※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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鍋の対面

 四人分の鍋になると、いつもの卓上コンロが少し頼りなく見えた。

 

 鍋の底で昆布だしが静かに揺れている。まだ煮立つ手前だ。白い湯気が薄く立ちのぼり、部屋の天井でほどけていく。その匂いだけで、昼とも夜ともつかない妙な時間の空気が、少しずつ生活のものへ戻っていく気がした。

 

 テーブルの上には、切った野菜と肉の皿を並べてある。白菜、長ねぎ、春菊、きのこ、豆腐。豚肉と鶏肉も多めに買ってきた。四人いるのだから当然だが、見慣れた一人分や二人分とは量の景色が違う。その違いが、部屋の狭さよりも先に、今の状況を現実だと教えてくる。

 

「まだです?」

 

 デルタが、鍋の湯気を睨みながら言った。椅子にはちゃんと座っているのに、上体だけが前のめりになっている。耳はぴんと立ち、尾は落ち着きなく椅子の脚へ当たっていた。

 

「まだだ。肉は煮えてない」

「見れば分かるです」

「じゃあ聞くな」

 

 そう返すと、デルタは少しだけ頬を膨らませた。大人びた顔立ちでそれをやるから、余計に子供っぽく見える。だが、次の瞬間にはもう皿の肉へ視線が移っている。鍋の時のデルタは、ほとんど腹を空かせた獣の観察そのものだった。

 

 向かい側では、ムジナが頬杖をついていた。気だるげな顔で、並んだ野菜をひとつずつ眺めている。

 

「へえ。ちゃんと鍋なんだ」

「ちゃんと鍋って何だ」

「もっと適当に、肉だけ突っ込むのかと思った」

「俺を何だと思ってる」

「わりと丁寧な人」

 

 ムジナはそう言って、きのこの皿を指先で寄せた。動作はゆるいのに、欲しいものへ手を伸ばすのに迷いがない。

 

「わたし、えのき好き」

「意外だな」

「そう?」

「もっと肉一択かと思った」

「それ、そっち」

 

 視線だけでデルタを示す。デルタは即座に反応した。

 

「肉は大事です」

「ほらね」

「きのこで腹はふくれないです」

「でも鍋のきのこおいしいよ」

「肉の方がうまいです」

「話通じないなあ」

 

 言いながらも、ムジナは面白そうだった。だるそうな空気は抜けないが、卓上の小さなやり取りをちゃんと拾っている。相手の反応を見るのが好きなのだろう。敵として対峙していた時の不気味さが、こうして鍋を囲むと別の方向へ顔を出してくる。

 

 バーゲストはというと、その隣で鍋の火加減を見ていた。

 

「沸きすぎると、最初の葉物が崩れます」

「……もう見てるのか」

「はい。鍋は順序が重要でしょう」

 

 真顔で言われると、妙に説得力がある。バーゲストは箸を手にしたまま、鍋全体をひとつの布陣みたいに眺めていた。どこへ何を入れるか、誰にどれを渡すか、その全部を頭の中で組み立てている顔だ。

 

「まずは白菜とねぎからでしょう。だしへ甘みが出ます」

「肉は?」

 デルタがすぐ訊く。

「まだです」

「まだですか」

「まだです」

 

 返しが一切揺るがない。デルタは明らかに不満そうだったが、バーゲストが鍋奉行の顔をしている時だけは、真正面から噛みつかない。強さの問題なのか、押し切れないと本能が判断しているのかは分からないが、その辺りの線引きは妙に正確だ。

 

 俺はその様子を見ながら、刻んだ豆腐を皿ごと少し手前へ寄せた。

 

「じゃあ、最初は任せる」

「承知しました」

 

 それだけで、バーゲストは本当に任された顔になる。白菜を箸で広げ、ねぎを散らし、豆腐を崩さないよう端へ落とす。動きが丁寧だ。騎士の立ち居振る舞いが鍋へ流れ込むと、こういう手つきになるのかと変なところで感心する。

 

 ムジナが湯気を眺めながら言う。

 

