※この作品はR-18です。

TSFF外伝小話   作:EMM@苗床星人

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こぼれ話1『シンクバイとダチカル 帝国再建への道!その1』

『注意:普段であれば冒頭は本人視点の地の文で回想シーンを描写していますが、ダチカルの思考は簡単な単語以外存在しないため小説として最低限の文章として構成できないので、あえていつもの神の視点にて描写します。ご容赦下さい』

 

 時は数時間前に遡る。

 

 ガリガリガリガリッ! と、強靭な顎と牙が分厚い岩盤や土砂を粉砕し、掘り進む。

 激しい振動と土の流動を、滑らかに動くようになった巨体で後ろへと押し出しながら、地中を水中のように泳ぎ進む力任せな狂獣がいた。

 

 (オレ、ダチカル!──フルネームはダチカル=ブレイカー=ザ=ヘイブンロックフォート三世(自称)!

 今シンクバイの匂いと、共有してる『セキュリティコア』の反応を頼りに地中に潜ってる最中だ!)

 

 そう、ありのままに、ただ直感のままに考えている彼だが、その巨大な片足は無惨にももがれた当時のままであった。

 千切れた断面の配線からはバチバチと嫌な音を立てて青白いスパークが散り、生々しいオイルを土に撒き散らしている。

 しかし、痛みなど知らない彼は、そんな負傷など意にも介さず構わず土中を泳ぎ続ける。

 何が彼をそうさせるのか。

 ──それはひとえに、一年ぶりに感知したシンクバイという存在への、異常なまでの執着による潜航であった。

 

 生前の『彼女(ダチカル)』は、変幻自在なシェイプシフターたちの中にあって、尚のこと異形であった。

 

 多脚戦車(エイリアンタンク)という、ビークル(女)とも機龍(男)ともつかない、暴力の権化のような姿へと変身できる彼女は、そのロボット形態すらも無骨で中性的であり、何より他の者たちに比べて遥かに巨大であった。

 生前、彼女が「女」であると正しく認識できていた仲間は、広大な帝国においてもほぼ皇帝エイトただ一人しかいなかったという有り様である。

 こう言うと笑い話のようだが、この生い立ちと自らの造形は、決して頭の良くない彼女にとって、唯一の生まれ持った「悩み」であった。

 

 彼女はその存在自体が、戦闘に特化した突然変異の化け物。

 破壊無くしては生きられない悲しき異形。

 彼女が物心ついた頃には既に『ゼロムード帝国』という狂気の組織に所属していたのも、その性質を最大限に活かせる環境がそこしかなかったからに他ならない。

 

 年齢は五百歳。

 ベンザイアやヤマトたちといった若者でさえも数千歳という途方もない時を生きるシェイプシフターたちのなかにあって、彼女はあまりにも若すぎた。

 だが、それでも最前線で「まだ生きている方」だった。彼女は帝国のためにその身と世界を燃やし尽くすためだけに生み出された、一代限りの兵器(デキソコナイ)だったのである。

 

 そして、シンクバイは、そんな制御不能の化け物であるダチカルと、あの最終決戦まで共に生き延びた数少ない同志であった。

 

 転生を果たした今の彼は、正真正銘の「雄」となっている。

 真っ当に強く、大きく、そして何よりも自然界における絶対的な強者たるティラノサウルス(T-REX)の姿へと成り果てている。

 

(あの赤い髪のおねーさん、目茶苦茶強かった!

 あいつとぶっ闘った末に殺されるなら、あのちび(ベンザイア)よりよっぽど納得がいくし満足だけど……その前に、やることがある!)

 

 彼を猛進させる原動力。それは、出来損ない(強い雌)から完成品(強い雄)になったことによって目覚めた、自らの遺伝子を残そうとする強烈な本能。

 

 即ち……。

 

(雌の匂いをさせているシンクバイ!

 ——ちょっとよくわかんない……けど、でっかいあいつが雌になってるなら、オレの遺伝子を残せる! 交尾できる!!)

 

 そこに同僚への気遣いや、複雑な愛情などない。

 不純。──否。

 それはどこまでも純粋で、生命としてあまりにも真っ直ぐな、生殖欲求による猛進であった。

 

 

     * * *

 

 

 ガリガリガリガリガリ……ぼこぼこっ!

 

 

「ぶはっ!」

 

 長い潜航の末、ついにダチカルは、分厚い岩盤――ドワーフ族が敷設した地下鉄道網のトンネルに風穴を開けた。

 シュルシュルと蛇のように、その孔から恐竜の巨体を引きずり出したかと思えば、残された太く逞しい一本足で器用に立ち上がり、ひょこひょことレールをまたいでいく。

 

「クンクン……クンクン……」

 

 

 鼻をひくつかせながら彼が見上げた先には、古代遺跡の重厚な金属扉が立ち塞がっていた。

 

 地球人から見ても、そして巨大なシェイプシフターから見ても規格外に巨大なその扉を、ダチカルは楽しそうに見上げる。

 直後、彼の一本足――正確には爪の先から腿にかけて内蔵された装置が、ヴュウウゥン……と低い駆動音を鳴らし、超高圧の金属粒子から成る光り輝く『刃』を形成した。

 

「ぅぅぅるああぁぁぁ!!」

 

 咆哮一閃。

 彼に細かい思惑などない。

 ただ邪魔だから壊す。言わんばかりに、巨体を支える一本の足で強烈な回し蹴りを放つ。

 形成された粒子の刃が、遠心力に引っ張られて輪ゴムのようにしなり、伸びる。

 それは恐るべき切断力を伴って分厚い金属扉を易々と両断し、その直後、凄まじい質量を伴った逞しい足が残骸を強引に蹴り飛ばした。

 

 シュバンッ! ――ゴガアァァァンッ!!

 

 凄まじい破壊音が、静寂に包まれていた遺跡の空間に轟々と響き渡る。

 

「しんくぅー、どこー?」

 

 先ほどの圧倒的な暴力と威圧感に全く似合わない、無邪気で可愛い声を響かせながら、ダチカルはひょこひょこと遺跡の中へ足を踏み入れた。

 そこへ、けたたましい警報と共に、どこか無害そうな人工音声による警告アナウンスが流れる。

 

『ルネア・ラータ・ラーカイブ・エンチェ・ダンジョマイニア・エッセ・ラーカイブ・エ・コーション

(詳しくは本編2-3話ガルガンチュア・チェイスを参照。

 侵入者の命の保証はされないのでお気を付けください的な内容)』

 

 全く聞き馴染みのない古代言語に、巨大なT-REXはコテッと首をかしげた。

 すると、カサカサと不気味な足音を立てて、遺跡の防衛機構である小型の蜘蛛型機械が群れをなして寄ってくる。

 それらは互いの宝玉のような機関に照準を合わせ、高熱・高出力のレーザーを縦横無尽に放射し、ダチカルを囲い込むように致死的なレーザートラップを形成した。

 普通なら絶望するような光景。しかし、ダチカルは嬉しそうに小さくてつぶらな目を輝かせた。

 

「わぁい! あっそぼう!」

 

 そう、狂獣ダチカルにとって、この程度の罠は文字通り「遊び」と同義だったのである。

 それでも、この光線が自分以外の生物にとっては一瞬で炭化するほど十分に致死的であるという危険性を「本能で理解」しつつ、かつ一切の恐怖を抱かず「対処可能」なゲームとして処理してしまうのが、この規格外の子供の恐ろしく、そしておかしいところであった……。

 

 その直後から繰り広げられたのは、遺跡側の想定をはるかに超えた蹂躙であった。

 致死のレーザートラップをあっさりと破壊し、侵入者を圧殺するはずの重力異常地帯を片脚にもかかわらず「けんけんぱ」の要領で軽快に突破。

 さらには、強酸性の沼を形成するタールシングスの群れをも、ジェット推進付きの驚異的な脚力で強引に飛び越えてみせる。

 ダチカルのダンジョン攻略はまさに、この後に繰り広げられるマギア・ラージ・キャリアーによる力技の突破すら生ぬるい、規格外の暴力の一言に尽きた。

 

 

     * * *

 

 

 そして、一切の苦戦をすることなく、るんるんと鼻歌を歌いながら最奥へと辿り着いたダチカルは――その暗闇に横たわる「巨大な存在」を目にして、小さな瞳を大きく見開いた。

 

「シン……ク……?」

 

 

