※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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逃れられない殺し合い

 砕けたスマホの音は、思っていたより小さかった。

 

 もっと派手に弾けるかと思っていた。火花でも散るのではないかと、どこかで勝手に構えていた。実際に床へ落ちたのは、薄い破片と、黒い殻みたいな残骸だけだった。なのに、その小さな音が止んだ瞬間、施設じゅうに張りついていた嫌な気配が、すっと引いた。

 

 揺れていた照明が止まる。

 

 落ちかけていた飾り棚が、そこでようやく静止する。

 

 床を滑っていたグラスの破片も、ただの割れたガラスへ戻った。

 

 耳の奥に残っていたざわめきが消え、代わりに、人の息を呑む音だけが広がった。

 

「……あ」

 

 敵マスターが、壊れたスマホを見下ろしていた。

 

 最初は、それが何を意味するのか分かっていない顔だった。自分の足元へ膝をつき、残骸を拾おうとする。だが、伸ばした指先が、そこでふっと白くほどけた。

 

「は……?」

 

 肩。手首。喉元。

 

 輪郭の薄いところから順番に、光が滲み出していく。見慣れたはずの消え方なのに、今回は妙に生々しかった。問題を解き切って勝った時のような“処理”ではない。俺が走って、俺が壊して、俺が引き起こした終わり方だった。

 

「待て……」

 掠れた声が漏れる。

「待て、まだ……」

 

 もう遅い。

 

 男はそれを本能で理解したのか、顔を上げた。視線が俺を通り越して、バカラへ向かう。

 

「バカラ!」

 

 その名に、赤いドレスの女がゆっくりと振り返った。

 

 まだ笑っている。けれど、完璧ではない。口元の形は保っているのに、目だけがほんの僅かに硬かった。自分のマスターが崩れていく光景を、あの女なりに見ているのだと分かる顔だった。

 

「何とかしろ!」

 男が手を伸ばす。

「お前、俺の――」

 

 言葉は最後まで続かなかった。腕の先が白く零れ、手そのものが形を失っていく。掴もうとしたものに届く前に、体が自分からほどけ始めている。

 

 バカラは、その様子をじっと見ていた。

 

 助けに走るでもなく、かといって目を逸らすでもなく、舞台の幕が降りるのを最後まで見届ける観客みたいに静かに。

 

「……本当に」

 唇だけで、そう呟く。

「乱暴な方ですこと」

 

 その言い方が、妙に刺さった。

 

 責めているのか、呆れているのか、それとも事実を整えて口にしているだけなのか分からない。分からないまま、俺は壊れたスマホの破片を見ていた。自分の靴の先に、黒い欠片が引っかかっている。

 

 敵マスターの光が強くなる。

 

「待て……!」

 声が裏返る。

「まだ、俺は――」

 

 その“俺は”の先に、どんな言葉が続いたのかは分からない。名前か、命乞いか、それとも言い訳か。白い光が喉元まで満ちて、言葉ごと掻き消してしまった。

 

 やがて、そこには何も残らなかった。

 

 割れたスマホの残骸だけだ。

 

 そして、少し遅れて。

 

「……あら」

 

 今度は、バカラ自身の口から漏れた。

 

 視線がそちらへ向く。細い指の先。そこから、同じ白い光が滲んでいた。赤いドレスの裾ではなく、まずは指先から。コインを持つための綺麗な手が、爪の縁から淡く崩れ始めている。

 

 バカラは自分の手を見る。

 

 最初は、ただ確認するように。次に、理解したように。最後には、その事実を受け入れるように。

 

「そう……でしたわね」

 静かな声だった。

「契約体も、同じ」

 

 笑みは消えない。消えないまま、ほんの少しだけ薄くなる。上品さを最後まで守ろうとするみたいな顔だった。

 

 胸の奥が、鈍く痛んだ。

 

 終わるのはマスターだけではない。分かっていたはずなのに、実際に目の前でそうなると、別の重さが出る。あの女は敵だった。巻き込みを厭わない、最悪に近い相手だった。それでも、俺が壊したスマホの先で、今こうして消えようとしている。

 

「……っ」

 

 喉が詰まる。

 

 その時、壌竜が俺のすぐ横へ並んだ。何も言わない。ただ、こちらが崩れない程度の距離へ立つ。重い気配が横にあるだけで、どうにか立っていられる気がした。

 

 バカラがこちらを見る。

 

 柔らかい声だ。最初に会った時と同じように、耳当たりは綺麗なままだった。

 

