僕が先に好きだった幼馴染は、天才のリズムなしでは生きられない牝に書き換えられた。 作:123
勝利という名の絶対的な免罪符は、時として、いかなる狂気や異常性をも「正義」へと反転させる。
県大会での劇的な優勝から数時間後。
俺たち陸上部の関係者は、学校近くの大型焼肉チェーン店を貸し切りにして、狂乱の祝勝会を開いていた。
鉄板で焦げる脂の匂い。むせ返るような熱気。紙コップに注がれたコーラやウーロン茶がぶつかり合う音。
誰もが顔を紅潮させ、大会新記録を叩き出したヒロインと、彼女をそこへ導いた絶対的エースの偉業を讃え、絶叫に近い笑い声を上げている。
だが、その喧騒の果て、一番端のテーブルのさらに隅の席に座る俺の周囲だけは、絶対零度の真空地帯のように冷え切っていた。
俺の視線の先、店の中心にある最も大きなテーブルの「玉座」には、今日の主役である二人の姿があった。
結衣と、あの天才の男だ。
結衣は、学校指定のジャージに着替えてはいるものの、その身体から発散される異常な熱気は、競技中から何一つ収まっていなかった。
肩甲骨のあたりで揺れる、艶やかな黒髪のポニーテール。太陽の光をたっぷりと吸い込んだ、健康的な褐色のうなじ。過酷なトレーニングによって削ぎ落とされた、しなやかで引き締まった四肢。
俺が長年見守り続けてきた、純潔でストイックなアスリートの造形。
しかし、今の彼女の振る舞いには、かつての生真面目な幼馴染の面影など、ミクロン単位でさえ残っていなかった。
結衣は、自分の席があるにもかかわらず、当然のように男の隣――いや、彼の身体にすがりつくようにして密着して座っていた。
男の太い腕が、結衣の華奢な腰に無造作に回されている。結衣はその腕の拘束を嫌がるどころか、自ら重心を預け、彼の広い胸板に肩を擦り寄せて、うっとりとした表情を浮かべていた。
「ほら、お前、もっとタンパク質摂れ。明日のリカバリーに響くぞ」
男が、トングで焼けた赤身肉を皿に放り投げる。
「うん……食べる。あなたが焼いてくれたお肉、すごく美味しい……」
結衣は、熱を帯びた、ひどく甘く粘り気のある声で答え、肉を口に運ぶ。その瞳は完全にトロンと蕩けており、周囲に数十人の部員がいることなど全く認識していないかのようだった。
彼女の視界には、もはやこの世界に「自分を支配する絶対的な雄」ただ一人しか存在していないのだ。
周囲の部員たちは、その異常なほどの密着ぶりと、まるで発情期を迎えた牝犬のような結衣の態度を目の当たりにしている。
だが、誰一人としてそれを咎めようとしない。それどころか、羨望と賞賛の眼差しを向けている。
「いやー、マジで最強の黄金コンビ誕生だな!」
「結衣があそこまでタイム伸ばすとか、やっぱエースの指導は次元が違うわ」
「もうお前ら、陸上でも私生活でも最高のパートナーじゃん!」
飛び交う無責任な祝福の声。
俺の胃袋が、泥のように重く、冷たく裏返るのを感じた。
彼らにとって、結衣が男の身体にどれだけ淫らに擦り寄ろうが、男が結衣の腰をどれだけ所有物のように撫で回そうが、それは「圧倒的な結果を出した天才同士の、究極の信頼関係」という完璧な大義名分によって、社会的に承認されてしまっているのだ。
スポーツという残酷な実力主義の生態系において、「優勝」という客観的なデータは、いかなる倫理観や違和感をも論理的に上書きしてしまう。
男が結衣を肉体的に調教し、雌として依存させているというおぞましい真実すらも、周囲の目には「最先端のメンタルコントロール」や「究極のペアリング」として肯定的に処理されている。
誰も、狂っていない。
この空間において、結果という絶対的な真理に則って思考している彼らこそが「正常」なのだ。
狂っているのは、過去の「幼馴染」という役に立たない亡霊にしがみつき、結果も出せないくせに嫉妬と未練だけで彼女を見つめている、俺という存在の方だった。
その時だ。
男が、自分の飲みかけのスポーツドリンクのペットボトルを、無造作にテーブルに置いた。
結衣はそれを見ると、自分の手元に手付かずのお茶があるにもかかわらず、迷うことなくそのペットボトルに手を伸ばした。
そして、男の唾液が付着しているはずの飲み口に、自らの桜色の唇を、躊躇いなく、いや、むしろ吸い付くようにして強く押し当てたのだ。
コクッ、コクッ、と、彼女の細い喉が動く。
ただ水を飲んでいるだけではない。彼女の目は細められ、まるで男の体液そのものを体内へ摂取し、自分の中の渇きを癒やしているかのような、ひどく卑猥で、倒錯した悦びに満ちていた。
ペットボトルから唇を離した結衣は、ツヤツヤと濡れた口元を手の甲で拭い、男を見上げて「ごちそうさま」と小さく呟いた。
それは、間接キスなどという甘酸っぱい青春の遊戯ではない。
公衆の面前で行われる、純度100パーセントの「服従と依存」の儀式だった。
俺の座っている席の斜め向かいで、結衣と仲の良かった女子部員が、それを見てクスクスと笑った。
「ちょっと結衣ー、ラブラブすぎじゃない? こっちが恥ずかしくなるんだけど」
結衣は否定するどころか、さらに男の胸板にすり寄り、頬を真っ赤に染めて恍惚と微笑んだ。
「えへへ……だって、彼のが一番、私の体に馴染むから……」
その言葉の奥底に潜む、ダブルミーニングの生々しい響きに、俺の全身の毛穴が粟立った。
限界だった。
正常性バイアスも、理性も、自己保身も、すべてが限界を超えて焼き切れた。
ガタッ!!
