかし彼女の身体は、もうそれだけでは満たされなくなっていた。
彼女の視線は、ゆっくりとグレアムに移った。
灰色の目。無駄のない姿勢。いつでも彼女の手首を捉えられるように曲げられた親指。彼女の視線が彼に向けられた瞬間、彼女の右手首の内側が、かすかに熱を持った。まだ触れられてもいないのに、皮膚がその感触を予期して反応している。
彼女は一歩、足を踏み出した。
そしてもう一歩。
彼女の足は、グレアムの立つ左側の足形へ向かっていた。
カインはそれを見ていた。彼女の背中が、自分から遠ざかっていく。白い礼服の背中。後ろで束ねられた栗色の髪。露出したうなじ。そのすべてが、彼から離れていく。
彼女の歩みは、ためらいがなかった。迷いがないのではなく、ためらう余地を身体が許さないというべきか。彼女の足は、筋肉の記憶に導かれるように、グレアムの隣へと進んでいった。
そして彼女は、グレアムの右側——本契約者の位置——に立った。
広間から、ため息にも似たざわめきが漏れた。
選択は終わった。
「契約者リーシャ・フェインは、第一位候補グレアム・ヴァレリウスを誓印本契約の相手として選択した」
老神官の声が、広間に響き渡る。
「これより、本契約の誓印を執り行う」
---
グレアムとリーシャが向かい合った。
二人の足元で、金色の魔法陣が輝き始める。光は最初は淡く、しかし次第に強さを増し、広間全体を黄金の輝きで満たしていった。観衆の顔が、光に照らされて浮かび上がる。
「手を」
グレアムの声は、いつもと同じだった。無駄がなく、正確で、しかし今はその中に、かすかな熱が混じっているようにカインには感じられた。
リーシャは右手を差し出した。
手首を上に向け、脈の位置を晒す型。彼女の手首の内側——親指一本分の幅の、柔らかくくぼんだ場所——には、すでにうっすらと赤みが差していた。これから触れられることを予期して、血流が集まっているのだ。
グレアムの右手が、彼女の手首を捉えた。
まず親指が脈の位置に触れる。その圧力は、三ヶ月間の更新で最適化された、完璧な強さだった。強すぎず、弱すぎず、皮膚の表面を押し下げて、その下を流れる血液の律動に直接触れる深さ。彼の親指の腹が、彼女の脈拍の一つひとつを拾い上げていく。
リーシャの肩が、小さく跳ねた。
次に人差し指が手首の外側を支え、中指、薬指、小指が順に彼女の手の甲を包み込んでいく。四本の指は、彼女の手首を逃がさないように、しかし決して締め付けすぎない絶妙な圧力で、手首全体を包み込んだ。彼女の手首は完全に彼の掌の中に収まり、皮膚と皮膚が隙間なく密着した。
その瞬間、二人の左手の甲から、加護の光が溢れ出した。
剣の深紅。杯の黄金。
二つの光は、かつてないほど強く、濃く、そして速やかに混ざり合った。光は手首の接点から滲み出し、前腕を這い上がり、肘の内側の柔らかい皮膚を通過し、二の腕を包み、肩に達する。そして肩の上で、深紅と黄金が完全に融合し、白熱に近い橙金色の輝きとなって、天井に向かって立ち昇った。
その光景は、もはや「増幅」という言葉では表現できないものだった。二人の加護が共鳴し、互いを高め合い、単独では決して到達できない次元へと上昇していく。光は広間の天井を突き破らんばかりに伸び上がり、吊るされた白布を黄金に染め上げた。
そして光が最高潮に達したとき、リーシャの身体に、決定的な変化が起きた。
彼女の呼吸が、完全にグレアムの呼吸と同期した。彼が吸うときに彼女は吐き、彼が吐くときに彼女は吸う。そのリズムは、あまりにも完璧で、もはや二人の間に境界があるのかどうかすらわからなかった。彼女の胸の上下は、彼の胸の上下の鏡像のように連動していた。
