※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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第一の勝利

 黒い影と銀の刃が、街灯の下でまたぶつかった。

 

 火花が散る。砕けたアスファルトの欠片が跳ねる。デルタの爪が低く唸り、バーゲストの剣が真正面からそれを受け止めた。互角。いや、正面から力だけをぶつけ合えば、わずかにバーゲストが重い。だが、デルタの速さと獣じみた勘が、その差を埋めている。

 

 問題は、そこじゃない。

 

 俺のスマホには、二つの緑がもう灯っていた。

 

 ――対象契約体が冠する“妖精騎士”の名を特定せよ CLEAR

 ――対象契約体の主戦闘様式を特定せよ CLEAR

 ――対象契約体を現在の所有者へ縛っているものを特定せよ

 

 最後の一問だけが、黒いまま残っている。

 

 答えはほとんど見えていた。不満はある。命令されるたび、バーゲストの体はわずかに硬くなる。騎士としての矜持は残っているのに、所有者へ剣を向けない。理由はひとつしかない。契約だ。MEDESによる拘束。だが、見えているだけでは足りない。

 

 MEDESが欲しがっているのは、もっとはっきりした“証明”だ。

 

 戦場の真ん中で、誰の目にも分かる形で。

 

 バーゲストの鎖が唸りを上げる。デルタがそれを紙一重で躱し、店先の壊れた看板を蹴って上を取る。そのまま頭上から飛び込むように爪を振り下ろした。バーゲストが剣を立てて受ける。鈍い金属音。地面が鳴る。次の瞬間、デルタがその剣を足場にして跳ね、まっすぐ敵マスターの方へと軌道を変えた。

 

「っ、バーゲスト!」

 

 あいつの声がひっくり返る。

 

 バーゲストは反射で動いた。剣を引くより先に体が出る。デルタの爪が敵マスターの頬を掠める寸前、銀の腕甲が割って入った。肉を裂く代わりに、甲冑の表面が爪で深く抉れる。

 

 それでもデルタは止まらない。獣だ。獲物へ噛みつくと決めた以上、そこで引くような動きはしない。低く身体を沈め、次は腰だ。脚だ。守る動きへ入った相手の死角を抉るように爪を振るう。

 

 バーゲストの剣が下がる。鎖が輪を描く。デルタの肩を取ろうとしたそれを、デルタは無理やり振り払った。黒い髪が跳ねる。頬の横を銀の光が走る。

 

 敵マスターが二歩、三歩と後ずさる。

 

 明らかに焦っていた。自分が狙われて初めて、ようやく安全圏が絶対じゃないと理解した顔だ。

 

「バーゲスト! さっさと殺せ! 街ごと巻き込んでもいい、あいつを止めろ!」

 

 その一言が、夜の通りへ突き刺さった。

 

 俺は息を呑んだ。

 

 街ごと巻き込んでもいい。

 

 バーゲストの目が、そこで初めて揺れた。

 

 ほんの一瞬。けれど、確かに揺れた。剣を握る手がわずかに止まり、呼吸が引っかかる。騎士としての顔に、暗いものが走る。嫌悪だ。躊躇だ。それでも――次の瞬間には、彼女は動いてしまう。

 

「……承知、しました」

 

 声が重い。

 

 デルタが、それを逃さなかった。

 

「嫌がってるです!」

 

 叫びと同時に、黒い影が横へ流れる。バーゲストの踏み込みを受けるのではなく、引き出すような軌道だ。バーゲストは命令に従い、明らかに重い一撃を放つ。剣圧だけで、崩れた商店のシャッターが内側からひしゃげた。もし人がいれば巻き込まれる。そんな斬り方だった。

 

 バーゲスト自身が、それを誰より理解している顔をしていた。

 

 それでも止めない。止められない。

 

 そこだ。

 

「デルタ、もう一回だ! 敵マスターへ寄せろ!」

「分かってるです!」

 

 デルタは笑った。鋭く、牙を見せるように。

 

 爪がアスファルトを蹴る。今度は最短じゃない。わざと遠回りに、バーゲストの正面を外し、敵マスターの視界へちらつくように走る。獲物を追う狼の動きだ。真横、背後、正面。どこへ来るか分からない軌道で圧をかける。

 

 敵マスターがたまらず叫んだ。

 

「バーゲスト! 俺を守れ! 何をしてる、早くしろ! 命令だ!」

 

 バーゲストの顔が、そこでまた歪んだ。

 

