スマホが震えた。いや、震えたというより、空気ごと軋んだような違和感が部屋を走った。
冷蔵庫のドアを開けたまま、俺は手を止める。買ったばかりの鶏もも肉のパックが、冷気で白く曇り始めていた。
背後、キッチンの入り口付近で空気が歪む。耳障りな電子音が一瞬だけ鳴って、すぐに途切れた。黒い靄のようなものが床に溜まり、そこから獣の匂いが立ち上る。湿った毛と、森の土と、生肉を噛み砕く牙の匂い。
まず見えたのは耳だった。黒に近い濃色の毛に覆われた狼の耳が、ぴんと立って左右に動く。次に尻尾。太くて長いそれが、ゆっくりと床を叩いた。
「……ここ、狹いな」
声は低く、言葉は短い。紫の瞳がキッチンの明かりを受けて細められ、俺の手元で止まった。
デルタは四つん這いから立ち上がると、鼻をひくつかせた。耳が前を向き、尻尾がぴたりと止まる。彼女の視線は俺の顔ではなく、俺の右手にある鶏肉に固定されていた。
「肉」
それだけ言って、一歩踏み出す。裸足の足音が冷たいフローリングに響いた。牙がちらりと見える。笑っているのか、威嚇しているのか、まだ判断がつかない。
俺は動かなかった。冷蔵庫のドアを盾にするでもなく、肉を隠すでもなく、ただ彼女の動きを観察する。距離の詰め方、視線の外し方、耳と尻尾の角度。彼女は警戒しているが、怯えてはいない。この空間を「敵地」ではなく「縄張りの候補」として嗅いでいる。
「お前」
デルタが俺の二歩手前で止まった。鼻先がひくひくと動き、俺の匂いを吸い込む。
「弱そうじゃない。でもまだ知らん」
それから彼女は、俺の手にある肉と、冷蔵庫の中身と、俺の顔を順番に見た。優先順位をつけている。肉が一番で、冷蔵庫が二番、俺は三番目だ。
「その肉、デルタの分はあるか」
質問の形をしているが、語尾はほとんど断定だった。彼女の耳が前に倒れ、尻尾がゆっくりと揺れる。獲物を待つ時と同じ動きだ。
冷蔵庫の明かりが彼女の顔を下から照らす。整った顔立ちだが、可愛いと思う余裕はない。牙が本物で、指の先が鋭くて、何よりこの女は、俺を「契約者」ではなく「食い扶持を握る相手」として値踏みしている。
俺は鶏肉のパックを持ち上げた。
「取り分の話か」
「そうだ」
即答だった。嘘も遠慮もない。デルタはもう一歩詰めて、肉の匂いを嗅ぐ。耳がぴくりと動き、尻尾の振りが少し速くなる。
「お前がボスなら、デルタに食わせるのが当然だ。違うか?」
「まだ仮だろ、お前の呼び方」
「……仮ボス」
彼女は少しだけ唇を歪めた。気に入らない呼び名を無理やり使わされた時の顔だ。
「仮でも、食い物の分配はちゃんとしろ。デルタは腹が減ったら機嫌が悪くなる」
「それは怖いな」
俺は冷蔵庫の野菜室を開けて、肉を一番下の段に置いた。デルタの視線がそれに吸い寄せられる。今すぐにでも手を突っ込んで奪いたいのを、かろうじて堪えているのが分かった。
「今はしまった。食べる時に分ける」
「……今じゃないのか」
「調理する。生で食うなよ」
「生でも食える」
「ここではダメだ」
デルタはしばらく俺の顔を睨んでから、ふんと鼻を鳴らした。それからキッチンを見回し、冷蔵庫の上に手を伸ばす。背伸びした拍子に服が捲れて、引き締まった腹筋が露わになった。
「狹い台所だな。戦えない」
「戦う場所じゃない」
「じゃあどこで戦う」
「まだ決まってない」
デルタはつまらなそうに尻尾を振ると、冷蔵庫の前に座り込んだ。まるで自分の所有物を守る犬のように、白い扉の前に陣取る。
「デルタはここで待つ。肉が食えるまで」
「冷蔵庫の前は邪魔だ」
「邪魔じゃない。見張ってる」
