大人向け18禁SS。基本純愛で東視点。タイラズマ+サト(サポーター)
高校時代(半分くらいまで)は鬱な東が延々と内省する。大学に入って前向きになり平を攻略しようと飲み会したり、車デートに誘ったり、水着で海に誘ったりしながら、ようやく平と結ばれる話。あと困ったときはサトを呼ぶ。

■キャラ
東:過去の男性経験を自己嫌悪している平LOVEのへっぽこ娘。テクニシャン
平:童貞絶倫。東でオナニーしては自己嫌悪してる。案外東と似たもの同士
佐藤:超絶優秀なサトエモン。東が頼めばすぐなんとかしてくれる。

★プロット/展開/詳細描写/台詞は作者が書き、校正にAIのべりすとを利用/調教して書いています。
★本作はハーメルン/Pixivで公開しています。

作者:eronosuke
ハーメルン:https://syosetu.org/user/514099/
Pixiv:https://www.pixiv.net/users/125632702/novels


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タイラズマ ~東のモノローグ~

 

「私ばっかり不公平じゃない?」

 

夕暮れのホームで平と別れた直後の心臓は、痛いくらいに鼓動していた。

 

---

 

**東のモノローグ**

 

---

あぁ……また今日も何もできなかった。

 

(ふう……)

 

改札を出る足取りが鉛のように重い。駅前の商店街を通り過ぎながら、頭の中をぐるぐる巡るのは——

 

——平の顔。

 

目が合うと全身が火照るのに、声をかけられたら喉が詰まる。

彼の隣を歩けば背筋が伸びるのに、一人になると膝が震える。

 

(なんでこうなるんだろう……)

 

カフェの窓ガラスに映った自分は、化粧が崩れてる。いつの間に泣いたんだろう?

 

——あんなにたくさんの男と寝てきた私が、たった一人の反応に翻弄されてる。

 

(なんで平だけ……違うんだよ)

 

中学時代のデブだった頃を知ってても?

高校で必死に痩せた努力を知ってるから?

今カッコよくなった理由が私じゃなくても——それでも彼が好きで仕方ない。

 

(こんな気持ちは初めてだ)

 

別れ際のホーム。平の背中を見送る私の指先が冷たくなっていく。

彼が振り向いてくれる気がした。いや、ただの願望だ。

 

(神様は意地悪だよ……)

 

もし私がもっと早く平に出会えてたら? 中学のデブ時代だったら? 私はきっと笑い飛ばしたりなんかしなかった。

彼の努力を知ってたら……最初から守ってあげたのに。

 

(過去の自分を殴りたい)

 

ダメ男たちに流されて遊んでたあの頃の私。

今の私なら平を選んだ。絶対に。

 

「でも今さら言っても遅いよね……」

 

呟いた声が震えてる。駅前の信号待ちの横断歩道で立ち止まり、私は肩を抱くように俯いた。

 

——好きなのに触れられない。

——近づくほど怖くなる。

——彼を思うだけで息ができない。

 

(これが“愛”なんだろうか……)

 

いつも男の方から迫ってきたのに。追いかけたことなんてなかったのに。

追いかけた途端——逃げられる。

 

「平……バーカ……」

 

信号が青に変わる。足を踏み出したけど進めない。

スマホを開いてメッセージ欄をスクロールする。「東 紫乃」の名前が並ぶ画面の中で、一番上にあるのは——

 

[平]

 

一文字だけの宛先名。既読マークがつかない未読メッセージの数は増えていく。

 

(届いてよ……お願いだから……)

 

涙が零れる。乾いたアスファルトにぽつぽつと小さな丸い跡ができていく。

 

——あの時みたいに、不器用に笑ってよ。

——昔みたいに「ひひっ」と変な声で笑ってよ。

——そしたら私も笑えるのに。

 

(もう一度だけ……)

 

顔を上げた空には星が輝いている。

遠くから聞こえてくる夜風の音が耳鳴りみたいに響く。

 

——この想いは、届くかな……

——それともずっと届かないまま終わるんだろうか……

 

「ねぇ……神様……教えてよ」

 

胸を押さえてしゃがみ込んだ私は、小さく呟いた。

 

「私……どうすればいいの?」

 

この問いの答えを探すために——明日もまた学校へ行くのかもしれない。

そしてまた……彼を傷つけずに近づく方法を探してしまうんだろう。

 

(また泣いてる……)

 

だってこれは恋だ。初めての本当の恋。

逃げたくても逃げられない。

追いかけても追いつけない。

でも止められない。

 

「これが……“愛”なんだろうね」

 

涙を拭った手の甲は熱かった。

私は立ち上がり、再び歩き始めた。

 

——神様の意地悪は続くのかもしれない。

でもその意地悪こそが、私を強くしてる。

 

そう信じて……前に進むしかない。

 

(明日もきっと……)

(平に逢いたいって思っちゃう)

 

それが東 紫乃。

恋する私なのだ。

 

 

---

 

# 東のモノローグ

 

---

 

朝焼けが教室を茜色に染める頃。

3年1組の窓際で私は独り机に伏している。

 

(……もう嫌だ)

 

制服の袖がじっとりと汗で湿る。胸の奥がキリキリと痛む。

指が勝手にスカートの裾を握りしめる。

 

——同じクラスじゃなかった。

 

ただそれだけ。

だけどその「違い」が……私の世界を二つに割った。

 

---

 

**1年生の時:**

 

席替えのくじで隣になった日。

突然現れた茶髪の軽薄そうなヤツ。

(うわ……派手だなぁ)

内心引いたけれど、

 

『よろしく』

(……なんか見たことあるかも)

 

3日後に分かった。

アイツが中学時代の陰キャ・平だった。

私はあの太っていた平のことを、実は密かに見ていた。

(こんな風に痩せるなんて頑張ったんだね……)

 

恋はその時すでに始まっていた。

 

---

 

**2年生の時:**

 

毎朝、駅のホームで待つ。

「東?」って呼ばれるだけで心臓が跳ねる。

並んで歩く肩の位置が微妙に低いこと。

ふと見せる子供っぽい笑い声。

全部が全部……大切だった。

 

---

 

**そして3年生——。**

 

運命のクラス分け掲示板。

私の目は自分の名前より先に探した。

『平秀司』——そこにない名前。

 

(嘘だ……)

 

喉がカラカラになった。

担任の先生がHRで何か説明しているけど耳に入らない。

後ろの席のサト(佐藤)が心配そうに腕をつついた。

「大丈夫?」

私は無理やり笑った。

でも頬の筋肉が引きつってる。

 

---

 

放課後の廊下。

偶然聞こえてきた声。

 

『平くん、ノート貸してくれる?』(西さん)

『別にいいけど……』(平の声)

 

胸がざわついた。

壁一枚隔てた向こう側。

行こうと思えば行ける距離なのに……

足が動かない。

 

(なんで同じクラスじゃないの?)

 

恨むべきは神さまか?

それとも自分?

 

---

 

帰り道の夕陽。

いつもの川沿いの橋の上で立ち止まる。

 

(平に会いたい)

 

スマホを開く。トーク履歴を見つめる。

最新は昨日の「バイバイ」。

既読がついたまま返信はない。

 

(会いたい……)

 

送信ボタンを押しかけてやめた。

送ったら最後——また逃げる。

わかっているのに……何度も繰り返す。

 

---

 

鏡を覗いた。

目の下に隈。

唇がかさついている。

こんな醜い自分が信じられない。

 

(平はどうやって努力したのかな?)

 

思い出す。彼が語っていたジムのこと。食事制限のこと。失敗談のこと。

全部通学中に教えてくれたこと。

 

(どうして私は……平と同じようにできないの?)

 

恋のために死ぬほど努力する女の子。

そんなロマンティックなヒロインみたいになれたらよかった。

 

(だけど現実は)

 

メッセージひとつ送れない。

隣のクラスに行く勇気もない。

ただここに立ち尽くすだけ。

 

---

 

家に着いた瞬間、ベッドに倒れ込んだ。

 

(もう限界かも……)

 

枕に顔を埋めると涙が出た。

嗚咽が喉から漏れる。

 

(こんなはずじゃなかった)

 

東紫乃という女は、もっとクールだった。

男を振り回す余裕があって……

束縛なんかされなくて……

寂しさなんて感じなかった。

 

(なのに今は)

 

平だけを求めている。

平しか見えない。

他の男の存在なんかどうでもいい。

 

---

 

夜11時。

メッセージアプリを開く。

新規作成。

 

[会いたい]

 

送信ボタンに触れそうになる指。

震える。

戻る。

 

(明日になったら……)

 

きっと忘れている。

そう祈るように目を閉じた。

 

---

 

眠れない深夜。

天井を見つめながら考える。

 

もし平に初めて出会うのが今日なら——

もし私が中学に戻れたら——

もし時間が巻き戻せたら——

 

そんな「もしも」が頭の中をぐるぐる回る。

 

(全部ムダだ)

 

過去は変えられない。

平は変わってしまった。

私は変わってない。

 

---

 

朝。

目覚めると同時に気づく。

 

(また同じ一日が始まる)

 

3年1組と3年8組の境目に立つ。

渡り廊下を通り過ぎれば8組。

でも私はそこで立ち止まる。

 

(もう戻れない)

 

ドアの向こうに見える平の姿。

本田さんと話してる。

笑ってる。

 

(なぜ私じゃないの?)

 

窓ガラス越しに光が反射する。

自分の影が暗闇みたいに濃い。

 

---

 

昼休み。

屋上の手すりに肘をつく。

眼下に広がるグラウンド。

平の背中が遠くに見える。

 

(叫びたい)

 

全部ブチまけたい。

好きなんだって。

逃げないでほしいって。

 

(でも……)

 

平のトラウマが邪魔をする。

あの時の怯えた瞳。

拒絶される恐怖。

全部が怖い。

 

---

 

放課後。

図書室の隅っこで参考書を開く。

平が委員の仕事で来る確率が高い場所。

でも来ない。

来てくれたって話しかけられない。

 

(私は何してるんだろう)

 

指が文字列を滑っていく。

何も頭に入らない。

ただページをめくる音だけが虚しく響く。

 

---

 

夕暮れ。

帰り道でまた考える。

 

(明日こそは)

 

告白しよう。

たとえフラれたっていい。

このまま中途半端な日々が続くよりマシだ。

 

(だけど)

 

本当にそれでいいの?

今の関係が壊れちゃったら?

ずっと友達のままの方がよかったんじゃないか?

 

---

 

答えは出ないまま

街灯がつき始めた道を歩く。

夜風が冷たい。

 

(神さまは意地悪だ)

 

初恋がこんなに苦しいなんて教えないで

大人になったつもりの私に

本当の恋を突きつけてくる

 

---

 

マンションのエレベーターに乗った。

ガラスに映った自分の顔を見る。

(酷い顔……)

それでも目を逸らせない。

 

(でもまだ諦めたくない)

 

この思いを伝えるまで——

たとえ傷ついても

たとえフラれても

 

私は……

 

 

-----

 

 

鏡の中の自分が歪んで見える。

 

(なんで私……こんなに醜くなってるの?)

 

指が自分の頬を撫でる。

すべすべした肌。かつては自慢だった。

でも今は……ただの皮一枚。

 

(過去の私は……誰かを「憎い」なんて思うことなかった)

 

高校入学当初。

本田梨花子という名前を初めて聞いた時。

 

(え……天使?)

 

長い睫毛に切れ長の目。

豪奢な茶髪が肩で揺れる様。

通り過ぎた後に残る香り。

全てが完璧だった。

 

「アズ!本田さんってモデルみたいじゃん」

「めっちゃキレイね」

 

一緒に騒いだ鈴木、佐藤と三人で笑った日。

あの時の笑い声が耳に蘇る。

懐かしい……そして残酷な記憶。

 

---

 

(あの頃の私なら)

 

本田さんに憧れていたはず。

嫉妬なんて感情知らずに。

ただ純粋に「すごい」と思っていた。

 

(だけど今は)

 

その美しい横顔を見るたびに

心の奥が軋む音がする。

 

(どうして衛生委員なの?)

 

春のクラス替え後。

新しい委員決めの時。

本田さんの選択に耳を疑った。

 

『衛生委員に立候補します』

 

(どうして……)

 

偶然なのか。

それとも運命の悪戯か。

 

平と同じ衛生委員。

同じ時間に集まる二人。

放課後も職員室へ報告に行ったり

委員会室で話し合ったり……

 

(私よりも多く平に会ってる)

 

その事実だけで胃がねじれる。

 

---

 

廊下ですれ違う本田さん。

いつも通りのクールな佇まい。

微かに漂う甘い香水の匂い。

かつては「いい香り~」と笑ってたのに。

 

(今じゃ吐き気がする)

 

喉が詰まるような息苦しさ。

爪が掌に食い込むほど拳を握る。

 

(憎い……)

 

この感情はどこから来るの?

理由なんかない。

ただ、平の近くにいるというだけで

全てが許せなくなる。

 

---

 

放課後の教室。

窓際の席で日誌を書いてるふり。

窓の外には運動部の生徒たち。

でも私の視線は一点に釘付け。

 

(委員会室の方角……)

 

衛生委員会は月・水・金曜日の放課後。

今日は水曜日。

今頃二人は何してるんだろう?

どんな話をしているんだろう?

 

(私も入りたい)

 

空想の中でさえ惨め。

制服のリボンをぎゅっと掴む。

 

(八つ当たりだ)

 

本田さんは何も悪いことしてない。

ただ平と同じ委員になっただけ。

それだけなのに……

 

(どうしてこんな感情湧くの?)

 

自分でも信じられない。

こんなに狭量で嫉妬深い女だったなんて。

 

---

 

夜、スマホを眺める。

SNS上にアップされた画像。

本田さんが教室で本を読む姿。

背景には衛生委員の資料棚。

 

(あの位置は……)

 

委員会室で唯一日当たりのいい窓際。

平が座ってるだろう場所の真正面。

 

(偶然かな?)

(それとも……)

 

疑惑は芽生えた途端に成長する。

根拠などなくても毒は広がる。

 

---

 

布団に潜り込む。

目を閉じても浮かぶのは本田さんの姿。

長い指が紙をめくる仕草。

伏せた睫毛が頬に落とす影。

静かな声で発する意見。

 

(美人で賢くて優雅で……)

 

全てが完璧な女性像。

誰もが憧れる存在。

そして平が隣に並べば—完璧すぎる組み合わせ。

 

(負けた)

 

自嘲的な笑みが漏れる。

でも悔しさは止まらない。

涙が頬を伝う。

 

---

 

(こんなの私じゃない)

 

鏡の中の自分に向かって問いかける。

かつては自信に満ちていた東紫乃はどこへ?

今や嫉妬に歪む醜い少女。

 

(もし私が平と同じ委員だったら……)

(もし私が本田さんみたいな綺麗な子だったら……)

 

何度も繰り返した思考ゲーム。

でも答えはいつも同じ。

どちらにもなれない自分。

 

---

 

午前三時。

眠れないまま時計を見つめる。

耳鳴りがするほどの沈黙。

壁に貼ったポスターが滲む。

中学時代の東紫乃。

まだ何も知らない笑顔の自分。

 

(あの頃に戻りたい)

 

もちろん無理だと分かってる。

時間が巻き戻ることはない。

それでも願わずにはいられない。

 

(お願いだから……)

 

何も知らない自分に戻して。

この感情から解放して。

 

---

 

朝のホームルーム。

担任の話を聞きながら考える。

今日の衛生委員会はあるのか。

本田さんは出席するのか。

平はちゃんと仕事をしているのか。

 

(私だってできるよ)

(掃除当番も美化活動も)

(なのにどうして……)

 

隣の席の佐藤が話しかけてくる。

「ねぇアズ、今週末カフェ行かない?」

いつもの誘い。

でも今は答える余裕がない。

 

「ごめん……予定入っちゃって」

嘘をつく罪悪感。

 

---

 

授業中。

黒板に数式が書かれていく。

数学教師の声が遠く聞こえる。

ノートを開いたままペンを握る。

でも何も書けない。

 

(どうすればいいんだろう)

(この感情を消す方法は?)

 

先生が問題を投げかける。

「東さん、これ分かる?」

クラス中の視線が集中する。

恥ずかしいけど答えられない。

 

「ごめんなさい……分かりません」

小さな声で謝る私。

周囲から溜息が漏れる。

 

(もう無理かもしれない)

 

心の中で呟く。

このままでは学校にも行けなくなる。

東紫乃という女が崩れていく。

 

---

 

昼休み。

いつもの三人で食堂へ。

佐藤と鈴木の会話が耳に入る。 

「ねえねえ聞いた?本田さんの噂」

「またモデル事務所からスカウト?」

「そうそう。今度は海外ブランドからだって」

「すごすぎるよねー」

 

二人の楽しそうな笑い声。

でも私の口元は引き攣ったまま。

 

(知ってるよ……)

(全部知ってる)

 

本田さんがどれだけ特別な存在か。

平以外の多くの男子から告白されていることも。

でも断っていることも。

 

(でも理由は教えてくれないよね?)

(もしかして……平?)

