※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

64 / 89
盾の性質

 光の盾は、廊下を塞ぐように立っていた。

 

 白い病院跡の廊下に浮かぶ、花弁のような光。その向こうに、井上織姫がいる。敵として立っているはずなのに、こちらを見る目に殺意はない。むしろ、これ以上近づかないでほしいと願うような表情だった。

 

「お願いです。これ以上、近づかないでください」

 

 織姫の声は柔らかい。だが、光の盾は一切揺らがない。戦いたくないと口にしているのに、退く気配もない。その矛盾が、この廃病院の空気よりもずっと重く感じた。

 

 廊下の奥から、冷たい男の声が響く。

 

「構えを崩すな。相手の動きを見ろ」

 

「……はい」

 

 織姫は小さく返事をする。その声には納得よりも、耐えている響きがあった。

 

 ムジナは一歩前に出て、光の盾を眺める。いつものように気だるげだが、目だけは廊下の奥をきちんと見ていた。

 

「近づかないで、か。攻撃してこいじゃないんだ」

 

「やっぱり、戦いたいわけじゃないか」

 

「うん。でも、退く気もない。面倒だね」

 

 デルタが不満そうに耳を動かす。

 

「盾なら壊せばいいです」

 

「待ちなさい。あれは単純な盾ではありません」

 

 バーゲストが即座に止めた。エリスも剣に手をかけながら、光の盾を睨む。

 

「なら、どうするの?」

 

「まずは、どこまで拒むのか見る」

 

 ムジナはそう言うと、周囲を見回した。床に転がる点滴台、割れた薬瓶、半開きの病室の扉、ひび割れた壁。戦うための武器ではないものばかりだ。だが、ムジナはそういうものを扱う方が似合っている。

 

「じゃあ、軽く」

 

 倒れていた点滴台が、見えない力に押されるように廊下を滑った。金属の脚が床を擦り、嫌な音を立てながら光の盾へ向かう。

 

 織姫は盾を維持したまま、目を伏せる。

 

 点滴台が光へ触れる。

 

 だが、衝突音はしなかった。

 

 金属が弾かれたわけでも、砕かれたわけでもない。点滴台は盾の前で急に勢いを失い、まるでそこまで進んだ事実そのものが認められなかったように、力なく床へ倒れた。

 

 ムジナの目が細くなる。

 

「……弾いたんじゃない」

 

「止めたのか?」

 

「止めたっていうより、進んだことを拒んだ感じ」

 

 俺の問いに、ムジナはそう答えた。

 

 織姫は何も言わない。ただ、盾を張ったまま立っている。敵マスターの声が再び飛ぶ。

 

「そのまま維持しろ」

 

「はい」

 

 バーゲストが低く言う。

 

「物理的な防御とは異なるようですね」

 

 壌竜も床に指を触れ、眉を寄せた。

 

「地面の流れも、盾の前で切れている。力がぶつかっているのではない。途切れさせられている」

 

「やっぱり変。盾っていうより、境界だね」

 

 ムジナは軽く手を振った。

 

 今度は病室の扉が動く。半開きだった扉が軋みながら開き、その隙間からカーテンが流れるように廊下へ伸びた。床のガラス片がいくつも浮き、別々の方向から織姫の盾へ向かう。

 

 直接織姫を狙ってはいない。

 

 盾の範囲、反応速度、どこまでを拒むのか。それを確かめるための動きだった。

 

 織姫の周囲の光が揺れる。

 

「三天結盾」

 

 光の盾が角度を変えた。

 

 ガラス片は盾へ触れる直前で力を失い、カーテンは押し戻されるのではなく、その先へ進む意味を失ったように落ちる。扉の動きさえ、盾の前では不自然に止まった。

 

「うわ、器用」

 

 ムジナが呟く。

 

「攻撃してこないのに、厄介ね」

 

 エリスの声には苛立ちが混じっていた。斬るべき相手が明確なら、彼女は迷わない。だが、目の前の少女は攻撃してこない。守るだけで、こちらの動きを封じてくる。

 

「避けるのも壊すのも難しいです」

 

 デルタも唸る。正面から噛み砕くことを得意とするデルタにとって、届く前に拒まれる盾は相性が悪いのだろう。

 