俺は、パイプ椅子を弾き飛ばすようにして立ち上がっていた。
突然の大きな音に、賑やかだった店の空気が一瞬にして凍りつき、数十人の部員たちの視線が、一斉に俺へと突き刺さった。
俺は、震える両足を引きずり、玉座に座る二人のテーブルへと歩み寄った。
「……おい」
俺の口から出た声は、自分でも驚くほど掠れ、惨めなほどに震えていた。
「おかしいだろ……」
俺の言葉に、周囲の部員たちが怪訝な顔を見合わせる。
「何がだよ」
一人の男子部員が、面倒くさそうに口を挟んだ。
「距離感が、おかしいだろ……! いくらなんでも、密着しすぎだ! 結衣、お前も……なんでそんな、男の言いなりみたいになってるんだよ!」
俺は、結衣の目を真っ直ぐに見据えて叫んだ。
昔から彼女を支えてきたのは俺だ。彼女が泣いている時、背中をさすってやったのは俺だ。俺の「幼馴染」としての歴史が、実績が、こんなぽっと出の才能ある男に、たった数ヶ月で全否定されてたまるか。
俺の魂からの、血を吐くような訴え。
だが。
結衣の顔には、戸惑いも、罪悪感も、怒りすらも浮かばなかった。
彼女は、俺という存在を「道端で突然吠え出した狂犬」でも見るかのように、ひどく冷めた、そして理解不能なものを見る目で一瞥しただけだった。
「言いなりって……何言ってるの?」
結衣の口から出た言葉は、冷酷なまでに理路整然としていた。
「私が彼に従うのは、それが一番論理的で、私を生かすための唯一の正解だからだよ。彼の才能とリズムに同期することが、私にとっての『すべて』なの。距離感がおかしい? パートナーなんだから、これくらい普通でしょ」
彼女の認識の中では、自分が男に肉体を弄ばれ、洗脳されているという感覚は1ミクロンも存在していなかった。
彼女の脳内では、「彼の才能に抱かれ、彼に従属すること」が、「競技で勝ち、生き残るための最も優れた生存戦略」として完全に正当化されているのだ。
いかなる不整合もなく。いかなる矛盾もなく。
男は、口の端を歪めて冷笑し、さらに結衣の腰を強く抱き寄せた。
「聞こえたかよ、幼馴染くん。こいつは俺の管理下にいるからこそ、あの記録が出せたんだ。お前のくだらねえ『優しさ』なんて、こいつのタイムを1秒も縮められなかっただろ?」
男の言葉は、完璧な客観的真理として、俺の脳天をハンマーで打ち砕いた。
周囲の部員たちからも、冷ややかな声が漏れ始める。
「なんだよあいつ、自分が幼馴染だからって、結衣がエースと上手くいってるのが気に入らないのか?」
「見苦しいな。結果も出せないくせに、嫉妬で空気悪くすんなよ」
「結衣ちゃんが昔から世話になってたのは知ってるけど、今はもう、エースが一番のパートナーでしょ。現実見ろよ」
俺の足元から、世界が崩れ落ちていく。
誰も、俺の味方などいなかった。
俺が主張する「昔からの絆」や「精神的な支え」は、この実力主義のコミュニティにおいては、何の証明力も持たない「敗者の世迷言」として、論理的に完全に論破され、排斥されたのだ。
「俺が……ずっと結衣を……」
俺の虚しい反論は、鉄板で弾ける肉の脂の音にすら掻き消された。
その時。
俺の鋭敏に張り詰めた視覚と聴覚が、テーブルの下で起きている、さらに決定的な「社会的なNTRの完成」を捉えてしまった。
男の左手が、テーブルの上から姿を消している。
そして、結衣のジャージのズボンの布地が、太ももの内側、極めて股間に近い位置で、不自然に盛り上がり、蠢いているのが見えた。
男が、テーブルの死角を利用して、大勢の部員たちが談笑しているこの公衆の面前で、結衣の奥深くに指を這わせているのだ。
「っ……ぁ……」
結衣は、会話の途中で突然、ビクンと肩を跳ねさせ、顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏した。