彼女の膝が、震えた。
しかしそれは、以前のようにかろうじて踏みとどまる震えではなかった。彼女の身体は、その震えに抗わなかった。むしろ震えに身を任せるように、彼女の上半身全体が、ゆっくりと前方へ——グレアムの胸の方へ——傾いていった。
そして彼女の胸のふくらみが、グレアムの胸に軽く触れた。
白い礼服の薄い布地を通して、彼女の乳房の上部が、彼の胸板に押し当てられる。その圧力はわずかだったが、彼女の身体に走った反応は劇的だった。彼女の首筋がさっと紅潮し、耳の先端まで赤く染まった。唇の間から、長い吐息が漏れる。それはため息でも、呼吸でもなく、身体の奥底から絞り出された、熱い蒸気のような吐息だった。
彼女の乳首が、布地の下で硬くなっていくのが、服の上からでもはっきりとわかった。胸の先端が二つの小さな突起となって、白い布地を押し上げている。それはグレアムの胸板に押し付けられることで、さらに硬度を増していった。
彼女の腰が、かすかに動いた。
それはほとんど無意識の動きだった。骨盤がわずかに前傾し、下腹部がグレアムの腿に触れようとする。彼女の太腿の内側の筋肉が緊張し、そして緩み、その繰り返しが彼女の呼吸と連動して、小さな律動を生み出していた。
彼女の両足の間——礼服の布地が最も深く折り重なる場所——には、熱が集まっていた。その熱は、手首の接点から始まり、腕を伝わり、胸を通り、腹を下り、彼女の最も秘密の場所に到達していた。布地が湿り気を帯び始めているのが、脚を閉じた彼女自身にも感じられた。太腿の内側を伝う、ひそやかな温かい滴り。
グレアムの親指が、彼女の脈拍に合わせて、かすかに圧力を変えた。
脈が強く打つ瞬間に、親指の圧力がわずかに強まる。脈が弱まる瞬間に、圧力も緩む。その連動は、まるで彼の指が彼女の血流そのものを操っているかのようだった。そしてその圧力の変化は、彼女の胸の奥の熱をさらに強め、下腹部の緊張を高め、両足の間の湿り気をより深いものにしていった。
彼女の口元が、かすかに開いた。唇の間から、白い歯が見える。舌の先端が、上の唇をそっとなぞった。それは渇きを癒す仕草であると同時に、もっと別の何かを求める仕草でもあった。
彼女の瞳は潤み、視点が定まらなくなっていた。広間の光も、観衆の視線も、もはや彼女の意識には入っていなかった。彼女の全身の感覚は、手首の内側の一点——グレアムの親指が触れている場所——に集中していた。そこから発する熱と律動が、彼女の身体のすべてを支配していた。
その姿は、もはや治癒師のものではなかった。
加護に身を捧げ、接触に身体を開き、相手の指に全身を委ねた、一人の女性の姿だった。彼女の加護は最大限に増幅され、同時に彼女の肉体は最大限に反応していた。その二つは、彼女の中で分かちがたく結びついていた。
光がゆっくりと収まっていく。
しかし彼女の身体に生じた変化は、収まらなかった。頬の紅潮は引かず、乳首の硬化は持続し、両足の間の湿り気は、彼女が脚を動かすたびに、布地に染み込んでいくのが感じられた。
グレアムが手を離した。
離れるときも、一定の順序があった。小指、薬指、中指、人差し指が順に彼女の手の甲から離れ、最後に親指だけが手首の内側に残る。一拍の間。そして親指がゆっくりと、脈の上を滑るように離れていった。
その最後の一撫でが、彼女の身体に最後の震えをもたらした。
彼女の膝が、一瞬完全に力を失い、彼女はグレアムの胸に倒れ込むように寄りかかった。彼の腕が彼女の腰を支え、二人の身体が密着する。彼女の乳房が彼の胸板に押し潰され、硬くなった乳首が彼の制服越しに圧迫される。その感触に、彼女の唇から再び熱い吐息が漏れた。