 それは、人間に例えるなら……まるで、息をしていなかった。

 

 巨体の内部エネルギーは完全に停止し、かつて知性に光っていたはずのモノアイは真っ黒に沈んでいる。微かな意志の稼働を示す眼球運動すら、完全に止まっていた。

 確かに、彼の知る雄の姿から女体(ビークル)へと変異してはいるものの、ダチカルがそのT-REXの小さな前足でツンツンとつついみても、全く反応がない。

 

「死んじゃった……の……?」

 

 先程までの機嫌の良さと威勢が嘘のように消え失せ、寂しそうに、そして静かに震える声でダチカルは囁いた。

 不意に、遠い記憶が脳裏をよぎる。

 シンクバイと共に駆け抜け、地球とネオンワンスの同盟軍を相手に戦い抜いた『鋼鉄戦争』。どんどん不利になっていく戦況がむしろ楽しくて仕方がなかった日々。

 そして――最終兵器が眠る、地球の月での決戦。

 弱いやつに負けた。

 不意を突かれ、たった一つのチャンスを掴み取った、あの臆病で弱い雄の戦士に負けたのだ。

 生命が尽き果て、視界が冷たく暗く沈んでいく前世の末期。

 自分の残骸に追いすがり、叫び声をあげてモノアイから洗浄液を流していた――あの野心たっぷりで、計算高かったはずの男の、ひどく情けない声が、ダチカルの若く小さな量子脳内にこだまする。

 ぼたっ、ぼたたたっ……と、大粒の雫が金属の床に滴り落ちる。

 

「……シンク、ねぇ……シンクゥ。

 置いてってごめん。謝るから。オレ、もう死なないから……だから、起きてよぉ」

 

 ゆさゆさと、反応のない巨体を揺らすダチカル。

 震えるその声と、ぽちゃん、ばしゃん……と大粒の冷却液の涙が滴る音が、静まり返った闇の中に寂しく響き渡る。

 

 だが、その直後だった。

 

「まったく……騒がしい音を立てて何が来たかと思って隠れて見てみれば、お前かダチカル」

 

 ――!

 闇の奥から、突如として気の強そうな女の声が空間に響いた。

 聞いたことのない声。聞いたことのない口調。

 しかし、その気の強そうな語り口と、本来はビビりのくせに、自分に対してだけは妙に信頼を置いているその尊大な態度。

 ダチカルはハッとして振り返った。

 

「えーと……『ゴウ・ルミネ(火属性・照明)』! おっ、出た出た」

 

 ボゥッ、と。古い魔導書のような本を片手に、左手の上に炎の照明を点火して暗闇を照らし出したその姿は、人間の女によく似た『何か』だった。

 長い髪に、前髪で片目を隠した、黄金律のように美しく整った顔立ち。

 そして何より、残された片方の金色の瞳にギラギラと輝く野心は、ダチカルの大好きな友人のそれにそっくりであり――さらに言えば、それはやけに胸の大きな、巨乳の女であった。

 

「久しぶり。……で、その足をどこに落としてきたのよ? ダチカル」

 

「――シンクゥ!」

 

 その姿を見た瞬間、ダチカルの中から交尾だの生殖の欲求だのはどこかへ吹き飛んだ。

 彼は純粋に、大好きな親友との再会を無邪気に喜んだ。

 

 喜んだのだが――。

 

「シンク、なんかちっちゃくなっちゃったーね?」

 

 コテッと首をかしげるダチカル。

 男から女への変化は、身をもって体感した彼である。

 だが、まさか人間ほどの極小サイズになってしまうとは思いもしなかった。

 

(こまった。これじゃ、交尾したらシンクが裂けちゃう)

 

 とてつもなく恐ろしい想像を巡らせながら、ダチカルは短い前足を顎に当てて真剣に悩んだ。

 しかし、そんな狂気じみた思考が繰り広げられているとはつゆ知らず、シンクバイはその片目をジトッと半月状にして、呆れたようにため息をついた。

 

「なんだいお前、MMS機能が追加されていることに気付いてないの?」

 

「えむえむえす?」

 

 聞いた覚えは、かすかにある。

 弱っちい炭素生命体に合わせて、ネオンワンスの連中が人間サイズのアバターを作る機能を、ヤマトが仲間たちに追加していたという話だ。

 ゼロムードの皇帝エイトは、人間とのコミュニケーションを通信以外では完全に否定していたため、帝国軍である自分たちには本来備わっていない機能のはずだった。

 そもそも、そんな細々とした機能など、ダチカルがいちいち使う理由も、気付く理由すらありはしなかった。

 転生後も元の巨体のまま、周囲から略奪と破壊を繰り返して暴れ回り、結果として冒険者の『赤い髪のおねーさん』が討伐に派遣される有様だったのだから。

 

「仕方ないねぇ……やり方を教えてあげるから、ちょっとこっち来な?

 私もこれを見つけたときは目を疑ったが、使いこなすといろいろと便利よ」

 

 シンクバイの言葉に従い、ダチカルは素直に巨大な身をかがめて言うことを聞く。

 

 ここで、読者は疑問に思うことだろう。

 なぜ、本能のままに生きる彼が、即座に襲い掛からないのか、と。

 

 ダチカルは知っているのだ。

 シンクバイの『邪魔をしてはいけない』という根本原理を。

 邪魔をすれば本人が怒るのはどうでもいいとして、戦略や計算を乱した結果として、最終的に自分が実戦で痛い目を見るからだ。

 そして、言うことを聞いてさえいれば、こうして珍しいものや楽しいものに触れさせてくれる。

 そう、彼の本能に深く刻み込まれているのである。

 ダチカルは、ただの狂獣ではない。 ちゃんと『待て』ができる狂獣なのだ。

 

 

 「……ふぅ」

 

 シャキキキキン……カチャッ。  そんな硬質で軽快な駆動音と共に、細胞単位のナノメタルの塊に宿った魂が、瞬く間に人間の子供ほどの小さな仮想体を形成していく。

 そうして実体化したダチカルのMMS(アバター)は、その可愛らしい声によく似合う、幼い少年の姿で固定された。

 燃えるような赤い髪に、少し太めの立派な眉毛。

 それは、彼の記憶に新しい『赤い髪のおねーさん』の顔立ちを無意識に模したのか、どこか中性的な女顔であった。

 だが、それが余計に、彼から漂う「やんちゃなクソガキ感」を際立たせているようにも見えた。

 

「ほう……。本当に、中身は幼かったんだねぇお前。

っていうか、性別は反転してない……いや、待て。お前、元々は女だったのかい!?」

 

 ダチカルの少年アバターをまじまじと見下ろし、シンクバイは今更ながらギョッとした。

 前世で自分が幾度となく乗り回し、共に戦場を駆け抜けた破壊兵器の中身(精神年齢)が「幼女」であったと知った彼女(彼)のいたたまれなさたるや、想像に難くない。

 

「うん、今は完璧に強い雄!」

 

 えっへん、と元気に胸を張って答えるダチカル。

 そんな彼に「はいはい」と適当に相槌を打ちながら、シンクバイは自らの横たわる巨大な本体(クレーン車)から、ジャラララ……とナノメタルの一部を拝借する。

 風に舞う木の葉のように電磁気力で揺蕩うそれを操り、シンクバイはダチカルの太ももの付け根から無惨に切断された箇所へと纏わせた。

 

「『皇帝のカテドラル』のアーカイブは……ヨシ、残ってるわね。それを使って、ちょちょいのちょいと」

 

 本来であれば、ダチカルの両足は揃っているはずなのだ。

 シンクバイは、皇帝エイトの『皇帝のカテドラル』によって帝国兵たちに与えられた固有武装のデータを実体化する権限を持っている。

 自身の脳内に記録されたアーカイブを参照し、帝国側の固有武装やカテドラルの加護に干渉できる『疑似的なカテドラル使い』となるのが、シンクバイの持つ固有能力であった。

 それぞれが強力で凶悪な武器を扱う個の強いエリート集団であった帝国軍が、統率された軍隊として機能していたのは、彼女(彼)の存在によってシステムが完全に管理統制されていたからに他ならない。

 

 しかし、いかんせん材料(ナノメタル)が足りないためか、再構築されたダチカルの新しい左足は、真鍮色をした単純な構造の、いかにも『義足』といった棒状の無骨な形に落ち着いてしまった。

 

