※この作品はR-18です。

僕が先に好きだった幼馴染は、天才のリズムなしでは生きられない牝に書き換えられた。   作:123

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第3話

 朝の教室は、いつもと変わらない喧騒に包まれていた。

 

 黒板に向かって投げられるチョーク、無意味な雑談、スマートフォンをスワイプする指の音。俺たちの日常は、どうしようもなく平坦で、平和で、退屈なはずだった。

 

 だが、俺の座っている席の周囲だけは、目に見えない粘着質な泥が首まで浸かっているかのような、ひどく息苦しい重圧に支配されていた。

 

 斜め前の席に座る結衣の背中を、俺はただ凝視することしかできない。

 

 肩甲骨のあたりで無造作に束ねられた、艶やかな黒髪のポニーテール。太陽の光をたっぷり吸い込んだ、健康的な褐色のうなじ。過酷なラントレーニングによって一切の無駄な脂肪が削ぎ落とされ、しなやかなバネを内包した引き締まった四肢。

 

 誰よりもストイックで、純潔で、陸上競技のためだけにその身を捧げていると信じていた幼馴染の姿は、物理的な輪郭こそ何一つ変わっていない。

 

 しかし、彼女を構成する「中身」は、俺の全く知らない、おぞましい別の何かにすり替わってしまっていた。

 

 俺の網膜には、昨日グラウンドで見せつけられた光景が、まるで呪いのように焼き付いている。

 

 同年代の絶対的なエース――あの圧倒的な才能を持つ男に背後から腰を掴まれ、抗うことのできない雄の力と律動に強制的に同調させられ、甘い吐息を漏らしながら腰を擦り寄せていた結衣の姿。

 

 あれは幻覚ではない。俺の矮小な自尊心が作り出した悪夢でもない。結衣の肉体が、完全にあの男の才能と暴力的な支配に屈服し、彼専用の「快楽の器」として作り変えられているという、論理的で冷酷な現実だった。

 

 「……結衣」

 

 俺は、ひどく掠れた声で彼女の背中に呼びかけた。

 

 結衣はゆっくりと振り返った。

 

 「なに?」

 

 彼女の表情には、何の感情も浮かんでいなかった。かつて俺に向けていた、無防備で親しげな幼馴染としての笑顔は、そこにはない。ただ、ひどく気怠げで、熱っぽい吐息を孕んだ、女の顔があった。

 

 彼女の目元には、うっすらと隈が浮いている。

 

 肌の艶は異常なほどに良く、頬は内側から火照るように赤みがかっているというのに、眼窩の奥だけがひどく疲労し、生命力を削り取られているかのような、アンバランスで退廃的な色気を放っていた。

 

 俺は、無意識のうちに彼女の机の横にかかっているスクールバッグに視線を落とした。

 

 「お前、カバン……変えたのか?」

 

 俺の口から出たのは、そんな間抜けな質問だった。

 

 結衣が今まで使っていたのは、高校入学の時に俺と一緒に買いに行った、紺色のナイロンバッグだった。だが今、彼女の机の横にぶら下がっているのは、黒を基調とした、いかにもアスリート向けの武骨なスポーツブランドのバックパックだ。

 

 そして何より、俺の心臓を冷たい手で鷲掴みにしたのは、そのカバンから「ある物」が欠落していたことだった。

 

 「ああ、これ?」

 

 結衣は自分の新しいバックパックを一瞥し、感情の読めない声で答えた。

 

 「うん。変えたよ。今までのやつは、重心のバランスが悪くて」

 

 「……キーホルダーは?」

 

 俺は、震える声を必死に抑え込みながら尋ねた。

 

 結衣の以前のカバンには、俺が去年の誕生日にプレゼントした、銀色のランニングシューズを模した小さなキーホルダーがつけられていた。どんな時も、試合の時も、彼女はそれをお守りだと言って大切にぶら下げていたはずだった。

 

 「キーホルダー?」

 

 結衣は一瞬、小首を傾げた。まるで、俺が全くの外国語を話しているかのように。

 

 「ああ、あれね。外しちゃった」

 

 「……なんで」

 

 「だって、無駄な装飾は連動の邪魔になるから」

 

 彼女は、いともたやすく、息をするように自然にそう言った。

 

