※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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覚悟

 スマホの画面には、緑が二つ並んでいた。

 

 ――対象契約体の本質的属性を特定せよ CLEAR

 ――対象契約体の能力発動条件を特定せよ CLEAR

 ――対象契約体が現在の所有者へ従う理由を特定せよ

 

 最後の一行だけが、黒いまま残っている。

 

 答えは、もう見えていた。

 

 ムジナは、ただ命令に従うだけの契約体じゃない。あの男に意味を見いだした。自分を受け入れてくれるかもしれない相手として、手を伸ばした。だから従う。だから切られたくない。だから、守る。

 

 そこまで分かっている。

 

 分かっているのに、親指が動かない。

 

 画面の下に出ている入力欄が、やけに冷たく見えた。ここへ答えを入れれば、たぶん終わる。終わってしまう。バーゲストの時と同じなら、この戦いの所有権は移る。そうなれば、また誰かが消える。

 

 喉の奥が詰まる。

 

 昨夜の光景が、まぶたの裏へまた浮いた。肩から。喉から。顔の輪郭から。人ひとり分の存在が、白い光へほどけていく。声も残らない。跡も残らない。あれを、もう一度。

 

 指先へ妙な力が入って、スマホの縁が軋む。

 

「……っ」

 

 息が浅くなる。視界の端で、バーゲストが怪獣の爪を真正面から受けた。銀の剣が唸る。怪獣の腕が弾かれる。砕けた歩道の破片が飛ぶ。けれど、その一連の攻防さえ、今の俺には遠い。画面の黒い一行だけが、異様な重みで目の前にある。

 

 人を殺す。

 

 いや、違う。俺が手を下すわけじゃない。分かっている。分かっているのに、MEDESが処理するからと言い換えたところで、結果は変わらない。俺が入力すれば、誰かは盤面から外れる。そういう仕組みだ。

 

 だったら、どうする。

 

 見なかったふりをして、ここで止まるのか。

 

 親指がわずかに離れた、その瞬間だった。

 

「マスター!」

 

 バーゲストの声が響く。

 

 反射で顔を上げる。怪獣の巨体が大きく身を反らせ、次の一撃へ全身をしならせている。バーゲストはその真正面で剣を構え、受け止める姿勢へ入っていた。だが、あれを受ければ、また周囲が吹き飛ぶ。遊歩道の柵はすでに半分以上が潰れている。街路樹も根元からえぐれ、案内板は鉄片に変わっていた。このまま長引けば、ここを通る一般人まで巻き込む。

 

 ムジナの契約者が、そこで叫ぶ。

 

「ムジナ! もう鬱陶しい、全部潰せ! 周りなんか気にするな、まとめてやれ!」

 

 声に焦りが混じっている。余裕のない叫びだ。勝ち急いでいる。その言葉が、耳へ刺さった。

 

 ムジナが、一瞬だけ目を細めた。

 

「えー……」

 

 いつもの気だるい声だ。だが、その奥に、ほんの僅かに引っかかりがある。

 

「そこまでする?」

「するんだよ! こっちが取られたら終わりだろ! 怪獣ごと遊歩道ごと潰せ!」

 

 命令が、あまりにも露骨だった。

 

 その瞬間、何かがはっきりした。

 

 ムジナは、今までにも街を壊してきた。平気そうな顔もしていた。けれど、“それが楽しいから”ではない。少なくとも今、この場でのあの女は、自分の意思で無差別に暴れたがっているわけじゃない。

 

 視線の向こうにあるのは、バーゲストでも俺でもなく、まず契約者の男だ。

 

 どうする、と問われているわけでもない。

 ただ、命じられている。

 しかも、周囲の被害なんか関係ないと切り捨てる形で。

 

 ムジナの眉が、わずかに寄る。

 

 その寄り方は、嫌悪というより、つまらなさに近い。けれど、完全な拒絶ではない。拒絶できない。切りたくないからだ。意味をくれた相手。受け入れてほしい相手。だから、あの乱暴な命令ですら、最後には飲み込もうとしている。

 

 怪獣が、再び持ち上がる。

 

