※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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運の敵

 夜の複合施設は、河川敷の土臭さとはまるで別の生き物みたいだった。磨かれた床は灯りを薄く返し、吹き抜けの上ではガラスの装飾が静かに揺れている。歩くたび、靴音だけが場違いに響いた。

 

「……来る場所、間違えた気がするな」

 

 思わず漏らすと、隣を歩く壌竜が周囲を見渡したまま言う。

 

「派手だが、薄い」

「悪口っぽいな」

「事実を言っただけだ」

 

 その返しに肩をすくめた時だった。

 

「ふふ。ようこそ」

 

 前から声が落ちてきた。視線を向ける。赤いドレスの女が、こちらへ歩いてくるところだった。柔らかな笑み。流れるような所作。いかにも、この場に馴染んだ人間の顔だ。

 

「初めてのお客様には、少し眩しすぎましたかしら?」

「……まあ、そんなところです」

「でしたら、少しご案内いたしましょうか」

 

 断る理由を探すより先に、女は自然な近さまで寄ってきていた。名乗りもしていないのに、距離の詰め方だけが妙に完成されている。壌竜の視線がわずかに細まるのを見た。

 

「こちら、床の段差が少し見えにくいんですの」

 

 そう言って、女――バカラの指先が俺の腕へ軽く触れた。

 

 ほんの一瞬だった。案内役としては自然すぎるほど自然な接触。なのに、肌の上を薄い膜が撫でたみたいな違和感だけが遅れて残る。

 

「主」

 

 壌竜が低く呼ぶ。

「ん?」

「……いや、まだいい」

 

 そこで終わったのが、妙に引っかかった。

 

 歩き出して三歩目で、足が滑った。

 

「っ――!」

 

 派手には転ばない。だが、踏み出した先がわずかに狂っただけで、体勢は簡単に崩れる。とっさに手すりへ手を伸ばした瞬間、頭上で甲高い音が鳴った。グラスだ。どこかのテーブルから落ちたそれが、床で割れる。破片が足元へ散り、その反射光が目に刺さる。

 

「あら、大丈夫ですか?」

 バカラは笑ったままだった。

 

 その笑顔のまま、今度は吹き抜けの照明がわずかに揺れる。ガラスの飾りがきしみ、留め具の一つが外れた。落ちる。ほとんど反射だった。壌竜の腕が前へ出て、俺の肩を強く引く。次の瞬間、重い装飾がさっきまで俺がいた床へ叩きつけられた。

 

「動くな、主」

「……今の、偶然か?」

「偶然にしては重なりすぎている」

 

 壌竜の声はいつも通り低い。だが、その低さの底で戦闘の気配が立ち上がっていた。

 

 バカラが、少しだけ首を傾げる。

「運が悪かっただけではなくて?」

「そう見せる気か」

 壌竜が一歩前へ出る。

 

 その時、上階のラウンジから男の声が降ってきた。

 

「手際がいいな、バカラ」

 

 見上げる。手すり越しにこちらを見下ろす影があった。高い場所から、盤面を確認するような目。敵だと分かるには十分だった。

 

「ええ」

 バカラが振り向く。

「主導権は、最初の一手で決まりますもの」

「……最初から、そのつもりか」

 俺が言うと、バカラの笑みの温度が一段下がった。

 

「もちろんですわ。敵意を見せる前に終わらせる方が、美しいでしょう?」

 

 壌竜の視線が俺の腕へ落ちる。

 

「主。最初に、あれへ触れられたな」

「……腕を、少し」

「やはりか」

 

 バカラが指の間へ、いつの間にかコインを一枚挟んでいた。軽く弾く。高くもない音が鳴る。たったそれだけで、照明の角度が狂った。反射した光が目へ差し込み、その眩みの向こうで階段脇の装飾が外れ、足元の床には誰かの落とした水滴が細く走る。

 

「少し、運を頂いただけですわ」

 バカラは微笑む。

「触れられた時点で、もう少し警戒なさるべきでしたわね」

 

 コインが回りながら落ちる前に、壌竜が俺の前へ立った。褐色の背が視界を塞ぐ。重い。だが、その重さが今は妙に心強かった。

 

「接触を起点に、盤面を傾ける能力か」

「さすが」

 バカラの唇が静かに弧を描く。

「見ていらっしゃるのね」

「主、前へ出るな」

 壌竜が言う。

「盤面は向こうが先手だ」

 

 そこで、ポケットの中のスマホが震えた。

 

 冷たい振動が掌へ伝わる。取り出した画面には、黒い表示が浮かび上がっていた。

 

 ――TARGET CONTRACTED SUBJECT : BACCARAT

 ――ENGAGEMENT CONFIRMED

 

 敵マスターが上から告げる。

「終わらせろ」

「ええ。綺麗に」

 バカラがもう一枚、コインを指先で弾く。

 

 照明が揺れる。

 

 嫌な偶然の連鎖が、また始まろうとしていた。

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