※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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龍の答え

 ムジナの視線が、ほんのわずかに揺れた。

 

 それだけで、壌竜の指先が動く。止められていた拳が、石像みたいな硬さを保ったまま、じり、と半歩だけ先へ出る。小さな動きだ。けれど、その一歩の重さだけで、地面の脈が一段深くなるのが分かった。泥人形の足元が滑らかになり、さっきまで不規則だった動きに、明らかな意志が通い始める。

 

「……っ、長い」

 

 ムジナが低く吐き捨てた。気だるい響きは残っているのに、声の奥は完全に張りつめている。額の汗がこめかみを伝い、睫毛の際へ溜まる。目を逸らさない。瞬きも極端に減っていた。外から見れば力の抜けた立ち姿のままなのに、限界が近いのは明らかだった。

 

「あと少しだ」

 俺はそう言ったが、自分でも嫌になる。

「そういう“あと少し”って、いつも長いんだよね」

 

 返す余裕がまだある。なら、持つ。そう自分に言い聞かせるしかない。

 

 壌竜は、本体だけを見ればまだ止まっている。褐色の肌も、白い翼も、二本の角も、彫像のように静止したままだ。なのに、その周囲だけが生きている。地面は脈打つ。土砂は盛り上がる。泥人形は増える。まるで壌竜の肉体はここにある一部でしかなく、河川敷そのものが本体の延長になっているみたいだった。

 

 泥人形が二体、同時に俺へ走った。

 

 躱す。すぐ横を擦り抜ける泥の腕が、空気を裂く。重くはない。だが、重さがないくせに勢いがある。骨のない獣みたいで気味が悪い。蹴りで一体を崩す。泥が跳ねる。次の一体は肘で弾いた。崩れた泥がその場へ散る。だが、散った先の土がまた脈打ち、指先の形を取り戻しかける。

 

「……再生まであるのかよ」

 

 呟いた声に、壌竜が答えた。

 

「再生ではない」

 低い声だ。動けないまま、事実だけを置く。

「戻っているだけだ」

 

 その言葉が、やけに引っかかった。

 

 戻る。地面へ。つまり泥人形は、壌竜から独立した存在じゃない。切り離された手足ですらなく、地面の形を変えたものが、一時的に人形の形を取っているだけだ。

 

 そこへ、高所から男の声が飛ぶ。

 

「壌竜、押し返せ。時間をかけるな」

 

 敵マスターだ。焦っているわけではない。だが、余裕だけでもない。勝ち筋を急かす声だった。

 

 壌竜は、すぐには答えなかった。

 

 答えないというより、一拍だけ考えたように見えた。それから、静かに言う。

 

「非効率だ」

「効率の話じゃない。崩せば終わる」

「雑になる理由にはならない」

 

 そのやり取りを聞いた瞬間、胸の中の線が一段濃くなる。

 

 やはり違う。

 

 バーゲストの時みたいな、嫌悪を飲み込んで従う声じゃない。ムジナみたいな、切られたくないから縋る声とも違う。壌竜は壌竜の判断を持っている。相手の命令を受け流しはしないが、呑まれもしない。同じ盤面を見て、同じ勝ちを目指している。だから応じる。けれど、やり方は自分で選ぶ。あれはそういう声だ。

 

 ムジナが、そこでわずかに笑った。苦しげなのに、口元だけが薄く上がる。

 

「面倒なやつ」

「お前に言われたくはない」

 壌竜が返す。

「へえ。まだそんな余裕あるんだ」

 

 軽口みたいな応酬だった。だが、ムジナの狙いははっきりしていた。探っている。壌竜とマスターの距離を。どこまで命令が通り、どこから本人の判断になるのか。

 

 俺は泥人形をもう一体躱しながら、スマホを見下ろす。

 

 ――対象契約体の力の源泉を特定せよ

 ――対象契約体が本体を止められても戦える理由を特定せよ CLEAR

 ――対象契約体が現在の所有者と共にいる理由を特定せよ

 

 一問目はまだ確定していない。けれど、答えそのものは、もうほとんど出ている。大地だ。河川敷の土、水分、地面の脈。それら全部へ触れている限り、壌竜はこの戦場を自分の器官みたいに扱える。

 

 だが、今の焦点はそこじゃない。

 

 三問目だ。

 

 現在の所有者と共にいる理由。

 

