※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

7 / 89
GAMEの結末

 スマホの黒い画面に、無機質な勝利表示が残っていた。

 

 ――BATTLE ENDED

 ――WINNER : OWNER 01

 ――CONTRACTED SUBJECT “BARGHEST” TRANSFER COMPLETE

 ――CURRENT OWNED SUBJECTS : 02

 

 デルタ。

 バーゲスト。

 

 二つの名前が、同じ並びに収まっている。

 

 さっきまで敵だった相手が、今はもうこちらの契約体として処理されている。その事実が、頭のどこかでは理解できるのに、感覚の方が置き去りにされていた。壊れた街灯の火花が、弱々しく足元のガラス片を照らしている。砕けた自販機からはまだ炭酸の甘い匂いが漏れていて、戦いの直後だというのに、やけに生活感のある匂いが混じっているのが気味悪かった。

 

 デルタが爪を下ろした先で、敵のマスターは地面へ崩れたまま動かなかった。首筋に浅い傷がある。出血は多くない。殺してはいない。俺がそう指示したからだし、デルタもそこはきちんと抑えていた。

 

 だから、もう終わったはずだった。

 

「……仮ボス」

 

 デルタの声が、少しだけ低い。

 

 顔を上げると、黒い耳がぴんと立っていた。さっきまでの勝ちを確信した顔じゃない。匂いを拾っている時の顔だ。獣の勘が、何か別の異常を先に察したらしい。

 

「何だ」

「変です」

 

 短い言葉とほぼ同時に、地面へ倒れていた男が、ひゅっと喉を鳴らした。

 

 肩が跳ねる。指先が痙攣する。次いで、咳き込むみたいに身体を丸めながら、ゆっくりと上体を起こした。呼吸が荒い。目の焦点も定まっていない。デルタの一撃で意識を失っていただけなら、ここでうずくまって終わるはずだ。なのに、様子がおかしい。起き上がろうとしているのに、手足が自分のものじゃないみたいな、そんなぎこちなさがある。

 

「……は」

 

 男はまず、自分の手を見た。

 

 次に、膝をついたまま、周囲を見回す。砕けたガラス。ひしゃげたシャッター。倒れた街灯。バーゲスト。デルタ。そして俺。全部を見たあとで、ようやく自分のスマホへ気づいたらしい。少し離れた場所へ落ちていたそれを、這うようにして拾い上げる。

 

 暗い画面が、彼の顔を下から照らした。

 

「……な、んだよ」

 

 呟きは、掠れていた。

 

 俺には画面の中までは見えない。けれど、男の顔色だけで十分だった。血の気が引いていく。唇が震える。さっきまでこちらを見下ろすように笑っていた人間と、同一人物には見えない。

 

「待て……いや、待てって」

 

 指が何度も画面を叩く。反応しないらしい。電源を落とそうとしているのか、何かの項目を開こうとしているのか、こっちには分からない。ただ、何をしても状況が好転しないことだけは、すぐに伝わった。

 

「おい、バーゲスト!」

 

 声が裏返る。

 

「戻れよ。なあ、おい、ふざけんな、何だこれ、何でだよ!」

 

 叫びながら顔を上げる。だが、向けた先のバーゲストはもう彼のものではない。銀の剣を下ろしたまま、静かにその姿を見ている。怒りや同情を見せるより先に、現実を確かめている目だった。

 

 男はそこで、ようやく何が起きたのか理解したらしい。

 

 いや、理解したというより、理解したくない事実が喉へ引っかかって、無理やり飲み込まされたような顔だった。

 

「嘘だろ……」

 

 その一言が、夜気へ滲む。

 

 俺のスマホが、そこでまた微かに震えた。

 

 嫌な予感しかしない。見たくないと思いながらも、視線は勝手に画面へ落ちていた。勝利表示の下へ、新しい一文が追加されている。

 

 ――PREVIOUS OWNER LINK LOST

 ――ERASURE PROCESS INITIATED

 

 頭の奥が、ひどく冷えた。

 

 消去処理、開始。

 

 最初にMEDESを見た時、確かに書かれていた。敗北。あるいはアプリ喪失。そうなれば所有者は消滅し、その契約体もまた消えると。けれど、ルールとして知っているのと、目の前で始まるのを見るのは別だ。

 

「……おい」

 

 呼びかけた声が、自分でも情けないくらい掠れた。

 

 男は俺の方を見た。目は大きく見開かれているのに、焦点が揺れている。その端で、何か白いものがちらついた。

 