 

疑惑が再燃する。

炎のように熱い嫉妬心。

 

「アズ?何かあったの?」

鈴木の心配そうな声。

気づいたら箸が止まっていた。

 

「ううん……何でもない」

無理やり微笑んでみせる。

でも内心は嵐のよう。

 

(ごめんね鈴木)

(こんな気持ち悟られたくない)

 

友人にさえ偽る自分。

どんどん最低な人間になっていく。

 

---

 

放課後。

足が勝手に委員会室へ向かう。

扉の前で立ち止まる。

中からは二人の話し声が聞こえる。

 

「……ここはこうなるんじゃないか」

平の低い声。

そして—

 

「そうだね。でももう少し詳細に……」

本田さんの柔らかい声。

 

(近い……)

 

二人の距離が想像できる。

机一つ挟んだだけの至近距離。

きっと互いの呼吸を感じながら……

 

(離れて……)

(もっと遠くに行って……)

 

心臓が爆発しそう。

手が震える。

それでも好奇心が勝る。

 

そっと扉を開ける。

僅かな隙間から中を覗く。

 

そこには—

 

長机に向かい合う二人。

本田さんが何かの書類を指さす。

平が頷きながらメモを取る。

 

(普通の光景……)

 

業務的な会話だけ。

特別な雰囲気なんてない。

それでも胸が痛む。

 

(これが日常なの?)

(毎日こんな風に過ごしてるの?)

 

本田さんが顔を上げる。

平と目が合う。

その瞬間—

 

彼女が微かに微笑む。

誰にも分からない程度の表情変化。

 

(見てしまった……)

 

平も一瞬だけ目を細める。

まるで秘密を共有するような笑み。

 

(もう限界かも)

 

その場から走り去る。

廊下を駆け抜ける。

誰かの驚いた声が追いかけてくる。

 

(知ってたはずなのに……)

(こんな気持ちになるって分かってたのに……)

 

涙が溢れ出す。

教室に戻って蹲る。

 

---

 

帰り道。

夕暮れの街路樹。

落ち葉を踏みながら歩く。

頭の中でエンドレスリピートされる映像。

 

二人の仕草。

微妙な視線の動き。

言葉にならない意思疎通。

 

(私は蚊帳の外)

(永遠に届かない存在)

 

スマホを取り出す。

平へのメッセージ画面を開く。

でも打つべき言葉がない。

 

(会いたい)

(今すぐ来てほしい)

(私を見て欲しい)

 

打ちかけては消す。

こんな独りよがりな願いを送れるわけない。

 

(卑怯者……)

 

自分で自分を責める。

直接会いに行けば済むこと。

なのに臆病すぎて動けない。

 

---

 

深夜零時過ぎ。

ベッドの上で膝を抱える。

明日になれば全て忘れる。

そう思い込もうとする。

 

(でも無理だよね)

(これから一生続くんだ)

 

朝が来ればまた嫉妬が始まる。

クラス替えのたびに傷つく日々。

そんな人生。

 

(もう嫌だ)

 

涙が枕を濡らす。

嗚咽が部屋に響く。

自分じゃなくなってしまいそうで怖い。

 

---

 

天井の模様が歪んで見える。

現実逃避したくなる。

でもできない。

 

(変わらなきゃ)

(このままじゃ壊れる)

 

決意を固める。

たとえ拒絶されても構わない。

本当の気持ちを伝えよう。

 

(でも何を言えばいい?)

(「好き」だけじゃ足りない)

 

この複雑な感情。

嫉妬と尊敬。

憧れと恐れ。

混ざり合った醜い真心。

 

---

 

突然ノックの音がする。

母が部屋に入ってくる。

「紫乃ちゃん……大丈夫?」

心配そうな顔。

答えられないまま涙だけが流れる。

 

「辛いことがあるなら言って」

母の温かい手が肩に触れる。

久しぶりに感じる安心感。

 

「ごめんなさい……」

小さく呟く。

でも何に対して謝ってるのか自分でも分からない。

 

(家族にも嘘ついてる)

(こんな歪んだ娘でごめんなさい)

 

布団に潜り込む。

母が静かに退室する音を聞く。

孤独感が倍増する。

 

---

 

目を閉じる。

次に目覚めた時には全てが夢になってたらいいのに。

でも現実は容赦ない。

朝陽がカーテンの隙間から差し込む。

 

(行くしかないよね)

 

重い体を起こす。

制服に袖を通す。

鏡の中の自分と対峙する。

 

(今日は戦うよ)

(自分のために)

(東紫乃のために)

 

扉を開ける。

新しい一日が始まる。

でもそれは昨日までの延長線上ではない。

 

(変わるんだ)

(必ず……)

 

朝焼けが眩しい。

足取りは重いけれど確かな意志を持って歩き出す。

 

今日が運命の分岐点となることを

まだ誰も知らないまま―

 

 

-----

 

 

鏡の前に立つ

制服のリボンを結びながら

自分の姿を眺める朝

今日もいつもと同じ作業

でも視線は昨晩とは違う意味を持つ

 

背中まで伸びたソバージュヘアが

朝陽に照らされてキラキラと輝く

金髪に近い茶色

中学時代から続けたカラー

これは私のアイデンティティーの一部

 

鏡に向かって微笑んでみる

引き締まった表情筋

頬骨のラインがやや高い鼻梁を支える

唇の厚さは一般的よりも少しだけ肉厚

 

「美人」「スタイル抜群」「モデル体型」

そんな評価は昔から聞いてきた

でも今はそれらが心に重くのしかかる

 

スマートフォンを開き

密かに保存していた一枚の写真を表示させる

先日の文化祭で撮影された

本田さんの姿を捉えたベストショット

 

正面から見た彼女の完璧な輪郭

緩く巻いた髪が肩にかかる角度

瞳に浮かぶ知性と穏やかさが共存する眼差し

 

(比べちゃいけないって分かってるのに……)

 

写真と鏡の中の自分を交互に見る

客観的には同じくらい美しいはずなのに

主観では明らかな違いを感じてしまう

 

背丈比較から始まる屈辱感の連鎖

 

まず最初に気づくのは身長差

私の身長は約163センチ

平均より少し高いレベル

 

本田さんは158センチ

私よりも5センチ低い計算

 

(背が高いのって本当に得なの?)

 

頭の中で数字を並べる

女の子らしく小柄で守られる存在

それが理想とするタイプなら?

逆に長身はマイナス?

 

(可愛いって思われるには……)

 

脳内で様々なシミュレーションが走る

平の隣に立つ自分

ハイヒールを履いて彼を見下ろすイメージ

 

(それって違和感あるよね?)

 

頭を左右に振る

そんな妄想を振り払おうとしても

すでに刻まれた不安は消えない

 

次に視線はバストラインへ移動する

 

Dカップの膨らみ

水着姿の私を褒め称える人々の記憶

確かに大きな胸は男性的な欲望を刺激する

 

(でも平はどう思うだろう……)

 

突然の疑問が湧き上がる

単に大きければいいわけではないはず

形や柔らかさなど細かい要素もある

 

それに—

本田さんの慎ましいがらも均整の取れたバスト

あの適度なボリュームこそが理想的ではないか?

 

(調節できるなら変えたい……)

 

コンプレックスという病魔が忍び寄る

胸が小さくなれば可愛く見える?

けれど急激な体型変化は不可能

 

次はウエストラインへ目をやる

モデルのような細さ

それは誇るべき特徴だったはず

 

けれど本田さんのグラマーな腰つき

健康的な丸みを帯びたライン

男女問わず魅力的に映るであろう曲線美

 

(くびれてる方が綺麗だと思ってたのに……)

 

認識の逆転現象

これまで信じてきた美学が揺らいでいく

男性的視点からの魅力基準を疑い始める

 

顔貌に視線を移す

二重まぶたに長い睫毛

高く整った鼻筋

艶のある唇

 

これら全てが私の武器

そう教えられてきた

 

(なのに本田さんの方が美しい)

 

自尊心という鎧が音を立てて崩れる

化粧なしの状態でも十分通用する造形美

それでもなお相手の方が上だと認めざるを得ない

 

ヘアケアとスタイリングに費やす時間

美容院代金

毎月の投資額も考えてみる

 

(お金かけたのに負けちゃうの?)

 

虚しい計算

成果主義者の敗北宣言

 

皮膚の透明感

本田さんの肌の白さと滑らかさは異次元

日焼け止めを塗り重ねた私も敵わない

 

(美白にこれ以上投資しても無駄?)

 

諦めに似た感情が広がる

どれだけ努力しても追いつけない現実

 

手の動き

私が知らぬ間に髪を弄る癖

対して本田さんの優雅な仕草

指先の使い方一つとっても洗練されている

 

(何が違うんだろう……)

 

育ちの良さ?

教養の違い?

それとも生まれ持った才能?

 

細胞レベルからの劣等感

 

部屋の中を徘徊しながら考える

どうすれば勝てる要素があるのか

一つでもいいから見つけたい

 

頭の中で勝率チャートを作る

項目ごとにポイントを付与してみる

 

☆ 身長:△(±0点)

☆ 胸囲:+1点(ただし好みにより減点)

☆ ウエスト:-1点(男性支持低下リスク)

☆ 肌質:-2点(そもそも素体で負け)

☆ 髪型:△(施術有無考慮で±0点)

☆ 笑顔:-1点(本田さんは自然な微笑み)

☆ 手足の長さ:+1点(モデル体型利点)

☆ 歩き方:+1点(練習した成果)

☆ 口調:-2点(キツい印象与える可能性)

☆ 全体的雰囲気:-3点(ギャップで負ける)

 

トータル計測結果:

11項目中 ▲6点 -9点 +3点 → 合計 -6点

 

(やっぱり負けてる……)

 

数値化することで余計に惨めになる

理論武装しても覆せない圧倒的差

 

膝から崩れ落ちるようにベッドに座る

スマホが床に落ちて画面が割れた音がする

 

「……何やってんだろ」

 

ふと我に返る独り言

誰に聞かせるでもない愚痴

でも確実に自分自身へ向けた攻撃

 

ベッドに突っ伏して泣きたくなる衝動

こんな些細なことで心を砕く自分が馬鹿みたい

 

涙腺が刺激されてくる

けれどここで泣いたら終わり

それ以上の闇に飲み込まれてしまいそう

 

「東 紫乃は強い女」

「そうでしょ?」

 

自分に言い聞かせるように呟く

かつての自信を取り戻す儀式のように

 

窓の外を見る

雲一つない青空が広がっている

こんな晴れやかな日に鬱々とするのも勿体ない

 

ベッドから勢いよく起き上がり

クローゼットを開く

普段あまり着ない淡い色のブラウスを取り出す

 

(せめて今日だけは……)

 

少しでも女の子らしさを演出しよう

いつもより丁寧に髪をセットして

薄めのファンデーションを乗せる

 

鏡の中の自分を見つめる

確かに本田さんと比べれば……

でもこれは今の私が出せる最大限の装い

 

最後に香水をつけようか迷う

だけど最終的には止める

今日は香りではなく気品で勝負すべきと判断

 

玄関で靴を選ぶ

ハイヒールを避けスニーカータイプに決定

身長差が出ないよう配慮する賢さ

 

手提げバッグに必要なものを入れる

ハンカチ

ティッシュ

携帯用の爪磨き

小さな香水瓶(使わない予定のもの)

 

部屋を出る直前

もう一度だけ振り返り鏡を見る

 

背丈も胸も変わらない

でも今朝とは違う眼差しを持つ私

ほんの少しだけ凛とした佇まい

 

「行ってきます」

 

玄関のドアを開ける音

背後の暗さを遮断する光

新しい一日の幕開けを告げる鐘の音がする

 

(大丈夫)

(今日こそ一歩前進できる気がする)

 

足取りは軽やかでなくても確かなもの

階段を一段ずつ確実に降りていく

外の世界は依然として輝いている

 

平に会ったら何と言おう

いつものように冗談混じりの挨拶か

それとも大人っぽく落ち着いた態度で

 

どちらでも構わない

大切なのは内面的な強さ

比較対象ではなく自分自身との戦い

 

(本田さんには感謝してる部分もある)

(おかげで成長できそうだから)

 

そう自分に言い聞かせながら

学校までの道のりを進む

風が髪を撫でてくれる

今日は気持ちのいい秋晴れの日だ

 

周囲を歩く人々

笑い声を上げる学生たち

忙しそうなスーツ姿の社会人たち

 

皆それぞれの物語を持っている

自分だけが特別なわけじゃない

この平凡な通学路の一コマに過ぎない

 

信号待ち

隣に立つ同年代の女子が目に入る

彼女は私と比べたら地味な容姿かもしれない

でも自信に満ちた表情をしている

 

(本当の美しさって何だろう……)

 

形而上学的な問いかけ

そんな哲学的な思考が巡る

外面的要素を超えた何かを探求したくなる

 

青信号に切り替わり

足を踏み出す瞬間

新たな決意が生まれる

 

これからは

自分の中にある良さを見つけていく旅

比較対象としてではなく一人の独立した人間として

 

(東 紫乃はまだまだ進化できる)

(いや)

(進化させなければならない)

 

胸に宿った決意の炎

どんな逆境も乗り越えていく覚悟

それは新たな自分の始まりを意味している

 

背筋を伸ばして歩いていく

空を見上げると雲がゆっくり流れていく

季節は秋へ向かいつつある

 

この先何が起こるかわからないけれど

少なくとも今日の私は昨日より逞しい

 

そして明日は今日よりも——

さらに輝きを増した自分になれるはずだ

東 紫乃の人生は続く

比較の中で揺らぎながらも

独自の軌跡を描いていく

それは時に苦しく時に喜びに

 

 

-----

 

 

夜。

カーテンの隙間から差し込む街灯の光。

スマホの画面だけがぼんやり浮かび上がっている。

東紫乃は枕に顔を押し付けていた。

息ができないほど深く沈む。

 

(まただ……)

 

頭の中でリフレインするのは昼間の出来事。

本田梨花子との接触。ほんの一瞬の視線交換。

そこに込められたメッセージを感じ取ってしまった。

"あなたには不釣り合いよ"

 

スマホが震える。

未読メッセージが溜まっている。

送信者欄には見覚えのある名前が並ぶ。

 

【元彼A】

「久しぶり!元気?」

【元セフレB】

「近況報告w」

【その他】

「今度飲もうぜ♡」

 

紫乃はそれらをスクロールして削除する。

既読にさえしない。ゴミ箱フォルダへ。

 

(もう関係ない)

 

かつてはこれが当たり前だった。

男たちの注目を集めるために自分を偽り、

表面的な魅力だけで繋がる関係。

快楽に溺れるふりをして心を閉ざしていた日々。

 

(どうしてこんなことになっちゃったんだろう)

 

ベッドの上で膝を抱える。

昔の自分はもっと計算高かった。

男の数を自慢することにプライドを持ち、

それでしか自分を保てなかった時期があった。

でも今の自分はどうだ?

平秀司のことになると……

 

窓の外から深夜ラジオの音が微かに聞こえる。

アナウンサーの柔らかい声が響く。

 

『次は花嫁の声をお届けします!』

 

(やめて……)

 

布団を被る。

逃れられない現実。

自分には似合わない純白のドレス。

祝福される新婦。

幸せそうな夫婦。

そのすべてが遠い世界の出来事のように感じる。

 

(なんでこんなに痛いんだろう)

 

胸が締め付けられる感覚。

喉の奥から何かが込み上げてくる。

でも涙は流れない。

流せる資格もない気がするから。

 

(私みたいな女が)

 

流されたまま生きてきた自分が恨めしい。

男の前で裸になることを何とも思わなかった日々。

拒否することを忘れた自分。

それが今になって大きな傷痕になっている。

 

(平)

 

心の中で何度も反芻する名前。

高校に入って急に背が伸びた彼。

不器用な笑い方。素直になれない性格。

過去を引きずって生きる少年。

そんな彼に惹かれていく自分。

 

(私みたいなのが近づいていいのかな)

 

自己嫌悪に苛まれる夜。

でも同時に湧き上がる欲望もある。

平の腕の中に飛び込みたい。

彼の初めてになりたい。

 

(でも私は……)

 

自分の手を見る。

これまでどれだけの男に触れられてきたか。

数え切れない記憶が蘇る。

それを洗い流す方法はない。

変えられるのは未来だけ。

 

(だったら)

 

紫乃は顔を上げる。

夜の闇の中でも瞳だけが燃えている。

 

(これからは違う)

 

決意を新たにする。

もう流されたりしない。

自分の意思で選択する人生。

そしていつか……

 

(平の隣に立てるような女に)

 

理想は高く。

今は到底届かない目標かもしれない。

でも歩き出さなければ何も始まらない。

 

スマートフォンを手に取る。

長い間放置していたメッセージアプリを開く。

そこには平からの短い文面が残されていた。

 

「テストどうだった?」

「今日の英語のプリント見せて欲しいんだけど」

 

スタンプも絵文字もない簡素な文章。

それでも紫乃の心臓は跳ねる。

 

(返事を書こう)

 

キーボードに指を置く。

一文字ずつ慎重に打ち込んでいく。

それはただのメッセージではない。

新たな自分への第一歩となる文章。

 

「うん。簡単だったよ!」

「プリントコピーして明日持って行くね」

「あと……」

 

指が止まる。

次の言葉に躊躇いが生じる。

でも進まなければ。

 

「もしよかったら今度一緒に勉強しない?」

「参考書買うの付き合ってほしいな」

 

送信ボタンを押す。

緊張で心拍数が上がる。

でももう後戻りはしない。

 

画面を見つめたまま待つ。

時間が永遠に感じられる。

数分後、バイブレーションと共に通知が来た。

 

「わかった」

「何時集合?」

 

シンプルな返答。

それだけでも嬉しさが込み上げてくる。

頬が緩んでしまうのを抑えられない。

 

(やった)

 

スマホを胸に抱きしめる。

小さな成功。大きな一歩。

今日から変わっていく自分。

過去の過ちは消せなくても、

新たなページを書き始めることはできる。

 

窓の外を見ると朝焼けが始まっている。

紫色から橙色へと変化していく空。

夜明け前が最も暗いと言ったのは誰だっただろう。

 

(今日も頑張ろう)

 

布団から這い出しカーテンを開ける。

新しい日の光が部屋に差し込む。

深呼吸して肺一杯に空気を吸い込む。

少し冷たい秋の風が気持ちいい。

 

(まずはシャワー浴びて……)

 

頭の中で今日の予定を整理する。

授業の準備。放課後の買い物。そして……

平との図書館デート。

 

(制服着る前に念入りにチェックしないと)

 

鏡の前に立ち姿勢を正す。

痩せすぎてはいないか?