「――よしっ、とりあえずこれで大丈夫だろう。こっちも片づけないとねぇ」

 

「わはーぃ、シンクありがとぅ!」

 

 器用に義足を動かしてピョンピョンと跳ねる少年の姿に満足すると、シンクバイは傍らに転がる、魂の抜けた自身とダチカルの巨大な本体(ビークル)に手を触れた。

 

『権限行使・セキュリティコア変換開始』

 

 シンクバイがそう詠唱すると、ガチャ、ガチャガチャッ、ガギギッ、ゴリゴリッ、ガキュン! と、奇妙で暴力的な金属音が響き渡る。

 その直後、巨大な二つの機体は、まるで物理法則や質量を完全に無視するかのように急速に折りたたまれて行き、やがて淡く霊子の光を発するバスケットボール大の「機械の塊」へと変貌した。

 

 『セキュリティ・コア』。

 ネオンワンス陣営のMMS機能と同じように、エイト皇帝の『皇帝のカテドラル』によって部下たちに与えられた加護の一つであり、シンクバイ自身がそのシステム構築の原案を務めた「身体圧縮」の機能である。

 本来は、この状態に圧縮した兵士を大砲の弾として敵陣へ打ち出し、現地内部で解凍させて暴れ回らせるといった、極めて破壊的で非道な戦術に用いられるものであった。

 だが、MMSという便利なアバター機能が新しく追加された今の状況において、これを「巨大な本体を持ち運ぶアイテムボックス」として用いない手はなかった。

 

 シンクバイは、二人のセキュリティ・コアを斜めがけした大きなバッグの中に放り込むと、埃を払って立ち上がった。

 

「よしっ! ダチカル、外の状況を説明しな!

 この便利な魔術とやらが存在する、完全に違う世界……くくく、新生ゼロムード帝国のニューリーダーとなるには、もってこいの舞台じゃあないか!」

 

 この古代遺跡の内部でぽつんと転生出現して以来、たった一人でいた間に、遺跡で拾った魔導書の機能を学習・解析し続けていたシンクバイ。

 彼女(彼)は、これから始まる覇道に胸を躍らせ、楽しみそうにダチカルの報告を促した。

 

 そして――この後。

 ダチカルの口から語られる、常識を逸脱した『人外魔境ファンタジー』たる外の世界の理不尽な様子に、シンクバイは本気でドン引きしながら、あの狂気の脱出劇へと繋がることになるのであった。

 

 

     * * *

 

 

 そして、危うくマギア・ラージ・キャリアーにひき潰されそうになったり、鉄鼠の餌食になりそうになりながら、あの混沌とした状況のドワーフ地下鉄道から脱出して一週間。

 舞台は地上。大陸を大きく二分する砂漠の大国の一角、熱砂の国ダルバーグ皇国。

 見渡す限りの灼熱の砂海の中にぽつんと浮かぶ、巨大なオアシス。

 その豊かな水源と緑を丸々一つ独占するようにして建てられた、豪奢な白亜の屋敷があった。

 

 強烈な日差しが降り注ぐ中、オアシスの一角を美しく加工して作られた広大なプールの畔には、この世界の住人には到底似つかわしくない、極彩色のパラソルと頑丈なハンモックが設えられていた。

 そのハンモックに身を預け、冷たい風を浴びながら優雅にくつろいでいるのは、露出の多い可愛らしい水着を纏った一人の少女だった。

 

 だが、その容姿は明らかに「人間」の枠を逸脱している。

 目元を奇妙な形のサングラスで隠し、頭部からはフサフサとした猫耳がぴくぴくと揺れているが、そのすぐ横には、天を突くような巨大で無骨な『鉄の角』が生え揃っていた。

 さらに、水着から覗く小ぶりなお尻の付け根からは、太く角ばった『機械の尻尾』が伸びている。

 その金属の尻尾は、まるでそれ自体が独立した意志を持っているかのように上機嫌にゆらゆらと揺れ動き、パラソルの代わりに強烈な太陽光を防ぐ影を作り出して、彼女の視界を快適に護っていた。

 

「んっふっふ、いひひひひっ」

 

 少女――イヒカは、いたずらっ子のような、あるいは悪巧みが成功した三下悪党のような笑みを浮かべて、サングラス越しに青空を見上げた。

 気怠げに、しかし尊大な態度で、彼女がスッと右手を伸ばす。

 

「ひっ……!」

 

 そのわずかな動きに気付いたのは、傍らに控えていた褐色肌の人間の女性だった。

 彼女の首には分厚い鉄の首輪が嵌められており、そこから伸びる鎖がじゃらじゃらと重苦しい音を立てる。

 女性はビクリと全身を震わせると、恐怖に怯えた顔で駆け寄り、氷の浮かんだ色鮮やかなジュースのグラスにストローを挿して、恭しくイヒカの口元へと差し出した。

 

「ちゅるちゅる……っかぁー! 甘いっ! 冷たいっ! 最高っ!」

 

 ストローからジュースを勢いよく吸い上げたイヒカは、ぷはぁっとだらしない声を漏らし、ハンモックの上でゴロゴロと転がった。

 

「やっぱ炭素生命体を従えるのに、こんなシンプルな手段はないね! 奴隷制・さいこーぅ!!」

 

 この世界の倫理観を真っ向から否定する、最低な暴言。

 それを心底嬉しそうに叫びながらはしゃぐ少女の言動に、奴隷の女性は「ヒィッ」と小さな悲鳴を上げ、深く頭を下げながら後退った。

 イヒカはそんな奴隷の恐怖など意にも介さず、機械の尻尾でパタパタとリズムを取りながら、ペラペラと一人語りを続ける。

 

「だいたい、帝国はそもそもやり方が間違ってたんだよねぇ。

 炭素生命体(ニンゲン)を相手に自分たちの優位性を証明するなら、わざわざ全滅させたり、ぶっ壊(ころ)したりしなくても、ただこうして既存の『社会システム』を利用して支配すりゃ、簡単に飼いならせるんじゃん。効率良すぎでしょ」

 

 かつての指導者たる皇帝のやり方を鼻で笑い、彼女は水着姿で足をパタパタとさせる。

 

「血で血を洗う前世のしがらみも何もなぁい♡

 命を懸けた血なまぐさい戦いもなぁい♡

 あったかくて、安全で、労働しなくても最高の燃料(メシ)が手に入る究極のアフターラーイフ♡

 あーあ、もうウチ、ぜーったい帝国には戻んないもんねーっ!」

 

 ケラケラと軽薄な笑い声を響かせ、この上なく見事な『制裁フラグ』を青空に向かって高らかに建築し終えた、その時だった。

 

 ――スゥッ……。

 

 突然、イヒカの顔に落ちていた機械の尻尾の影とは違う、巨大で、重苦しく、そしてひどく冷たい『別の影』が、彼女の視界をすっぽりと覆い隠した。

 

「おい、イヒカ」

 

「……あ?」

 

 背後から掛けられた、ドスの利いた女の声。

 イヒカは不機嫌そうにサングラスをずらし、首だけを後ろへと向けた。

 そして――彼女は息を呑んだ。

 

 逆光の中に立つその人影の顔には、見覚えがあった。

 長い髪。前髪で隠されていない方の、金色に輝く瞳。

 いや、それはもはや人間の瞳ではない。

 かつて共に戦場で並び立ち、幾度となく自分たちを冷徹に睨みつけていた、帝国軍の頭脳たる『隻眼のモノアイ』そのものであった。

 ギラギラと、底知れぬ野心と静かな怒りを燃やすその金色の瞳に見下ろされ、イヒカと呼ばれた少女は、先程までの余裕など嘘のように、次第にその顔を青ざめさせていった。

 

「ひっ!? ひいぃぃっ!! し、シンクバイッ!

