「よろしくお願いします。」
おかっぱの小ざっぱりしたツナギを着た男性が仰々しく頭を垂れた。
「この地域は万年過疎なので、別荘地として利用いただけるだけで助かります。」
珍しく余所……新しい人間が入ってきた。
この家は建築デザイナーをしていた者が土地売りに失敗して宅建持ちの自分に預けられ、持て余していたところだ。
ただでさえ擬洋風建築の異端な建屋として煙たがれていたからありがたい。
「大家さんは何方にお住まいなのでしょうか。」
不安気な顔をする男性に向かって指をさす。
「あの森を越えたところに平屋があります。何かあればお気軽にお尋ねください、雛形さん。」
雛形さんは指先を見たあと、辺りを見回した。
「あの……人に見られていませんか。」
なかなか敏いな。
「ああ、余所者が珍しいんですよ。石を投げられたりはしませんからご安心ください。あっても煙草のシケモクや生ゴミを入れられたり畜生の死骸を置かれるだけですよ。」
そう言って回覧板を渡す。
「回覧板ってヤツですか……ボクは誰に渡せばいいんでしょうか。」
彼は背が高く屈みながら顔を覗き指を唇に置いた。
鼻につくシンナーの匂い。
溶剤薬品関係か板金、塗装工、はたまた画家か。
「自分が回して自分が回収しに来ますから。簡潔ですね、それでは良いスローライフを。」
雛形さんは項垂れて手を軽く振った。
「はい。大家さん。」
、、、
「朝早くにスミマセン。」
玄関の硝子引き戸に男性の影が見えた。
「おはようございます。雛形さん。」
棒鍵を抜いて頭を下げると、彼は少し驚いたような顔をした。
実際に待機し、待ち受けていたのだから仕方ないか。
「ゴミ収集場にゴミを置いたのにボクのものだけがそのままになっていて……。」
戸を開けてカツンと下駄を鳴らした。
「なるほど。市役所に直談判に行かないといけませんね。雛形さんは自治会費を納めているんですから。」
雛形さんは頭を下げて自分の口元を指さした。
「黄色い……色水ですか?」
彼の爪を見るとコンテかパステルの欠片のようなものが詰まっている。
「はい。梔子です。」
そう言って庭にある梔子の木に駆け寄ると彼も同じように駆け寄り白い花弁に鼻を埋めた。
「いい香りだ……大家さんは染織をされるんですね。」
「まあ……そんな感じです。」
「大家さんは普段から……ボクみたいな人間の世話をしているんですか?」
軽トラの助手席で雛形さんが指で窓をなぞった。
「この集落は地主と地主の傘下と、それ以外に別れているだけです。市側は財政赤字から他所から人を入れるために空き家を使わせたいみたいなんですけど、それ以外の土地の管理を自分がしているんです。」
舗装されていない砂利道を走るたび小石が跳ねるパチパチという音がする。
「それ以外は……大家さんと他には……?」
ガタンと車体が揺れた。
「鬼籍に入ってる人と、今現在は雛形さんだけですね。」
雛形さんはその言葉を聞くと胸に手を置いて息を吐いた。
「良かった……他にも懇意にしている人が居るのかと……。」
バックミラー越しに目が合った。
一つ分かっていることがある。
彼は名ありの画家だ。
それを明かさないのは、こちらを信用していない印。
嫉妬や無理解をさけるために打ち明けないのか。
言ってもわからぬ愚か者と見做しているのか。
何れにせよ、腹に一物を抱えているのは間違いない。
「皆に親切な対応していた方が、後々の立ち回りが楽だからですね。」
、、、
「ありがとうございます。大家さん……丸一日も粘ってくださるとは……。」
市役所に当人と来てはみたものの内部では地主側が多数を占めているので日本の法より地域のルールが優先されてしまい、士業の自分が粘ってやっと「雛形さんから出た廃棄物の廃品回収を行う」と言質を取れた。
「まだ『余所者は自治会に入れない』とか言って……はあ。これからも何かありましたら遠慮なく言ってください。」
軽トラの運転席の扉を開けると腕を引かれた。
「あの……名前で呼んでもいいですか?ご迷惑なら……」
彼は目を伏せて力無く声を出す。
あれ?まだ名前を言っていなかったか?
「[[rb:崇拝山 > すいはいざん]] [[rb:尊 > たっと]]です。」
名刺を渡すと彼も名刺をスーツから取り出した。
「雛形 春人です。……画家をしています。」
汚れた上着を脱いでジャケットを羽織っているのだろう。
鎖骨にアクリルガッシュの飛沫が付いている。
「画家さんなんですね。いつか絵を見てみたいです。」
「オイ!雛形!!電話に出ろ!!」
黒塗りの高級車が雛形さんの家の前の共有道路に無断駐車しており、ヤクザがいて迷惑だというクレームを入れられて訪ねてみると、カラス銀行の行員が大声を出して戸を叩いている。
「すみません、なんの御用でしょうか。」
厳つい行員はこちらを見るなり怒鳴り声を上げた。
「アンタこそ誰なんだよ!!」
仕方なく頭を下げる。
「申し訳ありません。何ぶん近所迷惑になりますから門扉のなかに駐車してください。」
行員は苛ついた様子で片方が2mある門扉をギリギリとハの字に開けた。
「チッ……こんなド田舎に部屋を借りやがって……。」
地面を蹴ったあと、車を移動するために運転席に乗り込んだタイミングで擬洋風建築の戸が開いた。
「あ……土屋田さん……と、崇拝山さん。」
怠そうな顔をして作業服を油絵の具まみれにした雛形さんがぬらりと姿を表した。
「おはようございます、雛形さん。今度から行員に路駐はさせないでくださいね。」
とりあえずの挨拶を済ませてその場を後にしようとすると腕を掴まれて引っ張られる。
「……崇拝山さん、絵……みていかれませんか?」
仄暗い影に引き摺り込まれそうになるのを踏みとどまった。
「今日はお忙しいでしょうから、またの機会があれば。」
、、、
『崇拝山さん、お話したいことがあります』
メッセージカードが回覧板に挟んであった。
目線を上げるとタールのような黒くギラついた瞳と目が合い、覗き込んだ。
自分は可食できそうか?
