公園を歩いていると一角にあるグリーンネットが揺れている。
「あ、鳩がグリーンネットに絡まってるみたいだ。」
ボロはそれを見ると一瞬考えて、グリーンネットに近づいた。
「落ち着け、動くな。足首に巻きついている。待て。」
そう言って鳩を小脇に抱えて嘴でつつかれながらネットから剥がそうと絡まった紐を解いていった。
暫くすると羽に食い込んだ部分が外れ、翼が大きく開いたと思うと無理やりこじ開けるように腕から鳩が飛び立った。
「優しいんだな。」
いつも苛々して顰め面でいる顔が、別人のように穏やかだ。
「いや、優しくはない。なぜならあの鳩は死ぬからだ。」
ボロは服についた羽根を手で払うと水道に駆け寄って手を洗い始めた。
「そりゃ、いつかは死ぬけどよ。」
なら助けるなよ。
「恐らく今日中に死ぬだろう。翼を損傷した鳩はうまく飛べず猛禽類の格好の餌だからな。ただ私は気まぐれで助けたフリをした、以上だ。……獅子神、今日の晩飯は自室で食べるよ。」
ボロはトボトボと背を小さくして家とは反対方向を歩いていった。
「ボロ……フライドチキンはお前のリクエストだぞ。」
、、、
「て、天堂、逃げるぞ……奴がいる。」
ボロさんは河原の砂利を踏みしめてUターンをすると無理に裾を引っ張っろうとして蹌踉めいた。
「奴とは?」
彼女が指差す方向には白鳥が羽を嘴で掻きながら水面を泳いでいる。
「ふふ、可愛らしいですね。白鳥がどうかされました?」
ボロさんは一度盤上の外に出れば思慮が浅いことを露呈させ、女としての愛嬌を振りまくのですね。
「な、なにをいっている?逃げるぞ!」
必死に背中を押して場を離れるように促されると意地でも動きたくなくなるのに。
「神がついています。……白鳥は怖くありませんよ?……守って差し上げましょうか?」
彼女の顎に触れるとカッと目を見開いて両腕を開いてジェスチャーを始めた。
「白鳥が陸地に上がったところをみたことがないから言えるんだ!!奴は150cm……私と5cmしか差がないデカさで……襲ってくるんだぞ!!」
背が小さくか弱いアピールとは……。
愛に飢えているのですね。
「……ボロさんは小さいですからね。」
頭を撫でてやると思い切り飛び跳ねて必死であると訴えかけてくる。
「いいから逃げるぞ!」
キャンキャン吠えて可愛らしい。
と、目線を河川敷に戻すと白鳥が陸地に上がって翼を広げてバサバサと羽音を立てて走り寄ってくるのが見えた。
「……本当でしたか。」
ひとまずボロさんを小脇に抱えて場を後にした。
、、、
「まさか白鳥に襲われるとは……。」
ボロさんをベンチに降ろすと冷や汗をかいていたのでハンカチで額を拭ってやる。
「白鳥が河原に一羽や二羽だけでいる場合、子供を守っているから人を追い回すんだ。あの翼で叩かれたらひとたまりもないぞ。」
よくそんな場面に鉢合わせますね。
「襲われたことがあったのですか。」
彼女は乱れた呼吸を整えると自販機に向かった。
「アレとは別の個体と一度な。……その雛が不法投棄された釣り糸に絡まっていたところを助けたら襲われなくなったんだが……奴は新参だ、面識がないから。」
自販機のミネラルウォーターのボタンを2回押すと1本目をこちらに寄越した。
「面識……?違いがわかるのですか?」
犬猫の違いがわかるならまだしも……。
「泳ぐパターンが違ったから、前のとは違うと感じただけだ。面は流石に分からんよ。」
彼女は嘘が本当か分からない知見をよく話したがる。
「……なるほど、そうでしたか。」
「にゃー」
野良猫が彼女にすり寄って媚びた声を出した。
「おや、猫に懐かれたか。」
顔を見ると予想外に引き攣り、発汗し緊張している。
「医者……助けてくれないか?」
……初めて「助け」を求めたな。
「何からだ。」
まさか猫を恐れているのか。
「追い払って。お願いします。」
彼女は私の背に隠れるようにして弱々しく声を絞り出した。
「女性で猫嫌いとは珍しいな。」
動物アレルギーは無いはずだが。
「早く。」
本当に怯えているような声色だ。
「しかたがない。シッシッ……なかなか離れないが。あなたは動物に好かれるのか?」
猫は彼女の足元を八の字に歩いて体を擦り付けて撫でて欲しそうに鳴いている。
「医者め……しかたがない。なあお前、私は猫が嫌いなんだ。……わかるだろ?どうか立ち去ってくれ。」
彼女はしゃがんだかと思うと猫の目を見て話しかけた。
「にゃー」
まさかとは思うが、猫とコミュニケーションが取れると考えているのか?