 『コレクション2』、『コレクション4』! とっととこいつらを追い出し――むぎゅぅっ!?」

 

 狼狽えきったイヒカが、ハンモックから転がり落ちるように起き上がってもがく間もなく、シンクバイのしなやかで長い腕が伸び、その丸い顔を無慈悲に「ぶにゅり」と鷲掴みにした。

 

 だが、イヒカの悲鳴のような呼びかけに応じ、周囲に控えていた二人の女奴隷が即座に動いた。

 彼女たちは、大事なところを隠す最低限の薄布の裏側に隠し持っていた暗器を抜き放つと、素早い身のこなしでシンクバイを包囲する。

 その刃には、魔術の詠唱によって、魔物の強靭な鋼鉄の皮膚すら容易く溶断する超高熱が蓄えられ、陽炎のように空気を歪ませていた。

 

 しかし、顔を掴んだままのシンクバイは微動だにしない。

 ただ、その冷徹な金色のモノアイで周囲の奴隷たちを一瞥し、圧倒的な殺気と威圧感だけで彼女たちをその場に縫い止める。

 そして、手の中でジタバタと暴れるイヒカに向かって、酷薄な笑みを浮かべながら語り掛けた。

 

「お久しぶりねぇ、イヒカ。……今、すっごいふざけた発言が聞こえた気がするんだけど、まぁ、聞かなかったことにしてあげるわ? で、博士は何処だい?」

 

「ぶみぃぃ……っ」

 

 顔面を強烈な握力でホールドされ、痛みに耐えかねたイヒカの目から、ぽろぽろと大粒の冷却液の涙がこぼれ落ちる。

 

 その時だった。

 

「およし、私の可愛いコレクション達。……炭素生命体如きが、かなう相手じゃあないよ」

 

 どこからともなく、ひどく眠そうなくぐもった声が響いた。

 直後、イヒカの胸元――人間のそれと見紛うほどに滑らかな肌が、突如として幾何学模様の亀裂をピシリと生んだ。

 

 パキ、パキパキッ、キャラキキキ……!

 

 奇妙な駆動音と共に、イヒカの胸部装甲が観音開きのように開き、その内部の暗い深淵から『ひょこり』と奇妙な姿が顔を出した。

 

「おんやぁ。これまた、素敵な姿になったじゃないかぁ、シンクバイ」

 

 現れたのは、可愛らしい緑の葉っぱを精巧に加工したかのような服を纏った、手のひらサイズの『妖精の少女』……のように見える存在だった。

 しかし、決定的におかしい点がある。

 その妖精は、イヒカという少女型シェイプシフターの胸中に住み着き、まるで寄生虫のように自らの背中から伸ばした金属の触手を、イヒカの心臓部たる『カグツチ・ドライブ』に直接接続することで、活動エネルギーを得ているのだ。

 

 その悍ましい生態だけで、彼女がこの異世界の真っ当な妖精などではなく、ヘイブンガーデンのシェイプシフター達の中でも極めて特殊な『寄生型金属生命体』であることを示している。

 それも、イヒカの前世から「寄生」という歪な絆で結ばれた運命共同体(インナーバディ)である。

 今見せている妖精の姿は、おそらくMMSによる直接の擬態だろう。彼女の本来の姿は、悍ましい寄生金属細胞の塊なのだから。

 

「ドクター・ナバイ。姿が変わってもご健勝なようで何より」

 

「ふぁあ……皮肉がうまくなったねぇ。お互い、一度死んで性別も変わった身だろうに」

 

 プチッ、パキンッ。

 無造作に触手(ケーブル)を引き抜きながら、眠そうに薄羽を振ってイヒカの胸中から飛び出してきたナバイ。

 彼女は、口をシンクバイに塞がれ、既に酸欠状態になり、顔を真っ赤にしておごごと喘いでいるイヒカを心配そうに見下ろした。

 

「とりあえず、離してやってくれないかい? こんな怠け者でも、エネルギーの相性はいいし、今や貴重な私の宿主なんだ」

 

「えぇ、構わないわ」

 

 シンクバイが手を放すと、イヒカは「ぷはっ!」と大きく息を吸い込み、途端に息を吹き返したようにまくし立て始めた。

 

「なっ……何なんだよぉ! 百歩譲って、どうやってウチらの居場所を突き止めたとか、そういうのは良いとしてもさ!」

 

「——っは!あんたも本体をセキュリティコアに変換して隠してるクチだろう?

あのシステムを提唱し、基礎理論を組んだのは皇帝ではなく私さ……

皇帝すら知らない、コイツを知ってる私とダチカルだけがゼロムード帝国のシェイプシフター達全員のセキュリティコアが自動で放つ微弱霊子シグナルを感知できるのさ」

 

 自慢げに、そして邪悪な笑みを浮かべながら語るシンクバイに、イヒカは冷や汗を垂らす。

 今や皇帝の居場所は知れず、実質ゼロムード帝国は敗北の末に解散同然。

 その状況を活かす気満々の、この野心の化け物に心底から恐れ戦くのは怠け者且つビビりのイヒカには当然の反応だった。

 

「ウチらに何の用なのさ!

 ——って言うなよ! 言っても絶対聞かないかんね!

 ウチら、もう帝国でもなーんでもないんだからぁっ――」

 

 ――がぷっ。

 

「……ぉごっ」

 

 イヒカの威勢の良い抗議は、唐突に途切れた。

 ハンモックの上で暴れていた彼女の上半身を、背後から音もなく忍び寄っていた巨大な顎が、すっぽりと咥え込んでいたからである。

 それは、アイテムボックスから解放されたダチカルの本体たる、巨大な金属のT-REXの恐ろしい口であった。

 

「……イヒカ、うるふぁい(うるさい)」

 

「……は、はは、はい。すんません」

 

 ダチカルの無邪気で恐ろしい瞳に見下ろされ、そのまま「ガリッ」と咀嚼されかねない圧倒的な死の気配。

 イヒカはピタリと動きを止め、完全に抵抗するのを諦めた。

 

「はぁ……」

 

 巨大な顎に咥えられたまま涙目になっている宿主の、全く強がれていないチンピラっぷりに、ドクター・ナバイは妖精の姿で深く、深くため息をつくのであった。

 

 

   * * *

 

 

「ど、どうぞ。汚いところですが……へへ」

 

「はぁ、イヒカ……。そんなんだから、お前はいつまでたっても『三下』なんて呼ばれるんだよ?

 お前は今や、この国の奴隷商の一大ブランド主だという自覚をしたらどうだ」

 

 先程までの威勢は完全にへし折られ、ダチカルのMM姿に、背後から首根っこを掴まれたイヒカ。

 猫のように情けない姿勢でシンクバイたちを屋敷の中へと案内する。

 その傍らをヒラヒラと飛び、両腕を広げて自慢げに語る妖精姿のナバイ博士とは、何処までも対象的で情けない姿だった。

 

 そんなナバイ博士が屋敷の回廊へ姿を見せた瞬間、驚くべき光景が広がった。

 屋敷のあちこちで掃除や食器洗い、庭木の手入れなどをしていた、煽情的な格好のあらゆる種族の男女――つまりはイヒカたちが抱える奴隷たちが、一斉に手を止め、その場に膝をついて深々と礼をしたのだ。

 

 ……イヒカではなく、ドクター・ナバイに対して。

 

「ナバイ様! お目覚めでございましたか!」

 

「お客様の応対でしたら、私達がなさいましたのに……!」

 

 奴隷たちの瞳に浮かぶのは、恐怖ではない。

 狂信にも似た、奇妙なまでの恭順と恍惚であった。

 

「いいよ、いいよ。あぁ、『コレクション7』。君は確か、まだ定期メンテナンスが済んでいなかったね?」

 

「……っ! にっ……にぃ……」

 

 ナバイに呼びかけられた白い猫耳の獣人の少女が、ビクリと大きく身を震わせた。

 しかし、彼女は恐怖で怯えるわけでも、逃げ出すわけでもなく、目を伏せて頬を紅潮させながら、ふらふらと自ら進んでナバイの元へと歩み寄っていった。

 

「よぉしよし、良い子良い子……」

 

 ジュルッ、と。

 妖精の姿をしたナバイの細い腕から、まるで生き物のように金属骨格の極細の触手が数本伸びる。

 それは蛇のように蠢き、ジュパッ! と、コレクション7と呼ばれた少女の柔らかい獣耳の奥へと、一切の抵抗を許さずに侵入した。

 

「に゛っ!? ぅあ、ぁっ……ごしゅ、じんさま……っあ」

 

「ふむ……」

 

 じゅる、ぐち、ぐちゅるる……。

 耳の粘膜の隙間を探り、柔らかい肉を捏ねるような悍ましい音が静かな回廊に響く。

 

 チキチキキキッ、チチチチュウゥゥゥンッ。

 

 時折、金属と電子が交錯するような無機質な音が瞬き、ナバイは触手を通じて直接少女の脳髄と神経系にアクセスし、その肉体情報を容赦なく精査していく。

 

「ふむ……やはりネコ科との遺伝子的結合種は、神経伝達のレスポンスが色々と面白い。……少し胃の調子が悪いようだね?