「主様」

 その呼び方に、思わず息が止まる。

「勝ったのは、あなたですわね」

 

 返せない。

 

「無粋で」

 白い光が、手首まで登る。

「乱暴で」

 笑みがわずかに揺れる。

「けれど、見事ですこと」

 

 褒めているわけじゃない。認めている、と言うのも少し違う。たぶん、ただ最後まで、自分の言葉を美しく整えようとしているだけだ。それがこの女の矜持なのかもしれない。

 

「それを」

 バカラの肩口から、さらに光が零れる。

「お忘れにならないのなら」

 僅かに目を細める。

「少しは、見どころがあるのかもしれませんわ」

 

 そこで、初めて唇の弧が崩れた。

 

 大きくではない。本当に少しだけだ。諦めとも悔しさともつかない影が、上品な笑顔の端へ落ちる。

 

「……こういう終わりは」

 声が細くなる。

「趣味ではありませんけれど」

 

 最後に、バカラの指からコインが落ちた。

 

 硬い床へ当たり、乾いた音を立てて転がる。けれどもう、そのコインは何も起こさなかった。ただの金属片として、吹き抜けの灯りを鈍く返すだけだ。

 

「でも、まあ」

 光が喉元へ届く。

「運が尽きた、と」

 そこで一度、俺を真っ直ぐ見た。

「そういうことに、しておきましょうか」

 

 白い光が膨らむ。

 

 赤いドレスの輪郭が、静かにほどけていく。敵マスターの時よりずっと静かだった。悲鳴も、取り乱しもない。ただ最後まで、自分の形を崩さないまま、薄く、薄く、空気へ溶けていく。

 

 そして、何もなくなった。

 

 転がるコインだけが、場違いなくらい小さく残っている。

 

 息を吸おうとして、うまくいかなかった。

 

「……また」

 

 自分でも、何を言おうとしたのか分からない。けれど、言葉は勝手に出た。

 

「また、終わらせた」

 

 壊れたスマホの残骸を見る。自分の手を見る。さっき、あのスマホを叩き落とした手だ。震えていた。今も少しだけ震えている。

 

「今回は、もっとはっきりだ」

 喉が焼けるみたいに痛い。

「俺が、壊した」

 

 壌竜は否定しなかった。

 

「そうだ」

 低い声が返る。

 

 慰めない。軽くしない。その代わり、事実からも逃がさない。壌竜らしい返しだった。だからこそ、嘘みたいな安心感があった。

 

 施設の中は静まり返っている。さっきまで聞こえていた悲鳴もざわめきも、今は遠い。一般客たちは状況を呑み込みきれず、ただ息を潜めてこちらを見ていた。

 

 俺は、砕けたスマホと、転がるコインと、バカラが消えた場所を順に見た。

 

 読むか。奪うか。壊すか。

 

 方法が違うだけで、最後にやっていることは何だ。

 

 そこへ辿り着いた瞬間、胸の奥が急に冷えた。

 

「……この殺し合いから」

 

 言いかけて、声が止まる。

 

 壌竜が横で黙っている。促しもしない。ただ待つ。

 

「逃れられないのか」

 

 ようやく出た言葉は、自分でも驚くほど弱かった。

 

「読むか、奪うか、壊すか」

 唇の内側が乾く。

「結局、終わらせる方法が違うだけで」

「やってることは……」

 

 そこから先が続かなかった。

 

 壌竜はしばらく答えない。

 

 その沈黙が、妙にありがたかった。安い希望も、綺麗な正論も、今はきっと聞きたくなかったからだ。

 

 やがて、低い声が落ちる。

 

「……今は、答えは出ん」

 

 短い。

 

「だが、お前がそれを疑う限り」

 視線は正面のまま。

「まだ完全には呑まれていない」

 

 その言葉へ、すぐには返せなかった。

 

 答えになっていない。けれど、それでよかった。今ほしいのは正しさじゃない。少なくとも、自分が何も感じなくなったわけではないと、そう確認できる何かだった。

 

 壌竜が、壊れたスマホの残骸を一度だけ見下ろす。

 

「行くぞ、主」

 

 促す声は静かだ。

 

 足はすぐに動かなかった。砕けた黒い破片。転がるコイン。さっきまでそこにいた二人の消えた場所。全部が、足首に絡みつくみたいに重い。

 

 それでも、立ち止まれば次が来る。

 

 その事実だけは、もう嫌というほど分かっていた。

 

「……ああ」

 

 小さく答えて、一歩を出す。

 

 足音が、静まり返った高級施設の床へひどく冷たく響いた。

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