「なんか、ちゃんとしてるね」

「バーゲストですから」

 デルタが、妙に得意げに言う。

「なんでおまえが誇るんだ」

「なんとなくです」

 

 適当な答えだが、それでも少し空気が和らぐ。こうして四人で鍋を囲んでいること自体、数日前の俺なら想像もしなかった。デルタと二人になった時点で十分に異常だったのに、今はそこへバーゲストとムジナまで増えている。それなのに、目の前にあるのはひどく生活感のある鍋だ。

 

 ぐつぐつ、とだしがようやく本格的に音を立て始めた。湯気の匂いが強くなる。白菜の青い匂い、ねぎの甘さ、昆布の輪郭。その全部に、デルタの耳がまたぴくりと動いた。

 

「そろそろです」

「まだだ」

「今度はいいです」

「肉を入れてからだ」

「じゃあ早く入れるです」

 

 我慢が限界らしい。ムジナがそこで笑いを噛み殺した。

 

「ほんと分かりやすいね」

「うるさいです」

「褒めてるのに」

「褒めてないです」

「褒めてるよ」

「肉の前ではみんな正直です」

 

 デルタは真剣な顔でそう言った。たぶん本人の中では、立派な持論なのだろう。バーゲストが少しだけ目を伏せる。笑ったのを隠した気配だった。

 

「では、そろそろ肉を」

「待ってたです!」

 

 途端に椅子が鳴る。デルタの上体がもう一段前へ出た。バーゲストはそれを当然のように無視し、豚肉を一枚ずつ広げて沈めていく。鶏肉も加わり、だしの匂いがぐっと濃くなる。そこでようやく、鍋らしい景色になった。

 

 ムジナは肉より先に、えのきへ箸を伸ばした。

 

「わたし、これ」

「そんなにきのこ好きなのか」

「うん。噛んだ時の感じが好き」

「変です」

 デルタが即座に言う。

「変じゃないよ。そっちは肉ばっかりでしょ」

「肉は裏切らないです」

「何その信頼」

「本当です」

 

 真顔で返されると、ムジナもそれ以上は笑うしかないらしい。

 

 バーゲストは最初の肉を見極めると、迷いなくデルタの小皿へ入れた。次に俺、次にムジナ。最後に自分の分を取る。その順番に、自然と彼女の性格が出ていた。まず周りへ配り、自分は最後。騎士らしいというか、世話役が板についているというか。

 

「熱いので気をつけてください」

「分かってるです」

 

 言いながら、デルタはもう口へ運んでいた。

 

「あつ」

 

 即座に舌へ来たらしい。けれど吐き出さず、ふーふーと息をかけるようにしながら飲み込む。その様子があまりにも予想通りで、ムジナが今度こそ声を出して笑った。

 

「だから言ったのに」

「うまいです」

「聞いてない」

「うまいです」

 

 大事なことだから二回言ったのだろう。デルタの尾が機嫌よく揺れ始める。鍋の場では、その動きが感情の翻訳みたいなものだった。

 

 俺も肉をひと口食べる。温かい。うまい。ひどく当たり前の感想なのに、その当たり前が今は少しだけ沁みる。昨夜までの張りつめ方が、鍋の湯気と一緒に少しずつほどけていく感じがあった。

 

 ムジナはえのきと豆腐、それから少し遅れて肉を取る。だが、食べ方そのものは意外と雑ではない。気だるげなくせに、熱いものをちゃんと冷ましてから口へ運ぶし、気に入ったものは静かに二回目を取る。好みがはっきりしているだけで、行儀が悪いわけではないらしい。

 

「……おいしい」

 小さく呟く。

「でしょ」

 

 答えたのはなぜかデルタだった。

 

「なんでおまえが返事するんだ」

「うまいのは事実です」

「まあ、そうだけど」

「仮ボスの鍋です」

 今度はバーゲストが静かに言う。

「味が整っている」

「そういう褒め方なんだな」

「事実です」

 

 真顔が二人続くと、変に照れくさい。だが悪い気はしなかった。

 