 お前に合う野菜類を注文し、食事の配合を吟味してみよう。獣人、と言ったか?

 いずれ人工的な交配種を作って、新しいコレクションをしてみたいものだねぇ」

 

「ぁはっ……ぁ、あ゛っ……♡」

 

 脳内の快感中枢や神経を、極細の金属触手で「壊れない程度の絶妙な力加減」で掻きまわされながら、少女は蕩けたような声を漏らす。

 そんな奴隷の尊厳を根底から蹂躙する行為を、嬉々として、まるで実験用マウスを観察するように恍惚とした声で語るナバイ。

 そのあまりにも常軌を逸した「マッドサイエンティスト」の凶行に、かつて同僚であったシンクバイとイヒカでさえも、不快そうに顔を顰めて本気でドン引きしていた。

 

「……性別が変わっても、その悪趣味な拷問趣味は変わらないようね」

 

「恥ずかしい話、あれで商売成り立ってるんだよねぇ……」

 

 シンクバイの冷たいツッコミに、イヒカが情けなく肩を落として独白する。

 炭素生命体に対して彼の行う神経掌握の固有機能は、炭素生命体にとって絶大な苦痛と望まぬ快楽を伴う拷問にほかならず、それによって生前の彼は諜報部という名の炭素生命体拷問管という役職を持っていた筈だった。

 しかし、二人のドン引きに気付いたナバイは、ピタリと触手の動きを止めた。

 

「おっと……今はここまでにしておこうか」

 

「ぁお゛ぉっ……っほ!!」

 

 じゅぽっ! と。

 一気に脳髄から触手が引き抜かれ、ビクンッ! と腰を弓なりにのけぞらせた獣人の少女が、糸の切れた操り人形のように床へと倒れ伏した。

 

「はぁ……はぁぁ……っ♡」

 

 床に伏したまま、彼女は狂おしいほどの快感の余韻に身をよじらせ、荒い息を吐き続けている。

 

「勘違いしないでくれたまえ?これでも拷問管はとっくに廃業したんだ。

これでも私の検査があるわが社は、他所のブランドや国営の奴隷取引所よりは、遥かに破格の好待遇なんだよ?」

 

 ドン引きする二人を前に、ナバイは妖精の羽を揺らして自慢げに語り始めた。

 

「はぁぁ此処はまるで天国さ♡

 生態系の脈絡が滅茶苦茶でまるで奇奇怪怪のワンダーランド、おまけにこのダルバーグという国は奴隷制という形で契約魔術による炭素生命体同士の生命所有権を合法化している!

 つまり合法的に、拷問や虐殺による恐怖支配を用いずとも可愛い可愛い炭素生命ちゃんたちを所有できるんだよぉ!!」

 

 次第にその声は上ずり、恍惚とし始める。

 

「しかしやつら、長年のプロを自称する癖に、炭素生命体の扱いがまるでわかっちゃいない。

 特に海輸システムはまるでだめだ!

 あんな伝染病どんとこいな劣悪で、精神ケア皆無な環境は何なんだ!

 あれでは商品価値が下がる一方だよ。

 わが社が設計した新型奴隷輸送船を一刻も早くこの国の標準輸送手段にしなくては、この素晴らしい『奴隷制』というシステムそのものが死んでしまう!」

 

 興奮気味に、奴隷ビジネスの改革案を熱弁するナバイ。

 その異様すぎる熱量に当てられつつも、シンクバイの計算高い頭脳は、即座にその裏にある莫大な「利益」を弾き出していた。

 

「奴隷商、ねぇ……。なるほど、とてつもなく『良いビジネス』なのはわかったわ」

 

 ドン引きしていたはずのシンクバイの片目に、その響きに実る莫大な黄金の臭いを嗅ぎ取った、酷薄で妖しい笑みが浮かび上がる。

 それを見たダチカルもまた、相棒が「新しい計画(あそび)」に目覚めた事を野生の勘で察知し、ワクワクとした様子で嬉しそうに目をキラキラと見開くのであった。

 

 

 

     * * *

 

 

 数日後。

 乾いた風が吹き抜ける、砂漠の中に広がる巨大なバザール。

 ダルバーグ皇国が正式に許可を下しているこの交易市場の特等席では、国中から集まった大商人の元締めたちが、巨大な天幕の下で車座になり、下卑た笑みを浮かべながら互いにおべっかを使い合っていた。

 

 そこに、けたたましい鈴の音と共に、一台の豪奢な馬車が乗り付けてきた。

 降り立ったのは、新進気鋭の大奴隷派遣企業『テンキュウ』の代表を務めるイヒカである。

 彼女は小柄な体に似合わない、両手に宝石がギラギラと光る数多の指輪をはめ、豪奢な黄金細工をこれでもかとあしらった成金趣味のトーブを纏い、ふんぞり返るようにして天幕へと足を踏み入れた。

 

 そして、その傍らに控え、しずしずと後を追うように現れたのは――『有能な新人商人』として紹介された、美しい紺色のサリーに身を包んだシンクバイであった。

 

「ほぅ……」

 

「これはこれは、イヒカ殿。本日はまた一段と……美しい『華』をお連れで」

 

 商人たちは、一瞬で彼女の美貌に釘付けとなった。

 布越しにも分かる豊満な肢体。知性を感じさせる整った顔立ち。

 そして、前髪の隙間から覗く、どこか底知れぬ黄金色の隻眼。

 値踏みするように彼女を舐め回す肥え太った男たちの目には、明白な欲望が宿っていた。

 よしんば、この新人の美人商人を言葉巧みに騙して不利な奴隷契約を結ばせ、あわよくば自分の夜の相手をさせよう――。

 そんな下卑た思惑が、隠し切れない熱となってシンクバイへと突き刺さる。

 

 だが、そんな下心塗れの視線を浴びても、シンクバイは艶然と微笑むだけだった。

 

「お初にお目に掛かります。わたくし、テンキュウにてイヒカ代表の補佐を務めさせていただいております、シンクバイと申します。以後、お見知りおきを」

 

 そう優雅に一礼した瞬間から、この場は完全に彼女の「狩り場」と化した。

 

「さて、西のリートゥッチ商会様。先日の大規模な奴隷の輸送、誠にお見事でございました。……ただ、少しばかり古い船を無理に運用なさったようで?」

 

「なっ、なんだと……?」

 

 世間話をするような軽やかな口調に、西の豪商の顔から余裕が消える。

 

「あの旧式船の劣悪な環境のせいで、商品である奴隷たちに深刻な健康被害、ひいては強力な『伝染病』を蔓延させてしまったと聞き及んでおります。

 しかも、その被害は購入した客の雇用先にも及んでいるとか。

 ……いやはや、あの莫大な賠償の負債を、見事な『税金操作』でごまかして国から隠蔽する手腕、商人として見習いたいものですわ」

 

「き、貴様……っ、どこでそれを!?」

 

「あら、わたくしはただ、噂話を耳にしただけですわよ? ……証拠の帳簿も、まぁ、偶然見かけてしまっただけですし」

 

 にっこりと笑うシンクバイに、リートゥッチ商会の主は脂汗を流して絶句した。

 

「ああ、そうそう。南のケルシーラマー修道院様も、素晴らしい慈善事業を展開されておりますわね。宗教組織の厚い保護の裏で、奴隷商を営むのは国も黙認しておりますが……」

 

「…………」

 

「あちらこちらに張り巡らされた『違法薬物の流通ルート』。

 そして、その莫大な収益の税金申請を隠蔽している件につきましては、流石に神も、国の査察官も、見過ごすわけにはいかないのではなくて?」

 

「ヒッ……!」

 

 次々と投下される、致命的な爆弾の数々。

 これら皇国を揺るがすほどの有益で危険な情報は、すべてシンクバイが道中のバザールで耳を澄ませて得た断片的な情報と、ナバイ自慢の『コレクション』達が元居た奴隷市場で得た生の証言、そして新たに各所へ潜入(ハッキング)して得た裏データを、彼女の超高度な量子脳で複合し、導き出した完璧な「解答」であった。

 

 もとより、帝国の頭脳として星系単位の知略と交渉を担ってきたシンクバイにとって、異世界の商人相手の交渉(脅迫)など、文字通り『次元が違う』遊びに過ぎない。

 瞬く間に、その場にいた大商人たちは全員がシンクバイに弱みを握られ、市場の主導権は早くも彼女の完全なる影響下へと掌握されつつあった。

 