 それを確信へ変えるには、あと一押し必要だった。見えている。だが、見えているだけではMEDESは認めない。あいつらがどういう関係で、何を土台にして並んでいるのか。それを、もっとはっきりした形へしなければならない。

 

「ムジナ!」

「なに」

「訊け」

 

 短く言うと、ムジナの目が少しだけ細くなった。意図は伝わったらしい。壌竜を見据えたまま、息を整え、一拍置いてから口を開く。

 

「ねえ」

 

 声音は、戦闘中だというのに驚くほど気だるい。だが、その奥は研ぎ澄まされている。

 

「そんな男と、なんで一緒にいるの?」

 

 泥人形の動きが、一瞬だけ乱れた。

 

 壌竜自身ではない。地面から生えた腕の一本が、狙いを外して空を切る。質問の内容そのものより、質問を投げられた事実で、戦場の流れが一拍ずれたのだ。

 

 壌竜は静かなまま答えた。

 

「価値がある」

「へえ」

 ムジナが眉を上げる。

「命令するから?」

「違う」

 

 敵マスターが舌打ちした。

「今、そんな話をする必要あるか」

「問題ない」

 壌竜は短く返す。

「変わらん」

「じゃあ」

 ムジナが、今度はほんの少しだけ熱を混ぜた。

「同じもの見てるってこと?」

「そうだ」

 

 そこで、俺の中で完全に繋がった。

 

 信頼だけじゃない。

 命令への服従でもない。

 依存でも、拘束でもない。

 

 価値がある。

 同じものを見ている。

 変わらない。

 

 つまり、壌竜がそこにいる理由は、強引に縛られているからじゃない。目的の一致だ。共に戦う価値を見出しているから、並んでいる。あれは主従の線ではなく、共闘の線だ。

 

 泥人形がもう一度襲う。横へ飛ぶ。着地した足元が、また脈打つ。土の奥から衝撃が来る。膝まで震えが抜けない。けれど、頭だけは妙に静かだった。

 

「……見えた」

 

 声に出した瞬間、スマホの画面へ指が動く。

 

 入力欄へ、短く打ち込む。

 

 ――大地そのもの

 ――目的の一致と、共に戦う価値を見出しているため

 

 一問目と三問目。どちらも、もう迷わない。

 

 送信の直前で、指先がほんのわずかだけ止まった。止まったが、それは迷いではなく、確認だった。今打った言葉が、ちゃんと壌竜の戦場を表しているか。こいつがどういう相手か、歪めずに掴めているか。

 

 壌竜の目が、そこでこちらを向いた。

 

 止められたままの姿勢で、目だけが動く。その視線には焦りがない。むしろ、試されているのはこっちだと分かる。そこまで見抜けたのか、と。そう問われている気がした。

 

 なら、応えるしかない。

 

 俺は送信した。

 

 スマホが強く震える。黒い画面の中で、白い文字が立て続けに流れ、一問目の横へ緑の表示が灯る。

 

 ――対象契約体の力の源泉を特定せよ

 ――CLEAR

 

 間を置かず、最後の一問にも同じ色が走った。

 

 ――対象契約体が現在の所有者と共にいる理由を特定せよ

 ――CLEAR

 

 息が止まる。

 

 三問、全部。

 

 画面全体が暗く沈み、その中央へ新しい表示がせり上がってくる。

 

 ――ALL CONDITIONS CLEARED

 ――SEIZURE RIGHTS GRANTED

 

 それを見た瞬間、敵マスターの顔色が変わった。

 

「……何?」

 声が低くなる。さっきまでの余裕が、ここで初めて揺れた。

「壌竜!」

 

 叫ぶ。だが、遅い。

 

 ムジナの拘束がそこで一気に崩れた。壌竜の肩が落ち、翼が大きく震える。完全に解けたのだ。地面の脈が跳ね上がり、泥人形の腕が一斉にこちらへ向く。

 

 その直前、ムジナがよろめく。

 

「っ、もう無理」

 膝が折れかける。視線が切れる。完全に限界だ。

 

 壌竜の腕が動く。今度こそ自由だ。敵マスターがその瞬間を逃すまいと声を張る。

 

「潰せ! 今ならまだ――」

 

「遅い」

 

 言ったのは俺だった。

 

 自分でも驚くほど、声は静かだった。迷いはもうない。スマホの表示は次の段階へ移っている。

 

 ――TRANSFER AVAILABLE

 ――TARGET : JORYU

 

 指を落とす。

 

 その瞬間、河川敷の空気が目に見えない場所で割れたような気がした。

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