嚢腫
「その症状は婦人科ではないですね。」
そう2軒目の産婦人科の受付で門前払いをされて途方に暮れた。
「仕方ない……かかりつけの内科に行くか……。」
私は毎月必ず激しい鈍痛と三日三晩止まらない嘔吐から月経困難症と診断され、卵サイズのチョコレート嚢腫を小さくするためにリュープリンを打っている。
あまりの痛みに夜間病院を尋ねたことがあったが、血液検査をした所「炎症値が尋常ではない、手術だ」と看護師に言われたものの後から来た夜勤医に「たまにいるんだよ、こういう人。君は治らないから帰りな、入院するだけ無駄だ」と追い返されたっけ。
その時の看護師が申し訳なさそうな憐憫に満ちた顔が忘れない。
まあ治らないから処置の方法はないのだろう。
『たかが生理痛』だから周りの女性達の目もあって生理休暇も取りづらいし有給休暇だけが減っていく。
「運転……もうできそうにないな。」
仕方がなくバスに乗って近くの胃腸科のクリニックを訪ねることにした。
何でもいいから痛み止めが欲しい。
生理中ではないので痛みも10段階中の5、吐かないし歩けている。
「死にてー……。」
、、、
「ではまず血液検査をしますから。」
受付を済ませて30分が過ぎた頃名前を呼ばれた。
「そんなにお腹痛いんですか?」
看護師が苦笑いを浮かべて3回目の注射針の刺し直しついでにお茶を濁す。
「あー……生理中が10段階で10、今は5なので意識もありますし……ちょっと痛いくらいです。」
ようやく採血が終わるとまた待合室で子供向けのテレビ番組をボーッと眺めた。
お願いしたら痛み止めを貰えるかな。
「ちょ……ちょっと!!なんで貴方は……車椅子に乗って!!」
いきなり看護師の怒号が響いて患者たちの注目が一斉にこちらに向き、振り返るも誰も居ない。
「貴方ですよ!!なんで平然としてるんですか!!診察室に早く!!」
車椅子をギュインと前のめりで押しながら自分の前に置かれると、看護師の二人組に乗せられて診察室に運ばれてしまった。
「車椅子って大袈裟な……。」
もしかして黄色い救急車にでも運ばれるのか?
「あの炎症値で立ってられるわけ無いでしょう!!」
看護師たちが血相を変えて怒鳴るのを初めてみたな。
「あなた、何故意識を保っていられる。この値では有りえない話だが。通常なら痛みで失神している。」
不機嫌な医者がモニターを見ながら溜息をついた。
「いえ、痛みの程度はそんなに酷くなくて……痛み止めって処方してもらえますか?」
医者はこちらをまじまじと見ると唇を指さした。
「唇が真っ青だ。救急車は呼んである。ここの設備では手術は出来ない。私が勤務している病院に運べるといいのだが受け入れは状況により変わるからな。」
救急車……本当に鉄格子のある病院に連れて行かれるの?
「え……私はまだそこまでイカれては」
「マヌケ、緊急手術が必要だ。ベッドに横になれるか……手伝おう。肩を貸す。救急車が到着するまで出入り口付近のスタッフルームで待機してもらう。」
今この医者『マヌケ』って言ったか?
「救急車なんて大袈裟です。バスで行きますよ。」
肩を掴まれた状態で医者の顔が近い。
目の隈凄いな、若いのに掛け持ち医なのか。
「あなたはどこまでマヌケなのか。救急車が来るまでにおとなしく失神していろ。」
今『失神しろ』と?
なに言ってんだこの医者。
「いえ、救急車は重大な病状の方を優先すべきですから。」
ベッドに横になるとカラカラと場所を移動させられた。
「だから呼んだのだ。」
、、、
「で、誰が付き添いに行きます?」
スタッフルームでは申し訳程度のカーテンが引かれ若い医者たち数人の会話が聞こえてきた。
「付き添いか……救急車に乗ると帰り送ってもらえないからタクシー使わないといけないし。」
そうなんだ。
確かに付き添いの医者を送迎したりはしないか。
「僕、この後予定入ってて……。どの病院に着くか分からないから。」
確かに、受け入れ準備が整っていないとかでタライ回しにされて遠方に着いたら困るな。
「……私が行きます。」
さっきの医者の声がした。
「村雨君、いつも悪いね。」
村雨という医者は貧乏くじを引くタイプなのか。
可哀想に。
「あの、私は一人でもいいですよ。医者の付き添いは必要ありません。」
会話に割り込んで発言するとカーテンがザッと開いた。
「まだ意識を失っていなかったのか。いい加減気を失え。何故意識を失わない。」
そう言われても意識を自分の意思で失うなんて無茶だ。
「すみません、聞こえてしまって。」
不機嫌な……村雨医師はカーテンを潜り抜け、ベッドの隣でじっと恨ったらしい視線を送った。
「医師は同行しなければならない。」
知らなかった……昔からなのかな、ローカルルール?
