※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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帰る場所

 部屋の前で、鍵を差し込む手が一度止まった。

 

 冷えた金属の感触だけがやけにはっきりしている。帰る場所のはずなのに、今夜ばかりは扉一枚の向こうが少し遠かった。隣に立つ壌竜は何も言わない。ただ、こちらが止まったことだけは気づいている気配がある。

 

「入らぬのか」

 

 低い声に、息を一つ吐いた。

 

「……入る」

 

 鍵を回す。扉を開ける。薄い生活の匂いが流れてきた。肉を焼いた後の甘い脂の残り香。洗剤。布団。いつもの部屋だ。いつものはずなのに、胸の内側だけがまだ戦場から戻れていない。

 

 最初に反応したのはデルタだった。

 

「……変です」

 

 ベッドの方から起き上がりかけた黒い耳が、ぴんと立つ。紫の目が、俺の顔より先に、服の裾や手元を見る。

 

「何がだ」

「匂いです」

 デルタは鼻先をわずかにひくつかせた。

「嫌な終わり方の匂いがするです」

 

 その言葉で、喉の奥が少しだけ詰まった。

 

 バーゲストが奥から出てくる。何も聞かずに一目見て、空気を読む顔だった。ムジナは椅子へ浅く腰掛けたまま、だるそうな目をこちらへ向ける。

 

「見れば分かるでしょ」

 気のない声なのに、妙に核心を刺す。

「たぶん、楽な勝ち方じゃなかった」

 

 壌竜が俺の少し後ろで止まる。その位置が、かえって逃げ場をなくした。

 

 靴を脱ぎ、数歩だけ進む。そこまでで力が切れたみたいに、ベッドの端へ腰を落とした。マットレスが鈍く沈む。誰も急かさない。沈黙だけが、部屋の真ん中へ静かに置かれる。

 

「……壊した」

 

 自分でも驚くくらい、声は平坦だった。

 

 デルタの耳が動く。

「何をです」

「敵の、スマホを」

 言った瞬間、掌の奥に、あの感触が戻る。叩き落とした手。砕ける音。小さくて、やけに嫌な終わりの音。

 

「……そうですか」

 バーゲストが静かに言う。

 軽くもしないし、必要以上に沈めもしない声だった。

 

 ムジナが椅子にもたれたまま、こちらを見る。

「それで、終わったんだ」

「終わった、じゃない」

 言い直す。

「終わらせた」

 

 その一言で、部屋の空気が少しだけ重くなった気がした。

 

 デルタは難しい顔をしている。こういう時、真っ先に慰めるような性格じゃない。だからこそ、出てくる言葉もまっすぐだった。

 

「殺し合いです」

 短く、言い切る。

「終わる時は終わるです」

 

 バーゲストが続ける。

「結果としては、その通りでしょう」

 そこで一度、目を伏せた。

「ですが、それで軽くなるものではありません」

 

「終わったからって、すぐ平気になるわけじゃないし」

 ムジナが肩をすくめる。

「そういうの、分けて考えられるほど器用でもないでしょ。主って」

 

 誰も、俺のしたことを無かったことにはしない。

 

 それが逆に、少しだけ息をしやすくした。

 

 壌竜がそこでようやく口を開く。

 

「主は、それを自分の手で選んだ」

 低く、動かしようのない声だった。

「だから重い」

 

 否定しない。庇わない。軽くもしない。あの場で俺が走って、壊して、終わらせた。その事実だけを、そのまま置く。

 

 だからこそ、誤魔化せなかった。

 

 視線を落とす。自分の手を見る。もう血もついていないし、傷もない。ただ、あの感触だけがまだ残っている気がした。

 

「……結局」

 言葉が喉の奥で一度つかえる。

「逃れられないのか」

 

 誰も動かない。

 

「読むか、奪うか、壊すか」

 うまく息が続かない。

「やり方が違うだけで、最後は全部……」

 

 その先が言えなかった。

 

 殺す、という言葉を口にしてしまえば、もう少し何かが決定的になる気がした。部屋の中でまでそれを言い切りたくなくて、唇が止まる。

 

 壌竜はすぐには答えなかった。短い沈黙のあとで、低い声が落ちる。

 

「今は、まだそう見えるだろうな」

 

 肯定とも否定ともつかない返しだった。

 

 バーゲストが静かに続ける。

「ですが、疑問を持つことをやめた時」

「本当に飲まれます」

 

 ムジナが頬杖をついたまま、少しだけ目を細めた。

「嫌だって思えるうちは、まだ終わってないよ」

「それすらなくなったら、たぶん一番まずいし」

 

 デルタはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。

 

「……仮ボスが嫌なら」

「まだ大丈夫です」

 

 その言い方が、妙にデルタらしくて、胸の奥に小さく落ちた。

 

 答えにはなっていない。救いでもない。けれど、誰も俺の疑問を潰さなかった。綺麗な言葉で塗り固めもしなかった。

 

 それがありがたかった。

 

 壌竜が一歩だけ近づく。ベッドのすぐ脇、手を伸ばせば届く距離に立つ。

 

「主」

「……何だ」

「答えを急ぐな」

 静かな声だ。

「だが、疑問を捨てるな」

「それを失えば、次はもっと簡単に壊すようになる」

 

 その一言が、今夜一番深く刺さった。

 

 簡単に壊すようになる。

 

 その未来だけは、嫌だと思った。嫌だと思えた。まだそこまで壊れていないのだとしたら、それだけが今の救いなのかもしれなかった。

 

「……ああ」

 

 小さく返す。

 

 部屋は静かだった。デルタはベッドの近くでじっと座っている。バーゲストは少し距離を取って、こちらを見守っていた。ムジナは椅子へ沈みながらも、目だけは逸らさない。壌竜はすぐ近くに立っている。

 

 答えは出ない。

 

 逃れられるのかも、まだ分からない。

 

 それでも、疑問を抱えたまま帰ってこれた。重さをそのまま部屋の中へ持ち込んで、それでも完全には独りにならなかった。

 

 今夜は、それだけで十分だと思うしかなかった。

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