※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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幸運の行く末

 コインが照明に弾かれた瞬間、白い反射が目の奥を刺した。

 

 眩しさに視界が滲む。その一拍の遅れを待っていたみたいに、床へ散ったグラスの破片が靴裏を滑らせた。踏み直す。今度は上から飾りの鎖が外れ、脇をかすめて落ちる。耳元で鳴った金属音が、やけに長く残った。

 

「危ないですわね」

 バカラは笑っていた。

「こちらは少し、足元が不安定でして」

 

「お前がやったんだろ」

 吐き捨てても、赤い唇は崩れない。

 

「まあ。わたくしは何もしておりませんわ」

 指先でコインを転がす。

「ただ、少し運が傾いているだけですもの」

 

 その言い方が、ひどく腹立たしかった。

 

 真正面から殴ってくるならまだいい。だが、こいつは笑ったまま他人を踏み台にする。責任の形だけ綺麗に切り落として、事故だの不運だので済ませる顔をしている。

 

 後ろで短い悲鳴が上がった。振り返る。転倒した給仕が別の客へぶつかり、持っていた皿が宙を舞う。その軌道の先に、小さな子どもがいた。

 

「っ、危ねえ!」

 

 踏み出しかけた腕を、壌竜が掴む。そのまま前へ出る。褐色の背が俺の視界を塞ぎ、落ちてきた銀皿を拳で叩き逸らした。皿は柱へ当たり、甲高い音を立ててひしゃげる。

 

「主、前へ出るな」

「でも、あいつ……!」

「見えている」

 

 低い声だった。怒っていない。けれど、押し返す力が強い。

 

 バカラはその様子を見て、ほう、と息だけで笑った。

 

「素敵ですこと。怒っても、ちゃんと止めてくださる方がいらっしゃるんですのね」

 視線が壌竜へ流れる。

「羨ましいですわ」

 

「羨ましい?」

 思わず言い返す。

「周り巻き込んどいて、よくそんな顔できるな」

 

「仕方がありませんでしょう?」

 バカラは肩をすくめた。

「勝つためですもの。まさか、ここで他人の無事をいちいち数えていらっしゃるの?」

 

 上品だった。声も、笑みも、仕草も。だから余計に質が悪い。薄いレースの手袋でもはめたまま、人の喉元を裂くような女だ。

 

 壌竜が、俺の前で僅かに顎を引く。

「主。最初に触れられてからだ」

「……ああ」

「事故の向きが、すべてこちらへ寄っている」

「分かってる」

 

 分かっている。だから厄介なんだ。

 

 ポケットの中でスマホが震える。取り出した画面の白文字が、揺れた視界の中で滲んだ。

 

 ――ENGAGEMENT ANALYSIS START

 

 読む。いつもなら、ここからだ。相手の正体を暴き、条件を掴み、盤面を奪う。だが今は違う。照明が揺れるたび、グラスが割れるたび、階段の縁が足をさらうたび、読むための間そのものが削られていく。

 

「……読ませる気がないのか」

「ええ」

 バカラが即座に頷く。

「だって、不運な方に考える余裕なんて、ございませんでしょう?」

 

 その時、頭の奥で別の言葉が引っかかった。

 

 アプリを消去された場合、所有者は消滅する。

 

 過去に何度も見てきたはずのルールが、今さら冷たく浮かび上がる。消去。破壊。盤面の外側から切る方法。

 

 俺は画面から目を上げ、上階を見た。敵のマスターは吹き抜けの欄干に片肘を預け、余裕ぶってこちらを見下ろしている。右手。黒いスマホ。指のかかり方。落とせる高さ。

 

「主」

 壌竜が呼ぶ。

「何を見た」

 

 喉がひどく渇いていた。

 

「……問題を読む前に終わるなら」

 自分の声が、妙に遠く聞こえる。

「盤面ごと壊す」

 

 壌竜が一瞬だけ黙る。否定しない。肯定もしない。ただ、俺の視線の先を追う。

 

「スマホか」

「ああ」

「壊せば、終わる可能性が高い」

 

 可能性、じゃない。ほとんど確定だ。分かっていて、なお言葉を選んだのだろう。俺に、軽く決めさせないために。

 

 バカラは何も知らないまま、次のコインを爪先で弾き上げる。

 

「どうなさいました?」

 柔らかく首を傾ける。

「そんなに怖いお顔をして。まだ始まったばかりですのに」

 

 その笑顔の奥で、また誰かが巻き込まれる。

 

 なら、もういい。

 

「壌竜」

「言え、主」

「道を作れ」

 上階から目を逸らさないまま言う。

「一回でいい。あいつの手元に届けばいい」

 

 壌竜の返事は短かった。

 

「分かった」

 

 その一言で、腹の底の迷いが、少しだけ形を失った。

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