 今度は見間違いじゃない。

 

 眉の間に深い影が差す。唇が強く結ばれる。剣を握る腕には迷いがないのに、その根元だけが嫌がっている。拒絶と服従が同時に走る顔だ。

 

「……っ」

 

 喉の奥で押し殺すような音がした。

 

 それでもバーゲストは動く。

 

 デルタを斬るためではない。敵マスターを守るために、無理やりその進路へ割って入る。鎖でデルタの腕を払う。剣で距離を切る。明らかに、攻めではなく“従わされている防御”の動きだ。

 

 俺のスマホが、熱を持ったみたいに震えた。

 

 まだだ。まだ緑には変わらない。

 

 だが、MEDESも見ている。答えの輪郭へ近づいている。

 

 デルタが着地した。肩で息をしながらも、紫の瞳は鋭いままだ。あの目はもう、バーゲストだけじゃなく、その後ろのマスターごと獲物として捉えている。

 

「仮ボス!」

 

「ああ、見えてる!」

 

 答えはもう出ている。

 

 契約だ。

 不満がある。

 嫌がっている。

 それでも守らされる。

 命令に逆らえない。

 

 けれど、最後の一押しがいる。MEDESに“証明”として届く一手が。

 

 バーゲストは騎士だ。誇りがある。だからこそ、命令の醜さへ顔が曇る。なら、その誇りと契約の矛盾を、本人の口か態度で表へ出させればいい。

 

 俺は前へ出た。自分でも馬鹿だと思う。バーゲストの間合いへ踏み込めば、一瞬で斬られる。けれど、デルタだけに任せていても、戦いは長引く。街の被害はもう限界が近い。

 

「バーゲスト!」

 

 声を張る。

 

 銀の瞳がこちらを向いた。

 

「おまえ、本当はその命令に従いたくないんだろ!」

 

 敵マスターの顔が引きつる。

 

「黙れ!」

「黙るのはそっちだ」

 

 自分でも驚くほど、声は冷えていた。

 

「おまえは騎士だ。街ごと巻き込んで殺せと言われて、顔色ひとつ変えなかったわけじゃない。今もそうだ。守りたいから守ってるんじゃない。守らされてる」

 

 バーゲストの肩が、わずかに震えた。

 

 その一瞬を、デルタが逃すはずがない。

 

「そうです!」

 

 叫びながら、黒い影がまた敵マスターへ走る。バーゲストは反射で止めに入る。嫌でも、止める。その動き自体が、もう答えだった。

 

 敵マスターが後ずさりながら喚く。

 

「バーゲスト! 命令だ、そいつらを黙らせろ! おまえは俺の契約体だろ!」

 

 その言葉が、決定打になった。

 

 俺のスマホが強く脈打つ。黒い画面の最後の一行が、赤く瞬いて、次の瞬間に緑へ変わった。

 

 ――対象契約体を現在の所有者へ縛っているものを特定せよ

 ――CLEAR

 

 喉の奥から息が漏れた。

 

 抜いた。

 

 三問、全部だ。

 

 同時に、画面全体が暗く沈み、中央へ新しい表示が立ち上がる。

 

 ――ALL CONDITIONS CLEARED

 ――SEIZURE RIGHTS GRANTED

 

 それを見た瞬間、敵マスターの顔色が変わった。何が起きたか、完全には分かっていないはずだ。それでも、盤面がひっくり返った感触だけは伝わったのだろう。

 

「な、何をした……?」

 

「遅いです」

 

 デルタが嗤う。

 

 今度の声には、勝ちを確信した獣の湿り気があった。バーゲストが振り向く。敵マスターを見る。その目には、さっきまであった“逆らえなさ”とは別の色が混じっていた。契約が外れかけている。そういう直感が、空気そのものにあった。

 

 スマホがさらに表示を重ねる。

 

 ――TRANSFER AVAILABLE

 ――TARGET : BARGHEST

 ――CONFIRM SEIZURE

 

 指先が一瞬止まる。

 

 奪える。

 本当に、奪える。

 

 目の前で戦っている相手の所有権を、スマホ一つで移せる。その事実の悍ましさが、今さら骨へ染みた。けれど、ここで躊躇えば終わる。デルタが作った隙も、見抜いた答えも、全部が無駄になる。

 

 俺は息を吐いた。

 

 そして、画面へ触れる。

 

 ――SEIZURE CONFIRMED

 

 瞬間、バーゲストの胸元で淡い光が弾けた。

 