「なんか申し訳ないです。」
村雨医師は溜息をついて目頭を押さえた。
「お名前言える?痛みはどれくらい?」
しばらく経って救急隊員が担架を運び入れて私を持ち上げて上に乗せた。
「えっと……」
「申し訳ない。彼女は本来意識を失っているはずで、痛みの度合いについても虚偽を働くようなので私が伝えよう。」
村雨医師は救急隊員に紙を見せて事情を説明し始めた。
「なるほど、痩せ我慢タイプか。あのね、本当のことを言わないと命に関わるからね。ダメだよ。痛いなら気絶していいから。」
救急隊員が苛立ったように嗜めたが、気絶は自分の意思で出来るものではない。
「少し痛いです。」
救急隊員と村雨医師は顔を見合わせると、私を無視して会話することを選んだようだ。
『えーPPマンション付近で事故が発生、向かえるか』
無線では自分より重症だと思われる緊急事態が流れてくる。
こんな腹痛程度で貴重なリソースを割いてしまって。
「……申し訳ないです。」
私なんか放り出して今直ぐ向かったほうがいいのに。
「マヌケ、罪悪感を抱く必要などない。」
ピリついた声が柔らかさを纏い、生ぬるい視線と目が合った。
「命には優先順位があるから……私は最後尾でいい。」
村雨医師はガタガタと揺れる車内で私に近づくと無理やり手で目を押さえつけた。
「……二度と知ったような口を利くな。」
、、、
「うわ……チョコレート嚢腫が腐ってる……よく意識あるよ……子宮切除するかも……あと数日遅れてたら大変な事になっていたよ。」
大学病院に着くなり緊急オペに回され、絶句した中年医師の声がする。
「そうですか、なら切除しちゃってください。」
場が静まり、機械音だけが響いた。
「同意書、書ける?……まず説明が読めないよね。」
「読めますし書けますよ。」
震える手でサインをすると激しい眠気に襲われる。
「頑張って……あ!村雨君、丁度いいところに」
会話を全て聞き取る前に瞼が自然と落ちていった。
、、、
「子宮切除……ごめんね。」
気が付くと中年医師が頭を下げていた。
「いえ、お気になさらず。命には代えられませんから。」
それよりも手術費用とか、あの村雨医師がタクシーで帰ったかの方が気になった。
「女性は子供が……」
定型文の憐れみを述べられても、気分はとても晴れやかだった。
「げー……大腸がん検診に引っかかった。はぁ……。」
あれから入院だのなんだのでゴタゴタして、いつの間にか5年近くあの胃腸科には行っていない。
「あの医者、居るかな。」
せっかくなので検診結果の確認をあの胃腸科で行うことにした。
正直顔も名前も覚えていないが『あの時助けていただいたお礼』として窓口に伝えるくらいはしたい。
なんだか態度の悪い医者だったな。
、、、
「で、潜血検査に引っかかったのか。」
久々にに訪れた胃腸科はリニューアルしていて昔の面影はなく、診察室に入るなり待ち構えていた医者は私を見るなりため息をついた。
「はい。」
あの時の医者かどうか、医者はみんな不機嫌そうだから分からないな。
「念のため検査の予約を取れ。何か聞きたいことはあるか。」
このタイミングなら言ってもいいよね。
「あの……数年前に救急車を呼んでくれたお医者さんがいて、どなたかは覚えていないんですがお礼を伝えたくて。まだ勤めていたら『命を救っていただきありがとうございました』とだけ……あ、受付にアンケートで書けばいいですね。すみません。」
目の前の医者に「その医師を探して礼を伝えてくれ」と言うのは流石に失礼だと思い留まった。
「……ずいぶん昔の話だな。2年9ヶ月前だろう。」
カルテに書いてあったのか。
「そうだったかもしれません。ちゃんとアンケートにその時のお医者さんにお礼を書きます。」
頭を下げると目の前に菓子の個包装が差し出された。
「……マヌケめ。少しは体を労ることを覚えたらどうだ。」
この医者も口が悪いだけで悪い医者じゃないのかもしれない。
「ありがとうございました。また宜しくお願いします。」
医者は鼻を鳴らし、口角を上げた。
「次回の診察までに頭の固さを緩めておけ。」