髪型は清潔感あるか?

メイクは必要最低限で……

そんなことを確認しながらも

心の中は別の感情で満たされている。

 

(平に嫌われたくない)

 

不安と期待が入り混じる。

でも怖がっていては何も始まらない。

だから踏み出すしかない。

 

シャワールームの扉を開ける。

熱い湯気で全身を包みながら

紫乃は誓う。

 

(もう流されない)

(自分の意志で生きていく)

 

そしていつかきっと—

平の隣に堂々と立てる自分になる。

過去の傷痕は消えないけれど

未来に向かって進むことはできるから。

 

シャワーの音が静かに響く浴室の中で

東紫乃という少女は

新たな人生の第一章を書き始めたのであった。

 

 

 

-----

 

 

 

東紫乃は教室の窓際でペンを握りしめながら、まるで石像のように固まっていた。耳だけが異常に鋭敏に反応している。

 

「……東、ちょっといいか?」

 

振り返らずとも分かる声。背後から近づく足音。その瞬間、心臓が口から飛び出しそうになった。

 

「うん」

 

声が上擦らないよう必死に抑える。机の上のノートに集中しているふりをしながら、平静を装う。

 

「帰りだけどさ……」

 

平の言葉が途切れる。言いづらそうにしている様子が気配でわかる。

 

「なんか用事あったっけ?」

 

東はついに我慢できずに振り返った。そこには少し困ったような表情の平が立っていた。

 

「いや……その……」

 

目が合う。互いにすぐ逸らす。でも東の目は再び彼に戻る。彼のサラサラの茶髪。いつもより少し赤みを帯びた頬。

 

「もしよかったら……コンビニ寄って行かないか?」

 

その一言で世界が一瞬静止した気がした。

 

「え?」

 

あまりの驚きに反応が遅れる。平から誘われることなど滅多にない。ましてやコンビニの買い食いなど……

 

「いや、無理なら別に……」

 

慌てて撤回しようとする平。東は咄嗟に彼の袖を掴んだ。

 

「行く!行きたい!」

 

思わず大声が出てしまった。周囲の視線が一斉に集まる。慌てて手を離し、咳払いをする東。

 

「わかった。じゃあホームルーム終わった後に」

 

平は小さく頷くと自分の席へ戻っていく。その背中を見つめながら東は確信した。

 

(泣きそうだ)

 

どうしてこんな些細なことで胸がいっぱいになるのか自分でもわからない。でも間違いなく言えることは一つ。

 

(平が誘ってくれた)

 

これまでの人生で経験したことのない幸福感が溢れ出す。派手なオープンカーで迎えに来てた元彼たちの姿が脳裏に浮かぶ。確かにその時は大人っぽくて格好良かった。クラブで朝まで踊り明かした夜もあった。でも今となっては遠い過去の幻影。

 

(でも本当に欲しかったものは違った)

 

今の東にとって平の誘いほど貴重なものはない。彼の無防備な優しさ。不器用な思いやり。そのすべてが輝いて見える。

 

ホームルーム終了のチャイムが鳴る。

鞄を抱えて平の元へ向かう足取りが弾んでいるのが自分でもわかる。

 

「どこに行こうかな」

 

東はわざと明るく振舞おうとするが、内心は舞い上がり過ぎて言葉がうまく出てこない。そんな彼女の様子に平も少し戸惑っているようだ。

 

「近所のセブンでいいんじゃない?」

 

平の提案に東は大きく頷く。本当はどこだって構わない。彼と一緒にいられる場所なら。

 

校門を出てしばらく歩く。夕暮れ時の町並みが淡いオレンジ色に染まっている。二人の影が長く伸びていく。

 

「そういえば、数学の課題だけど……」

 

突然平が切り出した話題に東は困惑する。もっとロマンチックな展開を期待していたわけじゃないけれど……

 

「うん、難しいよね」

 

平静を装いながら返答する東。でも実は内心では喜んでいる。勉強の話でもなんでもいい。平と会話できるだけで幸せなのだ。

 

セブンイレブンの入口で立ち止まる二人。自動ドアが開くと同時に店内の灯りが彼らを迎え入れる。

 

「何食べる?」

 

東が尋ねると平は少し考えてから言った。

 

「新発売の焼き鳥串かな」

 

思わず吹き出しそうになる東。女の子と二人で焼き鳥なんて平らしい選び方だと微笑ましくなる。

 

「私も同じもの食べようかな」

 

棚から二本取る東。そのままレジへ向かおうとする彼女を平が制止する。

 

「俺が払うよ」

 

意外な申し出に東は一瞬固まる。でもすぐに理解した。これが平なりの精一杯の優しさなのだ。

 

「ありがとう」

 

お礼を言いながらも心の中で叫んでいた。

(こんなの、逆にドキドキするじゃん!)

 

店を出て公園のベンチに向かう二人。沈みかけた夕陽が空を紅く染めている。焼き鳥のパッケージを開ける音が妙に大きく聞こえる。

 

「おいしい」

 

一口食べてそう呟く東。でも味よりも目の前で焼き鳥にかぶりつく平の姿に見入ってしまう。サラサラの茶髪が夕陽に照らされてキラキラしている。

 

(きれい)

 

男の子に使う形容詞じゃないかもしれないけど、それでもそう思った。

 

「なぁ」

 

不意に平が口を開いた。

東の鼓動が速くなる。

 

「なんか最近、変わったな」

 

核心を突かれて息を飲む東。

確かに変わった。変わりたくて必死で努力している。

 

「そうかな?」

 

誤魔化そうとするが、平は真剣な眼差しで東を見つめていた。

 

「うん。前より明るくなったっていうか……」

 

その言葉に東の目に涙が滲む。

これまでの努力が報われた気がした。

派手な恋愛よりも

本当の自分を受け入れてくれる存在に出会えたことが何より嬉しい。

 

 

-----

 

 

公園のベンチで焼き鳥を食べ終えた帰り道。

街灯が点々と灯る夜道を肩を並べて歩く。

けれど二人の間には微妙な距離があった。

 

(近いようで遠い)

 

東紫乃は靴の先を見つめながら歩いていた。

以前の自分なら、こんな時こそ冗談を飛ばしたり

無邪気に腕にぶら下がったりできたのに。

今の東にはそれができない。

 

(平と一緒にいると別人みたい)

 

かつての東は明るく社交的だった。

誰とでも気軽に話せる自信があった。

失敗してもすぐに笑い飛ばせるポジティブさが取り柄だった。

 

(でも今は違う)

 

平の前では急に臆病になる。

言葉を選ぶようになった。

目を合わせることが怖くなった。

 

(なんでこんなふうになっちゃったの?)

 

隣を歩く平の横顔を盗み見る。

サラサラの茶髪が夜風に揺れている。

真っ直ぐな鼻筋。薄い唇。

見慣れたはずの横顔なのに……

見ているだけで胸が締め付けられる。

 

(キレイすぎる)

 

男の子に使う表現ではないと思いつつも

そう感じてしまう自分に戸惑う。

 

前方を歩いていた平が振り返った。

「どうした?」

「ううん、なんでもない」

慌てて目を逸らす東。

顔が火照るのが自分でも分かる。

 

(変に思われたかな)

 

俯いたまま歩を速める。

平との歩調が合わなくなる。

このままではどんどん距離が開いてしまうのに……

 

「東?」

 

平の声が近くで聞こえた。

振り返ると彼の顔が思ったより近くにあった。

急に見つめられることになり……

「ひゃっ」

 

思わず身を引いてしまう東。

我ながら情けなくて涙が出そうになる。

 

(なんでこんなにダメなんだろう)

 

昔の自分なら「こんなことないってば!」とか

適当な冗談でごまかせたはず。

でも今は平の前では別人のように恥ずかしくなる。

 

(変わってほしいのに……変えられずにいる)

 

コンビニから我が家までの道のりが異様に長い。

平と歩く時間は宝物のようなのに

なぜか心が苦しい。

 

「あのさ」

 

唐突に平が話し始めた。

「いつもありがとな」

 

不意打ちの言葉に足が止まる。

「何が?」

「東と一緒にいるの楽しいから」

さらりと言ってくれるその言葉に

東の瞳から何かがこぼれそうになる。

 

(やっぱりズルい)

 

こういうところが好きなのだ。

変に飾らない言葉。

不器用だけど誠実な態度。

全部が東の心を捕らえて離さない。

 

「私も……」

 

言いかけて躊躇する。

自分の気持ちをどう表現すればいいのか。

ストレートに好きだと伝えたら壊れそうで怖い。 

 

(でも明日も一緒に居たい)

 

その気持ちだけは確かだ。

だから東は勇気を振り絞って言う。

「明日も一緒に帰ろうね」

 

平の目が少しだけ丸くなった。

そして小さく頷く。

「うん」

 

小さな約束が胸に灯る。

東紫乃のポジティブさはまだ死んでいない。

ただ表現方法が変わっただけだ。

 

(ゆっくりでいい)

(焦らなくていい)

 

平の横顔を見る余裕さえあれば

いつか正面から見つめ合える日が来る。

今はまだ遠いかもしれないけど

(明日はもう少し前を向けそう)

 

 

-----

 

 

卒業まであとわずか。

教室の窓から見える桜の蕾が膨らみ始めている。

東紫乃はその光景を眺めながら深く溜息をついた。

 

(時間が足りない)

 

机の上には参考書が広げられている。

図書館での勉強会から戻ってきたばかりだ。

今日も誘ったのは東の方だった。

 

「勉強教えてほしいんだけど」

 

毎回同じ台詞で平を誘う。

断られたことは一度もない。

でもそれはただの習慣のようなもので

特別な関心を持ってもらっている証拠ではない。

 

(私ばっかり……)

 

カバンからスマートフォンを取り出す。

待ち受け画面には二人で撮った写真。

卒業旅行で訪れた水族館での一枚だ。

平は少し照れくさそうに笑っている。

 

(たまにはあなたから誘って)

 

願望が声に出そうになる。

喉の奥に押し込めた言葉が苦い。

東は写真をそっと閉じる。

 

「どうした?」

 

突然背後から声がかかった。

驚いて振り返ると平が立っていた。

「今日は早く帰るんじゃないの?」

「ああ……うん。ちょっと忘れ物」

 

言い訳がましい台詞が漏れる。

本当は平の帰り際を見送りたくて

残っていたなんて言えるはずもない。

 

(どうしてこうなっちゃったの?)

 

中学生の頃はもっと自然に接せていた。

平がどんな性格なのかちゃんと分かっていた。

でも再会してからは全部が違って見える。

 

「あのさ」

不意に平が口を開いた。

「東ってどこの大学に行くの?」

心臓が跳ねる。

「T大志望」

当たり障りのない回答。地元の大学。

「そうなんだ。俺はH大学」

遠いな。予想外の返事に思わず顔を上げる

「すごいね。偏差値高いじゃん」

平静を装いながら言う。

「まあね。でも遠くに住みたかったから」

 

最後の一言が鋭いナイフのように刺さる。

東の心に暗い影が落ちた。

 

(やっぱり地方に行くつもりなんだ)

 

地元を離れたいという平の希望は知っている。

新しい世界で自分を試したいという夢も理解している。

でもそれはつまり……

 

(私を置いていくつもり?)

 

喉の奥に熱い塊が詰まる。

平にとって東紫乃は単なるクラスメイト以上の存在ではない。

その事実が痛いほど突き刺さる。

 

(せめて言いたい)

(一緒の大学に行こうって)

(同じ街に住もうって)

 

言葉が喉元まで来ているのに

声にならない。

言って拒絶されるのが怖い。

今の関係が壊れるのが怖い。

 

(でも……)

 

窓の外を見ると放課後のグラウンド。

どこか懐かしい光景が目に映る。

ここで過ごした三年間があと数ヶ月で終わる。

 

(だったら……)

 

決意が静かに芽生える。 

明日もまた勉強に誘おう。

口実なんかどうでもいい。

ただ一緒に居たいから。

 

(卒業まではまだ時間がある)

(あなたが私の気持ちに気づかなくてもいい)

 

大切なのは今この瞬間。

一分一秒を噛みしめるように生きるしかない。

 

「平」

突然声をかける東。

「次の休みも勉強付き合ってね」

できる限り普通の声音で言った。

「ああ、いいよ」

 

平の表情に変化はない。

それでも東にとっては大きな一歩だ。

 

(これが私の選んだ道)

(卒業までのあと数ヶ月を)

(一瞬たりとも無駄にしたくない)

 

東紫乃は立ち上がり窓辺に立った。

春の風が頬を撫でる。

少しずつ開いていく蕾を見て思う。

(次はきっと違う言葉で話せますように)

 

 

-----

 

 

**東のモノローグ**

 

卒業式の朝、鏡に映る制服姿の自分を見つめる。胸の内ポケットには平に渡そうと思っていた小さな手紙。何度も書き直しては丸めた便箋の破片がゴミ箱から溢れそうだった。

 

(今日こそ……)

 

そう思い続けて三年最後の日を迎えたのに、結局手紙は渡せなかったし、告白もできなかった。平の姿を、ただ見つめることしかできなかった。

 

---

 

卒業式後の教室は別れを惜しむ生徒たちで賑わっていた。私は廊下で待っていた。

 

「平」

 

名前を呼ぶ声が震えている。振り返った彼の表情に一瞬の困惑が浮かび、すぐにいつもの無愛想な顔に戻った。

 

「東……」

 

「これ、記念に」

 

そう言って手渡したのはアルバムの一部。平くんとのツーショット写真が貼ってあるページだ。本当はもっと言いたいことがあったのに、喉が詰まって声が出ない。

 

「サンキュ」

 

短い返事だけが返ってきて、彼は教室へと戻っていった。

 

---

 

学校を後にしようと玄関を出たところで、突然腕を掴まれた。

 

「東!」

 

振り返ると平が立っていた。珍しく真っ直ぐな眼差しが私を捉えている。

 

「ずっと……ありがとう」

 

一度聞いた言葉だけど、今ここで? 心臓が大きく跳ねる。

 

(どういう意味?)

 

頭の中で混乱が渦巻く。何回聞いても平からの感謝の言葉は嬉しいけれど、それ以上のものは感じられない。胸の奥に重たい石が沈んでいく感覚。

 

「それって……」

 

言いかけた瞬間、

 

「卒業してもまた会えたりする?」

 

全身の血が沸騰するようだった。気づけばまた頬を涙が伝っていた。

 

「なんでまた泣いてんの?」

 

平の声が遠くに聞こえる。彼の前で何度もこんな姿を見せてしまった恥ずかしさと喜びが入り混じる。

 

(違うんだよ……ずっと好きだったって言いたかったのに)

 

---

 

大学生活が始まって一ヶ月が過ぎた。東京での新生活は思った以上に忙しい。でもSNSやLINEでの平とのやり取りが増えた。最初は私が一方的にメッセージを送るのが常だったのに、最近では平からも積極的に連絡が来るようになった。

 

夜九時。アパートのベッドに寝転がりながらスマホを操作していると、「お疲れ」とだけ短いメッセージが届く。心が温かくなる瞬間。

 

(少しずつだけど……確実に近づいている)

 

これまでの東紫乃なら自分からアピールしていたかもしれない。でも今は違う。平から好意を持ってもらうために自分を磨く。大学の講義にも熱心に取り組み、サークル活動も始めた。体型管理も怠らない。すべては平の目に留まるため。

 

(もう二度と告白もなく付き合っては別れての繰り返しはしない)

 

過去の恋愛パターンに終止符を打つ時が来たのだ。今度は自分からではなく、相手から告白してもらえるような女性になりたい。平にとって特別な存在でありたい。

 

窓の外を見上げると満月が輝いている。都会の喧騒の中でも星は確かにそこにある。私と平の関係も少しずつ形を変えている。

 

(どこまでも待てる……)

 

枕元に置いた平との思い出の品々を眺めながら、静かに誓う。焦らず急がず、ただ誠実に。いつか彼から「好きだ」と言われる日まで、全力で自分を磨き続ける。

 

---

 

**翌日の朝**

SNSをチェックすると平からのコメントが添えられていた。

「昨夜の月、綺麗だったな」

 

たった一行の言葉なのに、心臓が強く鼓動する。指先が震えながらも「本当に綺麗だったよね」と返信する。

 

既読マークがつくまでの時間が永遠のように感じる。そして——

 

「いつか一緒に見に行こう」

 

画面に表示された言葉に息を呑む。これはデートの誘いだろうか?胸の中に広がる甘酸っぱい期待。答えはすぐにはわからない。でも確かなことは一つある。

 

(少しずつ……確実に前に進んでいる)

 

カーテンを開けて朝陽を浴びる。今日も一日がんばろうと思える。平との未来のために。

---

 

 

 

**東のモノローグ**

 

美容院の椅子に座ってカットクロスを掛けられた時から鼓動が速かった。鏡に映る私の表情は緊張と期待が入り混じっていて、美容師さんに少し微笑まれたほどだ。

 

「これくらいでいかがですか?」

 

散髪用のハサミが髪を断ち切る音が響く。長かった髪が床に落ちていく様子は、まるで過去の自分と決別する儀式のようだった。二十年近く伸ばし続けた髪を肩のラインで切り落とすというのは思っていた以上に大胆な決断だった。美容師さんが仕上げのブローを終えると、そこには見慣れない私がいた。

 

「素敵です!イメチェン成功ですね」

 

鏡越しに見る自分は少し幼く見えるけれど、清潔感があって新鮮だ。これも新たな自分への一歩だと思う。

 

---

 

運転免許センターから受け取ったばかりの免許証をバッグにしまいながら考える。

平との最初のデートはどこにしようか。助手席に乗せる時はどんな顔をするだろう?