それは、公開の場における、あまりにも露骨な身体の告白だった。
「本契約、完了した」
老神官の声が、静まり返った広間に響いた。
誰もが、今目撃したものに息を呑んでいた。それは単なる誓印契約ではなかった。一人の女性の身体が、一人の男性の接触によって完全に開かれ、支配され、満たされる瞬間の、あからさまな証明だった。
リーシャはゆっくりとグレアムの胸から身を離した。彼女の顔はまだ紅潮し、呼吸は乱れ、礼服の胸元には、彼女の乳首の形がはっきりと浮かび上がっていた。彼女はそれに気づき、慌てて腕で胸を隠そうとしたが、その動きすらもが、身体に残る熱の前では無意味だった。
彼女の視線が、一瞬だけカインの方に向けられた。
その瞳には、罪悪感があった。しかしそれ以上に、抗いがたい身体の真実を受け入れた者の、諦念にも似た安堵があった。彼女はもう、自分の身体がどちらを求めているか、疑う必要がなくなっていた。
---
審査が終わり、観衆が広間から退出し始めた。
しかし演壇の周りには、まだ人だかりが残っていた。本契約を祝福する者、グレアムに取り入ろうとする貴族、リーシャの治癒加護に将来の治療を期待する者たち。彼らは二人を取り囲み、口々に言葉をかけていた。
カインは、人垣の外に立っていた。
リーシャはグレアムの隣で、人々の祝福に応えていた。彼女の身体は、まだ完全には平常に戻っていなかった。頬の紅潮は薄れたが、胸の先端の硬さは、まだ布地の下に残っていた。両足の間の湿り気も、彼女が脚を閉じるたびに、自分だけが感じる熱として存在していた。
そして彼女の立ち位置は、自然にグレアムの右側——彼の利き手の側——になっていた。彼が右手を動かすたびに、彼女の右手首が無意識に彼の手の届く範囲に位置する。二人の肩はかすかに触れ合い、彼女の上腕が彼の前腕に軽く寄りかかっていた。
それは、本契約によって固定された帰属バイアスの、視覚的な証明だった。
カインは、人垣の隙間から彼女を見つめていた。
彼女が笑っている。グレアムの言葉に頷いている。誰かの質問に答えている。そのすべての動作が、彼女の意志であると同時に、彼女の身体が選んだ「正しい位置」からの動作だった。
やがて人垣が薄れ、リーシャがカインの存在に気づいた。
彼女はグレアムに一言断り、カインの方へ歩いてきた。その歩みは、以前のようにまっすぐではなかった。わずかにためらいがあり、足の運びにも迷いがあった。しかしそれでも、彼女はカインの前まで来た。
「カイン……」
彼女の声は、かすれていた。
「私、選んじゃった。自分の身体が求める方を」
「ああ、見てたよ」
カインは笑った。笑うしかなかった。笑いながら、自分の右手を差し出してみた。
手のひらを上に向け、指をわずかに開いた状態で。
一拍。
リーシャはその手を見た。彼女の目が、カインの手のひらをじっと見つめる。小指から順に指を絡めるための、開かれた指の間。親指が最後に手の甲をなぞるための、わずかに曲げられた親指。彼女はそのすべてを知っていた。十年分の記憶が、その手のひらに詰まっていることを、知っていた。
しかし彼女の右手は、動かなかった。
代わりに、彼女の左手が自分の右手首の内側——グレアムの親指が触れた場所——を、そっと撫でた。その仕草は、もはや完全に無意識のものだった。彼女の身体が、触れられるべき場所を自分で確認する動作。
「ごめん……私、もう……」
彼女の声は震え、言葉にならなかった。
カインは手を下ろした。
「わかってる」
それだけ言って、彼は背を向けた。