 最初は街灯の火花かと思った。だが違う。男の肩口だ。服の繊維の上、輪郭のきわから、細かな光がほどけるみたいに零れている。粉とも違う。煙とも違う。夜の中でだけ見える、細い糸のような光だ。

 

 それが、肩から、腕から、少しずつほどけていく。

 

「……え?」

 

 男自身も、その異常に気づいたらしい。慌てて肩を払う。だが、払った手の甲からも同じように光がこぼれた。払えば払うほど、崩れた輪郭が目立つ。

 

「何だよ、これ……」

 

 声が震えている。恐怖を堪えきれず、言葉の最後が潰れる。

 

 彼は立ち上がろうとした。けれど、膝へ力が入らない。支えようとした腕の輪郭が、そこでぶつりと途切れたみたいに薄くなる。骨や肉が見えるわけじゃない。ただ、そこにあるはずの密度だけが抜けて、夜気へ溶けていく。

 

 俺は半歩、前へ出ていた。

 

 何ができるかなんて分からない。分からないのに、ただ見ているだけでいいはずがなかった。けれど、その腕をデルタが横から掴む。

 

「駄目です」

「でも――」

「触るな、です」

 

 いつもより低い声だった。警戒というより、本能的な制止に近い。デルタは男から目を逸らさないまま、俺の手首だけを強く引いた。

 

「薄くなってるです」

「薄く?」

「匂いも、気配も、形もです。壊れてるです」

 

 言葉が簡潔すぎて、かえって現実味が増す。

 

 男はなおもスマホを叩いていた。電源を切ろうとしている。画面を割る勢いで叩きつける。だが、暗い光は消えない。それどころか、ひびの入った画面の内側から白い筋が走り、彼の指先へ絡みつくみたいに広がっていく。

 

「やめろ……やめろって……!」

 

 今度の声は、完全に悲鳴だった。

 

「嫌だ、こんなの聞いてない、こんなの――」

 

 そこまで言いかけて、言葉が止まる。喉の辺りが、ふっと白く透けたのだ。肌色が抜け、向こうの街灯の明かりがかすかに通る。いや、透ける、というのも違う。絵の具を水で流したみたいに、そこだけ存在が薄くなっていく。

 

 見たことがない。見たくもない光景だった。

 

 生きた人間が消える場面を、想像したことはあっても、こんなふうだと思ったことはない。血が噴くわけでも、骨が砕けるわけでもない。ただ、世界から削られていく。輪郭の線だけを残して、中身から白く抜かれていく。その静かな壊れ方が、余計に恐ろしかった。

 

「バーゲスト!」

 

 男が叫ぶ。

 

 その呼びかけに、バーゲストはぴくりとまぶたを動かした。だが、一歩は出ない。

 

「助けろ! おい、何とかしろ! おまえ、俺の――」

 

 そこで言葉が千切れた。

 

 俺の。

 その続きを言おうとした舌先が、音になる前に白くほどけたのだ。

 

 男は自分の口元へ触れる。指先も、もう形が危うい。頬を伝った汗も、首筋に残った血も、光に触れた端から消えていく。

 

「……う、そ、だろ」

 

 小さくなった声は、泣きそうだった。

 

 バーゲストが、そこで初めて口を開く。

 

「これは、MEDESの処理でしょう」

 

 静かな声だった。冷酷というより、受け止めるしかない現実を言葉へした時の重さに近い。

 

「所有権が移った時点で、あなたは盤面から外れた」

 

 男は首を振る。必死に。子供みたいに。

 

「そんなわけ……あるか……」

「あなたは、他人へそうなる可能性を前提にして戦っていたはずです」

 

 バーゲストの声に責める色は薄い。けれど、容赦はなかった。彼女自身もまた、このルールの一部として使われ、縛られてきたからだろう。甘く慰める言葉を持ち出す気にはなれないのかもしれない。

 

 男はそれを聞いて、初めてバーゲストを睨んだ。怒りというより、裏切られた人間の顔だった。

 

「……おまえ、俺に従ってたじゃねぇか」

「契約があったからです」

 

 その返答は、剣より鋭かった。

 

 男の目が揺れる。

 

「嫌がってるの、分かってた……でも、おまえは逆らわなかった……」

「逆らえなかった」

 

 バーゲストは一拍だけ間を置いた。

 

「今は違う。それだけです」

 

 それ以上の言葉はなかった。

 

 男の肩から胸へかけて、一気に崩れが広がる。服ごと、肌ごと、輪郭を保てなくなっていく。白い光は粉雪みたいに舞い上がるのに、空気の中で消える音すらない。あまりに静かだ。静かすぎて、見ている側の呼吸だけがやけに大きく聞こえる。