 

(高校の時から変わった自分を見せつけたい)

 

あの頃の私はいつも受身だった。告白されれば付き合う。フラれれば次を探す。恋愛は遊びの延長線上にあるものだと勘違いしていた時期もある。でも平に出会ってから変わった。初めて本気で好きになった人だからこそ慎重になる。

 

---

 

実技テスト前日、教習所のシミュレーターで練習していた時のことを思い出す。

信号待ちで止まっていた時、ふとスマートフォンの通知音が鳴った。画面には「平秀司」の文字。

『明日試験なんだろ?合格祈願』

 

たった一文だけど心が温かくなった。慌てて返事を打ち返す。

『ありがとう!絶対に受かるから見ててね!』

即座に既読マークが付いた。珍しく早い返信に驚きながらも嬉しさがこみ上げてくる。

 

(応援してくれる人がいるって幸せだな)

 

---

 

教習所を卒業してからも毎週土曜日は平とのオンラインゲーム大会が恒例となった。お互い忙しくても必ずこの時間だけは確保している。

スピーカーから彼の声が聞こえてくる。

 

「東、今日調子いいな」

「そりゃあ毎日特訓してるからね!」

「俺も負けてられないな」

冗談交じりの会話だけど、その声色には優しさが滲んでいる気がする。

 

ゲーム画面を見つめながら思う。

もし私が初めて運転する車で夜景ドライブに誘ったらどんな反応をするだろう?

バックグラウンドでは私たちの思い出の曲が流れている。高校時代、平から教えてもらったバンドの音楽。

 

---

深夜零時を過ぎた静かな部屋で一人窓辺に佇む。

街灯に照らされた道路を眺めながら夢想する。

 

「平!見てここすごい綺麗じゃない?」

 

助手席で微笑む彼の横顔を想像しながら笑みがこぼれる。そんな日が訪れることを信じて。

 

(まだまだ恋愛初心者だけど……)

(でもきっと素敵な二人になれるはずだから)

 

スマホを取り出しロック画面を確認する。平とのメッセージ履歴が表示される。最新のやり取りは昨日の夜だ。

『今度一緒に海行かない?』

その返事はまだ来ていないけど……きっと大丈夫だと思う。

 

鏡に映る新しい自分と向き合いながら決意を新たにする。

もう流されるだけの恋愛はしない。自分の意思で前へ進む。それが今の私の目標だから。

明日から始まる新しい学期に向けて準備を整えると同時に、胸の中で小さな灯火のような想いを抱いて眠りにつく。

 

---

週末の午後三時。

春風が心地よい公園のベンチで一人アイスコーヒーを飲んでいる時のことだ。

偶然通りかかった平がこちらに気づき手を振った。

「偶然だな」

そう言いながら隣に座る彼を見てドキリとする。

少し大人っぽくなった顔立ちと落ち着いた雰囲気に惹かれながらも平静を装う。

「実はね……私免許取れたんだ!」

「おお!おめでとう」

自然な笑顔を見せてくれたその瞬間、勇気を出して口に出す。

「今度一緒にドライブでもしない?景色いい場所探しておくよ?」

言葉に詰まりそうな喉から絞り出すような提案だった。

 

少しの沈黙の後—

「オッケー、行こうぜ」

簡潔ながらも力強い返事が返ってきた瞬間、世界が明るく開けたように感じた。

 

---

帰り道、夕焼け空を見上げながら思い巡らせる。

この春から始まる新しい関係。まだ恋愛初期の段階かもしれない。それでも確かな進歩だ。

 

車内で流れるあのバンドの音楽を耳にしながら夜景を見る自分たちの姿を想像するだけで胸が躍る。

 

(これからたくさんの時間を共に過ごせるといいな)

 

そう願いながら夜風に吹かれる髪を感じつつ歩みを進める。

これからの季節もずっと彼と一緒に—。

その思いが支えとなり足取りも軽くなっていくようだった。

 

 

-----

 

 

**東のモノローグ**

 

冷蔵庫から取り出した缶ビールのプルトップを開ける音が妙に響く。もう何本目だろう。目の前のテーブルには空き缶が並んでいる。でも今日はまだ足りない。酔わなきゃ言えないことがあるから。

 

「平、ビールもう一本もらっていい?」

「いいけど、あんまり飲みすぎるなよ」

彼はいつも心配そうに言う。でも止めるつもりはないみたい。

 

私は缶を受け取りながら小さく頷く。その動きさえ少しふらつく。アルコールが脳を麻痺させていく感覚。これが私の武器。

 

---

 

初めて彼の部屋に呼ばれたのは去年の冬だった。それから二人きりの飲み会は何度も開催されている。お互い別の友達とは飲まないのに。この特別な関係が何かと問われれば—わからない。でも何かがあるのは確かだ。

 

壁に掛けられた時計が深夜0時を指している。テレビはBGM代わりに深夜番組を流している。二人だけの空間。

 

「最近大学どう?」

「まぁまぁかな。東はどうなんだ?」

「私も普通かな。でも平の話を聞くのは楽しいよ」

 

こんな会話が延々と続く。恋愛トークはほとんどなし。お互い踏み込まない暗黙の了解があるように思える。

 

---

 

ふと目に入ったのは棚に置かれた写真立て。高校時代の私たちが映っている。まだ互いの気持ちを知らなかった頃の記憶。今見れば初々しいけど懐かしい。

 

「ねぇ平」

「ん?」

「あの頃に戻りたいと思うことある?」

「どうかな……今のほうが充実してるかもな」

彼は淡々と言うけど、目線が逸れている。嘘つき。

 

私は深呼吸して続けた。

「私は戻りたくないな。だって……今が最高だから」

 

彼の顔が少し赤くなるのが見えた。それはアルコールのせい?それとも……

 

---

 

理性が崩れかけているのを感じる。ここで踏み込めば何か変わるかもしれない。でも失敗すればこの心地よい関係すら壊してしまうかもしれない。

 

勇気を振り絞って言った。

「ねぇ平……」

「なんだ?」

「今日飲みすぎちゃった……帰りたくないな」

 

言ってしまった。全身の血流が速まる感覚。彼は一瞬固まったあとゆっくりと私を見つめた。

 

「……泊まっていけばいいんじゃない?」

 

そのシンプルな返答に安堵と興奮が交錯する。彼は本当に何も考えていないのか?それとも……?

 

夜が更けていく中で、二人の間に漂う緊張感は増していく。ただ一つ確かなのは、今宵の出来事が私たちの関係を変えてしまう予感だけ。

 

(神様お願い)

(今夜こそ勇気をください)

 

心の中で何度も繰り返しながら彼の言葉の続きを待つ。その瞬間まで酔いは醒めなかった。

 

---

 

東は自宅に向かって歩いていた。夜風が火照った頬を撫でて心地よい。でも頭の中ではさっきの出来事がグルグルと回っている。

 

「ねぇ平……今日飲みすぎちゃった……帰りたくないな」

言った自分自身が信じられない。酔っぱらっていたとはいえ大胆すぎたかもしれない。

 

返ってきた平の言葉が忘れられない。

「……泊まっていけばいいんじゃない?」

簡潔だけど何故か胸に刺さった。

 

マンションの廊下を歩きながら思わず足を止めてしまう。振り返って彼の住む部屋の方角を見やる。明かりは消えていた。

 

(あれって誘ってるってことだよね……?)

 

疑念が膨らんでいく。友達として許容範囲なのか?それとも……

 

鍵を差し込んで部屋に入るなりベッドに倒れ込んだ。布団に包まりながら天井を見つめる。明日からどんな顔をして会えばいいんだろう?

 

スマートフォンを手に取りメッセージアプリを開く。

『今日はありがとう。またね!』

送信ボタンを押したあとしばらく放心状態だった。すぐに返信が来た。

『こちらこそ。気をつけて帰れよ』

短いやりとりなのに胸が熱くなる。

 

枕に顔を埋めながら考える。酔っていたとはいえ後悔はしていない。むしろ進展への一歩だったのではないかと期待している自分に気づく。

 

(明日からどんな顔すればいいんだろ)

 

不安半分、期待半分の夜は長い。瞼を閉じれば浮かぶのは彼の横顔と照れ臭そうな笑みだけだった。

 

 

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**東のモノローグ**

 

大学生活は思った以上に自由で楽しい。地元の大学を選んだのは間違いなかった。実家からだと深夜バスにも乗らなくて済むし、何より家族の理解がある。でも時々思う。もし平と同じ大学に行っていたら……なんてね。

 

金曜の夜が待ち遠しい。今日はサトのお泊まり相談会兼自宅飲み会だ。駅まで迎えに行く途中もワクワクが止まらない。

 

「アズー!お疲れ〜!」

改札口で手を振るサトの姿を見つけて嬉しくなる。

 

---

 

スーパーで買い物を済ませてサトのアパートへ。学生向けのワンルームだけど小綺麗に片付いているのが彼女らしい。

 

「さて、今日はどんな相談なの?」

ビールを開けながらサトが訊いてくる。いつものパターンだ。

 

「平のことなんだけど……」

話し始めると止まらなくなる。高校時代から変わらない彼の魅力と謎めいた態度について語るうちに熱が入ってくる。

 

サトは静かに聞きながら時折相槌を打つ。恋愛オンチなはずの彼女だけど、なぜか私の気持ちを全部理解してくれている気がする。

 

「それで?最近どうなの?」

「うーん、進展なし。でも前より距離は縮まったかも」

 

ビールが3本目に突入したところで決意した。平に言う前にサトで試してみよう。

 

深呼吸して声のトーンを落とす。

「サト……飲み過ぎちゃった。帰りたくないな」

 

言った瞬間顔が熱くなる。鏡を見なくてもわかるほど紅潮しているはず。

 

サトは驚いたように瞬きしてから吹き出すように笑った。

「おいおい、急にどうしたの?ここ私の部屋だし!」

 

恥ずかしさで机に突っ伏しそうになったけど耐えた。

「いや違うの。これは平に使うための練習っていうか……」

言い訳を続ける私を見てサトはさらに笑う。

 

---

 

夜が更けるにつれて話題は変化する。恋愛はともかく友達としての時間が心地良い。

 

「アズってさぁ」

突然真剣な眼差しで言われてドキッとする。

「もっと素直になればいいのに。平も待ってるかもよ?」

 

核心を突かれて言葉に詰まる。確かに私は臆病すぎる。でもこれくらいの距離感がちょうどいいんじゃないかとも思う。

 

窓の外では街灯がぼんやり輝いている。この景色を眺めながらいつか平とこんな時間を過ごせる日が来るんだろうか?

 

「サト……ありがとね」

素直にお礼を言えた自分が少し誇らしい。

「何が?」

「わかってるくせに。相談に乗ってくれてることとか……」

 

---

 

酔いが回ってきた頃合いを見計らって再チャレンジ。

「サト……やっぱり飲み過ぎちゃった。本当に帰りたくないくらい楽しかったよ」

 

今度は冗談っぽく言えた気がする。サトも笑顔で答える。

「私もー!もう朝まで付き合ってもらおうかな?」

 

そうして夜は更けていった。結局本命には言えずに終わるかもしれないけど、こういう練習も大切なんだと思う。

そして誓った。次に平と二人きりになったときこそ本物の"帰りたくない"を伝えようと。

 

 

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## 東のモノローグ

 

高校二年の修学旅行を思い出す。夜の女子部屋。鈴木が布団に潜り込んで小声で言った言葉。「アズぅ……アタシ、谷くんともっと進展したい。せめてチュウしたい。どうしたらいいと思う?」

 

あの時の私は確かに冷めていた。男子と寝た数を自慢するタイプだったから、「進展=セックス」だと即断していたのだ。だから返した言葉は軽薄そのもの。「鈴木ってばそんな初々しい!押し倒しちゃえば一発だよ」と。

 

今振り返ると酷い。鈴木が真剣だったことすら理解していなかった。あれが彼女の初恋の切なる願いだったなんて。鈴木の純粋さを笑いながら、私自身は何もわかっていなかった。そういう女だった。

 

二十歳を超えた。大学生二年にもなった。それがどうだ? 鈴木より遙かに遅れて恋に目覚めた私が、未だ手を繋げず悶々としている。つい先日も夜のコンビニ前で平と別れる瞬間、「今日も終わりか」って胸が痛かった。そんな自分が滑稽でならない。

 

でもね、自信はあるの。確信しているんだ。

 

---

 

あの人の掌で触れられたら。きっと肌が灼けるように疼くだろう。

 

指と指を絡めた途端――ああ想像しただけで喉が干上がる――世界が反転するほどの衝撃で息ができなくなる。今まで何度も掴んだ男の手とは違う。これは「恋する男の温もり」なのだ。

 

それから唇。あの少しひしゃげたような唇で私に触れたなら。

 

脳裏に浮かぶ映像はこうだ。午後の授業終了の鐘と共に教室を飛び出し、誰もいない階段裏で追い詰められる。腕で壁に塞がれて逃げ場を失い、「お前なあ……なんで俺なんか気にすんの?」と呟かれながら寄せられる顔。吐息がかかる距離。心臓の音が煩い。やっと来たキス。最初は啄むように、次第に深く。

 

体中がざわつく。背骨が震える。爪先まで甘い毒が巡る。これが本当のキスなのかと悟る瞬間。

 

そこから先は……考えただけで崩れ落ちそうだ。

 

---

 

過去の自分なら鼻で笑う光景だ。だが今の私は違う。

 

ホテルの一室。部屋番号を確かめるだけで足が竦む。ドアノブを回す手が震えているのに気づき慌てる。暗がりの中、平がベッドに座ってこちらを見る。私の名前を呼ぶ声。背筋を走る痺れ。服を脱がされる手つき。自分でさえ触れたことのない奥の奥まで拓かれていく。

 

ああ、そんな風に抱かれてしまったら――

 

きっと私は狂う。

 

快感ではなく充足で。魂ごと抱擁される悦びで。

 

これまで幾人もの男を受け入れてきたけれど、「身体を許す」という行為の意味を一度だって実感したことはなかった。全て流れる水のように無感覚だったのに。

 

今は違う。

 

あの人の手の中でなら溶けてもいいと思う自分がいる。むしろ溶かしてほしい。一つに混ざってしまいたい。私が私でなくなるほどの絶頂。未知の果て。死ぬほどの幸福。それを味わう権利を願って止まない。

 

---

 

そして思う。鈴木があの時泣いて訴えた切実さを。その時は馬鹿にした純情を。

 

今の私はあの時の鈴木以下だ。告白すらできない愚鈍。臆病がすぎる。

 

でも鈴木は一歩踏み出した。唇を重ねた。恐らくセックスにも辿り着いた。青春の成功者となった彼女。

 

対して私は何だ? 平の横顔を盗み見るだけの影法師。

 

自嘲する。それでも構わない。その瞳を眺めているだけで満ち足りるのだから。

 

いや満ち足りていないからこそ苦しむのだった。手繋ぎもキスもそれ以上も。いずれもまだ夢の中にある。

 

---

 

窓ガラスに映った自分の姿を見つめる。

 

茶色く波打つ長い髪。大き過ぎると言われる胸。艶のある唇。

 

過去の男たちが褒めたパーツは記号と化していた。けれど平が見てくれるならば、どれ一つ欠けてはいけない宝物となる。

 

もしも彼が気づいたらどうなる? この胸の鼓動の激しさに。頬の赤みに。震える睫毛に。

 

その瞬間を夢見て私は眠る。まだ手に入らない未来を糧に。

 

それでもいい。少なくとも今の私は知っている。

 

真実の恋は、過去の自分を打ち砕くほど眩しく美しいのだと。そしてこれから訪れるであろう、あの人の掌の中での解放を。

 

 

 

# 夏の重装備とポンコツ作戦

 

蝉の声がけたたましい八月の午後。大学近くのカフェテリアでアイスカフェラテを掻き混ぜながら、私は目の前の佐藤――通称サトに向かって溜め息をついた。

 

「もう二十よ? 二十歳の夏よ? なのにあのバカと何も進展なし……!」

 

テーブルに突っ伏す私の頭上でサトが呆れた声を出す。

 

「第152回『平をどうすれば堕とせるか会』ねぇ。あんたが飽きないのが一番怖いわ」

 

ストローを咥えたままサトはスマホを取り出し、「議題:重装備とポンコツの因果関係について」と入力した。私が顔を上げると、そこには相変わらずの無表情が待っている。

 

「まず事実確認ね。髪――肩に届く長さまで整えてる。肌――毎晩パックしてる。下半身――永久脱毛済み。バスト――ブラジャー買う店を変えたくらい育ってる。腰――ジム通いで細くしてお腹出ないように注意。ヒップ――ヨガで丸みキープ。香水――好み調査済みの香りだけ使用、と」

 

