※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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望まない戦闘

 スマホが震えたのは、夜が明けるにはまだ早い時間だった。

 

 エリスが俺の部屋の前から離れずにいた夜が過ぎ、ようやく空気が少し落ち着いたと思った矢先のことだ。浅い眠りから身体を起こすと、枕元に置いていたスマホの画面が、勝手に黒い光を放っている。

 

 嫌な予感は、もう慣れたくないほど慣れていた。

 

 俺は画面を見る。

 

 ――THIRD MATCH:READY

 ――RECOMMENDED UNIT:MUJINA

 ――FIELD SHIFT:ACTIVE

 

「次は、ムジナか」

 

 名前を呼ぶと、部屋の隅でだらしなく座っていたムジナが、少しだけ顔を上げた。眠そうな目をしているのに、その奥だけは妙に冷めている。いつものように面倒そうな表情を浮かべながら、彼女は肩をすくめた。

 

「私? へえ……今回はそういう感じなんだ」

 

「デルタじゃないです?」

 

 デルタが不満げに耳を動かす。自分が選ばれなかったことが気に入らないらしい。バーゲストは画面を見て、静かに考えるように目を細めた。

 

「推奨ユニットが指定される以上、何らかの適性があるのでしょう」

 

 エリスは腕を組んだまま、ムジナを見る。まだこの陣営に馴染んだとは言い難いが、昨夜よりは少しだけ空気に混じっている。

 

「ムジナって、どう戦うの?」

 

「んー……面倒なことを、面倒なまま相手に返す感じ?」

 

「分かりにくいわね」

 

「だいたい合ってるから」

 

 ムジナは気にした様子もなく言った。ルプスレギナは笑い、壌竜は床へ視線を落とす。今回の試合が単純な殴り合いではないことを、全員が薄く察していた。

 

 スマホの表示が切り替わる。

 

 ――TRANSFER START

 

 視界が白く反転した。

 

 次に足裏へ返ってきた感触は、冷たい床だった。

 

 そこは、長い廊下だった。

 

 白い壁がどこまでも続いている。ところどころ塗装は剥がれ、壁の下には古い車椅子が倒れていた。天井の蛍光灯は何本も割れ、残ったものだけが不規則に点滅している。ジジッ、ジジッ、という音が、妙に広く響いた。

 

 空気には、薄い消毒液の匂いが残っている。

 

 床には割れた薬瓶、汚れた包帯、倒れた点滴台。病室の扉は半開きで、カーテンが風もないのにわずかに揺れている。窓ガラスの外には夜が広がっていたが、その向こうには雨ではなく、黒いノイズのようなものが降っていた。

 

 ここは、戦うための場所ではない。

 

 元は誰かを助ける場所だったはずだ。病室も、廊下も、車椅子も、点滴台も、その名残を残している。それなのに、今はMEDESによって戦場に変えられている。その事実が、いつものフィールドよりもずっと悪趣味に感じた。

 

「うわ……趣味悪い」

 

 ムジナが最初にそう言った。

 

「病院跡か」

 

「うふふー。こういう場所を戦場にするなんて、なかなか悪趣味ですねぇ」

 

 ルプスレギナの声は軽いが、その目は廊下の奥を見ている。デルタは鼻をひくつかせ、バーゲストは周囲の構造を確認していた。

 

「廊下での戦闘は逃げ場が限られます。盾や障壁を使う相手なら厄介です」

 

「足場は悪くない。でも、視界が通りすぎるわね」

 

 エリスが言う。剣士らしい判断だ。長い廊下は直線的で、正面からの攻防には向く。だが、その分だけ、隠れる場所も逃げる場所も限られている。

 

「ムジナ、どう見る?」

 

「派手に壊すより、通路とか部屋とか、そういうのを使う方が向いてる場所。相手を直接叩くより、動ける場所をずらした方が楽かも」

 

「戦場そのものを読む相手に向いた場所か」

 

 壌竜が低く呟く。

 

「嫌だけどね。病院って、もっと静かでいい場所でしょ」

 

 ムジナの声には、いつもの気だるさがあった。だが、それだけではない。病院跡を戦場にされたことへの、薄い不快感が混じっているように聞こえた。

 

 その時、廊下の奥に人影が見えた。

 

 俺たちは足を止める。

 

 長い廊下の先、半開きの病室の前に、一人の少女が立っていた。長い髪。沈んだ表情。こちらを見ている瞳には敵意よりも、ためらいの方が強い。

 

 その周囲に、小さな光が揺れていた。

 

 花弁のような、六つの光。

 

「……来たんですね」

 

 少女は静かに言った。

 

「君が、今回の相手か」

 

「はい。井上織姫です」

 

 井上織姫。

 

 名乗った声は柔らかかった。けれど、本来の明るさを押し殺したような重さがある。戦場に立つ者の声ではあるが、戦うことを望んでいる声ではない。

 

 ムジナが少し目を細める。

 

「……井上織姫」

 

「剣は持ってないのね」

 

 エリスが言うと、バーゲストは織姫の周囲に浮かぶ六つの光を見た。

 

「ですが、周囲の光は武装に近いものです」

 

「うふふー。可愛い光ですねぇ。でも、嫌な感じがします」

 

 ルプスレギナが笑いながらも、いつものように踏み込みすぎない。ムジナは織姫をじっと見ていた。

 

「嫌な感じっていうより……変な感じ」

 

「変?」

 

