MEDESの通知は、帰路の途中で鳴った。
廃遊園地のゲートはもう背後に遠ざかっている。だが、まだ完全に外へ出た気はしなかった。観覧車の影は夜空に黒く残り、お化け屋敷の赤い照明も、瞼の裏に焼きついている。ルプスレギナ・ベータという新しい契約体が列に加わったせいで、歩く足音の数まで変わっていた。勝った後の帰り道なのに、何かを置いてきたというより、余計なものを背負って戻っている感覚が強い。
その空気を切るように、スマホが震える。
画面を開くと、黒地に白い文字が浮かんでいた。
――SECOND MATCH
――ROLE MATCH:KNIGHT DUEL
――RECOMMENDED UNIT:BARGHEST
――DUEL RULE:ONE ON ONE
――FIELD SHIFT:ACTIVE
「一対一の決闘……しかも、バーゲスト指定か」
声に出すと、デルタの耳が不満そうに動いた。
「デルタも戦えるです」
「分かってる」
「じゃあ、デルタが行くです」
「今回は違う」
言い切る前に、バーゲストが一歩前へ出た。彼女はスマホの画面を覗き込むでもなく、文字の意味を既に受け取ったような顔で立っている。騎士という言葉に反応したのか、それとも自分の名前が選ばれたことを重く受け止めたのか、横顔には一回戦の時とは違う硬さがあった。
「いいえ。これは私に向けられた試合です」
バーゲストの声に、デルタは喉を鳴らしたが、それ以上は言わなかった。ムジナが画面を横から見て、顔をしかめる。
「おすすめって書き方、まだ残ってるんだ。ほんと、選ばせてるふりだけは上手いよね」
壌竜が夜道の先を見たまま言う。
「推奨という形で、実際には誘導している。MEDESは契約体の役割だけではなく、その内側まで見て試合を組んでいるのだろう」
「内側まで、か」
嫌な言い方だった。デルタには狩りを、バーゲストには騎士の決闘を用意する。偶然ではない。MEDESは、ただ強い相手をぶつけているのではなく、契約体それぞれの核へ触れるように舞台を作っている。
ルプスレギナが、俺の横でくすりと笑った。
「うふふー。ご主人様、大変ですねぇ。みなさんにぴったりの遊び場を用意してくれるなんて、親切なのか悪趣味なのか分かりませんねぇ」
「お前がそれを言うと、悪趣味の方に聞こえる」
「あらぁ、ひどいですぅ」
デルタがすぐに睨む。
「仮ボスを変な呼び方するなです」
「ご主人様はご主人様ですよぉ」
「嫌な匂いです」
また火がつきそうになったところで、スマホの画面が強く光った。俺たちの足元に白い円が広がり、次の瞬間、夜道の景色が剥がれるように薄れていく。転送特有の浮遊感が腹の底を持ち上げ、視界の端で廃遊園地の輪郭がねじれた。
足が地面を踏み直した時、そこは別の区画だった。
廃遊園地の中に残された、中世風アトラクション跡地。かつて騎士ショーでも行われていたのだろう。壊れた城壁風のセット、木製の跳ね橋、偽物の玉座、色褪せた旗、そして観客席の跡が、月明かりと人工照明に照らされている。子ども向けの勇ましい演目をやるために作られた場所なのに、今は本物の決闘場として再起動されていた。
中央の舞台を囲むライトが一つずつ灯る。
――FIELD SHIFT:ACTIVE
――一定時間ごとに地形条件を変更
――外部介入制限
――代表契約体以外の直接戦闘参加を禁止
画面の表示を読み終える前に、向かい側のゲートが開いた。
最初に現れたのは、赤い髪だった。
炎のような色を夜気に揺らし、剣士の少女がこちらへ歩いてくる。鋭い目つき、迷いのない足取り、腰の剣へ自然に届く手の位置。姿だけなら、彼女は戦うためにここへ来た強者に見えた。だが、その視線が一瞬だけ隣の男へ向いた時、そこに宿った嫌悪は隠しようがなかった。
その男は、場にそぐわないほど整った笑みを浮かべていた。
上品な服装。丁寧な物腰。こちらへ会釈する仕草だけを見れば、貴族めいた観戦者に見える。だが、その目は舞台そのものではなく、そこに立つ二人の契約体へ向けられていた。強者同士が傷つけ合うことを、料理の味見でもするように待っている目だった。