淡々とした羅列に思わず首を横に振る。

 

「でも全然効果ないのよ! こっちはアイツが急に触ってきたらビクッてなるし! 昨日のカフェだって私が先に着くはずだったのに!」

 

「先回りして席とっててくれて嬉しかったんでしょ? 」

 

サトはストローでグラスを叩きながら続けた。

 

「逆に考えるべきよ。『アズの魅力が全部有効なのに進展しない理由』の方を」

 

私は椅子にもたれかかり天井を仰いだ。

 

「そっか……重装備=落ちないんじゃなくて……私のポンコツが原因かぁ」

 

「そうそう」サトが頷く。「例えるなら超高性能軍用装備のパイロットがマニュアル読む前に緊張してエンスト起こしてる状態。アズの重装甲は完璧。だけど操縦士が未熟なんだよ」

 

窓越しに通り過ぎる学生たちのカップルを睨みつける。恋人らしく肩を並べる彼らを見て血圧が上がった。

 

「でもさ!」私は拳を握りしめる。「流石に今年で決める! バレンタインデーが狙い目!」

 

サトがコーヒーを噴き出しそうになり、咳払いをしながらツッコミを入れた。

 

「半年も先だぞ? あんたそれまで何百回作戦会議開くつもり?」

 

「しょうがないじゃん! 私のポンコツ脳みそでは一ヶ月で計画練れないの!」

 

二人で爆笑していると、店内放送がランチタイム終了を告げた。次の講義まであと十五分しかない。

 

「じゃあ次回は『第153回・ポンコツ卒業プログラム検討会』ね」サトが立ち上がりながら言う。「あと追加議題。アズが平の前で硬直する原因特定」

 

私は残りのカフェラテを飲み干して答えた。

 

「了解。まずは自己分析から始めまっす!」

 

 

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# 夏の終わりの誘惑

 

窓際の席で冷えた抹茶ラテを飲みながら、私は机に広げた旅雑誌をぼんやりと眺めていた。『夏限定! 週末直前プラン』と銘打たれたページには、波打ち際で微笑むモデルたちの写真が並んでいる。

 

「海……か」

 

サトの声が脳裏に蘇る。「いい加減ストレートに誘いなさい。海よ海。できれば泊まりでね」

 

確かに理にかなっている。重装備を披露するには最高の舞台だ。特に平の前で水着を見せたことはまだない。高校時代から続く曖昧な関係は、いつも次のステップを躊躇させる。

 

スマホ画面に映る平からのメッセージをスクロールする。

 

『明日の飲み会来るよな? 定期試験の打ち上げだぞ』

 

返事を打とうとして指が止まる。

 

(これはチャンスかもしれない)

 

車の中の彼の歌声が耳に残る。エンジン音に負けまいと張り上げる少し掠れた声。私も大好きなバンドだ。平が歌詞を間違えると私はハンドルを軽く叩いて笑う仕草。

 

(付き合ってないのに付き合ってるみたいだよね……)

 

缶ビールを持った平が窓越しに見える。いつもの平家での宅飲み。みんな帰った後に残ったのは私たち二人だけ。テレビでは深夜アニメの再放送が流れている。

 

「なぁ東」

 

不意に平が言った。ソファーにもたれたまま、床に座る私を上から見下ろしている。

 

「今週の土曜日さぁ、暇だよなぁ……」

 

スマホが震える。平の親から着信だ。

 

「悪ぃ電話だ」

「ううん」

 

彼が廊下へと去っていく。私は咄嗟に決断し、後ろ姿に叫ぶ。

 

「……行きたい!」

 

振り返った彼の驚いた顔。耳元に響くサトの幻聴。

 

(ストレートに行け!)

(これが最後の夏かもしれないんだぞ!)

(そして……)

 

心臓が破裂しそうなほど強く脈打つのを感じながら、私は立ち上がって言った。

 

「次の土曜日! 私の運転で海行かない?」

(ついでに一泊!)

 

声が震えていないか心配だったけど、酔っ払った平の笑顔に救われた気がした。

 

「……いいな。行こう」

スマホ画面を伏せて私は深呼吸した。指先が熱い。ここからが本当の闘いだ。夏が終わる前に何かが始まる予感がした。

 

 

 

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# 水着パニック

 

「……それじゃあね」

 

玄関で平に小さく手を振る。彼が鍵を閉める音が響くと同時に私は走り出した。

 

(やばい)

 

夜の街灯が揺れる歩道を急ぎ足で進む。バッグの中でスマホが震えた。平からの『気をつけて帰れよ』メッセージを一瞥して即削除。今はそんな場合じゃない。

 

(水着……水着……水着持ってない!!)

 

脳内で警報が鳴り響く。汗が首筋を伝う。

 

コンビニの明かりに飛び込む。レモンティーを買いながらスマホを取り出す。サトへの着信履歴を見つめ、深呼吸。画面を押す指が震えていた。

 

「……もしもし?」

 

「サトーーー! やってしまった!」

 

「深夜1時半に突然『やってしまった』って何?」

 

眠そうな声の向こうで布が擦れる音。どうやら寝ていたらしい。

 

「平に海誘った! 今週の土曜行くって約束しちゃった!」

 

しばしの沈黙。

「……何が問題?」

 

「水着よ! 持ってないの! 学祭で使ったビキニは小さすぎて胸が零れるし、去年買ったパレオ付きのやつは色褪せてるし……」

「は? アズまさか……今日の昼間言ってた『泊まりで行こう』とか『ストレートに誘え』って話……もう実行したの!?」

「あはは……うん」

 

電話の向こうで枕が跳ねる音が聞こえる。

 

「で? 平は何て?」

「『いいな。行こう』って即答。泊まりかどうかは分かんないけどさ」

「おおおおお!」

「でも……」

「でも?」

「水着が……」

「……」

 

長い溜め息の後、サトの低い声。

 

「今すぐあんたのマンション行ってクローゼット漁るわ。30分待って」

「ありがとう……!」

「代わりに明日の朝食奢りなさいよ」

 

通話が切れた瞬間、胸の奥が熱くなる。失敗を恐れる気持ちと期待が入り混じる。部屋に戻るとカーテン越しに星空が見えた。平と過ごす初めての海。想像だけで鼓動が速くなる。

 

(頼んだぞサト。私の夏がかかってる)

 

スマートフォンを充電器に繋ぎながら願う。夜風が静かに吹き込む窓辺で、私は平からの新着メッセージに気づいた。

 

『楽しみにしてる』

その文字を見つめるうちに、緊張が嬉しさに変わっていく。スマホを胸に抱きしめた。水着問題はどうにでもなる。だって次の土曜は特別な一日になるはずだから。

 

 

 

 

# 夏の準備戦争

 

(二日しかない!)

 

ベッドに倒れ込んだまま壁の時計を見る。午前3時ちょうど。スマホ画面の明かりだけが室内を照らしていた。

 

(まずい……本当にまずい……)

 

平との海デートまでたった48時間。しかも泊まりの可能性もある。こんな急展開は想定外だ。

 

ベッドから飛び起きるとクローゼットを開けた。ハンガーにかかった洋服の隙間に潜む小さな宝箱——高校時代からの戦利品コレクション。水着専用の場所だ。

 

「ふぅ……」

 

溜め息と共に箱を持ち上げる。中身は色褪せたパレオ付きワンピースと、カップが小さすぎるハイネックビキニ。どちらも平に見せられる代物じゃない。

 

「アズー!早く起きろ!」

 

サトの声に慌てて返事する。鏡に向かって寝癖を整えながら頭をフル回転させる。

 

(今日の作戦は三つ)

 

一つ目は水着確保。サトとの待ち合わせ場所は駅前の大型スポーツショップ。

 

二つ目は化粧品補充。日焼け止めとラッシュガードが必要。

 

三つ目は——

 

スマホが震えた。平からのLINE。

『海楽しみだな。とりあえず水着買った』

 

「きゃっ!」

 

声をあげながら思わずベッドにスマホを投げつけた。平がこんなに海を楽しみにしてくれてるなんて。胸がドキドキして落ち着かない。

 

「アズー!? どうした!?」

 

ドアの向こうからサトの大声。

 

「なんでもない! すぐ行く!」

 

慌ててパジャマを脱ぎ捨てる。今日一日で全て整えなければ。化粧台に向かいながら決意を新たにする。

 

(悩殺水着をゲットして)

(完璧な肌を保って)

(そして何より……)

(夏が終わる前に平を射止める)

 

バッグに必要なものを詰め込みながら鏡を見つめる。自分の瞳に映るのは少女の頃の顔じゃなく、恋に挑む大人の表情。

 

(さあ行こう。サトの助けを借りて)

(この夏最後の賭けに出るんだ)

玄関を開けると蝉の声が鳴り響いていた。夏の終わりを告げる音色だけど、今の私には別の意味を持つ。

(これが本当の始まりだから)

駅までの道を全力疾走しながら心の中で誓う。今日という日はただの準備期間じゃない。人生が変わるきっかけになる予感がした。

 

 

 

# 時を超えた恋模様

 

「ここよ」

 

サトが指さす先に『Summer Lovers』という派手な看板が掲げられたショップ。入り口から溢れる人工的な光に目が眩む。

 

「平のタイプが気になる……」

 

店内に足を踏み入れながら呟く。棚に並ぶ水着の数に圧倒される一方で、平の好みを考え始めた。

 

(中学時代からずっと見てきた平……)

 

「アズー? 急に立ち止まって何考えてんの?」

 

サトが肩を小突く。私は陳列ケースの端っこで震える。

 

「平が喜ぶのはどんなタイプか検証してるの!」

 

「はぁ? 今更?」

 

呆れた顔でサトがブラジャー型のフロートを手に取る。

 

(まずは中学一年生)

 

記憶の中で教室にいる平。まだぽっちゃり体型だった頃。地味なチェックの半袖シャツに赤い運動靴。

 

「あの頃はまだ太ってて……可愛いかったなあ」

 

「アズ? そこの黒のバンドゥビキニ見てみなよ」

 

サトに促されて陳列棚を見上げる。背中が大胆に開いた大人っぽいデザイン。

 

(でも高校入学前に平は変わった)

 

頭の中に浮かぶのは茶髪に染めた平の姿。制服のネクタイを緩め、校門前で友達と冗談を言い合っていた光景。

 

「高校二年の時は最高に格好良かった……!」

 

「急に声が大きくなったけど大丈夫?」

 

サトが眉をひそめる。私は陳列台に顔を埋めて唸る。

 

「中学から高校まで全部見てきたのに……平の好みがわからない!」

 

「もっとシンプルに考えなよ」

 

サトが突然腕を組んで私を睨む。

 

「山田ならともかく、あの平が海辺で一人エロ本読んでる姿を想像できる?」

 

「……え?」

 

「つまり!」

 

サトが指を鳴らす。

 

「平って絶対にグラビアアイドルみたいな露骨なセクシーは好きじゃない。でも完全に清楚なタイプでもなさそう」

 

店員さんが困ったように微笑みながら私たちを見守っている。慌ててサトの腕を掴む。

 

「なんか閃いた気がする……!」

 

棚を一周するうち、サトの言う通りかもしれないと思い始める。確かに平は過度な露出を好まない。でもキュート系だけでは物足りないはず。

 

「これだ!」

 

私が手に取ったのはマリンブルーの三角ビキニ。胸元に小粒のビジューがあしらわれたデザイン。

 

「やっぱりアズ、センス良いじゃん」

 

サトが褒める横で試着室へ向かう。扉を閉めると同時に深呼吸。

 

(中学一年の平)

(高校三年の平)

(今の私にぴったりの水着を選ぶには……)

 

鏡の前に立つ自分を見つめる。胸元を覆う柔らかな素材。腰回りの控えめなフリル。肩紐の透け感。

 

(これが正解かも)

 

試着室のカーテンを開けるとサトが満足げに頷いた。

 

「さすがアズ。迷ったら本能に従うのが鉄則よね」

 

レジに向かいながら心が弾む。明日の海デートが楽しみで仕方ない。

 

(平の反応が見たい)

 

ショップを出ると夕陽が沈みかけていた。サトと並んで歩きながらスマホを取り出す。

 

『私も水着ゲット! 明日が楽しみ〜』

 

平に送信すると即座に既読マークがつく。

 

『俺も楽しみ。海が待ってる』

 

シンプルなメッセージなのに胸が高鳴る。夜空を見上げると星が瞬いていた。

 

(さあ明日こそ決着をつけよう)

拳を握りしめる。平の好みに合わせた水着を身に纏い、最高の夏の思い出を作るために。

 

 

 

# 海辺の恋戦略

 

エンジン音が心臓の鼓動みたいに響く。ハンドルを握る私の手は汗ばんでいた。

 

「俺も免許取ろうかな」

 

平の言葉にアクセルを踏み込みたくなる衝動を必死に抑える。

 

「無理しないで」

 

平静を装って答える。本当は叫びたかった。『平が運転したらデートの主導権取れなくなる』って。

 

高速道路を抜けて海岸線に差し掛かると風景が一変する。青い海が視界いっぱいに広がった。

 

(これが私の勝負服)

 

駐車場に車を停めてバックミラーを確認する。サトと選んだマリンブルーのビキニが映る。胸元のビジューが光に反射して輝いていた。

 

「すごい景色だな」

 

平が助手席で伸びをする。私は急いでシートベルトを外した。

 

「早く行こう! 海の家に荷物置いてこようよ」

 

車を降りた途端、潮の香りが鼻腔をくすぐる。砂浜に続く階段を降りながら、ふと気づく。

 

(平も楽しみにしてるんだ)

 

波打ち際ではしゃぐ人の笑い声が風に乗って届く。更衣室の前で平と別れると急に不安になった。

 

「ここで待ってるから」

 

平の声に頷きながら更衣室へ駆け込む。脱衣所はすでに混雑していた。

 

(ちゃんと平の好みかな……)

 

水着に着替えながら昨日の会話を思い出す。サトのアドバイス通り、セクシーすぎず清楚すぎないバランスが大事だと教えてくれた。

 

「よし!」

 

全身鏡の前で最終チェック。髪を束ねてから水着を着る。露出は控えめだけど腰回りのラインが綺麗に出るデザインだ。

 

更衣室を出ると眩しい日差しが目に刺さる。平との待ち合わせ場所へ向かう途中、何度も足を止めそうになった。

 

(平が好きそうな女の子になれてるかな)

 

海風が頬を撫でる。砂浜で遊ぶ人たちの中から平を見つけようとするが見当たらない。

 

「ここだよ」

 

背後からの声に振り返る。そこには麦わら帽子を被った平が立っていた。海パン姿ではなくラッシュガードを羽織っている。

 

「日焼け止め塗った?」

「もちろん! 東も忘れんなよ」

 

平が差し出した手を見てハッとする。こんな些細なことで胸が高鳴るなんて。

 

「ありがと」

 

手を伸ばしかけて躊躇う。平のラッシュガードの袖口から覗く腕筋。中学時代とは違う逞しさ。

 

「行こうか」

 

平の声で我に返る。海岸沿いのカフェに目を向けるとテラス席が見える。

 

「まずは冷たいものでも飲む?」

平の提案に頷きながら思った。

(この海辺デートが私の勝負舞台)

波の音が耳朶を打つ中で心臓の鼓動が加速していく。

 

 

 

# 夏色の挑発

 

カフェのテーブルに向かい合う二人。波の音が店内のBGMと重なる。平は海の方を見つめたまま、メニューを眺めていた。

 

(やっぱり……)

 

平の視線を感じるたびに体が熱くなる。水着を選んだときから想像していたシチュエーション。現実は予想以上に甘い。

 

「何頼む?」

平の問いに答えられずにいると、「東?」と心配そうな声。

 

「え? あ、ごめん!」

慌ててメニューを見るふりをする。本当は全然読んでなかった。平の首筋から目を離せなかったんだ。

 

(気づいてよ)

 

アイスティーを注文すると平が小さく微笑んだ。その表情だけで胸が締め付けられる。

 

(今日の私は特別なんだ)

 

氷が溶ける音が静寂を破る。周囲のカップルたちは楽しそうに会話しているのに、私たちだけ時間が止まったみたい。

 

「平……」

 

言いかけて言葉を飲み込む。何を言えばいい? このドキドキを伝えるには?

 

(もう少し勇気があれば)

 

平が視線を上げると目が合った。そのまま逸らせなくて固まる。

 

(今しかない)

 

心臓が爆発しそうなくらい高鳴る。喉が渇いていく。

 

「ねえ、平」

 

声がかすれて震える。

 

「私の水着姿……どうかな?」

 

言った瞬間、世界が止まったように感じた。平の表情が微かに変化する。

 

(お願い……何か言って)

 

少し時間をおいて、平がグラスの水滴を指で拭いながら低い声で答えた。

 

「似合ってる、すごく。」

 

単純な一言。でもそれだけで十分だった。

 

(平が認めてくれた!)

 

嬉しさで頬が緩む。平は照れたのか海の方へ視線を移した。

 

(もっと積極的に)

 

アイスティーを一口飲み干すと決意を固める。

 

「ねえ」

平の注意を引くように肩を叩く。

「一緒に泳がない?」

 

海を指さすと平の目が大きく開いた。そしてゆっくりと頷く。

 

(うまくいった!)

 

立ち上がると平も続いてくれる。砂浜へ向かう足取りが軽やかになる。

(今日は絶対に勝負をかけよう)

太陽の下で輝く水着を自慢しながら思う。平との距離を縮めるための一夏の挑戦が始まろうとしていた。

 

 

 

# 夕暮れの波形

 

海の色が変わっていく。朝の若草色から夕方の琥珀色へ。楽しかった時間が魔法のように消えていく。

 

(もう終わり?)