俺は小さく息を吐いて、買い物袋から野菜を取り出した。
デルタが冷蔵庫の前で固まっている。買い物袋から野菜を取り出そうとした俺の手も、ついでに固まった。
「どうした」
「……緑」
「野菜だ」
「……緑色」
「だから野菜だ」
デルタは冷蔵庫と俺を交互に見た。耳が垂れている。尻尾もだらんと下がった。まるで毒見をさせられる犬みたいな顔だ。
「お前、まさか野菜が嫌いなのか」
「……好きじゃない」
「子供か」
言った瞬間、デルタの耳がピンと立った。あ、まずい。
デルタは無言で冷蔵庫の扉を閉めた。そして俺の肩を掴むと、そのまま冷蔵庫の扉に背中を押し付ける。ドン、という重い音が廊下に響いた。
「……子供じゃない」
「わかった。わかったから近い」
「……証明する」
「何をだ」
「……大人」
デルタの手が俺のベルトにかかる。狩人の早業だ。バックルが外れ、ズボンが床に落ちるまでに一秒もかからなかった。冷蔵庫の冷気が背中を冷やすのに、前はデルタの体温で熱くなっていく。
「ちょっと待て」
「……待たない」
デルタはその場にしゃがみ込んだ。俺の下着をずらすと、まだ半勃ちの肉棒が露わになる。彼女は一瞬だけ鼻をひくつかせて、それから迷いなく口に含んだ。
「んむっ」
温かい口腔が亀頭を包み込む。デルタの舌が裏筋を這い、先端のくぼみを執拗に舐め上げた。ちゅぷ、ちゅぷと唾液の音が靜かな台所に響く。彼女は俺の目をじっと見上げながら、ゆっくりと顔を前後に動かし始めた。
「んちゅ……れろ……ちゅぱっ」
狩人の目だ。獲物を逃がさない、真剣な目。その目に見下ろされながらフェラチオをされるという倒錯に、俺の肉棒はあっという間に硬くそそり立った。
「……硬くなった」
「お前のせいだ」
「……嬉しい」
デルタは一旦口を離すと、唾液で濡れた亀頭にちゅっとキスをした。それから立ち上がり、自分の服を脱ぎ捨てる。狩人の装束が床に落ち、褐色の肌が露わになった。引き締まった肢体、形の良い乳房、そして下腹部には獲物を待つ雌の匂いが濃く漂っている。
「……ここでする」
デルタは俺の首に腕を回すと、片足を持ち上げて俺の腰に絡めた。彼女の秘所が亀頭に触れる。ぐちゅり。すでに濡れていた。
「……挿れる」
「待て、まだ心の準備が」
「……必要ない」
ずぶり。
デルタは一気に腰を落とした。肉壁が亀頭を呑み込み、竿全体を根元まで一息に飲み込む。熱い。きつい。そして彼女の内部が嬉しそうに震えているのが分かる。
「ああっ……!」
「くっ……!」
冷蔵庫が背中でガタガタと揺れる。デルタは俺の肩にしがみつきながら、自ら腰を振り始めた。小刻みに、しかし確実に快楽のポイントを攻めてくる動きは、まさに狩人のそれだ。
「……気持ちいい」
「お前な……んっ」
「……もっと」
デルタは俺の唇を塞いだ。彼女の舌が口内に侵入し、俺の舌を絡め取る。キスをしながら、腰の動きはどんどん激しくなっていく。ぱんっ、ぱんっと肉のぶつかる音が冷蔵庫に反響した。
「んむっ……ちゅぱっ……はぁ……」
「デルタ……もう……」
「……中に……出して」
彼女の膣内がぎゅうっと締まる。俺は彼女の腰を掴み、さらに深く突き上げた。
「うっ……!」
どくっ、どくどくっ。
彼女の最奥に熱い精液が迸る。デルタは小さく啼きながら、俺の胸に顔を埋めて絶頂の震えを味わっていた。
しばらくして、デルタは顔を上げた。尻尾がゆっくりと揺れている。機嫌は直ったらしい。
「……野菜」
「なんだ」
「……食べる」
「……デルタは子供じゃない。大人」
そう言って、彼女はほんの少しだけ笑った。