「素晴らしい。異なる世界の騎士と剣士が、同じ舞台で剣を交える。これほど贅沢な余興があるでしょうか」
柔らかい声だった。だからこそ、言葉の中身が余計に気持ち悪い。
赤髪の剣士が低く言う。
「黙りなさい」
「おや、相変わらず怖い目ですね。ですが、その怒りも剣に乗れば美しい」
「私は、あんたのために剣を振ってるんじゃない」
「ええ。だからこそ良いのです」
その一言で、胸の内に冷たいものが落ちた。戦わせることだけではない。嫌がっていることすら楽しんでいる。次元を越えた戦いに酔っているというより、誰かの誇りや怒りを自分の娯楽として消費することに快感を覚えているのだ。
ムジナが小さく舌打ちする。
「うわ、気持ち悪いタイプだ」
ルプスレギナは笑っているが、声は少しだけ冷えていた。
「ああいう人、嫌ですねぇ」
「お前も似たこと言いそうだろ」
「うふふー。わたしはもう少し可愛げがありますよぉ」
デルタは赤髪の少女を見て、鼻をひくつかせた。
「強い匂いがするです」
バーゲストは答えず、ゆっくり前へ出た。鎧を纏っているわけではないのに、その歩き方だけで騎士だと分かる。彼女は相手マスターではなく、エリス・グレイラットだけを見ていた。
エリスもまた、バーゲストを見る。
しばらく、二人は言葉を交わさなかった。剣を抜く前から、何かがぶつかっている。速度や間合いではない。もっと内側にある、戦う理由の部分だ。
先に口を開いたのはバーゲストだった。
「あなたの剣は、主のために振られているようには見えません」
エリスの目がわずかに細くなる。
「……分かるの?」
「ええ。剣は、握る者の怒りも、屈辱も隠しません」
バーゲストの声は静かだった。哀れんでいるのではない。見下してもいない。ただ、相手の剣に宿る歪みを、騎士として見過ごせないという響きがある。
エリスは唇を噛むようにして、バーゲストを睨んだ。
「なら、あんたはどうなの。あんたの主は、あんたに剣を無理やり振らせているの?」
問いは鋭かった。彼女にとって、主従という言葉そのものが、今は鎖に近いのだろう。バーゲストは少しだけ俺の方を見て、それから正面へ視線を戻した。
「いいえ。少なくとも今の私は、彼のために剣を振ることを恥じていません」
その答えに、エリスはしばらく黙った。怒りが消えたわけではない。だが、彼女の中でバーゲストを見る目が変わったのが分かった。ただ命令されて出てきた敵ではない。自分とは違う形で主を持つ騎士として、認識したのだ。
「……そう」
短い返事の中に、いくつもの感情が押し込められていた。
エリスのマスターが、舞台の外から満足そうに拍手をする。
「いいですね。実にいい。怒り、誇り、主従の違い。それらが剣戟に変わる瞬間こそ、こうした戦いの醍醐味です」
バーゲストの目が冷える。
「あなたは、彼女の剣を何だと思っているのですか」
「素晴らしい剣ですよ。だからこそ、ふさわしい相手とぶつけたい。剣とは、振るわれてこそ価値があるものでしょう?」
「剣を握る者の意志を踏みにじってまで、ですか」
「意志も苦悩も、戦いを彩る要素です」
バーゲストの手が、武器へかかる。怒りが見えた。声を荒らげるような怒りではない。騎士として、誇りある剣を慰み物にされていることへの怒りだった。
「エリス・グレイラット」
名を呼ばれ、エリスが視線を戻す。
「あなたの剣を、その男の慰み物にはさせません」
エリスは一瞬、きょとんとした顔をしたあと、獣のように笑った。嬉しいわけではない。救われたわけでもない。だが、目の前の騎士が自分の剣をただの見世物として扱っていないことだけは伝わったらしい。
「言うじゃない」
エリスの手が腰の剣へかかる。
その瞬間、決闘場のライトが一段落ち、城壁セットの影が長く伸びた。跳ね橋の鎖が軋み、FIELD SHIFTの準備を示す警告音が低く響く。舞台そのものが、二人の初撃を待っている。
「なら、止めてみなさい」
赤い髪が揺れた。
次の瞬間、エリス・グレイラットは鞘から剣を抜いた。刃が決闘場の光を裂き、バーゲストの前に、怒りと誇りを押し込めた剣士が立つ。
二回戦は、まだ始まったばかりだった。