「……っ!?」

 

 敵マスターが悲鳴じみた声を漏らす。バーゲストの足が止まる。剣を握ったまま、目だけが見開かれる。何かが切れた。見えない鎖が千切れたような、そんな感覚が場全体を走った。

 

 敵マスターがスマホを見る。叩く。叫ぶ。

 

「ふざけるな! 命令を聞け、バーゲスト! 聞けよ!」

 

 だが、もう遅い。

 

 バーゲストはゆっくりと振り返る。敵マスターを見る。その眼差しに、さっきまでの強制はもうない。残っているのは、長く押し殺していたものが剥き出しになったあとの、冷えた怒りだった。

 

「……あなたの命令に従う理由は、もうありません」

 

 低い声だった。けれど、今度は一度も詰まらない。

 

 敵マスターが後ずさる。

 

「ま、待て、違う、俺は――」

 

 言い終わる前に、デルタが前へ出た。

 

 黒い影が、銀の巨体の横をすり抜ける。

 

 敵マスターの喉元へ、爪がぴたりと止まった。

 

「仮ボス」

 

 デルタは振り返らないまま呼んだ。

 

「どうするです?」

 

 その問いに、少しだけ時間がかかる。

 

 殺す。

 逃がす。

 気絶させる。

 

 選択肢は一瞬でいくつも浮かんだ。だが、答えはすぐに決まった。こいつをここで殺せば、終わる話は早い。けれど、もう勝負はついている。所有権は移った。これ以上、無駄に血を増やす理由はない。

 

「殺さなくていい」

「了解です」

 

 言葉の最後と同時に、デルタの爪が敵マスターの首筋を浅く裂いた。悲鳴が上がるより早く、そのまま後頭部へ手刀が落ちる。男の身体が崩れた。

 

 静かになった。

 

 嘘みたいに、あっさりと。

 

 壊れた街灯。砕けたガラス。ひしゃげた自販機。戦いの痕だけが、さっきまでの激突を証明している。その真ん中で、バーゲストは剣を下ろし、俺を見た。

 

 敵として見ていた視線とは違う。けれど、まだ完全にこちらを受け入れた目でもない。当然だ。今この瞬間、彼女は強制主従の鎖を、また別の相手へ渡されたばかりなのだから。

 

 スマホが最後の表示を出す。

 

 ――BATTLE ENDED

 ――WINNER : OWNER 01

 ――CONTRACTED SUBJECT “BARGHEST” TRANSFER COMPLETE

 

 その文字列が、妙に明るく見えた。

 

 勝利。

 移譲完了。

 契約体バーゲスト。

 

 冷たい文章だった。事務的で、祝福も罪悪感もない。ただ結果だけを並べる。その無機質さが、逆に胃の底へ重く沈む。

 

 デルタがようやく爪を下ろした。黒い尾がゆっくり揺れる。勝った時の顔だ。けれど、それだけじゃない。バーゲストを見る目には、強い相手を認めた獣の光も混じっていた。

 

「取ったです」

 

「ああ」

 

「本当に、奪えたです」

 

 その言葉に、俺は返事をするまで一拍かかった。

 

 奪えた。

 確かにそうだ。

 

 問題を解いた。

 答えを暴いた。

 それで、所有権が移った。

 

 頭では理解している。だが、感情はそれに追いついていない。バーゲストが立っている。ついさっきまで敵として剣を向けてきた相手が、今はもう“こちらの契約体”として処理されている。その仕組みの悍ましさに、改めて吐き気がした。

 

 バーゲストが、低く口を開く。

 

「……これより、私は」

 

 そこで言葉が切れる。

 

 従う。そう言おうとして、止まったのだろう。契約の切り替わりが起きたからといって、心まで即座に追いつくはずがない。むしろ、その詰まり方に少しだけ救われた。

 

「無理に言わなくていい」

 

 気づけば、そう言っていた。

 

 バーゲストの銀の瞳が、わずかに揺れる。

 

 デルタが横で鼻を鳴らした。

 

「仮ボスは、そういうやつです」

 

 その声だけが、張り詰めた空気を少しだけ緩める。

 

 俺はスマホの画面を見下ろした。そこにはまだ、勝利の結果が無感動に残っている。

 

 ――CONTRACT SLOT UPDATED

 ――CURRENT OWNED SUBJECTS : 02

 

 デルタ。

 バーゲスト。

 

 二つの名が、黒の中に並んでいた。

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