「お前には餌をやれない。私は餌付けができない。お前は野良猫だ、お前の代で不幸の連鎖を止めねばならない。すまないが他をあたってくれ。」
彼女は猫に一切触れずに淡々と持論を語った。
「にゃー」
猫は諦めたのか尻尾で彼女の足首を撫でると背を向けてスタスタと路地裏に向かって歩き始めた。
「わかってくれたか、じゃあな。」
路地裏の影に入ると猫は振り向いて一鳴きした。
「にゃん」
「……クッ。笑ってはいけないな。あなたなりにギャップ萌えを狙ったつもりか?」
彼女はムッとして歩き出した。
「お前が想像している以上に猫は意図を理解しているよ。」
成る程、隠れ愛好家だったのか。
「立ち去ったからか?たまたまだろう。」
指摘をすると眉をひそめて口を尖らせた。
「昔、面識のない野良の親猫が子猫を咥えて私の前に置きざりにし、草陰に逃げたことがあった。当然子猫は母親が姿を暗ましたためけたたましく鳴いた。」
よく親猫がねぐらを変えるために移動している最中に出くわしたのを「親猫が紹介してくれた」と燥ぎ立てる者がいるのは承知しているが。
「……餌付けをしていたなら兎も角、親猫が進んで子猫を人前に連れ出し、それを置き去りにするなど俄に信じがたい。」
彼女は賭博をし続けた弊害で虚言癖が身についたとしてもおかしくない。
「だから私は草陰にいる親猫に対して訴え続けた。『私は子猫を可愛い』といって抱きかかえない、保護もしない、お前の力で育てろと。」
……愛護の心より、命の責任を説くと。
「15分後、親猫は子猫を咥えて立ち去った。私の実家は田舎でカラスが猫を襲い殺すから、人間に『子猫が可愛い』とされて保護されるのを望んだのだろう。ただ、他の人間は野良猫を駆除しようとするから……警戒せず擦り寄ってくる事など考えてもみなかったがな。」
彼女にしては珍しく、コンプレックスの歯を見せてカラカラと笑って伸びをした。
「『可愛い』という一時の感情で捨て猫を拾っていたら全ての捨て猫を保護しなければならない。それは不可能だ。子猫が成猫になったら飽きて世話をしなくなるのと同義である。」
……本当に。
「……あなたは……」
「ああ、冷血漢といいたいのだろう。そうだ。私は優しさを持ち合わせていないからな。医者よ、配慮という処方箋でも出してくれ。」
「ヒィッ」
街中を歩いていると小型犬を散歩している女とすれ違った。
「ボロって犬が怖いんだ。意外と可愛いとこあるじゃん。」
ボロはオレの後ろに隠れて犬が離れるのを待っている。
ただ、ボロの心理とは裏腹に犬はボロに撫でてほしそうにハッハッと舌を出して大きな黒い目で見上げていた。
「違う。怖いわけではない。」
そう言ってパーカーの裾を握って息を殺してじっと飼い主が引き上げるのを待った。
「ならなんでオレの後ろに隠れてんだよ。……何、甘えてんの?予定を変更して今からラブホに行くか。」
脇を肘で突くとボロは溜息をついて姿勢を正して大袈裟に腕を振り上げた。
「誤解の無いように詳しく説明してやろう。私は犬が怖いのではない。昔、犬の動物園で犬の散歩体験をしたのだ。」
馬鹿なのかなコイツ。
「で、噛まれた?追い回された?」
講釈を垂れるボロの腕を引いて歩道を歩いた。
「まさか、違う。犬の散歩体験は犬達が人気で人数制限のため出来なかった。そもそも私は散歩体験などしたくなかったのだから。」
だからなんだよ。
「あ"?散歩体験をしなかったから犬が嫌いなのか?」
ボロは話を煙に巻いて場をやり過ごそうとするから。
「最後まで聞け。その時に係の人が言ったんだ『人気のない子なら一匹いますが……可愛くない子は嫌ですよね?なので今回はできません』とな。」
ああ、『自分は可愛くないから選ばれない事が正しく、選ばれるのが間違いだ』と言いたいのか。
「……で?」
流石に苛ついて腕を掴む力を強めると一瞬顔を曇らせた。
「人気がないとされたその犬は真っ黒なレトリバーで名を『デビル』といった。……とても寂しそうな目をしていて……彼はとても頭がよく優しく良い犬だったよ。」