 

パラソルの下で日焼け止めを塗り直しながら時計を見る。午後5時半。あと30分もすれば完全に暗くなるだろう。

 

「そろそろ上がる?」

 

平の声に頷く。名残惜しいけど仕方ない。二人で砂浜を歩く間も会話が途切れない。今日一日のハイライトを語り合う中で自然と笑顔が溢れる。

 

(今日は最高だった)

 

水着を脱いで私服に着替える時も余韻が残っていた。海の匂いをまとったままバーが併設されたカフェに入ると平が先に席を確保してくれていた。

 

「こっち」

 

窓際の席に誘われると目の前に広がるのは水平線。沈みかけた太陽が赤く燃えている。

 

メニューを開いた瞬間、あの夜を思い出した。平の部屋で過ごしたひととき。緊張と期待が入り混じった時間を。

 

(またあの時みたいに……)

 

平がコーヒーとデザートを注文する横でアルコールメニューを眺める。ビールにカクテル、ワイン。どれも魅力的だけど怖い。

 

「東は何にする?」

 

平の問いに一瞬迷う。頼むべきなのか?断るべきなのか?

 

「私……」

 

言いかけた言葉を飲み込む。カウンター越しに見えるバーテンダーの手つきが優雅で見とれてしまう。

 

(あの夜と同じ状況)

 

平の反応を思い出してしまう。『帰りたくないな』と言ったときの複雑な表情。泊まっていけばと素っ気なく言いながらも、私が帰ると言うと微妙な反応を示した平。

 

(あれはどんな意味だったんだろう)

 

心臓が早鐘を打つ。カフェラテとチョコレートケーキを注文しながら考える。今日はどうだろう?同じことを言ってみたら……

 

「ねえ」

 

平の注意を引くように小さな声で呼びかける。

 

「何?」

 

平がグラスを持ち上げる仕草が大人っぽくてドキドキする。

 

「もう少し一緒にいたいな」

 

思ったより簡単に言葉が出た。平の表情が変わるのを見逃さない。

 

(今回は違う結果になるかもしれない)

 

太陽が完全に沈み始めた時、平が何か言いかけた。その瞬間を待ちながらケーキフォークを持つ手が震える。

(この夏、二人の関係はどう変わっていくんだろう)

夕闇の中で広がる期待と不安。それはまるで波紋のように心に広がっていく。

 

 

 

# 波に託す想い

 

スマホを取り出して素早く文字を打つ。サトの反応速度は知り尽くしている。

 

「平と泊まりになるかも。この海から近くで雰囲気の良いホテル確保できない?帰ったら全部話すから、お願い!」

 

(届いて……)

 

メッセージを送信すると即座に既読マークが付いた。安心感が広がる。これで退路は断たれた。いや、自分で断ったのだ。

 

(平は気づいてくれるかな)

 

メニューを手に取るふりをして平の表情を伺う。まだ何も知らない平は、窓の外の景色をぼんやり眺めている。

 

「決めた?」

 

平が尋ねてくる。その声に現実に引き戻される。

 

「うん……」

 

言葉を選ぶように慎重に答える。深呼吸をして平の目を見据えた。

 

(今しかない)

 

緊張で手が汗ばむ。それでも決意を固める。

 

「平」

 

静かに呼びかけると平がこちらを向く。その瞬間、心臓が跳ねる。

 

「今日は帰りたくないな」

 

平の瞳がわずかに揺れる。あの日の記憶が蘇る。平の複雑な表情を見た時の衝撃。

 

「お酒……頼んでもいい?」

 

最後まで言い終えると沈黙が訪れる。店内の喧騒が遠ざかるような感覚。平の返事を待つ間が永遠のように感じる。

 

(お願い……)

 

平が小さく息を吐く音が聞こえた。

 

「了解」

 

シンプルな答えなのに胸がいっぱいになる。平がバーメニューを手に取ると自然な流れでカクテルを選んでくれる。

 

(運命の選択)

 

バーテンダーに向かって注文する平の横顔を見つめる。夕闇の中でも分かるほど頬が紅潮しているのは気のせいだろうか。

 

(今夜はきっと忘れない夜になる)

 

カクテルが運ばれてくるまでの短い時間さえ耐えられないほど胸が高鳴っている。これから始まる夜に期待と不安が入り混じる。

 

(平との距離がついに変わる)

グラスを受け取る平の手元を見つめながら思う。アルコールの力を借りなくても本音を言えた今夜は、きっと特別な一夜になるはずだと。

 

 

 

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# 酔いどれの波形

 

アルコールが頬に熱を運ぶ。もう理性は薄皮一枚だ。このまま家に帰ることなど不可能。

 

(ほら見て……サトったら)

 

スマホを眺める私の口元が自然と緩む。画面にはサトからの怒り混じりのメッセージが表示されていた。

 

【アズ、いつも直前過ぎ!私じゃなかったら絶対無理だったからね!罰として帰ったらケーキおごること!】

 

その下にはホテルの予約完了メール。完璧だ。天才的なタイミングと手際。

 

「ふふっ」

 

思わず笑い声が漏れる。こんな時に限って佐藤は本当に頼りになる。

 

「何笑ってんの?」

 

平が怪訝そうに覗き込んできた。反射的にスマホを隠す。

 

「別に……サトが変なこと言ってただけ」

 

誤魔化しながらカクテルグラスを傾ける。アルコールが喉を滑り落ちていく感触が心地よい。

 

「おまえら、ほんと変わんないよな」

 

平が呟く。どこか懐かしむような声色。その瞳に映る私たちは、高校生という枠を超えて一つの存在なのだろうか。

 

(あなたはいつもそうだ)

 

人の輪の中に溶け込みながらも、一歩離れた場所から観察者として私たちを見守る。そんな姿が妙に似合っていて。

 

「平こそ変わったよね」

 

意地悪く言い返すと、平は肩をすくめた。

 

「どうだろうな」

 

言葉少なげな返答の奥に何かを感じる。中学時代の陰鬱な影と今の洗練された姿の間にある亀裂。それを埋めたくて必死にもがいていた日々が脳裏をよぎる。

 

(もう逃げないから)

 

アルコールの勢いを借りて、私は平の腕にそっと手を乗せる。体温が伝わる。緊張した指先がわずかに震える。

 

「もうすぐ閉店時間だし……」

 

言いかけて止まる。次の言葉が喉まで来ているのに出てこない。

 

平がグラスを置いた。琥珀色の液体が揺れる。

 

「行くか?」

 

その一言に全身が熱くなる。言葉の意味を理解した瞬間、思考回路がショートした。

 

(この瞬間を待っていた)

 

酔いがさらに加速する。平の手を握ると強く握り返された。

 

(今夜、全てが始まる)

 

テーブルに札を置いて立ち上がる。扉へ向かう途中で振り返ると、窓ガラスに映る二人の姿が重なって見えた。

(もう後戻りはできない)

その確信が恐怖と興奮を同時に呼び起こす。平の温もりを感じながら、私は新たな波間に足を踏み入れた。

 

 

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# 海辺の奇跡

 

夜風がアルコールに火照った頬を優しく撫でていく。砂浜の柔らかな感触がサンダル越しに伝わり、不規則なリズムを刻む。月明かりに照らされた平の横顔が、水面のように揺らいで見える。

 

(こんな時間が来るなんて)

 

中学二年生の春。教室の隅で一人漫画を読んでいたあの少年。茶髪にして高校デビューした日。そして今日この瞬間。全てが一本の糸で結ばれているように感じる。

 

「ねえ平」

 

声がかすれる。それでも平がこちらを向く。

 

「私たち中学時代から知ってるけどさ」

 

言葉を選びながら慎重に続ける。

 

「いま二人でこんな時間にこんなとこで歩いてる。これって結構、奇跡じゃない?」

 

平が足を止め、遠くの波を見つめる。月光がその横顔を浮かび上がらせている。

 

(返事が怖い)

 

数秒の沈黙。波の音だけが響く。

 

「そうだな」

 

静かな同意。それ以上の言葉はないけれど、その短い一言に全てが込められている気がした。

 

「まさか中学の俺が想像できるわけないよな」

 

平が微かに笑う。自嘲ではなく、単なる事実を確認するような調子。

 

「私だって」

 

思わず笑みが零れる。今さらながら馬鹿らしいと思えてきた。何年も見てきた背中を追いかけていた少女の姿が重なる。

 

「高校の最初の方は避けられてたし」

 

「あれは……」

 

平が言い淀む。中学時代の自分と決別しようとしていた時期。その苦悩を垣間見た時の衝撃。

 

「わかってる」

 

遮るように言う。もう責めるつもりはない。むしろ感謝しているくらいだ。

 

(そのおかげで気づけた)

 

自分が本当に求めていたもの。それは外見や地位なんかじゃなくて。

 

「だから余計に嬉しい」

 

照れ隠しに前髪を整えるふりをして俯く。波の音が心臓の鼓動と重なる。

 

平がポケットに手を入れたまま歩き出す。私も続く。砂浜から歩道に出る瞬間、月光が一段と輝いたように感じた。

 

(今夜はきっと忘れられない)

 

潮の香りを胸いっぱいに吸い込む。目の前のホテルの灯りが幻想的に揺らめいている。

 

「行こう」

 

平の低い声に頷く。この奇跡のような時間の中で、私たちの物語は新しい章を迎えようとしていた。

 

 

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# 月明かりの予感

 

ホテルのロビーに入ると、思わず息を飲んだ。大理石の床に点在する籐製の家具。壁には南国風の版画が飾られ、ほのかな香りが漂っている。サトが選んだ場所は、確かに完璧だった。

 

(こういうセンスは敵わないなぁ)

 

チェックインを済ませて鍵を受け取ると、エレベーターで五階へ。部屋のドアを開けると、広々とした和洋折衷の空間が広がっていた。窓からは海が見え、淡いブルーの照明が室内を包んでいる。

 

「……すごいね」

 

言葉にならない感嘆。荷物を置いてベッドに倒れ込むと、平も隣のベッドに腰掛ける。しばらく無言のまま天井を見つめた。

 

「東」

 

平の声に振り向くと、すでに隣部屋の方へ歩いていく後ろ姿があった。

 

「先に入れよ」

 

それだけ言って平は隣部屋へ消えた。こんな些細な気遣いにも胸が締め付けられる。

 

「平……ありがと」

 

脱衣場に入ると服を脱ぐ。鏡に映る自分の裸体を久しぶりにじっくりと見た。中学時代から変わってしまった自分。でも今日この瞬間のために準備してきたのだと思うと誇らしくもある。

 

(サトありがとう)

 

シャワーの湯気の中で過去の記憶が蘇る。これまでの恋愛は全て流れで始まり流れで終わった。告白されたこともなければ、自分からしたこともない。傷つくのが怖かったから。

 

(でも今回は違う)

 

長い間見ていた背中をようやく掴みかけている。このまま逃がしたら一生後悔する。

 

シャンプーの泡を流しながら考える。もし平から告白してくれたら?もし私から言わなければならなくなったら?

 

(どっちでもいい)

 

初めて自分で選んだ恋だ。結果がどうであれ、後悔はしない。

 

身体を拭きながら鏡の中の自分に問いかける。赤くなった耳たぶと潤んだ瞳。こんな表情をしていたのかと驚く。

 

「平……次入って?」

 

脱衣所から声をかけると、「分かった」と低い声が返ってきた。いつもの平なのに特別に聞こえるのはなぜだろう。

 

ドライヤーで髪を乾かしながら次の一手を考える。風呂上がりの格好は控えめにしたほうがいいだろうか。それとも少しだけ攻めてみるべきか。

 

(迷ってる時間はない)

ドアノブに手をかけて深呼吸する。今日という日に全てを賭ける覚悟はできている。いままでずっと待っていたのだから。

 

 

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# 薄明かりの中で

 

シャワーの音が小さく響いている。平の存在が浴室のドア越しに感じられて、急に現実感が湧いてきた。でも同時に奇妙な浮遊感もある。まるで夢の中にいるようだ。

 

(本当に今夜なの?)

 

クローゼットの前に立ち尽くす。パジャマはあるが、それでは色気がない。かといって過度に露出すれば逆効果。頭の中で様々なコーディネートを思い浮かべるけれど、どれもピンとこない。

 

(やっぱりシンプルに)

 

結局バスタオルを一枚手に取る。大胆すぎるかもしれない。でも今日は覚悟を決めて来たのだ。平にとっては突然の出来事かもしれないけど……

 

(私には8年分の準備期間がある)

 

中学1年で初めて見たあの日から。平が茶髪に変えた高1の春。友人たちとの恋バナから平だけを除外していた日々。全てが今この瞬間につながっている。

 

ベッドに身を投げ出し天井を見上げる。小さな光の模様が浮かんで見える。

 

(高校3年になって本当の恋を知った)

 

あの頃はまだ自分の気持ちに気づいていなかっただけ。授業中に平の背中を見るだけで嬉しくなったり、帰り道を一緒に歩ける偶然を神に感謝したり。

 

(長い道のりだったな)

 

バスタオルを胸元に巻きつけながら苦笑する。ここまで来るのにどれだけの勇気が必要だったか。でももう後戻りはできない。

 

平のシャワーの音が止まった。心臓が早鐘のように鳴り始める。これから起こることへの期待と不安。

 

(大丈夫、私は平を幸せにできる)

 

そう自分に言い聞かせる。中学の頃から変わらない不器用な優しさを持つ平。そしてそんな平が大好きな自分。

ドアが開く音がした。今こそ8年分の思いを伝える時だ。東はゆっくりと上半身を起こし、平を迎える準備を始めた。

 

 

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# 視線の邂逅

 

脱衣所から出てきた平は、きちんとパジャマを着ていた。薄いグレーの寝巻き姿は新鮮で、いつもの私服姿とも違う魅力がある。やはり紳士なのだ。私を気遣ってのことだろう。

 

「東……その格好」

 

言いかけてすぐに目を伏せる平。頬が少し紅潮している。

 

(かわいい)

 

思わず口元が緩む。こうやって平が戸惑う姿を見るのも楽しい。長い間待ち続けてきた私は、この瞬間すら愛おしい。

 

「座って」

 

窓際の椅子を指さすと、平は大人しく腰を下ろした。十五平方メートルほどの部屋に二人きり。窓の外には月明かりに照らされた海が広がっている。

 

(十分くらい待てるはず)

 

そう思った矢先、三分も経たずに心がざわつき始めた。いつもは私のことを気にせず話しかけてくる平が、今日は沈黙を守っている。床を見つめたままの横顔。

 

(待つって決めたけど……)

 

五分が過ぎた。もう限界だ。

 

「ねえ、平」

 

声が震えないよう注意しながら続ける。

 

「私を見て」

 

ゆっくりと平の顔が上がっていく。最初は戸惑いの色が濃かったが、私の真剣な眼差しを認めて何かを感じ取ったのか、徐々に落ち着いていく。

 

「東」

 

静かな声。でもそこに含まれる温かさに胸が締め付けられる。

 

「やっと見てくれたね」

 

微笑みながら言葉を続ける。これまで追い続けた視線がようやく自分に向いた。この喜びは筆舌に尽くしがたい。

 

平の目に映る自分がどう見えるのか。バスタオル一枚の姿が滑稽に思えないか。そんな不安を押し殺して真正面から見つめ返す。

 

(今日こそ私の番だ)

この瞬間のために積み重ねてきた時間が、今ここに集約されている。平の瞳の奥にある感情を探るように見つめながら、東は次の言葉を選ぶ。

 

 

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# 熱情の奔流

 

「私は」

 

言葉が喉につかえる。八年分の思いが堰を切ったように溢れ出す。

 

「平のことが好き」

 

最初の一言が出ると、あとは止まらなくなった。

 

「平のことが大好き」

 

声が震えているのを感じる。でも止められない。

 

「平のことを愛してる」

 

部屋の空気が変わるのを感じた。平の目の色が変化していく。

 

「平を見てるといつも胸がドキドキする」

 

両手で胸を押さえながら続ける。バスタオル一枚の姿を忘れるほど必死だった。

 

「平の声を聞くと切なくなる」

 

涙が滲んできた。これまで秘めてきた感情の波が押し寄せる。

 

「平と手が触れるとたまらなくなる」

 

思い出したように左手を胸元で握りしめる。中学時代の偶然の接触。高校に入ってからの距離感。

 

「平に私をずっと見ていてほしい」

 

これは願いだった。これまで私を見てくれなかった平への訴え。

 

「平のことをずっと見ていたい」

 

真実の言葉。中学二年から続く五年間の執着。

 

「平のすべてがほしい」

 

欲望が溢れ出る。これ以上我慢できないという叫び。

 

「代わりに私のすべてをあげる」

 

最後の言葉は祈りのようだった。自分の人生を差し出す覚悟を示すための言葉。

 

窓の外では月が雲に隠れ始め、部屋はさらに暗くなる。でも互いの存在だけははっきりと感じられる。東の告白が空気を変えた。静寂の中、二人の息遣いだけが聞こえる。

 

東は待つ。長すぎるほど長い沈黙の中で。

(伝わったかな)

 

 

 

# 心の裸体

 

平は何も言ってくれない。そっか。

 

「ここまで言っちゃったら、もういいや」

 

理性の糸がぷつりと切れる音がした。綺麗事だけで飾られた言葉ではもう足りない。全部吐き出してしまおう。

 

「中学校の頃の平」

 