 「歩くたびにカチャカチャ揺れるでしょ? あれが、私の体幹の微細なノイズになってたんだって。彼が、そう教えてくれたの。だから、カバンも彼と同じメーカーの、一番重心が安定するやつに揃えたんだ」

 

 俺は、目の前が真っ暗になるのを感じた。

 

 『彼』。

 

 その単語が出た瞬間、結衣の瞳の奥に、あのグラウンドで見せたのと同じ、ドロドロとした熱を帯びた狂信の光が宿ったのを、俺は見逃さなかった。

 

 結衣は、俺との長年の思い出の結晶であるキーホルダーを「体幹のノイズ」という冷徹な競技的合理性の名の下に、いとも簡単にゴミ箱へ放り捨てたのだ。そして、あの男と「お揃い」のブランドのバッグを背負うことで、自分が彼の所有物であることを自ら証明している。

 

 「……お前さ、ちょっと極端すぎるんじゃないか?」

 

 俺は、必死に過去の「優しい幼馴染」としてのポジションに縋り付こうとした。俺と彼女の間にだけ通じていたはずの、思い出の語彙を引き摺り出そうとした。

 

 「ほら、お前って昔から思い詰めると周りが見えなくなる癖があるだろ。中学の最後の大会の前も、カチカチに緊張して、結局スタートで盛大にコケたじゃないか。あの時のキーホルダー、その戒めも込めて俺が……」

 

 俺が過去の失敗談を交えて、場を和ませ、彼女の意識をかつての「俺たちの関係性」に引き戻そうとした、その時だった。

 

 「過去のメンタルモデルに固執するのは、ノイズになるから」

 

 結衣の口から放たれたのは、俺の言葉を完全に遮断する、ひどく冷たい、氷のようなトーンの拒絶だった。

 

 俺は息を呑んだ。

 

 それは、結衣の言葉ではなかった。

 

 声帯こそ結衣のものだが、そのイントネーション、冷酷なまでの合理性、他人を見下すような絶対的な強者のトーン。それは間違いなく、昨日グラウンドで彼女の肉体を蹂躙していた、あの天才の男の口癖そのものだった。

 

 結衣の言語野は、すでにあの男の思考回路によって完全にハッキングされ、上書きされていたのだ。

 

 「昔の話をされても困るの。今の私は、昔の私とは違うから。過去の失敗なんて、今の私の肉体には何のデータとしても残ってない。彼が、私の古い動きを全部壊して、新しく書き換えてくれたから」

 

 書き換えた。

 

 その言葉の裏にある、生々しい肉体の接触を想像し、俺は胃液が逆流するような強烈な吐き気に襲われた。

 

 結衣は、俺との間にあった「二人だけの暗号」や「思い出の語彙」を、古いバージョンの不要なファイルとして完全にデリートしてしまったのだ。そして代わりに、あの男が彼女の奥深くに突き入れた「新たな言語」と「価値観」を、さも自分の言葉であるかのように恍惚と語っている。

 

 俺は、完全に言葉を失った。

 

 コミュニケーションが成立しない。彼女は俺と同じ日本語を話しているはずなのに、その言語の土台となるOSが全く別のものにすり替わってしまっているため、俺の言葉は彼女の心に1バイトのデータとしてすら認識されないのだ。

 

 昼休み。

 

 かつての俺たちは、屋上や中庭で、互いの弁当のおかずを交換したり、他愛のない冗談を言い合いながら昼食の時間を過ごしていた。

 

 だが今日の結衣は、チャイムが鳴ると同時に俺に見向きもせず、真っ直ぐに食堂へと向かっていった。

 

 俺は、見えない糸に引かれるように、彼女の後を追った。

 

 食堂の隅の席で、結衣は一人で食事をとっていた。

 

 彼女の目の前に並べられているのは、女子高生が好むような色鮮やかな弁当やパスタではない。ゆで卵の白身だけを大量に集めた皿、味付けの一切されていないパサパサの鶏胸肉、そして、得体の知れない粉末を溶かしたドロドロのプロテインドリンク。

 

 それは食事というより、肉体という機械に燃料と栄養素を強制的に給油するための、ひどく無機質でグロテスクな作業に見えた。

 

 俺は少し離れた席に座り、彼女の様子を監視するように見つめていた。

 

 結衣は、全く美味しそうではないその餌のような食事を、機械的な動作で口に運んでいる。彼女の生活の全決定権は、すでに彼女自身にはないのだと、その異様な光景が物語っていた。