そう昔話を語るボロの眼差しは今まで会話してきた中で一番慈愛に満ちていた。
人間以外には優しいんだな。
「その犬の動物園には二度といかないと誓った。勝手に『デビル』と名付けられた上、人気がないとされた彼を思い出すから……犬と関わりたくないのだ。」
「……結局散歩してんじゃん。」
、、、
「あ、ツバメの赤ちゃんが落ちてる。」
閑散とした駅前につばめの雛が落ちている。
「触るな、行くぞ。」
興味津々といった様子の真経津の腕を引いた。
「放っておくの?ボロさんって冷たいね。」
ああ、人の心が無いからな。
、、、
「ボロさんって冷たいんだよ。ツバメの赤ちゃんを見捨てたんだ。」
真経津はあえて彼女を悪く言っている。
「鳩は助けたのに?」
獅子神もそれに乗っかるようだ。
「ツバメの雛が落ちるのはよくあることだ。親はそれを咥えて巣穴に戻す……人間の臭いがついていなければ、の話だ。」
彼女は目を虚ろにしてソファに腰を埋めた。
「え、ならそう言えばいいのに。何で言わないの?」
真経津も飽きないな。
とはいえ、私も飽きないのだが。
「ボロは言葉が足りな過ぎるぞ、気をつけろよ。」
獅子神も同様か。
「ボロさんは少し足りないのが個性なのですから。そこまで責めなくともいいでしょう。」
なぜこの歪みに気付かないのか。
「彼女はマヌケだから致し方ないだろう。」
「ボロさんってサクランボの茎を舌で結べなさそう。」
獅子神さんが買ってきたサクランボを摘み食いして1個を渡した。
「通常、人間の舌ではサクランボの茎を結ぶことはできないからな。」
やっぱり出来ないんだ。
「できるけど、ほら。」
後ろから獅子神さんが覗き込んでボロさんに舌の上に乗せた結んであるサクランボの茎を見せた。
それに分かりやすく苛ついて食ってかかろうとするボロさんに獅子神さんの肩から顔を出した叶さんも同じようにサクランボの茎を見せて挑発した。
「普通はできるよな?……キスが下手くそって意味。」
ボロさんは『普通』という言葉に反応してサクランボの茎を口に入れた。
「……お前達が出来るなら……できる。」
、、、
「まだか、ボロ大先生。」
ボロさんは30分経っても口をモゴモゴさせている。
、、、
「ボロさん、もう諦めてご飯たべよう?」
ボロさんはムキになって食事を取らずに口を動かした。
、、、
「で、どうだった?ボロ。」
翌朝、獅子神さんが肩を叩くとビクッと体を震わせて涙声を出した。
「……今ので飲んでしまった……ただ、誤飲しなければ結べていたかもしれないな……。」
ボロさんはムキになって唇を噛んでる。
それを横目に村雨さんが鼻で笑った。
「……医者、お前はできるのか?」
今にも泣きそうだ。
「できるが?ただ……品性に欠くからやめておく。」
「できないのか。」
やめればいいのに、どうして負け戦をしようとするのかな。
「できると言っている。ただ行う意味がない。」
「……あはは!あはは!それみたことか!医者だって出来ないではないか!」
鬼の首を取ったように高笑いをして立場を変えようと必死に藻掻いている。
「サクランボの茎ごときで接吻の上手さをはかるなど……するか?」
分かりやすい煽りに負けて、額に青筋を立てて村雨さんの襟を掴んだ。
「論点をすり替えるな!!私もお前も出来なかった!!」
犬歯を剥き出しにして今にも噛みつきそうな勢いで激昂してる。
「どうした。たかがサクランボの茎結びだろう。」
流石に村雨さんも危ういと感じたのか諭すように宥め賺した。
「……あ?ああ……嘘はよくないからな。」
、、、
「どうしたのですか?そんなに落ち込んで。」
ボロさんは客間の隅で隠れるように体育座りして顔を膝に埋めている。
「……出来なかった。」
たしか、昨晩くだらないことで言い争いになったと聞いたが。
「なにが出来なかったのでしょうか。」
隣に座って背中を擦ると苦しげな声を漏らした。
「……茎、結べなかった。」
まさかそんな馬鹿馬鹿しいことで悩んでいるのか?