「うふふー。守ることに関しては、かなり本気ですねぇ」

 

 ルプスレギナの笑みは軽い。けれど、その目は織姫の動きを見逃していなかった。

 

「ムジナ、何か分かったか?」

 

「壊そうとしても、届かない。押し込もうとしても、進めない。たぶん、盾の前に来たものを“なかったこと”に近い形で拒んでる」

 

「ならば、強引な突破は危険です」

 

 バーゲストの言葉に、ムジナは頷く。

 

「だね。力押しだと、こっちが疲れるだけかも」

 

 その時、廊下の奥から敵マスターの声が強く響いた。

 

「防ぐだけでは終わらない。攻撃しろ」

 

 織姫の表情がわずかに沈む。

 

「……でも、まだ」

 

「迷うな。相手は敵だ」

 

「……はい」

 

 織姫の周囲で、盾とは別の光が前へ出ようとした。攻撃のための花弁なのだろう。だが、その動きは一瞬だけ止まった。

 

 ムジナが小さく声を漏らす。

 

「……あ」

 

「どうした」

 

「今、動きが止まった」

 

 エリスが鋭く反応する。

 

「命令された瞬間?」

 

 バーゲストは静かに織姫を見る。

 

「二回戦の時と似ていますね。ただし、今回は剣ではなく、意志そのものが止まっている」

 

 俺もそれを感じた。

 

 エリスの時は、命令が剣筋を歪ませた。今の織姫は、命令された瞬間に身体ではなく心が一度止まる。戦いたくないという意思と、従わなければならない理由。その二つが、同じ場所でぶつかっているように見えた。

 

「私は……」

 

「やれ」

 

 敵マスターの声が重なる。

 

 織姫は唇を噛み、光を放った。

 

 だが、その光は俺たちを直接狙わなかった。廊下の床へ落ち、割れたタイルを跳ね上げる。白い破片が舞い、こちらの進路を塞ぐように散らばった。

 

「やっぱり。傷つける気がない」

 

「攻撃じゃなくて、足止めか」

 

 織姫は盾の向こうで、苦しそうに目を伏せる。

 

「ごめんなさい……」

 

 エリスが眉を寄せる。

 

「謝るくらいなら撃たなきゃいいのに」

 

「それができないから、ああなってるんでしょ」

 

 ムジナの声は淡々としていた。だが、いつもの投げやりな軽さとは少し違う。目の前の矛盾を面倒だと思いながら、それでも見過ごせないような響きがあった。

 

 ムジナは次の動きに入った。

 

 今度は廊下全体がざわめく。左右の病室の扉が一斉に開き、カーテンが風もないのに大きく揺れる。床に落ちていた瓦礫がいくつも浮き、織姫の側だけではなく、俺たちの側にも飛び散るような軌道を描いた。

 

 織姫が目を見開く。

 

「三天結盾!」

 

 光の盾が複数の方向へ展開される。

 

 こちらに飛んでくる破片も、織姫自身へ向かう瓦礫も、すべて拒絶された。盾は彼女だけを守ったわけではない。俺たちが傷つく可能性まで、まとめて拒んだ。

 

 ムジナがわずかに口元を歪める。

 

「自分の方だけ守ればいいのに」

 

「こっちに飛ぶ破片まで止めたな」

 

「うん。本当に傷つけたくないんだ」

 

 バーゲストが頷いた。

 

「敵味方の区別より、傷つくことそのものを避けているようです」

 

「うふふー。優しい子ですねぇ。こういうゲームには向いてなさそうです」

 

 ルプスレギナが笑う。けれど、その言葉には珍しく嘲りだけではない響きがあった。

 

 壌竜が低く呟く。

 

「向いていない者ほど、巻き込まれる。そういう仕組みなのだろう」

 

「……ほんと、趣味悪い」

 

 ムジナは手を止めた。

 

 織姫は盾を張ったまま、息を整えている。疲労が見える。だが、彼女は退かない。こちらを倒すためではなく、戦いがこれ以上ひどくならないように、必死に全員を止めている。

 

「盾は崩せそうか?」

 

 俺が聞くと、ムジナは面倒そうに息を吐いた。

 

「正面からは面倒。あれ、強いよ」

 

「デルタでも壊せないです?」

 