 

 彼女が昨日言っていた。「彼のリズムに合わせる」と。

 

 食堂でのメニュー選びから、休日の過ごし方、睡眠時間に至るまで、彼女の生活のすべては「彼との同調率を上げるため」という絶対的な大義名分のもと、あの男に完全に委ねられている。

 

 男が「これを食え」と言えば、それがどんなに味気ないものであろうと、彼女は嬉々として胃に流し込む。男が「俺と同じブランドを身につけろ」と言えば、俺との思い出の品を平気でゴミ箱に捨てる。

 

 結衣の精神構造は、もはや「俺の幼馴染」として独立した個を保っているのではない。あの天才の才能に寄生し、彼の一部として機能するためだけの「周辺機器(デバイス)」へと完全に成り下がってしまったのだ。

 

 その時。

 

 机の上に置かれていた結衣のスマートフォンが、ブブッ、と短く振動した。

 

 結衣の動きが、ピタリと止まった。

 

 フォークを握る手が止まり、彼女の視線がスマートフォンの画面に釘付けになる。

 

 俺の席からは画面の文字までは見えない。だが、画面を見た瞬間の結衣の「反応」が、それが誰からの、どのような内容のメッセージであるかを、この上なく残酷に俺に伝えていた。

 

 結衣の頬が、カッと急激に赤く染まった。

 

 首筋から耳の裏まで、まるで熱湯を浴びたように朱を帯びていく。

 

 「んっ……」

 

 結衣の口から、周囲の喧騒にかき消されるほどの、だが俺の鼓膜には雷鳴のように響く、ひどく艶めかしく、粘り気のある甘い吐息が漏れた。

 

 彼女は無意識のうちに、太ももをきつく擦り合わせ、モジモジと下半身をよじるような仕草を見せた。制服のスカートの下で、彼女の肉体が、画面の向こう側の男の言葉だけで強烈な反応を示し、熱く湿っていくのが、離れた席にいる俺にまで幻覚のように伝わってくる。

 

 結衣は、片手で自分の下腹部を――子宮のあたりを、衣服の上から強く押さえた。

 

 まるで、体の奥底から湧き上がる強烈な疼きと快感を、必死に押し殺そうとしているかのように。

 

 その顔は、アスリートがコーチからの厳しい練習メニューを受け取った時の顔では、決してない。

 

 今夜、自分がどのように犯され、どのように狂わされるのかを予告され、恐怖と期待で頭の髄までドロドロに溶かされている、発情しきった牝の顔だった。

 

 俺の心臓は、ギリギリと音を立てて締め付けられ、呼吸の仕方を忘れたように冷たい汗が全身から噴き出した。

 

 『今日の夜も、俺の「リズム」をお前の体の奥まで叩き込んでやる』

 

 男からのメッセージは、おそらくそのような、練習の延長を装った極めて卑猥で支配的な内容に違いない。

 

 「彼のリズム」という言葉。それは陸上競技の連動や重心移動といった大義名分を隠れ蓑にした、彼らの間だけで通じる「生々しい交尾の暗号」なのだ。

 

 結衣の頭の中では、競技の向上心と、男に肉体を蹂躙されることの疼きが、もはや完全に混同され、分離不可能な状態に陥っている。

 

 彼女は、スマートフォンの画面を愛おしそうに指でなぞると、荒い呼吸を整えるように深く息を吐き、また機械のように鶏胸肉を口に運び始めた。

 

 だが、その手は微かに震えており、彼女の頭の中がすでに「夜の密室」での出来事に対する妄想で支配されていることは明白だった。

 

 俺は、自分がひどく滑稽で、哀れなピエロのように思えてきた。

 

 俺が彼女に与えられるのは、「昔のように楽しんでやればいい」という、中身のない、何の効力も持たない空虚な慰めだけだ。

 

 しかしあの男は、文字の羅列一つで、彼女の子宮を疼かせ、彼女の生活のすべてを支配し、彼女の肉体を極限まで開発し尽くしている。

 

 この圧倒的な実力差。機能の差。存在価値の差。

 

 俺が長年かけて築き上げてきたと信じていた「幼馴染という特権」は、才能という絶対的な暴力と、それがもたらす快楽の前に、いとも容易く蹂躙され、跡形もなく消え去ってしまった。

 

 放課後。

 