「敵意が薄い。こっちを倒したいって感じがしない」

 

 その言葉に、織姫はわずかに目を伏せた。

 

「ごめんなさい。私は、できれば戦いたくありません」

 

 デルタが首を傾げる。

 

「戦いたくない敵です?」

 

 エリスは眉を寄せた。

 

「じゃあ、何で立ってるのよ」

 

 織姫はすぐには答えなかった。唇を軽く結び、何かを飲み込むようにしてから、静かに言う。

 

「……守らなきゃいけないんです」

 

 その言葉だけで、事情の全ては分からない。

 

 だが、彼女がただ命令されて立っているだけではないことは分かった。戦いたくない。傷つけたくない。それでも下がれない。そんな矛盾を抱えた立ち方だった。

 

「誰を、とは聞かない方がいいか」

 

 俺が言うと、織姫は申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「すみません」

 

 ムジナが小さく息を吐く。

 

「やっぱり変。この子、敵って顔してない」

 

 その時、廊下の奥から別の声が響いた。

 

「余計なことを言うな」

 

 男の声だった。

 

 姿はまだはっきり見えない。織姫の背後、病室の影のさらに奥から、冷たい声だけが届く。織姫の肩が、ほんの少しだけ揺れた。

 

「……はい」

 

「構えろ。相手は敵だ」

 

「でも」

 

「盾を張れ」

 

 短い命令だった。

 

 事情は分からない。関係も分からない。だが、その声には相手の気持ちを聞く余地がない。必要な指示だけを、冷たく落とす声だった。

 

 織姫は一瞬だけ唇を噛む。

 

 だが、逆らわなかった。

 

「……はい」

 

 彼女の周囲に浮かんでいた六つの光が、静かに広がった。花弁のような光が連なり、廊下を塞ぐように前へ出る。

 

「三天結盾」

 

 光の盾が、俺たちと織姫の間に展開された。

 

 それは、ただの盾には見えなかった。壁のように受け止めるものではない。こちらの動きそのものが、その境界の前で拒まれるような感覚がある。

 

 デルタが低く唸る。

 

「盾です?」

 

「ただの盾ではありません。空間ごと拒まれているような感覚です」

 

 バーゲストが警戒を強める。壌竜も床へ手を伸ばし、目を細めた。

 

「地面の流れが、盾の前で途切れている」

 

 ムジナはじっと光の盾を見ていた。

 

「治すとか、防ぐとか……いや、違う。これ、拒んでる?」

 

「拒む?」

 

「うん。壊れたことも、届くことも、なかったことにするみたいな感じ」

 

 織姫は盾の向こうで、こちらを見ていた。

 

 敵意はない。

 

 だが、盾は確かにそこにある。

 

「お願いです。できるなら、ここで止まってください」

 

「止まれば、この試合は終わるのか?」

 

 俺が尋ねると、織姫は答えなかった。答えられないのだと、すぐに分かった。

 

 背後から、また男の声が飛ぶ。

 

「返事をするな。構えを維持しろ」

 

「……はい」

 

 織姫の声は小さかった。

 

 エリスが低く言う。

 

「嫌な言い方ね」

 

「うふふー。ご主人様とは正反対ですねぇ」

 

 ルプスレギナの言葉に、俺は何も返さなかった。返せるほど、目の前の構図は軽くない。

 

 ムジナが、面倒そうに頭を掻く。

 

「……あー、これ面倒なやつだ」

 

「ムジナ」

 

「分かってる。この子、本当に戦いたいわけじゃないんだ」

 

 彼女は織姫を見たまま言った。

 

 廊下の奥に立つ少女は、敵としてこちらの前にいる。けれど、その立ち方には殺意がない。攻撃するためではなく、守るために立っている。傷つけるためではなく、止めるために盾を張っている。

 

 だからこそ、厄介だった。

 

 ただ倒せばいい相手ではない。攻撃すれば、彼女は防ぐ。傷つければ、きっと治す。無理に突破しようとすれば、その拒絶の力が立ちはだかる。

 

「でも、逃げる気もなさそう」

 

 ムジナが続ける。

 

「守るものがある者の立ち方です」

 

 バーゲストが言った。

 

「戦いたくないなら下がればいいのに」

 

 エリスの言葉は乱暴だったが、責めているというより理解できないという響きだった。ムジナは織姫から目を離さずに答える。

 

「たぶん、それができたらここにいないんだよ」

 

 俺はスマホを握り直した。

 

 三回戦。推奨ユニットはムジナ。舞台は廃病院。相手は井上織姫。

 

 傷を癒やし、攻撃を拒み、それでも戦うことを望まない少女。

 

 廊下の奥で、男の声がまた響く。

 

「近づけるな。必要なら攻撃しろ」

 

「……はい」

 

 織姫の周囲の光が揺れる。盾だけではなく、別の花弁が前へ出る。だが、その表情は少しも攻撃的ではなかった。

 

 ムジナが小さく呟く。

 

「……やっぱり、戦いたい顔じゃない」

 

「第三試合、開始だな」

 

「うん」

 

 ムジナはゆっくりと前に出る。いつものように気だるげで、どこか面倒くさそうだ。だが、その目はもう織姫の盾から逸れていない。

 

「じゃあ、まずはあの盾がどこまで拒むのか見ようか」

 

 こうして、三回戦は始まった。

 

 壊すためではなく、戦わされている形そのものをずらすために。

 

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