「ふふふ。皆様、どうかご安心を。

 わたくしどもテンキュウ商会は、皆様と『末永く、友好的な』関係を築きたいだけなのです。

 どうか、共に手を取り合って……利益を共有いたしましょう?」

 

 逆らうことを許さない、冷徹な悪魔の微笑み。

 いずれ名を上げ、この国の、ひいては世界の頂点へ至るための、新生ゼロムード帝国による『侵略』の第一歩が、ここに確かに踏み出されたのである。

 

 ――だが、そんな完璧な交渉の場において、唯一の「不協和音」が静かに鳴動していた。

 

「……ぐるるるるるるぅぅ……」

 

 シンクバイの背後に護衛として侍っていた、赤い髪の少年――ダチカルのMMSが、歯を剥き出しにして、極めて不快そうに低い唸り声を上げていたのだ。

 

 彼の野生の勘は鋭い。

 目の前の肥え太った男たちが、自分の「交尾相手(暫定)」であるシンクバイに対して、極めて不純な下心を向けて舐め回すように見ていることを、ダチカルは本能で察知し、強い嫉妬と苛立ちを募らせていたのである。

 

 (オレのシンクだぞ……! あいつら、絶対あとで噛み殺してやる……!)

 

 ただ計画の邪魔をしないように『待て』を命じられているため、今はかろうじて堪えているものの、その瞳には明らかな殺意が宿っていた。

 

 しかし、当のシンクバイはというと。

 

 (ふふっ、順調、順調。……それにしても、ダチカルのやつ、意外と大人しくしているじゃないか。

 それにあの鋭い殺気……男どもが私に妙な真似をしないよう、しっかりと牽制してくれているんだね。

 うむ、優秀な護衛だ。あとでうんと褒めてやらねば)

 

 自分の計画が完璧に進んでいることに集中するあまり、傍らのダチカルが漏らす不満の理由も、そもそもの根本として『何故ダチカルが執拗に自分についてきているのか』という恐るべき本当の目的にすら全く気づいていないのである。

 

 高度な頭脳を持つがゆえの、あまりにも致命的なすれ違い。

 悪の天才軍師と、純真なる狂獣のコンビの関係がついに決壊したのは、その日の夜のことであった――

 

 

     * * *

 

 

 夜。

 昼間の熱気が嘘のように冷え込んだ砂漠の風が吹き抜ける中、バザールの傍らには、奴隷商人や特権階級のVIP客らが寝泊まりするための豪奢なテントがいくつも林立していた。

 そのうちの、一際大きく警備の行き届いたテントの内部。

 暖かくも薄暗いランタンの灯りに照らされた空間で、新生ゼロムード帝国を率いる(予定の)天才軍師シンクバイは、深く息を吐き出していた。

 

「ふぅっ。人間の再現仮想体というのも、なってみると予想以上に気持ちのいいものだな」

 

 テント内に設けられた、高度な魔術仕掛けのシャワー室――大気中の水分を魔力で集束し、適温のお湯を生成するという高級設備――を堪能した彼女は、ホカホカに火照った肢体に厚手のバスローブを纏い、濡れた長い髪を拭きながら満足げに呟いた。

 かつて巨大な機械の体だけであった頃には味わえなかった、「温かい湯を浴びる」という有機生命体ならではの特権。

 悪の帝国の幹部である彼女も、すっかりこの異世界の快適な生活様式に馴染みつつあった。

 

「おい、ダチカル。お前も入ってこい。遺跡から脱出してこの方、オアシスの水しか浴びてないだろう」

 

 上機嫌なシンクバイが、自らの髪を拭きながら振り返り、傍らにいるはずの相棒へと目を向けた。

 そして――気づく。

 ダチカルがテントの端に置かれたベッドに座り、ひどく不満げに俯いたまま、上目遣いでこちらを睨み上げていることに。

 

「……ぐるるるるるるぅぅ……」

 

 細く、かすれた、獣のような唸り声が聞こえてくる。

 それは、生前にもよく聞いた音だ。戦闘狂であるダチカルが「度を超えて我慢している時」に、駆動系から漏れ出す特有のノイズに酷似していた。

 

(……そっか。まぁ、仕方ないな)

 

 その唸り声を聞き、シンクバイは「完全に間違った」天才的な推論を導き出した。

 

(私が古代遺跡から脱出するのに協力させた時以来、急ごしらえの義足以外の『褒美』と言える褒美は与えていないし、何より一度も思い切り暴れさせてやっていない。

 根っからの戦闘狂であるこいつには、相当なストレスになっていることだろう。

 ……そろそろ、各地で暴れている魔王軍とやらの情報でもかき集めて、思い切り発散させてやるか――)

 

 そんなことを呑気に考えながら、シンクバイは無防備にも彼に近づき、その燃えるような赤い髪の頭を、労うように優しく撫でたのである。

 彼女には、彼に近づいても絶対の安全であるという明確な理由と確信があった。

 ダチカルは生前から「味方を決して潰してはならない」「シンクバイの邪魔をしてはいけない」と、骨の髄(コア)まで厳しく躾けられている。

 そのため、この程度の不満で、それも自分に対して物理的に手を上げるような真似は絶対にしないという確信だ。

 

 その確信は、結果的に正しくもあり、そして致命的に間違ってもいた。

 

「ダチカル、お前はよくやってくれてるよ……。そろそろ『発散』させてあげるから、もうちょっと待っててくれ」

 

 労いの言葉と共に、微笑みかけるシンクバイ。

 しかし、薄く細められたその妖艶な金色の瞳に見つめられた瞬間――ダチカルは限界を迎えた。

 真っ赤に染まった顔で、ダチカル少年は目を見開いた。

 

「……っ、はぁ、シンク……オレやだ、待てない!」

 

「はぃ?」

 

 ダチカルが、ぐっ、とベッドから力強く立ち上がる。

 その勢いで、頭を撫でていたシンクバイの手が乱暴に押し上げられた。

 予想外の反抗に、帝国の頭脳たる彼女の口から「はぃ?」という間抜けな声が漏れる。

 だが、その声が空気に溶けるよりも早く、ダチカルの小さな手がシンクバイの肩にガシリと宛がわれ、そのままの強烈な勢いで、反対側にあった彼女のベッドへと仰向けに押し倒した。

 

「ぉわっぷ!? な、何だダチカル!? どうした、まさか暴れたいのか!?」

 

 背中をベッドに打ち付けられ、ここでようやくシンクバイの尊大な態度に「焦り」が混じり始める。

 

(や、やばい。計算を見誤っていたのか!? こいつ、敵味方の理性が飛ぶほどに破壊衝動ストレスを溜め込んでいたのか!?

 ま、まずい、早く矛先(ターゲット)を考えないと、私が潰される!!)

 

 天才的な演算能力が空回りし、的外れな危機感を抱いたシンクバイが、焦って拘束を解こうともがく。

 しかし、見た目は幼い少年であろうと、その膂力は巨大なT-REXのものだ。

 ダチカルはその両手で彼女の両肩をベッドに確りと固定し、さらに真鍮製の義足の膝を押し付けて、シンクバイが纏うバスローブの裾ごとベッドに縫い付けるように押さえ込んだ。

 

 ギシリ、ギシィィッ! と。

 人間の姿をとっていても、その質量は重い珪素生命体二人分。過剰な負荷に、高級なベッドのバネが悲鳴を上げて軋む。

 

「だ、ダチカル待て! 暴れたいならそうだ、外を破壊しろ!

 わ、私を壊しても少しも楽しくないだろ!? な!?」

 

 もはや懇願に近い声で、矛先を逸らそうとするシンクバイ。

 だが、そんな彼女の言葉を塞ぐように、ダチカルは顔を近づけた。

 そして――熱い吐息混じりの、ひどく切なげな、それまでの狂獣(彼)からは到底発せられるはずのない甘い声で、こう囁いたのだ。

 

「はふっ……違うよ、シンクゥ……。暴れたいんじゃないよぉ……」

 

「えぇ……?」

 

 ダチカルの言葉と、その熱を帯びた瞳に、シンクバイの高性能な量子脳がいよいよ状況の理解を拒絶し始める。

 そんな時、ダチカルは、熱のこもった吐息混じりの甘い声でシンクバイに言った。

 

「オレ、お前と、子作りしたい……はぁ、ふーっ」

 

 …………。

 

 真顔。シンクバイの思考が。

 何千年という途方もない時間を生き、星系をまたにかけた大戦争を生き抜いてきた悪の天才の脳髄が。

 生まれて初めて、完全に『真っ白』になった。

 

「……は?」

 

 バリッ!!!