「壊せるかどうかじゃなくて、壊すっていう行為が届く前に拒まれる感じ。相性が悪い」

 

 エリスが剣の柄に触れる。

 

「なら、盾を使う前に詰める?」

 

「それも危険です。彼女は攻撃を望んでいませんが、防御反応は速い」

 

 バーゲストの分析は冷静だった。

 

 ムジナは織姫を見たまま、ぽつりと言う。

 

「それに、この子を倒したら勝ちって感じでもない」

 

「どういう意味だ」

 

「あの子、守ってる。私たちから自分を守ってるんじゃなくて、戦いがこれ以上悪くならないように守ってる」

 

 織姫は何も言わない。

 

 だが、その沈黙が答えに見えた。

 

「だから、盾が強いんじゃなくて、守る気持ちが強すぎて厄介なんだと思う」

 

 廊下の奥から、苛立ちを含んだ声が飛ぶ。

 

「何をしている。防御だけでは勝てない」

 

 織姫の肩が小さく揺れた。

 

「でも、傷つけたら……」

 

「勝たなければ意味がない」

 

 その声には焦りが混じっていた。

 

 事情は分からない。なぜそこまで勝たなければならないのか、なぜ織姫が逆らいきれないのかも分からない。だが、ただ相手を支配して楽しんでいる声ではない。冷たさの奥に、何か切羽詰まったものがある。

 

「命令だ。次は止めるだけで済ませるな」

 

 織姫は顔を伏せる。

 

「……」

 

「嫌な命令だな」

 

 俺が言うと、エリスが短く同意する。

 

「本当にね」

 

 バーゲストは織姫の姿を見据えたまま言う。

 

「しかし、彼女は完全に拒んでいるわけでもありません」

 

「見捨てられない理由があるんだろうね。まだ分からないけど」

 

 ムジナは廊下の奥へ視線を向けた。

 

「今はそこまで踏み込めないか」

 

「うん。まずは、あの盾と命令の間にあるズレを見た方がいい」

 

 ムジナは織姫を見た。その背後にいる敵マスターの声も、見えない距離も、まとめて見ているようだった。

 

「この子を倒すより、守らせてる形をずらした方が早いかも」

 

「分断か?」

 

「まだそこまではしない。いきなりやると、あの子が余計に固くなる」

 

「まずは、盾の反応と命令への反応を見極めるべきですね」

 

 バーゲストが言うと、ムジナは軽く頷いた。

 

「そういうこと。面倒だけど、こういう相手は壊すより、少しずつズラす方がいい」

 

「まどろっこしいわね」

 

 エリスが言うと、ムジナは肩をすくめた。

 

「剣で斬れるなら楽なんだけどね」

 

「斬れないの?」

 

「斬る相手を間違えたら、余計に面倒になるやつ」

 

 俺はスマホを握り直した。

 

「ムジナに任せる」

 

「はいはい。じゃあ、もう少しだけ嫌な戦い方をするよ」

 

 ムジナは再び前へ出る。

 

 織姫は盾を張ったまま、こちらを見ていた。敵意はない。けれど、退かない。背後の声に逆らいきれず、それでもこちらを傷つけないようにしている。

 

 ムジナはその矛盾を見て、少しだけ目を細めた。

 

「戦いたくないなら、戦わなくていい形にしてあげるしかないか」

 

「できるか?」

 

「できるかどうかじゃなくて、やるしかないんでしょ」

 

 織姫が戸惑うように目を上げる。

 

「……?」

 

「ごめんね。ちょっとだけ、嫌なことするかも」

 

「嫌なこと……?」

 

「あなたを倒すためじゃないよ。あなたが守ろうとしてる形を、少し崩すため」

 

 廊下の奥から、敵マスターの声が鋭く飛んだ。

 

「何を言っている。惑わされるな」

 

「……はい」

 

 織姫は返事をした。

 

 だが、その声には、ほんのわずかな揺れがあった。

 

 ムジナが小さく呟く。

 

「ほら、やっぱりそこだ」

 

 彼女が見ていたのは盾だけではなかった。

 

 織姫の迷い。命令の硬さ。守りたいという意思と、戦わされる形のズレ。第三試合は、力で盾を壊す戦いではなくなり始めていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。