二回戦開始の表示が消えた瞬間、エリス・グレイラットはもう動いていた。
剣を抜いた余韻すら置き去りにして、赤い髪が決闘場の光を裂く。踏み込みは低く、速い。バーゲストが正面で構えた時には、エリスの刃が既に懐へ届く間合いに入っていた。初撃は小細工のない斬り下ろしだったが、その単純さが逆に危うい。速度に乗った剣圧が真正面から叩き込まれ、受けたバーゲストの腕がわずかに沈む。
「遅い!」
エリスの声が跳ねる。次の刃は横から来た。バーゲストは踏み込みをずらしながら剣で受けるが、衝撃は重い。見た目の荒々しさだけならデルタに近いが、エリスの剣は獣の爪ではない。研ぎ澄まされた刃で、急所を正確に抉りに来る。
バーゲストが押し返そうとした瞬間、エリスはもうそこにいなかった。斬り下ろし、返し刃、踏み込みからの突き。三つの動きが一つの流れになり、バーゲストの防御を削る。剣と剣が噛み合うたびに火花が散り、騎士ショー用の舞台に残っていた偽物の旗が風もないのに震えた。
「速い……!」
俺の口から漏れた声に、デルタが低く唸る。
「強い匂いです。あの赤いの、噛みごたえあるです」
「今は見るだけだ」
「分かってるです。でも、バーゲストが押されてるです」
その通りだった。バーゲストは崩れていない。防御は間に合っている。けれど、主導権はエリスが握っていた。バーゲストが一歩戻すたび、エリスは半歩先へ入ってくる。こちらが受けの形を作る前に、次の斬撃が置かれている。
「防ぐだけなら、いつか斬れるわよ」
エリスは言葉と同時に踏み込む。剣筋は荒い。だが、荒いのに外さない。怒りが乗っているのに、狙う場所は鈍らない。バーゲストは剣の腹で受け、肩で衝撃を流し、足裏で舞台を噛むように耐えた。
「重い……ただの速さではありませんね」
「だったら、もっと踏ん張りなさい!」
エリスの足が床を蹴る。斬撃が低く入り、バーゲストの膝を狙う。バーゲストは剣を下げて受けるが、その隙にエリスの体が跳ね上がる。足場を蹴り、上から刃を落とす。バーゲストは片腕を添えて受け止めたものの、膝が一段沈んだ。
その瞬間、MEDESの表示が決闘場の外周に走る。
――FIELD SHIFT:DRAWBRIDGE
騎士ショー用の跳ね橋が軋みながら動き出した。舞台中央の床が斜めに傾き、城壁セットの影が横へ伸びる。普通なら足場を奪われる変化だ。だが、エリスは一瞬も迷わなかった。傾く板を蹴り、落ちる勢いをそのまま次の斬撃へ変える。
「そこ!」
刃が上段から落ちる。バーゲストが受ける。鋼の衝突音が決闘場に響き、観客席跡のライトが一斉に点いた。光が視界を焼き、影の方向を狂わせる。バーゲストが一瞬だけ目を細めたところへ、エリスは横薙ぎを重ねた。
バーゲストの肩口が裂ける。深くはない。だが、初めて血が飛んだ。
「バーゲスト!」
「問題ありません。まだ、立てます」
彼女の声は揺れない。けれど、状況は悪い。FIELD SHIFTまでエリスに味方しているわけではない。エリス自身が、変化した足場をその場で利用しているのだ。初速だけではない。対応力もある。怒りだけで走っている剣士ではなかった。
エリスのマスターが、舞台の外から静かに拍手した。
「素晴らしい。怒りが剣をさらに美しくしている。やはり君は、こういう場でこそ輝きますね」
エリスの顔が歪む。
「黙りなさい」
「おや、照れ隠しですか。もっとです、エリス。あなたの嫌悪まで、刃に乗せてください」
その言葉が入った瞬間、エリスの呼吸が変わった。
命令。そう呼ぶには柔らかすぎる声だったが、契約は言葉の丁寧さなど気にしない。エリスの足が動く。彼女自身が望んでいない一歩を、身体が選ばされる。次の踏み込みは速い。鋭い。だが、さっきまでの自然な流れとはほんの少し違っていた。
バーゲストはそれを受けた。重い斬撃が剣にぶつかり、彼女の腕を軋ませる。押し込まれながらも、その瞳はエリスだけを見ていた。
「あなたは……」
「見るな!」
エリスが叫ぶ。叫びと一緒に剣が跳ねる。バーゲストの肩を掠めた刃が赤を散らし、エリスは返す刃で胴を狙った。バーゲストは後退しながら受ける。受けるしかない。押し返す余裕がない。
ムジナが俺の隣で息を呑む。
「バーゲストがここまで押されるの、初めて見たかも」
