※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

59 / 89
剣士同士の繋がり

 夜の静けさの中で、布が刃を撫でる音だけが小さく続いていた。

 

 決闘場から戻ったあと、夢主はエリスに休むように言った。命令ではなく、選べという言葉と一緒に。エリスはそれに対して、今は休むと答えたはずだった。自分で選んだ。そう口にしたことも覚えている。

 

 だが、横になっても眠気は来なかった。

 

 傷は痛む。身体も重い。バーゲストとの決闘で受けた一撃は、殺すためのものではなかったが、立ち上がれなくなるだけの威力はあった。前の主が消え、MEDESの契約が夢主へ移ったことも、頭では理解している。それでも、目を閉じると浮かぶのは、あの男の声と、自分の剣が命令に引っ張られる感覚だった。

 

 だから、エリスは起き上がった。

 

 返された剣を膝の上に置き、布で刃を拭う。刃こぼれはほとんどない。バーゲストに弾かれた衝撃で、わずかな歪みはあるが、直せないほどではなかった。エリスは刃の光を角度ごとに確かめ、指先で柄の感触をなぞる。剣を手入れしている間だけ、自分の呼吸が自分のものに戻るような気がした。

 

「……刃こぼれはなし。少し歪んだけど、直せる範囲ね」

 

 呟いた声は、思ったよりも静かに落ちた。

 

「眠れませんか」

 

 背後からかけられた声に、エリスは剣から目を離さずに顔だけを向けた。そこに立っていたのはバーゲストだった。決闘で自分を倒した騎士。けれど、今は剣を抜いていない。こちらを見下ろすでもなく、必要以上に距離を詰めるでもなく、部屋の入り口近くで静かに立っている。

 

「見張り?」

 

「いいえ。剣の状態を見に来ただけです」

 

「……剣の?」

 

「決闘で強く弾きました。歪みが残っていないか気になりました」

 

 エリスは少しだけ眉を寄せた。

 

「敵だった相手の剣まで気にするの?」

 

「今は同じ陣営です。それに、あれほどの剣を雑に扱う理由はありません」

 

 その言い方に、エリスはすぐ返せなかった。

 

 勝った側の余裕ではない。敗者への憐れみでもない。バーゲストは、エリスの剣をただの武器ではなく、剣士の誇りとして見ている。夢主が剣を返した時と同じように、その扱いに雑さがなかった。

 

「……変な騎士」

 

「よく言われるほどではありませんが、否定はしません」

 

「そこは否定しないのね」

 

 エリスは布を持ち直し、刃の根元を拭く。バーゲストはその手つきを見て、わずかに目を細めた。

 

「傷が残っているなら、今は剣を振る時ではありません」

 

「振ってないわ。磨いてるだけ」

 

「その顔は、磨くだけで終わる顔ではありません」

 

 エリスの手が止まる。

 

「少し構えを確認するくらいなら問題ないでしょ」

 

「問題です」

 

「動けるなら戦えるわ」

 

「それが問題です」

 

 即答されて、エリスは不満そうに顔を上げた。

 

「何よ」

 

「動けることと、万全に戦えることは違います。あなたはその区別を軽く見ています」

 

「……うるさいわね」

 

「はい。ですが、必要なことです」

 

 バーゲストの声は穏やかだったが、引く気配がなかった。エリスは負けた相手に止められることへ腹が立った。けれど、バーゲストの言葉には、勝った者が敗者を押さえつける響きがない。ただ、剣士が次に剣を振るために必要なことを言っている。

 

 だから余計に腹が立つ。

 

 エリスは剣を手にして立ち上がろうとした。身体が痛むのは分かっている。それでも、構えだけなら確認できる。握りの感覚だけでも確かめておきたい。そう思って足に力を入れた瞬間、バーゲストが静かに前へ出て進路を塞いだ。

 

「退いて」

 

「退きません」

 

「一振りだけよ」

 

「その一振りの後、二振り目を求めるでしょう」

 

 エリスは返事に詰まった。

 

 バーゲストは少しだけ息を吐く。

 

「否定しないのですね」

 

「剣を持ったら振りたくなるのは普通でしょ」

 

「普通ではありません」

 

「剣士なら普通よ」

 

「その基準で動くから、傷が開くのです」

 

 言い返したいのに、言い返しにくい。エリスは奥歯を噛み、剣の柄を握ったままバーゲストを睨んだ。バーゲストはその視線を受けても動じない。むしろ、真面目に困っているように見える。

 

「あなたは、強くなることに真っ直ぐすぎます」

 

「悪い?」

 

「悪くはありません。ですが、真っ直ぐな剣ほど、折れれば戻すのに時間がかかります」

 

「……説教?」

 

「忠告です」

 

「同じじゃない」

 

「違います。説教なら、もっと長くなります」

 

 エリスは思わず黙った。

 

 冗談なのか本気なのか分かりにくい。だが、バーゲストの顔は真面目だった。たぶん本気で言っている。その妙な堅さに、エリスの中で別の誰かの姿が重なった。

 

 強くて、厳しくて、余計なことはあまり言わない。剣に対してはまっすぐで、こちらが無茶をすれば止める。戦うことを否定しない。だが、戦うために必要なものを軽んじることは許さない。