広間の出口に向かって歩き出す。石床に足音が響く。背中の後ろで、リーシャの気配が遠ざかっていく。彼女はもう、グレアムの隣に戻っているのだろう。彼の右手が届く範囲に。彼の親指がいつでも触れられる位置に。
---
夕暮れの神殿の中庭。
カインは一人、あの魔法陣の上に立っていた。
金色の幾何学模様は、本契約が終わった今も、かすかに光を放っている。誓印の力が染み込んだ石は、触れるとほのかに温かかった。その温もりは、リーシャの手首の内側に残る熱と同じものなのだろうか。
彼は右手を持ち上げ、前に差し出してみた。
手のひらを上に向け、指をわずかに開いた状態で。
一拍。
当然、誰も来ない。
二拍。三拍。四拍。
空っぽの手のひらを、夕暮れの風が通り抜けていく。かつてそこには、リーシャの指が一本ずつ絡まり、彼女の体温が流れ込んできた。小指が触れ、薬指が重なり、中指が絡み、人差し指が添えられ、最後に親指が手の甲をなぞる。その一つひとつの感触を、彼は覚えている。
しかし彼女の身体は、もうその感触を「正しいもの」とは認識しない。
彼女の手首の内側には、グレアムの親指が触れる。彼女の脈拍は、彼の指の圧力を待っている。彼女の呼吸は、彼のリズムに同期する。彼女の胸の奥は、彼の接触で熱くなる。彼女の乳首は、彼の胸板に押し付けられて硬くなる。彼女の両足の間は、彼の指の一撫でで湿り気を帯びる。
カインは、そのすべてを奪われた。
奪ったのはグレアムではない。リーシャ自身でもない。彼女の身体が、より効率的な快楽を求めた結果だった。肌が、呼吸が、脈拍が、生殖の核心に至るまで、彼女の肉体のすべてが、新しい「正しさ」を選んだ。
幼い頃から積み重ねてきた十年分の接触パターンは、わずか三ヶ月の頻繁な更新によって、完全に上書きされた。彼女の肌の記憶も、呼吸のリズムも、脈拍の反応も、すべてがグレアムの指のために再構成された。
そして何より——
あの「一拍」が、失われた。
カインが手を差し出してから、リーシャが応じるまでの、あのわずかな間。二人だけの型。二人だけの約束。二人だけの親密さの証。彼女の身体が自然に生み出していた、ためらいと期待の間合い。
それは今、完全に別の相手に向けられている。
彼女は今頃、グレアムの右手が差し出されるのを待っているのだろう。彼の親指が自分の手首の内側に触れるのを、一拍の間も置かずに受け入れているのだろう。そしてその接触が、彼女の身体の奥深くに熱を広げ、呼吸を同期させ、脈拍を高め、彼女のすべてを満たしていくのだろう。
カインは右手を握りしめた。
指の関節が白くなるほど強く。
それでも、手のひらの空虚は埋まらなかった。彼の手は、もう誰の手も握ることはない。少なくとも、リーシャの手を握ることは、永遠にない。
彼女の手首の内側は、別の男の親指のためにある。
彼女の脈拍は、別の男の指に触れられるために打つ。
彼女の呼吸は、別の男のリズムに合わせて上下する。
彼女の胸の熱も、乳首の硬さも、両足の間の湿り気も、すべては別の男の接触によって引き起こされる。
カインは空を見上げた。
夕焼けが、神殿の尖塔を赤く染めている。その赤は、グレアムの加護の色と同じだった。そして尖塔の最上階——リーシャの部屋の窓——には、すでに灯りが点っていた。
窓の向こうで、二つの影が重なるのが見えた。
カインは目を逸らした。
右手を下ろし、中庭を後にする。
かつて自分に向けられていた“あの一拍”が、完全に別の相手に向けられていることを、彼は理解していた。理解した上で、それでも生きていかなければならなかった。奪われたものの大きさを抱えたまま、空っぽの右手をぶら下げて。
夕闇が、彼の背中を包み込んでいった。