壌竜は目を細めたまま、低く返す。
「剣そのものが強い。だが、それだけではない。あの男の言葉が、別の圧になっている」
ルプスレギナが軽く笑う。ただ、その声はいつもよりも少し冷たかった。
「うふふー、ああいうご主人様は嫌ですねぇ。怒りまで飾りにされるのは、さすがに趣味が悪いです」
「お前がそれを言うのか」
「わたしにも好みくらいありますよぉ」
エリスの剣は止まらない。跳ね橋の傾きが変わり、城壁セットが左右に動く。床の一部が沈み、間合いが半歩ずれる。バーゲストはそのたびに受け方を変えるが、エリスは変化を待っていたかのように斬撃の角度を変えてくる。上段、下段、突き、返し刃。赤い髪が揺れるたび、バーゲストの防御が削られていく。
「あなたの剣には誇りがある」
バーゲストが受けながら言う。
「だからこそ、見世物にされるべきではありません」
「そんなこと、あんたに言われなくても分かってる!」
エリスの斬撃がさらに重くなる。怒りが剣圧へ変わり、バーゲストを後退させる。けれど、その怒りはバーゲストだけへ向いていない。舞台の外にいるマスターへも、MEDESへも、自分の身体を縛る契約へも向いている。
エリスのマスターは、それすら楽しんでいた。
「いいですね。実にいい。今の一撃には、君の嫌悪がよく出ていました」
「黙れって言ってるでしょう!」
「では、黙る代わりに命じましょう。次で、その騎士を膝に沈めなさい」
まただ。
エリスの表情が一瞬だけ強張る。身体は命令へ応じる。踏み込みは速い。だが、さっきよりも肩が硬い。剣の軌道が、ほんのわずかに直線へ寄る。怒りで荒れているのではない。本人の剣に、外から別の手が乗ったような硬さだ。
バーゲストは受けるが、衝撃で大きく後退した。背後の城壁セットに近づく。FIELD SHIFTで壁が動けば、逃げ場を失う位置だ。
「バーゲスト、後ろ!」
俺が叫ぶより早く、エリスが追撃に入る。斬撃が肩を狙う。バーゲストは片足を滑らせ、剣で軌道を逸らした。刃は直撃を外れたが、腕を裂く。血が床へ落ちた。
それでも、バーゲストは倒れない。
「ならば、なぜその男の言葉で剣を振るうのです」
エリスの目が燃える。
「逆らえないからよ!」
叫びと共に、剣が振り下ろされる。重い。速い。バーゲストが受ける。膝が沈む。鎧があるわけでもないのに、彼女の体幹だけで耐えているのが分かった。けれど、耐えるだけでは勝てない。エリスはそれを理解していて、さらに踏み込む。
俺は息を詰めながら、二人の剣を見続けた。
エリスの剣は強い。速い。怒りが乗った瞬間ほど、間合いの詰め方に迷いがない。自分の意志で斬る時の剣は、野性味があるのに美しい。無駄がない。相手を斬ることへ躊躇がない。その意味では、バーゲストが言った通り、誇りある剣だった。
だが、マスターの命令が入った時だけ違う。
その瞬間だけ、エリスの剣は鋭さを失うのではなく、硬くなる。強くはなる。重くもなる。けれど、流れが消える。怒りに突き動かされているようで、実際には怒りの上に鎖を巻かれている。命令は力を増しているのではなく、エリスの剣が本来持っている自然さを歪ませている。
「違う……」
自分でも、声が落ちたのが分かった。
ムジナがこちらを見る。
「何か見えた?」
「エリスの剣が強すぎるんじゃない。いや、強いのは間違いない。でも、そこじゃない」
壌竜が俺の言葉を待つ。
「あの男の命令が入った瞬間だけ、剣筋が硬くなる。エリス自身の剣じゃなくなるんだ」
「剣そのものではなく、剣を縛る鎖か」
「ああ」
バーゲストはまだ押されている。エリスの斬撃が迫り、城壁セットの影が二人の足元を分断する。次のFIELD SHIFTが来れば、さらに状況は悪くなるかもしれない。けれど、勝ち筋は見えた。
バーゲストが突くべきなのは、エリスの速さではない。力でもない。技でもない。
あの男の命令が剣を歪ませる、その一瞬だ。
エリスのマスターがまた口を開く。
「さあ、もう一度です。もっと強く、もっと美しく――」
エリスの肩が硬くなる。足が動く。剣が振り上がる。
その瞬間、俺は確信した。
「そこだ」
バーゲストはまだ防戦の中にいる。けれど、次の逆転に必要な一点だけは、はっきりと見えた。
「あの男の命令が、勝利の鍵になる」