声に出すと懐かしさと共に奇妙な安心感が広がる。

 

「今と違ってぽっちゃりしてたよね」

 

言ってしまってから少し後悔したが、平の表情に変化はない。

 

「でもね」声に力を込める。「あの頃の平も、スゴく可愛いって思ってた」

 

本心からの言葉だった。中学時代の丸っこい輪郭も、今の鋭利な顔立ちと同じくらい大切なものだ。

 

「高校一年で身体鍛え始めて茶髪に染めて」

 

記憶が鮮明に蘇る。あの頃の決意に満ちた横顔。

 

「イケメンに変わってく平を見て強いなって思ってた」

 

尊敬の念と同時に芽生えた焦り。追いかけても追いつけない背中。

 

「高校三年になって少しずつ明るくなっていく平が眩しかった」

 

人間不信から少しずつ解放されていく姿は光そのものだった。

 

「高校三年で平と同じクラスになった西さんが妬ましかった」

 

素直な嫉妬が言葉になる。今さら隠しても仕方ない。

 

「平と同じ環境委員の本田さんと話す平を見て嫉妬で狂いそうだった」

 

本当なら自分がその位置にいたかったという渇望。

 

 

 

# 心の裂傷

 

「平と一緒に登下校する時」

 

言葉が途切れそうになるが、もう止まらない。

 

「毎日何時間もかけて化粧して髪セットして」

 

指で自分の顔をなぞる。あの頃の緊張と努力を思い出す。

 

「完璧な角度で笑いかけられるように鏡で練習してた」

 

恥ずかしさで顔が火照るが、もう隠すものはない。

 

「大学に入ってからもずっとずっとずっと」

 

言葉にならない日々の積み重ねを思い浮かべる。

 

「私のすべては平で占められているの」

 

突然、感情が込み上げてきて声が上ずる。

 

「それでね」

 

涙が頬を伝う。

 

「私の一番の自己嫌悪」

 

深い溜息と共に告白する。

 

「中学から高校1年の頃」

 

声が震える。

 

「好きでもない男たちに抱かれていた自分」

 

自嘲的な笑みが浮かぶ。

 

「流されるまま抱かれて別れてまた抱かれて」

 

言葉を切る。苦い思い出。

 

「好きという感情もなかったのに」

 

自分で自分を否定する言葉。

 

「こんな汚れた私が平を見ると胸が高鳴るの」

 

矛盾した感情に苦しむ。

 

「おかしいよ、平のせいだよ」

 

ついに責任転嫁が始まる。

 

「今までの私はこんなじゃなかった!」

 

悲鳴のような叫び。

 

「ぜんぶ、ぜんぶ、平のせい!」

 

そして突然泣き崩れる。

 

「ごめんなさい……私……こんなの……」

部屋に響く嗚咽。8年来の恋と罪悪感の混合物がついに噴出した。

 

 

# 心の共鳴

 

(やっちゃった……)

 

東は俯いたまま膝の上で拳を握りしめる。(もう平の横にはいられない)

 

熱くなった頭が急速に冷えていくのを感じる。(ゴメンね、こんな重い女で)

 

言葉を吐き出したら後悔が襲ってきた。(平の顔が怖くて見れない)

 

バスタオル一枚の姿で泣きじゃくる自分が惨めに思えてくる。もう取り返しがつかない。

 

「東」

 

静かな声に顔を上げられずにいると、平が立ち上がる気配がした。

 

「俺も……」

 

声が途中で途切れる。何かを言いかけて躊躇っている。

 

「苦しかったんだ」

 

意外な言葉に驚いて顔を上げる。平の表情に影が落ちている。

 

「中学の頃から……俺も」

 

思いがけない告白に息を呑む。

 

「東のこと見てた」

 

心臓が飛び跳ねる。まさかの事実。

 

「たまに話しかけてくれるのが嬉しかった」

 

記憶が甦る。中学時代、廊下ですれ違った時に勇気を出して挨拶したこと。あの時も無表情だった平。

 

「でも……」

 

声が曇る。「クラスの中心で輝いてる東とは住む世界が違うって……」

 

胸が痛んだ。二人とも同じ思いを抱えていたなんて。

 

「高校一年で付き合った彼女にフラれて……」

 

平の声が震える。「『思ってたのと違う』って言われて……それ以来」

 

過去の傷が今も疼いているのだろう。

 

「だけど東だけは……」

 

言葉を選ぶように慎重に。「変わらず接してくれて……感謝してた」

 

予想外の展開に混乱する。まさか自分が平に感謝されていたなんて。

 

「でもな」

 

突然声色が変わる。「俺みたいな奴が……」

 

自嘲的な笑みを浮かべて距離を取る。「東なんかに関わっていいわけないんだ」

まるで壁を作るかのように平は一歩下がった。

 

 

 

# 心の吐露

 

(もう戻れないと思った)

 

東は涙でぼやける視界の中、平の背中を見つめる。(私たちの間にこんな秘密があったなんて)

 

沈黙が重く部屋に垂れ込めている。

 

「まだ……」

 

平が再び口を開く。声がかすれている。「まだ話していないことがある」

 

(これ以上何があるというの?)

 

心臓が激しく鼓動する。

 

「俺は……」

 

平が自分の胸を押さえる。「昔から性欲が強くて……」

 

予想外の告白に息を呑む。平の顔が歪む。

 

「東のこと……考えると……抑えられなくなる」

 

言葉が途切れる。喉が詰まったようだ。

 

「頭の中じゃ……何度も」

 

顔を覆う平の肩が震える。

 

「最低なんだ俺」

 

東は言葉を失う。(平が私のことを?)

 

「自分から声一つかけられないくせに……」

 

声に混じる涙。「代わりに……想像の中で……」

 

言葉が血を吐くように続く。「犯して……満足して……」

 

(信じられない……)

 

目の前の現実を受け入れられない。

 

「何度も何度も……一人で」

 

自虐的な笑みが浮かぶ。「妄想だけで満足してるような……」

 

平が顔を上げる。瞳には悲しみが満ちている。

 

「ゴメン」

 

震える声。「こんな最低な俺は……」

一筋の涙が頬を伝う。

 

 

 

# 終わらない告白

 

(何言ってるのよ!)

 

東は呆然とする平を見据える。突然理性が吹き飛んだ。

 

(黙って聞いてたら……)

 

怒りが頂点に達する。(一方的に言いたいことだけ言って!)

 

東は勢いよく立ち上がり、ベッドの上の平に向かって突進した。

 

「私でオナニー?」

 

平の肩を掴む指に力が入る。「そんなの私も毎日平を思ってオナニーしてるよ!」

 

衝撃で硬直する平。東は息を荒げて続ける。

 

「頭の中で犯してる?」

 

目に涙が溢れる。「そんなの私の想像の平はいつも激しく私を犯してくれてるよ!」

 

叫び声が部屋に反響する。

 

「だから、ゴメン?」

 

東の声が震える。「ふざけないで!」

 

次の瞬間。

 

(もう我慢できない)

 

東は平の頭を両手で掴んだ。抵抗する暇もなく。

 

(全部教えてあげる)

 

唇を押し付ける。強引に舌を滑り込ませる。

 

「んっ!」

 

平が身をよじるが遅すぎる。東の舌が平の口腔を探り回す。

 

(これが私の気持ちよ)

 

甘くて濃厚な唾液が混ざり合う。平の体が痙攣する。

 

(わかった?)

 

東は舌を深く差し込みながら思う。平の首筋に伝う汗を舐め取り、歯列をなぞり上げる。

 

(これが私の愛よ)

最後に強く吸い上げてから解放する。平の顔は紅潮し、瞳は潤んでいた。

「はぁ……はぁ……」

息を切らす二人。その隙間から滴る糸を東は舌で拭った。

 

 

# 堕ちていく二人

 

(もう迷わない)

 

東は決意の眼差しで平を見つめた。震える指で結び目を解く。

 

(全部見せる)

 

バスタオルが床へ舞い落ちる。月光に照らされた白い肌が幻想的に輝く。

 

「もう一度言うね」

 

声は静かだが熱を帯びている。「平」

 

裸の姿で平に近づく。

 

(行くよ)

 

全身の筋肉が緊張する。「今まで全部の私」

 

ゆっくりとベッドに上がってくる。

 

「私は」

 

一歩一歩が確かな意志を持っていた。「平のことが好き」

 

(止まれない)

 

平の横に跪く。視線が絡み合う。

 

「平のことが大好き」

 

東の指が平の胸に触れる。「平のことを愛してる」

 

(これが本当の私)

 

温もりを求め無意識に肌を寄せる。

 

「平を見てるといつも胸がドキドキする」

 

心臓の高鳴りが伝わる。「平の声を聞くと切なくなる」

 

(もっと近くに)

 

平の耳元で囁く。「平と手が触れるとたまらなくなる」

 

(触れて)

 

東の手が平の手を握る。「平に私をずっと見ていてほしい」

 

(離さないで)

 

平の掌を頬に当てる。「平のことをずっと見ていたい」

 

(あなたの全てを)

 

東の目が輝く。「平が私でオナニーしてくれて嬉しい」

 

(狂おしいほど)

 

平の股間に視線を落とす。「平が頭の中で私を犯してくれて嬉しい」

 

(こんなにも)

 

欲望が膨らむ。「平のすべてがほしい」

 

(だからこそ)

東が膝立ちになる。「代わりに私のすべてをあげる」

 

 

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# 融合する心と体

 

 

(届いた……)

 

東の目から涙があふれる。平の胸に顔を埋める。「やっと……届いた」

 

(長い道のりだった)

 

体温が伝わる。平の鼓動が早くなっている。

 

「東」

 

平の声が震える。「俺と付き合ってくれますか?」

 

(やっと言ってくれた)

 

言葉よりも先に体が動いた。平の背中に腕を回す。強く強く抱きしめる。

 

「うん……」

 

唇が平の耳朶に触れる。「お願い……」

 

(溶け合いたい)

 

東がキスを求める。舌が絡み合う。唾液の音が室内に響く。

 

「もっと……」

 

東の指が平の肩を滑る。平のTシャツの裾から手を入れる。

 

「東……」

 

平の瞳に欲望の炎が灯る。「本当に……いいのか?」

 

(もう引き返せない)

 

東が平を押し倒す。馬乗りになって見下ろす。

「ここまで来て……」

 

 

# 身体が語る真実

 

(いつの間にこんなに密着してたんだろう)

 

東は突然の気づきに胸が跳ねる。(熱い……)

 

互いの鼓動が共鳴している。平の腕が東の背中で硬直していた。

 

(気づいてた?それとも気づかないフリ?)

 

好奇心が湧く。「ねぇ平」

 

東の囁きが平の耳朶をくすぐる。「すごく固いのがあたってるんですけど?」

 

平の体が一瞬強ばる。(かわいい)

 

東はさらに強く抱きつく。柔らかな胸が平の胸板に押し潰される。

 

「これ」

 

東の指が平の腰を這う。「どうしたいの?」

 

(怖がらないで)

平の肩が震える。東は優しく耳に息を吹きかける。

 

 

ベッドの上で向かい合う二人。東は無意識に自分の指を噛んでいた。緊張と期待が入り混じった表情で平を見つめる。

 

「あの……」

東の声が震える。「私の方から誘ったんだから……」

 

平が優しく微笑む。「焦らなくていいよ」

 

しかし東は首を振る。「だって……」

彼女の指が無意識に平の胸元を撫でる。「こんなに固くなってるのに……」

 

平の吐息が東の首筋にかかる。温かい感触に東の体が震えた。

 

「俺たちのペースで」

平の低い声が耳元で響く。「慌てることなんてない」

 

東は思わず笑みを漏らす。「そんなこと言ったって……」

彼女の手が平の下半身へ伸びていく。「こんなにガチガチになってるのに」

平のものが布越しに脈打っているのを感じる。

 

「ほら」

東が冗談めかして言う。「こんなに正直な体してるくせに」

指先で円を描くように刺激する。

平が小さく呻く。「そりゃ……」

彼の手が東の腰に回される。「東とこうなること……夢見てたから」

 

 

# 生まれ変わる瞬間

 

 

(こんなはずじゃなかった)

 

東の脳裏に過去の記憶が走馬灯のように蘇る。これまでの男たちに求められた時、「必ずつけて」と断ってきた。それは自己防衛でもあったし、心を許さない境界線でもあった。

 

(でも今日は違う)

 

平の目を見つめながら東は理解する。この人となら壁を作りたくない。すべてを預けたい。

 

「ごめんね」

東の指が平の胸に触れる。「初めてなんだよね?」

 

平がゆっくりと首を横に振る。彼の目には複雑な感情が浮かんでいる。

 

「そうじゃなくて」

東の声が震える。「今まで……誰に対しても」

 

過去の影が二人の間に漂う。

 

「どんな男にも……生でさせなかった」

東の目に涙が浮かぶ。「体だけじゃなく……心もつながってる人じゃないと」

 

平の手が東の頬に触れる。その温もりが東の言葉に力を与える。

 

「だから」

東が平の上に覆いかぶさるように身体を寄せる。「平なら大丈夫って思ったの」

 

(信じてる)

 

言葉にできない感情が溢れる。東は平の肩に額を乗せる。

 

「私のホントの初めてを……平に」

東の呼吸が早くなる。「奪ってほしい」

平の鼓動が速くなるのを感じる。彼の腕が東を優しく包み込む。

 

 

 

 

# 快感の奔流

 

平の指が東の内腿を優しくなぞる。「本当に……いいのか?」

 

東は小さく頷いた。「うん……」

 

温かな接触を感じる。平のものが東の入り口に触れた瞬間—世界が変わった。

 

「あっ—」

 

言葉にならない。痛みではなく、圧倒的な温もりが東を満たしていく。ゆっくりと平が深く入ってくる。その度に東の内部が収縮する。

 

(何これ)

 

東の思考が途切れる。波のような快感が押し寄せ、理性を飲み込んでいく。

 

「平……」

 

東は喘ぐ。「信じられない……」

 

これまでのセックスとは次元が違う。快楽の粒子が血管を通して全身に広がっていく。東の背中が弓なりに反った。

 

「私……ずっと勘違いしてた」

 

息が上がる。「感じられないと思ってた」

 

平の動きが止まる。彼もまた衝撃を受けている。東の中があまりにも—

 

「東」

平の声が震える。「東の中締め付けが……すごすぎて」

 

言葉が終わる前に。予期せぬ波が二人を襲う。

 

「あっ—!」

 

平が東の中で震える。熱い奔流が東の内側を満たしていく。東の全身に鳥肌が立った。

 

「平……」

東の目に涙が浮かぶ。「一緒にイけたね」

 

絶頂の余韻が二人を包み込む。互いの鼓動が一つになる感覚。結合部からは溢れ出す熱い液体の感触。

 

「初めてだったのに……」

東が笑う。「こんなに……気持ちいいなんて」

 

二人は抱き合ったまま余韻に浸る。新しい人生が始まったような気がした。

 

「東」

平が囁く。「これが俺たちの始まり」

 

東の目から一筋の涙が頬を伝う。「うん」

 

 

---

 

 

# 魔法のような夜

 

結合したまま二人は荒い息を整えていた。東が平の胸板に顔を埋めていると、不思議な感覚が走る。

 

(え?)