 結衣は今日も、誰もいなくなったグラウンドで、あの男との「居残り練習」を続けていた。

 

 俺は昨日と同じように、死角からその様子をただ見つめていた。

 

 ストップウォッチを持った男の前で、結衣が走る。

 

 彼女のタイムは、俺が陸上の素人であっても分かるほどに、劇的に向上していた。スランプの壁など最初から存在しなかったかのように、彼女の走りは研ぎ澄まされ、かつての自己ベストをいとも簡単に叩き出しているようだった。

 

 だが、その走りの代償は、彼女の肉体を確実に蝕んでいた。

 

 走り終えた結衣は、立っていることすらままならない様子で、タータンの上に四つん這いになり、ひどく苦しそうに肩で息をしている。

 

 朝に見えた目の下の隈。尋常ではない汗の量。そして、時折見せる極度の疲労感と眩暈のようなふらつき。

 

 それに反比例するように向上していく競技成績。

 

 これは、健全なスポーツのトレーニングではない。

 

 夜な夜な行われている「密室の個人練習」――男による容赦のない肉体の調教と、極限の快楽を伴う暴力的な同調が、結衣の生命力そのものを削り取っている証拠だった。

 

 彼女は、自分の命を削ってまで、あの男の才能に寄生し、彼に抱かれることの快楽を貪っているのだ。

 

 男が結衣に歩み寄り、四つん這いになっている彼女の顎を、つま先で軽く蹴り上げるようにして上を向かせた。

 

 「どうだ。俺のリズムが体に染みついてきただろ」

 

 男の傲慢な声が、夕闇のグラウンドに響く。

 

 結衣は、蹴り上げられた顎を撫でながら、男を見上げて恍惚と笑った。

 

 「うん……すごい。彼と肌を合わせて動くと、脳がドロドロに溶けるみたいに……すごく、気持ちいいの」

 

 その言葉は、もはや周囲の目を気にする理性すら失った、純度100パーセントの狂気と発情の告白だった。

 

 彼女はそれが、純粋なアスリートとしての「ゾーン体験」の話であると、本気で信じ込んでいるのだ。陸上競技という大義名分が彼女の認知を完全に歪め、自分が単なる「性的な玩具」として開発され尽くしているという事実から、彼女の精神を完全に保護している。

 

 いや、もしかしたら、彼女の深層心理はすべてを理解した上で、その絶対的な支配と快楽という名の地獄へ、自ら喜んで身を投げているのかもしれない。

 

 俺は、フェンスに頭を打ち付けたい衝動に駆られた。

 

 結衣と共有していた歴史、認識、思い出、すべてが、あの男という新たな絶対的な管理者によって完全にフォーマットされた。

 

 彼女の脳内には、彼に服従し、彼のリズムを受け入れ、彼に犯されるための、全く新しいOSがインストールされてしまったのだ。

 

 古いOSでしか作動しない俺の言葉は、もう二度と彼女のシステムに認識されることはない。

 

 「今日の夜も、俺の部屋に来い。まだ体の奥の連動が甘い。朝まで徹底的に『調整』してやる」

 

 「はい……お願いします。私を、もっと滅茶苦茶にしてください……」

 

 夕闇の中、男にすがりつくようにして立ち上がり、彼の腕の中に自ら崩れ落ちていく結衣の姿を、俺はただ、血の涙を流すような思いで見つめ続けることしかできなかった。

 

 俺と彼女の世界を完全に遮断する、強固で、残酷で、生々しい「閉じた生態系」が、そこに完成していた。

 

 俺は、自分がこの物語の主人公ではなく、ヒロインが他の男に寝取られ、心身ともに作り変えられていく過程を、ただ指を咥えて見ているだけの、最も惨めで無価値なモブキャラであるという事実を、骨の髄まで理解させられていた。

 

 明日も、明後日も。

 

 俺はこうして、彼女が男の才能と精液にまみれて狂っていく様を、狂おしいほどの嫉妬と絶望を抱えながら、安全な死角から監視し続けることしかできないのだ。

 

 俺の存在証明であった「幼馴染」という特権は、もはや何の役にも立たない、ただの呪いの鎖となって俺自身の首を締め上げ続けている。

 

 結衣の精神構造が完全に第三者に乗っ取られ、俺の手の届かない場所で、あの男専用の「雌」として完成していく音だけが、俺の空っぽの脳内に虚しく響き渡っていた。

 




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