周囲の部員たちは「どうしたの?」「酔った?(ジュースだけど)」と笑っている。
だが俺だけが、結衣の突っ伏した腕の隙間から漏れる、熱を帯びた、完全に理性を吹き飛ばされた発情の吐息を聞き取っていた。
彼女は、大勢の仲間たちがいる前で、自分の幼馴染が目の前に立っている状況で、男の指先によって容赦なく開発され、弄ばれ、その圧倒的な快感と背徳感に脳をドロドロに溶かされているのだ。
否定するどころか、彼女の太ももは、男の手のひらを逃さぬように、さらにきつく閉じられ、擦り寄っている。
「ごめんなさぁい……ちょっと、貧血みたいで……」
結衣は、周囲には聞こえるように猫撫で声でそう誤魔化しながら、男の耳元へと顔を寄せた。
そして。
俺の神経を永遠に破壊する、決定的な囁きが、俺の鼓膜に突き刺さった。
『……ねえ……もう、限界……。早くここ抜け出して……部室の暗いところで、私の中……滅茶苦茶にして……』
それは、誇り高きアスリートの言葉ではなかった。
俺の知る気丈な幼馴染の言葉でもなかった。
自分という個体を維持することすら放棄し、ただ絶対的な雄の生殖機能と才能によって、自らの内部を破壊し、書き換えてもらうことだけを渇望する、純度100パーセントの「肉便器」の哀願だった。
俺は、自分が息をしているのかどうかも分からなくなった。
結衣の精神は、俺の手の届かない深遠な狂気の底で、あの男という最強のアルゴリズムに完全に最適化され、完成を迎えたのだ。
俺という「過去の仕様書」は、もはや彼女のシステムに読み込まれることはない。
不要なデータ。アップデートを阻害するノイズ。消去されて当然のバグ。
俺と結衣が紡いできた長年の歴史は、同じ競技者として圧倒的な上位互換である第三者の暴力的な有用性の前に、この数十分の間に、社会的なコミュニティから一切の不整合なく、完全に消去された。
「……悪い、俺らちょっと先に出るわ。結衣の体調が優れねえみたいだから、俺が『ケア』してやる」
男が、勝利者の余裕に満ちた声で立ち上がる。
「おー、エース頼んだぞ!」
「結衣ちゃんお大事にねー! 明日もよろしく!」
仲間たちの温かい声援に見送られながら、結衣は自力で歩くこともままならない様子で、男の腕に完全に体重を預け、店の出口へと向かっていく。
すれ違いざま、結衣の虚ろな瞳が、立ち尽くす俺の顔を一瞬だけ掠めた。
だが、そこには何の感情の波紋も生じなかった。
彼女の視界は、俺という物体を認識しながらも、「意味のない風景の一部」として完全にスルーしたのだ。
自動ドアが開き、二人の姿が夜の街の闇へと溶けて消える。
これから彼らが向かう暗い部室で、どれほど生々しく、乱暴で、狂気に満ちた「同期作業」が行われるのか。
結衣がどれほどの快楽の絶叫を上げ、自らのアイデンティティを喜んで彼に差し出すのか。
俺の脳内で、その高解像度の映像が、吐き気とともに無限ループを開始する。
俺は、誰にも気付かれることなく、ゆっくりと、自分の席へと戻った。
目の前には、完全に冷めきった肉の塊と、氷の溶けたウーロン茶が置かれている。
周囲の喧騒は、俺にとって完全に意味を持たないノイズの海と化していた。
俺の存在意義は、彼女の認識からも、この社会というコミュニティからも、いかなるご都合主義も存在しない、完璧なまでの論理と客観的現実によって、完全に抹消された。
俺は、自分がこの世界のどこにも存在していないのだという強烈な虚無感に抱かれながら、ただ薄暗いテーブルの木目を、永遠に凝視し続けることしかできなかった。
僕が先に好きだったのに、という幼稚な感情すら、圧倒的な絶望の前に干からびて、砂のように崩れ去っていった。
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