 今度の動きはさっきまでと違う。視線による細かな制御ではなく、もっと荒っぽい。“壊すためだけ”の力のかけ方だ。ムジナ自身の好みじゃない。そう見えた。見えたからこそ、逆に分かる。

 

 これは、ムジナの意思じゃない。

 

 あの男の指示だ。

 

 周囲の被害も、街も、関係ない。とにかく押し潰せ。その雑で醜い命令に、ムジナは従わされている。従う理由は、恐怖じゃない。契約の強制でもない。ただ命令そのものに屈しているわけじゃない。あの男を失いたくないから。意味をくれた相手を切られたくないから。だから、望まない形でも動いてしまう。

 

 答えが、そこで一本に繋がる。

 

 ムジナが現在の所有者へ従う理由――。

 

 バーゲストが怪獣の顎を受ける。遊歩道が沈む。銀の刃が軋み、鎧の端から鈍い音が走る。時間がない。

 

 俺はスマホへ視線を落とした。

 

 黒い入力欄が、もうただの文字枠には見えなかった。誰かの命を切り離すための窓口じゃない。ムジナ自身を、あの男の指示から引き剥がすための、唯一の切断面だ。

 

 胸の内側で、まだ迷いは残っている。残っているが、形が変わった。

 

 誰かが消えるかもしれない。

 その重さは消えない。

 けれど、このまま入力を躊躇えば、ムジナは“自分の意思ではない暴れ方”を押しつけられたままになる。バーゲストも潰れる。街も巻き込まれる。

 

 なら。

 

 俺は息を吸った。

 

「……ムジナ」

 

 小さく、名前を呼ぶ。届くかどうかも分からない声だった。だが、あの女の目がほんの一瞬だけこちらを向いた。

 

 気だるくて、怠そうで、それでも今はどこか硬い顔だった。

 

 自分の意思じゃない。

 なのに止められない。

 その顔を見て、もう迷っている場合じゃないと分かった。

 

 親指で、入力欄へ触れる。

 

 言葉を打つ。

 短く。

 だが、核心だけは外さないように。

 

 ――自分に生きる意味を与え、自分を受け入れてほしいと願う相手だから

 

 入力しても、すぐには送信しなかった。

 

 ほんの一瞬だけ、また指が止まる。

 

 これを押せば、終わる。

 終わらせる。

 また、誰かの敗北が確定する。

 

 怖くないわけがない。

 

 けれど、その一拍の迷いを断ち切るみたいに、バーゲストの声が飛んだ。

 

「マスター!」

 

 顔を上げる。怪獣の爪が振り下ろされる、その直前だった。バーゲストは剣を立て、真正面から受け止めている。踏ん張った足元の石畳が割れ、川沿いの柵が最後の一本までへし折れた。これ以上はもたない。そういう姿だった。

 

 俺は、送信を押した。

 

 画面が白く瞬いた。

 

 次の瞬間、最後の一行が緑へ変わる。

 

 ――対象契約体が現在の所有者へ従う理由を特定せよ

 ――CLEAR

 

 同時に、画面全体が暗く沈み、その中央へ新しい文字が浮かび上がる。

 

 ――ALL CONDITIONS CLEARED

 ――SEIZURE RIGHTS GRANTED

 

 息が、喉の奥で絡まる。

 

 取った。

 三問、全部だ。

 

 ムジナの契約者が、それを本能的に悟ったらしい。顔色が変わる。

 

「は……?」

「遅いです」

 

 思わず漏れた俺の声と、バーゲストの低い吐息が重なる。怪獣の爪が、そこで一瞬だけぶれた。ムジナの視線も揺れる。契約者を見て、スマホを見て、こちらを見る。その順番で、何が起きたか理解し始めている顔だった。

 

 けれど、もう遅い。

 

 俺は震える指で、次の表示へ触れた。

 

 ――TRANSFER AVAILABLE

 ――TARGET : MUJINA

 ――CONFIRM SEIZURE

 

 胸の奥がまだ冷たい。それでも、躊躇はしなかった。

 

 答えはもう分かっている。

 ここで止まる方が、ムジナの意思ではない破壊を続けさせる。

 

 そう理解したからだ。

 

 画面へ指を下ろす。

 

 その瞬間、遊歩道の空気が目に見えないところで裂けたような気がした。

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