 

東の内部で平のものが再び存在感を増していく。熱く固くなり始めたペニスが東の敏感な部分を押しつぶす。

 

「ちょっ……」

東が驚いた顔で見上げる。「平?まだ……?」

 

平は自分でも制御できない様子で顔を赤らめる。

「ごめん……勝手に……」

 

その言葉に東は微笑んだ。悪戯っぽく笑いながら腰を少し動かす。

 

「へぇ~」

東の目が輝く。「童貞だったくせに随分元気じゃない?」

 

平のペニスがさらに膨張する。東の内壁がそれを締め付け、互いに刺激を与え合う。

 

「東……」

平が呻く。「こんなこと初めてで……」

 

東が平の首筋に歯を立てる。「じゃあ教えてあげる」

 

彼女は腰を使い始めながら囁く。

「平がどれだけ私のこと好きなのか」

 

二人の結合部から湿った音が響く。

 

「分かる?」

 

東が平の耳元で甘く囁く。「私の中にいるだけでこんなに硬くなるの」

 

平の喘ぎが東の胸に響く。彼の手が東の乳房を握りしめる。東の体が反応して弓なりに反った。

 

「平……すごい……」

 

東が喘ぎながら言う。「こんなに何度も……」

 

平の動きが激しくなる。東の奥深くを突く度に彼女の膣壁が収縮する。その締めつけが平の欲望をさらに掻き立てた。

 

「もっと……」

東が泣きそうな声で訴える。「全部ちょうだい……」

 

平の汗が東の胸に落ちる。その塩気さえ快感になるほど東の神経は研ぎ澄まされていた。

 

「いいよ」

東が絶叫する。「好きなだけ出して!」

 

その言葉と共に平の体が震える。二度目の射精が始まると同時に東も絶頂を迎えた。

 

しかし—東の内部で平のペニスは衰える気配を見せない。逆に新たな生命力を得たように硬度を取り戻していく。

 

「嘘……」

東が驚愕の表情で平を見る。「本当に……何度でも……」

 

平の目が情熱に燃えている。彼は東を強く抱きしめた。

 

「東……」

 

「いいよ」

東が微笑む。「何度でも固くして」

 

二人は互いを求め合い続けた。朝まで—いやそれ以上の時間も—二人の肉体は尽きることなく愛し合った。

 

そしてついに……

 

「私のすべて」

東が平の上で涙を流しながら笑う。「平にあげる」

平の熱が東の奥深くで爆ぜる。その瞬間、二人の魂までが溶け合った。

 

 

 

# 身体と魂の宴

 

朝日が窓から差し込んできた頃—東は床に崩れ落ちそうになる体を必死に支えていた。すでに幾度もの絶頂を迎えた身体は限界に近い。しかし平の猛りは衰えることを知らない。

 

「もう……だめ……」

 

東の言葉とは裏腹に、彼女の体内はさらに平を求めて蠢いていた。平の手が東の髪を掴み、強引に引き寄せる。

 

「ひゃっ!」

 

驚きの声を上げる東の唇を平が奪う。乱暴な口づけに東の体が反応する。舌が絡み合い、唾液が滴り落ちる。平の手が東の豊満な乳房を掴み、激しく揉みしだく。

 

「んっ……あぁ……」

 

東の声が掠れる。平の動きが荒々しくなるにつれ、彼女の体内の官能が目覚めていく。

 

「平……」

 

東の目が恍惚に染まる。「もっと……もっと乱暴にして……」

 

その言葉に平の瞳が闇色に変わる。理性の最後の糸が切れた瞬間だった。彼は東を床に押し倒し、膝裏を持ち上げる姿勢で激しく腰を打ち付けた。

 

「あああっ!」

 

東の悲鳴が部屋に響く。平の剛直が奥深くまで侵入し、東の最も敏感な場所を容赦なく擦り上げる。東の爪が平の背中に食い込む。

 

「私の……身体……」

 

東が涙を流しながら呟く。「全部……平に食べられてる……」

 

平の動きが加速する。東の膣壁が収縮し、平のものを締め付ける。二人の汗が混ざり合い、体温が溶け合う。

 

「東……」

 

平の声が獣のように低くなる。「東は俺のものだ……」

 

その言葉が引き金となり—東の絶頂が始まった。全身が痙攣し、膣が収縮する。しかし平は動きを止めない。むしろさらに激しく東を貫く。

 

「ひっ……!」

 

東の視界が真っ白になる。脳内で火花が散り、快感の嵐が押し寄せる。

 

「ああ……イってるのに……また……」

 

東の言葉が途切れる。平の律動が止まらず、絶頂の波が連続して押し寄せる。彼女の意識が飛びかけた瞬間—

 

平の熱い迸りが東の最も深い場所を満たす。二人は互いに抱き合い、荒い息をつきながら余韻に浸った。

 

「平……」

 

東が微かに笑う。「私……幸せ……」

 

そして夜は更けていった。二人の宴は終わりそうにない。

 

 

# 喰らい合う魂

 

東の意識は霞がかかったようだった。平の荒々しい動きに身体が翻弄され、理性は完全に溶解している。彼女の膣壁は平の熱い塊を締め付け、そのたびに新たな快感が生まれる。

 

(ああ……)

 

東の瞼が半分閉じかけた状態で思う。(この男のものになりたい)

 

結合部から溢れ出す液体の温かさを感じながら、東は無意識に腰を浮かせる。平が喉を鳴らして唸る。その野性的な反応が東の背筋を震わせた。

 

(最初で……最後の女に……)

 

その欲求は突然湧き上がってきた。これまで誰にも抱いたことのない思い。東は男たちにとって「通り過ぎるもの」であったはずなのに。

 

平の顔が歪む。眉間に刻まれた皺。額に滲む汗。すべてが美しいと思った。

 

(離したくない)

 

東の指が平の肩に食い込む。「平……」

 

平の動きが速くなる。二人の肌がぶつかる音が響く。そのリズムに合わせて東の意識が薄れていく。

 

「他の女なんて……見ないで」

 

か細い声で東が囁く。「私だけ……私だけ見て……」

 

平の動きが一瞬止まる。彼女の言葉に驚いたのか。しかし次の瞬間、さらに激しく腰を打ちつけ始めた。

 

「あっ……!」

 

東の視界が白くなる。平の全てを吸い込むような感覚。「もっと……もっと欲しい……」

それは肉体だけでなく魂までも—

 

 

# 罪と許しの海で

 

結合が緩み、東の身体から平が離れると同時に彼女の涙があふれ出した。幸福感が大きすぎるほど、遅れてきた罪悪感が同時に胸を締め付ける。

 

「平……」

 

東が震える声で言う。彼女の顔には喜びと絶望が混在していた。

 

「ごめんなさい……」

 

その謝罪は何に対するものなのか—東自身にもわからなかった。ただ一つ確かなのは、平の腕の中で感じる幸福と比例するように罪の意識が膨らんでいくことだ。

 

「東?」

 

平が不安そうに尋ねる。彼の瞳には心配の色が浮かんでいた。

 

「私は……あなたの……」

 

東の言葉が途切れ、嗚咽が漏れる。「私は平の最初で……最後の女になりたい」

 

その告白と共に涙が頬を伝った。「でも……でも私は……あなたに最初を上げられない……永遠に……」

 

彼女の言葉に平は硬直した。東は続けた。

 

「過去を……消し去りたい」

東が両手で顔を覆う。「流されるままだったあの日々……何も考えずに男たちを受け入れた自分……」

 

声が震える。「そんな自分が……平に触れられる資格なんて……」

 

東の懺悔は続く。

 

「平の前では清らかでありたいのに……汚れていて……」

 

彼女はベッドで体を丸めた。「殺してやりたい……そんな自分を……」

静寂が部屋を支配した。月明かりだけが二人の影を映し出している。

 

 

# 心の境界を超えて

 

東の懺悔が続く中、平は沈黙を破った。ゆっくりと起き上がり、ベッドの上で正座する。

 

「東」

 

その声は穏やかだったが、芯があった。東が恐る恐る顔を上げると—そこには決意に満ちた平の表情があった。

 

「俺は……」

彼は慎重に言葉を選ぶ。

「俺は東の過去を知らない。どんな男たちが東に関わってきたかもわからない」

 

東の目から新しい涙がこぼれる。

 

「だからこそ」

平が続けた。「俺は今の東を見てる」

 

彼の手が東の頬に触れ、そっと涙を拭った。

 

「東は東。東紫乃だ。他でもない……一人の女だ」

 

平の眼差しに迷いはない。この瞬間のために練習してきたかのように自然な言葉が出てくる。

 

「過去があって今の東があるんだから……」

彼は微笑んだ。「その過去ごと……俺は東を受け入れるよ」

 

東が息を飲む。

 

「でも……私は……」

 

平が遮る。「お前は東だ。それだけなんだ」

抱きしめる腕に力がこもる。平の胸に顔を埋めながら、東は初めて本当に安堵した。

 

 

-----

 

 

# 嘘と真実の狭間で

 

「ピロン」

 

スマホの着信音で東の意識が浮上した。柔らかな羽毛布団の感触と共に、昨夜の記憶が蘇る。平の熱い息遣い。自分の名を何度も呼ぶ声。そして—初めて感じた本当の快感。

 

東はゆっくりとベッドから体を起こした。隣には平が安らかな寝息を立てている。月光に照らされた横顔は穏やかで、昨夜の激しさが夢だったかのように思える。

 

手探りでテーブルの上のスマホを取ると、画面には着信履歴がずらりと並んでいた。

 

*「サト」「サト」「サト」「サト」「サト」*

 

続いてメッセージを開く。

 

**サト**: 「アズ、私が予約したホテル、チェックインしたなら連絡くらい入れなさい!心配するでしょ!」

 

**サト**: 「アズ、結果はどうあれ、どうなったかは教えてね。ダメだったら一緒に泣いてあげるから」

 

東は小さく微笑んだ。佐藤の優しさが身に沁みる。昨夜の混乱の中、連絡を忘れていた自分を反省しつつ、言葉を選んで返信を考える。

 

「サトへ」と打ちかけて躊躇う。真実を語るべきか、それとも—

 

東の指が画面を滑り始めた。

 

**東**: 「最愛の親友サトへ。完璧なホテルと完璧な作戦だったわ。イレギュラーは全くなし。目標はコンプリートよ」

 

送信ボタンを押す直前、最後の一文を追加する。

 

**東**: 「……でもサトには特別に教えるね。実は昨夜は途中で計画を変えたの」

 

さらに一行。

 

**東**: 「平も私も想像以上に……熱くなったの。おかげで電話忘れちゃった。ごめんね」

 

最後に改行して。

 

**東**: 「詳細は帰ったら話すわ。本当にありがとう。心配かけたよね」

 

送信ボタンを押すと同時に、平が寝返りを打った。東の姿を見て目を開く。

 

「おはよう」

平の掠れた声に頬が熱くなる。昨夜の記憶が鮮明によみがえる。

 

「おはよう」

東も答える。「サトに連絡してたの」

 

平が目を細めた。「サト?」

 

「私の親友」

 

東は照れ隠しに窓辺に向かう。「外、晴れてるね」

 

二人の影が朝日に伸びていく。昨夜までの重荷が嘘のように軽くなっていることに東は気づいた。過去の自分を殺すことなく—そのままの自分を受け入れてくれた人がいる。

 

それが何よりの救いだと、東は思った。

 

 

 

# サイドストーリー:佐藤葵の孤独な戦い

 

**佐藤の視点**

 

「直前過ぎる!無茶ぶりが過ぎる!」

 

今度は何だろう。画面には東からの新着メッセージが表示されている。

 

**東**: 「平と泊まりになるかも。この海から近くで雰囲気の良いホテル確保できない?帰ったら全部話すから、お願い!」

 

ため息が出た。もう何度目だろう。東の「無茶ぶり」に応えるのは。

 

佐藤はノートパソコンを開き、検索エンジンを立ち上げた。条件は厳しい。だが彼女の頭脳はすでに最適解を求め始めていた。

 

・海からの距離は徒歩で移動可能だが、歩く価値のある距離。近すぎず遠すぎず。

・ラブホテルほど露骨ではなく、ビジネスホテルほど質素でない。若いカップルが利用する程度の雰囲気を持ったリゾートホテル。

・部屋は禁煙。これは東が非喫煙者だから必須だ。

・ベッドは2つあるが、1つ1つのベッドサイズが大きい部屋。ファミリールームのような大部屋は避けるべきだ。あくまで個別の寝室のような設定で。カップルらしい雰囲気だが過度に露骨ではない。

 

数秒で3つの候補がヒットした。評判を比較し、空室状況を確認する。最終的に選んだのは—オーシャンビューの客室があり、ラウンジバーも併設された「ルナティック・ブルー」。完璧な選択だ。

 

予約を確定させ、安堵のため息をつく。彼女は淡々とメールを作成した。

 

**佐藤**: 「予約完了。『ルナティック・ブルー』の402号室。午後6時チェックイン可能。キャンセル料発生するから必ず来なさい」

 

予約確認メールのリンクも添付しておく。そして念押しの一文。

 

**佐藤**: 「次からはせめて当日の午前中に連絡しなさい。今度同じ無茶振りしたら容赦しないから」

 

送信ボタンを押すと、肩の荷が下りた気がした。椅子にもたれかかり天井を見上げる。

 

「平……」

 

無意識に口に出していた。あの東が心を許した唯一の男。東の話を聞く限りでは優しくて誠実らしいが、恋は盲目というから……

 

「アズのこと任せたからね」

佐藤は誰に言うでもなく呟いた。この完璧な舞台装置—それは東が新たな一歩を踏み出すための最後の試練でもあった。そして佐藤は信じていた。東なら乗り越えられると。

 

 

 

# サイドストーリー:甘味処にて

 

佐藤はスマートフォンから顔を上げた。窓際の席から見える通りには、若い女性たちが賑やかに行き交っている。季節限定の特製あんみつを一口含みながら、彼女は周囲を観察した。

 

この「和心堂」は口コミでも有名な甘味処だ。壁は淡い桃色に塗られ、テーブルは漆塗りの丸型。客層は圧倒的に女性で占められていた。一人で座る佐藤はやや目立っていたが、彼女自身はそれを気にする様子もない。

 

「お待たせ〜!」

 

待ち望んでいた声と共に入口の暖簾が揺れた。東が平の腕を引っ張るように入ってくる。平は明らかに緊張した面持ちで、辺りを警戒するように見回していた。

 

「遅い」

佐藤はスマホを鞄にしまいながら言った。

 

「ごめんごめん!」東は額の汗を拭いながら平を指差した。「平を説得するのに時間がかかっちゃって」

 

平は軽く会釈すると佐藤の向かいに座った。店内の視線が彼らに集中する。女性専用のような店に突然現れた男の存在は否応なしに注目を集めた。

 

「大丈夫?平くん」

佐藤はメニューを差し出した。

 

「ああ」平はぎこちなく受け取りながら、「こういう店は初めてで……」

「私も平をここに連れてきたかったんだもん!」東が嬉しそうに言う。

 

佐藤は呆れたように眉を上げたが、何も言わなかった。東が平の手を取り、ニコニコしながら席に座るのをただ見つめる。平の耳が赤くなっているのを確認して、佐藤は小さく微笑んだ。

 

「今日の目的を忘れてないでしょうね」

佐藤は紅茶を飲みながら言った。

 

「もちろん!」東は勢いよく頷いた。「感謝の気持ちを込めてサトに最高のお菓子をご馳走する!」

 

「じゃなくて」佐藤は目を細めた。「君たちの関係について報告する約束だったでしょう」

 

東の頬が一気に赤くなった。平は静かにメニューを見つめたまま固まっている。店内の空気が一瞬止まったように感じられた。

 

「えっと……」東は平の袖を引っ張った。「私たちね、あの……」

 

佐藤はため息をついた。「具体的に話すつもり?今ここで?」

 

「ダメ?」東は上目遣いで見つめてくる。

 

平が顔を上げた。「東、その……」

「大丈夫大丈夫!」東は明るく遮った。「サトには全部話さなきゃ!だって……」

 

そこで彼女は言葉を切った。店内の女性たちが好奇心いっぱいの表情でこちらを見ていることに気づいたのだろう。

佐藤は微笑みを浮かべたまま観察を続けた。この友人はやはり東なのだ—直情的で計画性に欠けるが、根底にある純粋さは誰よりも輝いている。

 

「場所を変えましょう」佐藤は提案した。「ここじゃ落ち着いて話せないわ」

 

平が安堵の表情を見せた。「ありがとう」

 

「でも!」東が食い下がる。「せっかく来たんだから何か食べようよ!」

 

佐藤は苦笑いを浮かべた。「まあいいけど……」

「やった!」東は喜びの声を上げた。

店内の女性たちは興味深そうに見守っている。この場面だけ見れば奇妙な三角関係に映るかもしれない。

だが佐藤にとっては違った—これは東が人生を取り戻す過程であり、彼女にとってかけがえのない瞬間だった。

平がゆっくりとメニューを閉じる。その手は微かに震えていたが、決意を秘めた瞳で東を見つめていた。

 

 

-----

 

東は大きなスプーンであんみつを口に運びながら話し始めた。「それでね平、サトって本当にすごいんだよ!」

 

佐藤は紅茶を口に運びながら「また始まった」という表情を浮かべる。平は黙って聞いていた。

 

「そもそもあの海に行く計画を立ててくれたのもサトなの!」

佐藤がカップを置く。「それは単なる旅行プランニングで……」

 

「違うもん!」東は力強く否定した。「サトが『たまには平を誘ってみたら?』って提案してくれて」

 

佐藤は渋々認める。「確かに最初の一歩を勧めたけど……」

 

「それに!」東は身を乗り出した。「あの日の水着だってサトが一緒に選んでくれたんだから!」

 

平の耳が一気に赤くなる。彼はスプーンを回しながら小声で言った。「あの水着……似合ってた」

 

東の顔も同じ色に染まる。「でしょでしょ!?」彼女は佐藤の方を向いた。「やっぱりサトのセンスが最高なんだよ!」

 

佐藤は肩をすくめる。「ネットで調べただけよ」

 

「嘘だよ!」東は両手を広げた。「ホテルの予約だって完璧だったじゃん!あの景色のいい部屋とか!」

 

平が咳払いをして「実は……」と言いかけたところで東が遮った。

 

「ねえ平、全部サトのおかげって言ったら負けになる!?」彼女は急に真剣な表情になる。

 

平は静かに微笑んだ。「そうだな。でも……」彼は東の目をまっすぐ見つめた。「決断したのは東だし、結果は俺たちが作ったものだ」

 

「ほら見ろ!」東は勝ち誇ったように佐藤を見た。「やっぱり私が頑張ったんだから!」

 

三人は笑い合った。甘味処の喧騒の中、彼らの小さな円卓だけが特別な空間になっていた。

 

佐藤はふと思いついたように口を開いた。「ねぇ」彼女は少し寂しげな表情で続けた。「恋って……いいものかい?」

 

東と平は顔を見合わせた。

 

「サト……」東は優しく言った。「あなたはずっと側で見守ってくれてるじゃない」

 

佐藤は首を振る。「私は観察者だから。実際の当事者にはなれない。そもそも恋愛から人間関係がはじまることがよく分からない」

 

平が静かに言った。「それも悪くないんじゃないかな。俺たちの関係を見てきた佐藤は……」

 

「サト」佐藤が訂正した。「今日からはサトと呼んで」

 

「サト」平は言い直した。「サトの視点があってこその俺たちだと思う」

 

東が二人の手をつかんだ。「これからも三人でいろんなところに行こう!約束!」

 

佐藤は珍しく柔らかな笑みを浮かべた。「仕方ないわね……」彼女はそう言いながらも、目に涙を浮かべていた。

窓の外では秋の風が吹き始めている。彼らの新しい章が始まろうとしていた。

 


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