「……サクランボの茎……舌で結べなかった……皆出来るのに、私は出来なかった……うっ……うぅ」
彼女は子供のように泣きじゃくり始める。
なんて愚かで純粋な仔羊なのでしょう。
「私は普通じゃないんだ……。」
人と同じようになりたいのですね。
「それがボロさんですから。」
「ボロさん、いいことする?わるいことする?」
結果が同じことを聞いてどうする。
「真経津……今から風俗店の地図を描くからな。」
紙に最寄りの特殊な風俗を扱う店舗を書き出した。
「うん!」
なかなかリアルな非合意プレイは難しいからな。
「ふう、かけた……ほれ、やるよ。」
「うん!ボロさん相変わらず字が下手くそだね!」
……血管が切れそうだ。
「お前……お前……」
「じゃあ一緒に風俗店にいく?3Pしてもらう?」
、、、
「すみません!3Pしたいんですけど!」
「お連れ様がいるのはちょっと……。」
、、、
「真経津って……私のこと、嫌いだよな。」
真経津は目を輝かせて笑顔を向けた。
「え?ネコ型ロボットのことは大好き!ボロさんはネコ型ロボットに似てるよね!」
いつもそうだ。
真経津の口から「好き」だの「愛してる」など聞いたことがない。
……あえて言わないのだ。
それらの情を向けていないのだから。
「ほらな……すぐそうやってはぐらかす。」
もう疲れた。
心体的接触からどうしても脳が勘違いしてしまい、好意を抱こうとするのを無理に止めるのは辛いんだ。
「……珍しいね。ボロさんが女々しくなるの。」
珍しく真経津が真剣な顔をした。
「お前……一度も私に『好き』『愛してる』と言ったことがないだろ。」
暫く沈黙があった後、いつものフレーズが耳に飛び込んでくる。
「だってボロさんは僕のものだから……言葉で言い表せない関係でしょ?」
そうだな、お前に負けて、お前達の庇護の下で生きている。
「……やっぱり私は誰からも愛されない。」
沢山だ。帰りたい。
……どこに?
「……ボロさんは愛されてるって実感が欲しいの?ボロさんはお金持ちだし、みんなと友達だし、みんなと同じギャンブラーでしょ?これ以上何を望むの?」
そうではない……。
私はただ……。
……何を言えばいいか分からない。
「……先生の言った通りだ。」
「……先生?……村雨さんのことじゃないよね?……誰?」
「誰でもいいだろ。」
「……よくない、誰?男の人?」
「性別が重要だとは思わない。」
「教えてくれるまで離さないよ。」
「あっそう。」
、、、
「なんで教えてくれないの?そんなに大切な人なの?ねえ」
「教えて」
「教えて……教えてよ」
、、、
「御手洗くん、ボロさんの経歴から先生って呼ばれる職務の人間をリストアップして欲しいな。」
、、、
「中退した高校の先生?専門学校時代の先生?就職先の上司?」
「……そっか、学歴職歴に関係ない人なんだね」
「教えて」
「あの……すみません。」
ガラスの引き戸をトントンと叩く音がして駆け寄って棒鍵を引き抜いた。
「どちら様でしょうか。」
戸を開けると10代後半らしい女性が不安気な顔をして佇んでいた。
「あの……以前この家に住んでいた女性の知り合いで……。」
勧誘か?
女性?一族の母か?祖母か?
一族とは地域の土地を一括で買い取った時に会ったくらいだが。
「はぁ、そうですか。……それでなにかご用ですか?」
首を出すと道の端にカラス銀行の車が見えた。
……こんななりでもギャンブラーか。
「……どんな生活をしていたか……みたいと思って……。」
あ、確かこの家の一族と絶縁した女がワンヘッドになって直ぐさまくたばったと聞いたな。
……ああ、たしかその女とは一度会ったか。
『死んだうさぎを埋めたい』とかなんとか……。
「それなら母屋ではなく、あそこにある豚小屋を見たほうがいいですね。彼女はそこで暮らしていたらしいですから。」
下駄を鳴らして離れの小屋を案内して鍵のない戸を開けた。
「……これが……」
小屋の中には簡素な台所と古いトイレ、洗面台が設置してある狭いバスタブが12畳の中に詰まっている。
都内なら当たりの部類だろ。
「好きに見て頂いて構いませんよ。何なら物を持ち帰って貰っても結構です。」
彼女は膝を付くとシクシクと泣き始めた。
「ひどいよ……こんなの……。」
何が酷いんだ?
衣食住が用意されているのに。
『人に興味を持て』
伊藤吉兆の言葉が脳裏に浮かんだ。
「ひどいもんですね。家を捨てた挙句、最後は命を捨てたのだから。」