鍵を差し込んだところで、背中の気配が少しだけ重くなるのを感じた。
ムジナは相変わらず、気だるそうな顔で壁にもたれ、壌竜は黙ったまま玄関の扉を見ている。河川敷の湿った土の匂いが、まだ靴裏に残っていた。ここを開ければ、今度は戦場じゃなく生活の中へ連れて入ることになる。その境目が、妙に薄い。
扉を開けた瞬間だった。
「……増えてるです」
低い声が、部屋の奥から飛んできた。
デルタが寝室代わりのスペースから出てくる。黒い耳はぴんと立ち、尾は膨らみきっていた。半分眠そうな顔のくせに、目だけは鋭い。俺の横を素通りして、壌竜の喉元へ視線を刺している。
「気づくの早いな」
「匂いが濃いです。強いやつの匂いです」
言いながら、一歩前へ出る。飛びかかる寸前の獣の足取りだった。
壌竜はそれを見ても動かない。褐色の肌も、白い翼も、玄関の狭さには似合わない。なのに立ち方だけは静かで、余計に圧があった。
「賢いな」
壌竜が短く言う。
「褒めても駄目です」
デルタは即答した。
そのやり取りに、後ろでムジナが小さく笑う。
「すごいね。ほんとにすぐ分かるんだ」
「分かるです。だから警戒するです」
「まあ、そうなるよね」
そこへ、台所の方から足音がした。
「……新顔、ですか」
バーゲストが現れる。デルタみたいに剥き出しの警戒はしない。ただ、一目見た瞬間に空気が変わった。銀の目が壌竜を測り、壌竜もまた、その視線の重さを受け止めている。戦う者同士が、言葉より先に何かを見ていた。
「ああ。今回の相手だった」
「そして、今はこちらにいる」
バーゲストが言う。
「そういうことになる」
壌竜が返す。
「随分と、重いものを拾いましたね」
その一言に、思わず苦笑が漏れた。
デルタがなおも俺の前へ立つ。
「怪しいです」
「それは同感です」
バーゲストが静かに重ねる。
壌竜は少しだけ床を見た。靴を脱ぐ場所、上がる幅、家具の位置まで一目で測ったらしい。
「狭いな」
「悪かったな」
「悪くはない」
壌竜は言う。
「守る場所としては十分だ」
その言い方に、ムジナが肩を揺らした。
「家っていうより砦だね」
「実際、そんなもんだろ」
俺がそう返すと、デルタが壌竜の足元を睨む。
「そこ、デルタの近くです」
「なら少し離れる」
壌竜は本当に一歩退いた。
デルタの耳がぴくりと動く。
「……分かるやつです」
そこでようやく、玄関の張りつめ方が少しだけ緩んだ。
「とりあえず、上がれ」
俺が言う。
「水くらいは出す」
「気を回すな」
「回してるわけじゃない。ここにいるなら最低限だ」
壌竜は一瞬だけ黙った。視線がこちらへ向く。その目は、河川敷で向けられたものと少し似ていた。値踏みだ。言葉の軽さと重さを見ている。
「そうか」
短く落ちたその声に、否定はなかった。
ムジナが先に部屋へ上がり込み、勝手に座布団へ腰を下ろす。
「なんか、増えたね」
「軽いです」
デルタがすぐ噛みつく。
「事実じゃん」
「否定はできない」
俺が言うと、バーゲストが小さく息を吐いた。
「急に賑やかになりました」
「騒がしい場所だな」
壌竜が呟く。
「誰のせいです」
デルタが睨む。
「私も、その一因か」
「自覚あるんだ」
ムジナが面白そうに言った。
俺は棚からコップを出して、水を四つ並べた。狭い部屋に、強いのが四人。昨日までなら考えなかった景色だ。
壌竜はまだ座り方ひとつにも油断がない。デルタは警戒を解ききらず、バーゲストはそれを横から見ている。ムジナだけが、最初から全部知っていたような顔でくつろいでいた。
それでも、少なくとも今は誰も剣を抜いていない。
「しばらく、ここにいる」
壌竜が言った。
独り言みたいに静かな声だった。
デルタの尾が小さく揺れる。
「勝手に消えるなです」
「必要がなければ消えん」
「もうちょっと気軽に言えないの?」
ムジナが笑う。
「無理だ」
即答だった。
その返しに、今度は俺まで少し笑ってしまう。
完全に受け入れたわけじゃない。打ち解けたとも言えない。けれど、敵だった相手が部屋の中へ入り、同じ空気を吸っている。その事実だけは、もう動かない。
テーブルの上に置いた水の表面が、部屋の灯りを静かに映していた。
ここから先をどう進むか。まだ答えはない。
だが、考えるための人数だけは、また一人増えた。