 

 間抜けな問いかけが漏れたのと、豪奢なバスローブが力任せに引き裂かれる音が響いたのは、全くの同時であった。

 

 

「ちょ、まっ……ぎゃーーー!!?」

 

 もはや知将としての威厳どころか、女としての魅力や色気すら皆無な『素の悲鳴』が、シンクバイの喉から盛大に迸った。

 

 (なんで!? 何でナンデ何故にWhy!? コイツ今なんて言った!? 子作り!?

 こいつは元々メスで私はオス……いや今は逆であっちのがどっちにしろ力強くってぇっ……いや待て、そもそも相手はたかだか五百歳の幼女(今は幼男?)だぞ!?

 歳の差考えろ歳の差!)

 

 何千年と生きた天才の量子脳がショートし、古い思考型機械のようにエラーログをまき散らしながら、彼女の隻眼がぐるぐると渦を巻く。

 だが、その間にもダチカルの視線は、破かれたバスローブの隙間からぽろんと露わになった、シンクバイのたわわな巨乳に完全に釘付けになっていた。

 

「ふっ……ふーっ、ふーっ!」

 

「んんっ……ちょっと、ダチカル、い、息がかかって……ひゃ、あぁっ!?」

 

 べろっ、と。

 荒い息遣いと共に、ダチカルのざらついた舌が、露出したシンクバイの胸の上を這うように滑った。

 ゾワゾワとした未知の感覚が背筋を駆け上がり、ビクンッ! とシンクバイの腰が弓なりに跳ねる。

 

「ひっ、ぅ、う!?」

 

(こ、これが雌の感じる悪寒ってやつか!? い、い、意外と悪い感じじゃないが……ヤバイ事に変わりはない!)

 

 シンクバイは覚悟していたのだ。バザールの下劣な商人どもを相手に、最悪の場合は己の肉体を色仕掛けに用い、炭素生命体特有の下卑た欲望を向けられることも。

 しかし、それはすべて「言葉の上で躍らせて後から巻き返す」という、計算ずくの精神的な防御壁があってこその話。

 もともと気の許せる身内であるダチカルの、それも一切の計算がないド直球かつ生々しすぎる「愛情表現」は、その堅牢な精神防壁をすり抜け、普通に『好意』として彼女のシステム深部にバグ(照れ)を発生させてしまう。

 

「ふっ……フーッ!フーッ!」

 

 言葉にしてみれば簡単な帰結すら理解できないほどに、彼女は思考を明後日の方向へと向けるあまり、完全に混乱に陥っていた。

 そうしてシンクバイがフリーズしている間にも、ダチカルは自分の着ていたジャケットもシャツも乱暴に脱ぎ捨て、自らも半裸になりながら、シンクバイの首筋、胸、腰、へそへと――

 まるで自分の所有物だとマーキングしていくかのように、ぺろぺろと舐め、時には甘噛みして、本能の指示のままに激しい愛情を叩きつけていく。

 

「ひぃっ!?や、待って! あっ♡待ってぇ! だっ、誰か、誰かぁー!?」

 

 ダチカルの本能は何処までも正しかった。

 完全にメスとしての許容範囲を超えた快感と混乱に、女としての甲高い悲鳴が勝手に喉を突いて出てくる。

 この異常事態(本人は身体のバグと判断)に耐え切れなくなったシンクバイは、まるで生娘の如く外に助けを求めて絶叫した。

 

 ――しかし!

 

 彼女は忘れていたのだ。このテントが、奴隷の売買を終えたVIP専用の宿泊テントであることを。

 当然、購入した奴隷の『性能確認』や『味見』として、どれほど変態的で激しいプレイを行っても奴隷の悲鳴が外に漏れ出さないよう、このテントには極めて堅牢な「防音術式」が張り巡らされているのであった!

 

 外の世界からは完全に隔絶された、無慈悲な防音空間。

 いよいよ退路を断たれ、純真なる狂獣の牙(と舌)に蹂躙されそうになっていた。

 ――しかし、そんなシンクバイも歴戦の軍師であった。

 混乱の渦中にありながらも、ありとあらゆる可能性を(多少すっ飛んだ計算式を交えながら)拡げ、演算した結果、彼女もまた――『女の本能』で対抗する術を、マーキングされている間に思いついたのである。

 

 それこそが!

 

「――ひっく、ぐすっ……ふぐっ、う、うううっ……」

 

「ハー……はー……しん、くぅ?」

 

 腕で自らの隻眼を隠し、流れ出る冷却液の涙だけをこれ見よがしに見せつけ、嗚咽で肩を震わせるシンクバイ。

 

 ……そう、最強の交渉術にして最終兵器、『泣き落とし』である!

 

(確率は二分の一。ダチカルの支配欲が刺激されて余計に燃え上がるか、それとも躾けられた分の僅かな理性が再起動するかの二択!

 前半だったらもう、大人しく諦めるしかないやーハハハ……)

 

 内心でそんな諦めの極致に至り、どこか現実逃避も含めた空笑いを浮かべながらも、表面上は完璧に『犯されそうな恐怖に泣いて縋る生娘』を演じ切るシンクバイ。

 この土壇場での切り替えの早さと図太さは、まぎれもなくゼロムード帝国最高峰の知将のそれであった。

 

「シンクゥ……ごめん、ごめんよぉ……泣かないで……?」

 

(つ、つ、つ、通じたぁーーー!!?)

 

 狂獣の手が止まり、オロオロと慌てる声が聞こえた瞬間、シンクバイは内心で「ヨッシャァ!!」と盛大なガッツポーズを決めた。

 ゆっくりと腕をどかし、涙でぐしょぐしょになった赤い顔でダチカルを見上げる。

 

 そこには、戸惑いと、そして頭の悪い彼には珍しい「後悔」に染まった、青ざめた少年の顔があった。

 無理もない。躾を違えれば後悔するように、皇帝エイトも、そして自分自身も、ダチカルをそうやって躾け込んできたのだから。

 シンクバイは、ようやく自分の思う通りに動き始めた現状を見て、少しだけ冷静さを取り戻し、震える声で彼に言った……。

 

「ダチカル、ちょっと手を、退けて……逃げないから、ね?」

 

 少しでも言葉を間違えて刺激すれば、彼は再び本能のままに逆上してしまうかもしれない。

 思った以上に「性転換による思考回路の変動(バグ)」が激しいことが身をもって分かったシンクバイは、努めてそれに気をつけながら、慎重に言葉を選んだ。

 

 結果……気まずい空気のまま、ダチカルの強烈な握力がゆっくりと緩められた。

 

(それでもかなり手加減はしていたんだろうな。していなければ、私の肩の骨が原型をとどめているわけがない)

 

 と、痛む肩をさすりながらシンクバイは安堵の息を吐く。

 

(さて、正念場だ――シンクバイ!)

 

 自らに心の中でそう呼びかけると、彼女は目の前の狂獣を「どう納得させるか」に全思考を集中させた。

 

(おそらく、彼がこの世界に来てから執拗に私についてきていた本当の理由がこれだ。……奴は私の言うことを聞く代わりに、『交尾』を求めていた。

 戦闘だけが存在理由だったあの兵器(ダチカル)が、何故そんな欲求を持ったのか――まず間違いなく、転生による性別の逆転が原因だ。

 あの再会の時点で、前のダチカルに対する認識から切り離して考えるべきだったか?)