 鍋は順調に減っていく。白菜が柔らかくなり、春菊の匂いが立ち、肉の脂がだしへ溶ける。デルタは相変わらず肉中心だが、バーゲストが野菜も小皿へ入れると、ちゃんと食べる。渋々ではあるが食べる。その辺りも、鍋奉行への従属が見えて可笑しい。

 

「春菊も必要です」

「肉の方が必要です」

「両方です」

「……分かったです」

 

 その返事の速さに、ムジナがまた笑う。

 

「バーゲストには逆らわないんだ」

「逆らってないです」

「今のが?」

「ちゃんと食べたです」

「それはそう」

 

 ムジナはそう言ってから、ふいに鍋の湯気越しに俺を見る。

 

「これから、どうするの」

 

 問いは軽い。だが、中身は軽くない。箸は止まっていないのに、その目だけはちゃんとこちらを見ている。

 

 バーゲストも、デルタも、自然と動きを少しだけ緩めた。鍋の音だけが、ぐつぐつと小さく鳴る。

 

 そうだ。今日は鍋を食べるだけじゃ終わらない。四人になった以上、これからのことを考えないわけにはいかない。

 

 俺は湯気の向こうを見ながら、少しだけ息を整えた。

 

「まず、情報を整理する」

「真面目」

 

 ムジナが言う。

 

「他にやることがない」

「あるです。食べるです」

「それは今やってる」

「大事です」

「それも分かってる」

 

 デルタの割り込みに、少しだけ肩の力が抜けた。完全に沈んだ話し合いになるのを、こいつはたぶん本能的に嫌うのだろう。

 

 バーゲストが、鍋へ豆腐を足しながら口を開く。

 

「次の戦闘までに、戦力の把握は必要でしょう」

「ああ。おまえとムジナの能力、デルタの動き方、役割分担も含めて」

「わたし、役割とかあるんだ」

 ムジナが面白そうに言う。

「あるだろ。ない方が困る」

「そっか」

 

 気だるげなまま、でも少し嬉しそうだった。役割を与えられることが、あいつにはそれなりに意味を持つらしい。

 

 デルタは肉を飲み込んでから、はっきりと言った。

 

「デルタは前に出るです」

「それは知ってる」

「知ってるならいいです」

「雑だな」

「雑じゃないです。本当です」

 

 そこへバーゲストが淡々と重ねる。

 

「私も前衛でしょう。ただし、正面からの制圧と受けを担える」

「だろうな」

「ムジナは後方制御型」

 バーゲストが視線を向ける。

「攪乱、牽制、環境操作。視線条件の補助がいるなら、そこも含めて」

「うわ、ちゃんと考えてる」

「当然です」

「なんか、軍議っぽいね」

「鍋を囲んでいますが」

「そこが変なだけ」

 

 ムジナはそう言って、豆腐をひとつ取った。気だるげな態度は崩さないが、話そのものはちゃんと聞いている。鍋をつつきながら役割分担を考えている状況は確かに妙だが、今の俺たちにはむしろそれくらいがちょうどいいのかもしれない。

 

 俺は湯気の向こうで揺れる三人の顔を見た。

 

 デルタは肉。

 バーゲストは全体。

 ムジナは会話と空気。

 

 同じ鍋を囲んでいても、見ているものが違う。それがそのまま性格になって出ていた。

 

 そして、自分もまた、自然に“この先”を考え始めていることに気づく。昨夜までの俺なら、もっと重いところへ沈んでいたはずだ。だが今は、鍋の湯気の向こうで、何を準備し、どう生き延びるかを少しずつ考えられている。

 

 ムジナが、最後にぽつりと言った。

 

「まあ、しばらくは面白くなりそう」

「面白がるなです」

「だって、そうでしょ」

「……否定はしない」

 

 そう返すと、ムジナは少しだけ笑った。

 

 鍋はまだ温かい。

 話はまだまとまらない。

 けれど、四人で同じ湯気を囲みながら、これからのことをゆっくり考え始めるには、それで十分だった。

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