 

 俺は無意識に、スマホを握る手へ力を込めていた。

 

 こんなものを使っている。

 こんなものを、俺は今、手にしている。

 

 勝たなければやられる。そう理解していても、目の前で“消去”の実態を見せつけられると、理屈だけでは済まない。俺がバーゲストを奪った。その結果、この男は消える。そういう構図が、いくらMEDESのせいでも、無関係の顔では立っていられなかった。

 

「……止められないのか」

 

 気づけば、そんなことを口にしていた。誰に向けた問いだったのか、自分でも分からない。MEDESにか、バーゲストにか、あるいは自分自身にか。

 

 バーゲストは答えない。

 

 代わりに、デルタが小さく鼻を鳴らした。

 

「無理です」

「……そんな簡単に言うな」

「簡単じゃないです。でも、もう切れてるです」

 

 デルタの紫の瞳が、男ではなく、俺の手の中のスマホを見ていた。

 

「仮ボスが取った瞬間に、あいつの匂いはこのゲームから外れたです。今のは、そのあとを消してるだけです」

 

 その言い方の正確さが、ぞっとするほど嫌だった。

 

 ゲームから外れた。

 あとを消しているだけ。

 

 ルールにされると、人の終わりはこんなにも簡単な文章になるのか。

 

 男はまだ諦めていなかった。いや、諦められないのだろう。残った片手で地面を掻き、こちらへ這い寄ろうとする。だが、その手のひらが石畳へ触れたところで、指先から先が崩れた。掴むことができない。爪が、皮膚が、骨の代わりに白い光へ変わって、夜の空気へほどけていく。

 

「たすけ……」

 

 その声が、胸に引っかかった。

 

 助けてくれ、と言いたかったんだろう。

 けれど、最後まで言葉にならない。

 

 口の輪郭がまた薄くなる。頬が抜ける。片目が光の中へ沈む。生きた人間の顔が、そのまま記憶から消される途中を見ているようだった。直視していると、自分の頭の中まで削られそうな錯覚がした。

 

 バーゲストが、ゆっくりと目を閉じる。

 

 長い睫毛が影を落とす。その一瞬だけ、彼女の顔には痛みがあった。従わされていた相手だ。好いていたわけじゃない。だが、命令され、守らされ、長く同じ盤面に立ってきた。その相手が、こうして消える。何も感じないはずがない。

 

 それでも彼女は、最後まで歩み寄らなかった。

 

 慰めることも、手を伸ばすこともしない。

 

 それがせめてもの誠実さだと、分かっているからだろう。もう自分のものではない主へ、今さら偽りの情を見せる方が残酷だ。

 

 男の身体は、とうとう胸から上の輪郭を保てなくなっていた。白い光が溢れているのに、まぶしくはない。冷たい。冬の朝の息みたいに、触れればすぐ消えそうな淡さだった。

 

 最後に残ったのは、目だった。

 

 いや、目だけが強く見えたのかもしれない。怯え。後悔。信じられないという拒絶。そんなものが詰まった視線が、一度だけ俺へ向く。

 

 責められた、と思った。

 

 けれど、違うのかもしれない。

 

 あの目は、誰かを責める余裕すらなく、ただ“自分が消える”という現実を理解しきれないまま取り残された人間の目だった。

 

 次の瞬間、それもほどけた。

 

 音はなかった。

 

 爆ぜるでも、崩れるでもなく、ただ立っていた場所から光が抜ける。服の切れ端も、血の跡も、骨も灰も残らない。本当に、そこに人間がいた痕跡だけが、静かに削り取られていく。

 

 風がひとつ吹いた。

 

 それだけで、最後の白い粒も夜へ溶けた。

 

 あとには、何もなかった。

 

 いや、正確には違う。壊れた街の痕だけが、そこに残っている。砕けたガラス。ひしゃげた自販機。倒れた街灯。あれほど騒がしく命を繋いでいた人間だけが、跡形もなく消えている。その不自然さが、かえって現実味を奪った。

 

 俺はしばらく、息をするのも忘れていた。

 

「……消えた」

 

 自分の声が、自分のものに聞こえなかった。

 

 デルタが尾を一度だけ揺らす。その動きも、さっきまでの勝利の名残ではない。警戒と、ほんの少しの困惑が混ざっている。

 

「消えたです」

「見りゃ分かる……」

 

 吐き出してから、すぐに後悔する。デルタは悪くない。俺だって、それ以外の言葉を持っていなかっただけだ。

 

 スマホがまた震える。

 