「何でしょうか。」
そう尋ねると雛形さんは目を伏せて言葉を濁す。
「……デッサンモデルになって頂けませんか。」
普通ならめったにできない経験だ。
「自分なんかでよければ。いくらでも付き合いますよ。」
、、、
「すごいですね、雛形さんの絵。キュビズムですか……。」
邸宅内は彼の作品で埋め尽くされている。
油の乾き方と紙からして比較的最近のものだろう。
そして鉄と油の臭い。
「フォーヴィスムも取り入れていて……。」
言ったほうがいいのかな、専用の濾過槽と排水槽があること。
「自分は絵に詳しくなくて……デッサンモデルはポージングすればいいんでしょうか。」
案内された部屋には対面する椅子とイーゼルが鎮座しており、ステンドグラスから光が色を落としている。
「楽にしてください。自然体な崇拝山さんを描きたいので……。」
「おー……すごい。」
固くなった体をパキパキと鳴らしながらキャンパスを覗き込むともう下絵は描き終えているようだ。
「もしよければ……また明日も来てくださいますか?」
まあ暇だしな。
「はい。いいともー。……すみません。」
雛形さんは困惑したような笑みを浮かべた。
「尊さんってお茶目なんですね……あっ、すみません。崇拝山さん……馴れ馴れしかったですよね。」
彼は照れ臭そうな仕草をしてキッチンに向かった。
「……春人さんは初々しいですね。まだ慣れてないのか。」
、、、
「こうやって食事を囲むと……気恥ずかしいですね。……崇拝山さん。」
雛形さんは銀食器に乗った肉を切り分けて口に運んだ。
「尊でいいですよ。」
彼は目を細めて口角を上げた。
「ボクも春人と呼んでください。」
ワインを口に含むが、特に身体的な兆候は現れない。
なんで薬を盛らないんだ?
「あのー……この間の男性は画廊の人ですか?画家にも締め切りがあるんですね。」
するとフフッと笑い声が漏れ出した。
「尊さん……彼を『行員』と呼びましたよね。……なぜ今更素知らぬふりをしたんだ?土地に関わることですか?それとも別件ですか?」
カラス銀行には色々と地域のことで世話になったからな。
「土地の借地などで融資を……自分の平屋はもう保たないので……お恥ずかしい。」
雛形さんは口元を手で押さえて笑いを堪えている。
「スミマセン、そうですよね。田畑や空き家は税金が掛かるばかりでしょう……ご苦労されているんですね。」
銀のナイフに映る自分と目が合った。
「はい。生きるのは大変ですから。」
、、、
「では、脱いでくれるか。」
数回目のデッサン中に投げやりに言葉が放たれた。
「いいですけど。」
いそいそと服を脱ぎスッポンポンになって考える人のポージングをすると怪訝な声になる。
「……なぜ服を脱いだ。」
いや、脱げと言われたから。
「自分は裸婦ではない。なぜならば女とは『生物学的に子をなす器官を持つ』者だからだ。外観は女に近しくとも内部は女ではない。」
雛形さんはヒタヒタと近づいてきて顎を引いた。
「お前……オレを殺す気なのか?返り血を浴びてもいいように……いつからだ?この建屋には地下の座敷牢と井戸がある。」
「嫌だなぁ、余所者を殺すわけないでしょう。」
「雛形さん、見てください。これが秘密の温室……綺麗でしょう?咲く時期をコントロールしてるんです。」
彼は唖然としながら筆を握りしめた。
ヒスイカズラ、キングサリ、キョウチクトウ、エンジェルトランペット、ドクウツギ、シャクナゲが一面に咲き誇っている。
「……この地域だけ航空地図が鮮やかだった……花木をお前が管理しているのか。……崇拝山。」
そうだ、訂正しないと。
「渡した名刺、崇拝山になっていますが正しくは祟拝山です。尊のタットではなく、タタリでいいですよ。」
雛形さんは苦笑を浮かべて真っ白なキャンパスに色をつけた。
「……タタリ、今後オレが不在になることがあれば……後はお前に任せる。」
そんなことを言われても。
「雛形さんの殺人の片棒は担ぎませんからね。」
、、、
「雛形さんは『禁断の果実』と言えば何を思い浮かべますか?」
タタリは裸のままで、温室内を舞う薔薇の赤い花びらと梔子の白い花びらを踏みながら歩みを進めた。
「一般的にはリンゴだが……。」
鋭い薔薇の棘が彼女の腕の肉をえぐり出して出血をしている。
「自分は『イチジク』だと思っています。無花果……花のない果実。いや、花は内側についているので外観は無花に近しくとも内部は花である。……見てください。葉です。」
そう言って葉を陰部に当てて笑みを零した。
「『恥じらい』を得たアダムとイブ……か。」
タタリは雫状の果実をもぎると口に含み、顎から喉、鎖骨から乳房に果実の汁が滴っている。
「『原罪』など、知覚しなければいいのです。……一緒に食べましょう。春人さん。」