 

「……そういうところ、少し似てる」

 

 口から漏れた言葉に、バーゲストが首を傾げる。

 

「似ている?」

 

「ギレーヌに」

 

「その方は?」

 

「私に剣を教えた人。強くて、厳しくて、あまり余計なことは言わない。でも、剣には嘘をつかなかった」

 

 エリスは刃へ視線を落とす。ギレーヌのことを思い出すと、胸の奥に熱いものが戻る。悔しさも、憧れも、置いてきたものも全部混ざっている。今の自分は、まだそこへ届いていない。バーゲストに負けたことが、その事実をはっきり突きつけていた。

 

「大切な師なのですね」

 

「師匠って言うと、何か違う気もするけど……まあ、そんな感じ」

 

「その方に似ていると言われるのは、光栄なことなのでしょうか」

 

「たぶんね。少なくとも、弱い相手には言わないわ」

 

「では、ありがたく受け取ります」

 

「真面目ね」

 

「よく言われます」

 

「夢主と同じこと言ってる」

 

 エリスがそう言うと、バーゲストはほんの少しだけ表情を和らげた。

 

「彼も、そう返しますね」

 

「変な主に、変な騎士」

 

「否定はしません」

 

 エリスは短く息を吐き、剣の刃をもう一度見た。バーゲストはその隣へ座るわけではなく、少し離れた位置で立っている。だが、その距離は、さっきよりも遠く感じなかった。

 

「あなたの剣は、強い」

 

 バーゲストが言う。

 

「負けたわよ」

 

「あなた自身の剣は、私を追い詰めました。私が突いたのは、あなたの剣ではなく、あの男の命令です」

 

「それ、慰め?」

 

「事実です」

 

「……本当に真面目」

 

「あなたが再び剣を振る時、あの命令はもうありません」

 

「それなら、次はもっと強いわ」

 

「でしょうね」

 

「怖くないの?」

 

「恐れる理由にはなります。ですが、避ける理由にはなりません」

 

 エリスはバーゲストを見る。

 

 その言葉に飾りはなかった。強がりでもない。自分の剣が次はもっと強くなると言われ、バーゲストはそれを当然のように受け止めた。負けるかもしれないと分かっていても、避ける理由にはしない。それは騎士の矜持であり、剣を交えた者への敬意でもあった。

 

「……やっぱり、ギレーヌに少し似てる」

 

「それは、良い意味として受け取ります」

 

「良い意味よ。たぶん」

 

「たぶん、ですか」

 

「まだよく分からないから」

 

 エリスは剣を持ち上げかけた。だが、バーゲストの視線を受けて、動きを止める。構えたい。少しだけ振りたい。身体の痛みが邪魔でも、今なら剣の感覚を確かめられる気がする。

 

 その気配を察したのか、バーゲストが静かに言う。

 

「その方に恥じない剣を振るためにも、今は休むべきです」

 

「また休めって言うのね」

 

「はい」

 

「夢主もあんたも、同じことばかり言う」

 

「必要だからです」

 

「……分かったわよ。今日は振らない」

 

「今日は、ですか」

 

「明日は分からない」

 

「では、明日も止める準備をしておきます」

 

 エリスはじっとバーゲストを見た。

 

「本当に面倒見がいいのね」

 

「あなたが無茶をしなければ、必要ありません」

 

「無理ね」

 

「でしょうね」

 

 今度は、エリスが先に小さく笑いかけた。大きな笑みではない。警戒も、悔しさも、負けたことへの不満もまだ残っている。それでも、決闘中に剣を向けていた時より、ずっと柔らかい表情だった。

 

 エリスは剣を鞘へ戻した。

 

 完全に納得したわけではない。身体が痛まなければ、今すぐ構えを確認していた。けれど、バーゲストの言葉を無視してまで剣を振る気にはならなかった。ギレーヌを思い出したからかもしれない。バーゲストが自分の剣を強いものとして見ていると分かったからかもしれない。

 

 理由は一つではなかった。

 

「次は負けないわ」

 

「望むところです」

 

「あんた、次も真面目に受けるんでしょうね」

 

「もちろんです。あなたの剣を侮る理由はありません」

 

「……そういうところも、嫌いじゃないわ」

 

「それは良かった」

 

「でも、負けたままは嫌」

 

「ならば、傷を癒やし、万全で挑んでください」

 

「分かってるわよ」

 

「分かっていても、動こうとするでしょう」

 

「……本当に面倒ね」

 

「お互い様です」

 

 短い沈黙が落ちる。気まずさはなかった。剣を通じて少しだけ互いを理解した者同士の沈黙だった。

 

 エリスはバーゲストを完全に信じたわけではない。だが、剣を通してなら話せる相手だと思い始めていた。ギレーヌに似た厳しさ。夢主とは違う形で、剣士として自分を見てくれる騎士。

 

 それは、この陣営に来て初めて得た、安心に近いものだった。

 

 部屋の外では、誰かの足音が遠く通り過ぎていく。夢主か、ムジナか、あるいは別の誰かかは分からない。けれど、エリスはもう剣を抜かなかった。

 

 今夜は振らない。

 

 それは命令ではなく、エリス自身が選んだことだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。