 思わず画面を見ると、さっきまでの勝利表示の下へ、淡々と追加されていた。

 

 ――PREVIOUS OWNER ERASED

 ――BATTLE RECORD UPDATED

 

 指先が冷たくなる。

 

 ただの結果報告。

 感慨も、確認も、弔いもない。

 

 バーゲストが、その画面を一瞥した。銀の瞳に浮かんだ感情は、嫌悪に近かった。

 

「……なんと、無惨な」

「無惨で済むかよ」

 

 返した声が、少しだけ荒くなる。

 

 バーゲストは俺を見る。そこに反発はない。ただ、俺が何に苛立っているのかを測るような視線だった。

 

「あなたがそう言うのですね」

「言うさ。こんなもの、まともなわけがない」

 

 壊れた街を囲む夜の中で、その言葉だけがやけに浮いた。

 

 バーゲストはほんの少し、目を細めた。

 

「……そうですか」

 

 それだけだ。短い返答の中に、何を含んでいるのかまではまだ分からない。だが、少なくとも軽蔑ではない。そう感じた。

 

 デルタが俺の袖を引く。

 

「仮ボス」

「何だ」

「ここ、まだ匂いが悪いです」

「……ああ」

 

 そうだ。止まっていていい場所じゃない。戦いの痕が残りすぎているし、人が来るかもしれない。何より、この場に立ち尽くしていると、今見た光景が頭の中へ焼きつき続ける。

 

 それでも足が動かない。

 

 そこに誰もいないことを、何度見ても脳が理解しきれないからだ。

 

 ついさっきまで、あの男はいた。叫び、命令し、怯え、這い寄っていた。なのに、今はもう、そこへ風が抜けているだけだ。死体すらない。人が一人、存在ごと引き剥がされた。そうとしか言いようがない。

 

 バーゲストが、静かに口を開く。

 

「この場に留まるべきではありません」

「……そうだな」

「あなたが見たものは、MEDESの本性の一端でしょう。だとすれば、次もありうる」

 

 その言い方は冷静だった。けれど、耳障りなほど冷たいわけじゃない。自分も同じものを見たうえで、先へ進むために切り分けている声だった。

 

 俺はようやく、肺の奥に溜まっていた息を吐き出した。

 

 スマホをポケットへ押し込み、壊れた通りを見回す。証拠は山ほどある。だが、消えた人間の証拠だけがない。夜のどこかで、サイレンの気配がまだしないことが、かえって不気味だった。

 

「帰るぞ」

「了解です」

 

 デルタはすぐにそう返す。勝ったあとも負けたあとも、切り替えだけは早い。それが今はありがたかった。

 

 バーゲストは一拍遅れて頷いた。まだ、その動きにはぎこちなさが残っている。敵から味方へ。所有者が変わったばかりなのだから当然だ。だが、それ以上に、彼女の視線の奥には、ついさっき消えた元マスターの光景が残っているように見えた。

 

 俺たちは歩き出す。

 

 壊れた街灯の横を通り、砕けたガラスを踏まないよう足元を選びながら、もと来た道を戻る。デルタは俺の少し前を歩き、バーゲストは後ろを取る。その配置が、今の関係をそのまま示しているようで、妙に落ち着かなかった。

 

 通りを抜ける手前で、思わず振り返る。

 

 もう誰もいない。

 

 風が吹き抜けて、砕けたビニール片がひとつ転がっただけだ。

 

 その光景に、背筋がまた冷えた。

 

 あれが敗北者の末路。

 MEDESのルールが、現実へ食い込んだ結果。

 

 頭では分かっている。分かっているのに、胃の底ではずっと拒絶が蠢いていた。

 

 部屋へ戻っても、今夜は眠れないだろう。

 

 そう思いながら歩く俺の隣へ、デルタが半歩だけ近づく。何も言わない。ただ、尾の先が一度だけ脚へ触れた。慰めるというより、ここにいると知らせるような、不器用な動きだった。

 

 少し遅れて、後ろからバーゲストの足音が続く。

 

 新しい契約体。

 奪った相手。

 そして、その代償のように消えた元マスター。

 

 今夜だけで、何もかもが一気に重くなった。

 

 ポケットの中で、スマホがもう一度だけ微かに震える。

 

 取り出した画面には、短い一行だけが追加されていた。

 

 ――NEXT MATCH MAY OCCUR WITHOUT NOTICE

 

 思わず、唇の内側を噛んだ。

 

 終わっていない。

 今見たものすら、まだ“次”の前触れに過ぎない。

 

 壊れた街の匂いを背中へ残したまま、俺はスマホの画面を静かに伏せた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。