 

 まったくの『別人』として扱うべきなのか。

 そう考えたとき、シンクバイの脳裏に、地下遺跡で自分の本体を探し当てたときの、ダチカルの切なげな声が、何故か頭の中にフラッシュバックした。

 

 『シンクゥ、死んじゃった、の?』

 

『……シンク、ねぇ……シンクゥ。置いてってごめん。謝るから。オレ、もう死なないから……だから、起きてよぉ』

 

 ズキリ、と。

 本来は胸の奥にあるはずの、カグツチ・ドライブが痛んだ気がした。

 それは、『幻肢痛』——あるいは共感性の痛覚にも似た、同じ痛みの記憶。

 

『ダチカル……おい、嘘だろう! 馬鹿なお前が、死んだふりなんて高度な戦術を用いるな! はは……たちが、悪いぞ……』

 

 戦士ではない自分を見逃して去っていった、ネオンワンスのベンザイア。  ……あれは、彼が残してくれた、最期の別れの機会だった。

 

『ダチカル、なぁ……前から言っていたじゃないか。

 この戦いが終わって、皇帝が倒されてしまったら、私とお前が、誰もいない遠くで、新しい帝国を作ろうって……。

 なぁ、起きてくれ、死なないでくれぇ……ダチカル……ぁぁ!』

 

 冷たく、硬く、横たわる『彼女』の巨体に縋りつき、惨めに泣き叫びながら、施設の爆発に呑まれて潰えた前世の末期。

 

(……泣き落としが通じた理由なんて、私にはわからない)

 

 それは、高度な思考能力が、自身の「強がり」を優先して構築した、言い訳がましい嘘である。

 だが、シンクバイは、その冷徹な計算の奥底で、ひどく素直にこう思ったのだ。

 

(でも、ダチカルが泣いたら……私も止まるな)

 

 刹那にも満たない、この一連の膨大な思考の末に。

 シンクバイはゆっくりと身を起こし、曝け出したままの上半身の豊かな胸に、ダチカルの赤い頭を優しく抱き寄せた。

 

「……い、今は駄目だ」

 

 シンクバイの静かな言葉に、ダチカルの小さな肩がびくりと震える。

 

「私は皇帝になる。新帝国のニューリーダーになるのだ。

 だから今は、私に『子作り』などしている暇は――ない!」

 

 ハッキリと言い切った。

 ダチカルの目的の半分(交尾)を、明確に否定してしまう言葉を。

 これで、もし彼が不貞腐れてついてこなくなってしまったら、彼女の完璧な侵略計画のほとんどが破綻してしまうだろう。

 それほどまでに、この小さな恐竜の圧倒的な戦力は、今の彼女にとって大きすぎるのだ。

 

 だが……これは、彼自身の意志に判断を委ねる、彼を尊重した「賭け」でもあった。

 

 (ダチカルが、私に子作りを迫る程の『情欲』を抱いているのだとしたら……っ!)

 

 きゅ、と唇を結び、胸に抱いたダチカルからの答えを待つ。

 静寂が包むテントの中で、やがて、ダチカルは小さく口を開いた――。

 

 

 ぎゅ……と。

 ダチカルの小さな手が伸び、シンクバイの豊満な左胸を鷲掴みにした。

 

「んっ……」

 

 ビクンと身を強張らせるシンクバイだったが、その手に込められた力は弱く、明確に「手加減」しているのがわかった。

 だが、これがいつ本能の逆上による「引きちぎり」に変わるかわからない。

 恐怖に息を呑む彼女だったが、ダチカルの蚊の鳴くような、ひどく心細い声が、その心配を無効化した。

 

「……オレ、どんくらい、待てばいい?」

 

「え、あー……」

 

 そこでようやく、シンクバイは自らの計算ミスに気が付いた。

 つい、口をついて『今はダメだ(まだだ)』と言ってしまったことに。

 

(わ、私は何を言ってるんだっ――!? 断るなら完全に断れ私ィ!!)

 

 心の中で己の痛恨のミスに絶叫しながらも、彼女は焦りを隠さずに早口で答えた。

 

「とぉっ……とりあえず、この国を手に入れて、安定してからね!

 ほら、前世でもあったじゃない!? 皇帝が激戦の末に暫く姿をくらまして、その間に私が『ニューリーダーだ』ってはしゃいだ後に、皇帝が普通に戻ってきてこっぴどく折檻された事!」

 

「あの時シンク、おまぬけだったねー」

 

「ぐぬぅ……っ」

 

 当時の黒歴史を無邪気に抉られ、返す言葉もない現状に腹を立てながらも、シンクバイは必死に説得を続けた。

 

「それに、継続可能な国家運営には強力な跡取りは必要だし……そうなるとダチカルだって、ただの兵器じゃなくて、新帝国で相応しい『役職』に就くべきだと思わないか?」

 

 出来るだけ、出来るだけ先の未来へ、後回しに出来るように。

 天才の頭脳をフル回転させてそう言い含めると……ダチカルは、パァッと顔を明るく輝かせてこう言ったのだ。

 

「じゃあ、オレが、皇帝になる!」

 

「――ん?」

 

 コテッ、と。

 ダチカルが癖でよくやるように、今度はシンクバイが首を傾げた。

 

「新しい帝国、オレが皇帝! シンクが、お妃さま!

 二人でニューリーダーだ! 言ってた、シンク! オレとシンクで、新しい国作る!」

 

(や、や……)

 

 ぐにゃあ、と。

 シンクバイの視界が、文字通り歪んだ。

 

(やっちまったぁ~~~~~~っ!!!?)

 

 シンクバイの思い描いていた「本当の理想」では、あくまで自分一人が新皇帝(ニューリーダー)となり、ダチカルはその無双の戦力・総大将として従え、上手く乗り回すのがセオリーだった。

 彼女にとってそれはあまりにも「セオリー」過ぎて、それ以外の形になるビジョンなど、これっぽっちも頭に浮かんでいなかったのだ。

 

 しかし、男の姿であろうと女の姿であろうと、ダチカルという狂獣は『初めからそのつもり』だったのである。

 共に国を作り、共に番(つがい)となる。

 そこが、この滑稽で致命的なすれ違いの、そもそもの元凶だったのである!

 

「ぁ、ぁぁ~~~~~っ……」

 

 あまりのショックと己の計算の甘さに、頭を抱えてベッドに蹲ってしまったシンクバイ。

 そんな彼女の顔を、ニコニコと極上の上機嫌になったダチカルが、屈み込んで嬉しそうに覗き込んでくる。

 

「シンク……ねぇ、シンク」

 

「何さもう……」

 

 シャワーの風呂上がり以上に、思考しすぎて物理的に湯けむりが立った頭を抱えながら、シンクバイはジロリと恨めしそうに涙目でダチカルを睨んだ。

 すると、ダチカルはモジモジと赤い髪をいじりながら、小さな声でこう言ったのだ。

 

「子作りは駄目でも……オレも、こういうの、初めてだから……」

 

「……え?」

 

 ぎょっ、と。

 ダチカルの予想外のカミングアウトに、シンクバイの胸がトクンと高鳴り、黄金の隻眼が大きく見開かれる。

 不覚。あまりにも不覚だが。

 

「『練習』、は……ダメかな?」

 

 いつもの暴力的で強気な態度とは正反対の、申し訳なさげに、真っ赤な顔を向けて上目遣いで尋ねてくる姿。

 そんな「肉食の美少年(中身はT-REX)」からの、純情すぎる提案。

 

 それを受けたシンクバイの精神に――炭素生命体よりも若干生殖欲求が強い『雌のシェイプシフター』の悪い性質が、ここに来て完全に牙を剥いた。

 

 『――キュンッ』

 

 心臓と下腹部が、同時にきゅっと引き締まるような、甘く痺れるような感覚。

 シンクバイはぎょっとした表情のまま、石像のように数秒間固まった後……震える喉を嚥下させ、破かれたバスローブの破片をかき集めて胸元に抱き、顔の半分を隠したまま、蚊の鳴くような声で応えた。

 

 

「……ま、まぁ。『練習』? くらいなら……未来の皇帝陛下?」

 

 

 その隠しきれていない、熱を帯びて潤んだ黄金の隻眼と、真っ赤に染まった耳元。

 それが、本能の塊であるダチカルの目にどう映ったかは、言うまでもない。

 

「――っ、わーい!!」

 

「ひぃ!? 飛びかかるな馬っ鹿……あぁもう、結局こうなるのかぁぁ!! ―――ぁんっ♡」

 

 かくして、バザールの熱帯夜は。

 堅牢な防音術式の内側で、地面越しに響く「微かだが極めて激しい振動(地震)」とともに、深く、深く更けていくのであった。

 

 

 

 翌日。

 新進気鋭の奴隷商『テンキュウ』の敏腕補佐であるシンクバイは、激しい下半身の痛みと腰の物理的な故障(サスペンション破損)により、予定されていた大商人たちとの重要な会合を、無念の欠席とするのであった。

 

 

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