※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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準決勝

 スマホは、朝まで黙っていた。

 

 正確には、朝と呼べる時間だったのかも分からない。カーテンの隙間から差し込む光は薄く、部屋の中に残った夜の輪郭を押し流しきれていなかった。

 

 ローテーブルは片付いている。

 

 昨日、織姫が一口だけ食べた器も、デルタが肉の欠片を探し尽くした器も、今は棚に戻っている。湯気の残り香も、もうない。

 

 けれど、テーブルの端にはまだスマホがあった。

 

 伏せられた黒い板。

 

 そこだけが、夜の底を切り取って置かれたみたいに沈んでいた。

 

 短く震える。

 

 音は一度だけ。

 

 それでも、部屋の空気は一瞬で硬くなった。

 

 デルタの耳が立つ。エリスの手が剣に近づく。バーゲストは何も言わず、窓際からこちらを見る。ムジナは寝癖のついた髪を片手で押さえながら、壁にもたれたまま片目を開けた。

 

 織姫は、少し遅れてスマホへ視線を向けた。

 

 その前に、エリスが一歩だけ動く。大げさじゃない。剣も抜かない。ただ、織姫とスマホの間に肩が入る位置へ立った。

 

 昨日と同じだった。

 

 けれど、昨日より自然だった。

 

 俺はスマホを手に取る。

 

 画面を上に向けるまで、指先に少しだけ重さが残った。

 

 ――SEMI FINAL:READY

 ――FIELD SHIFT:ACTIVE

 ――RECOMMENDED UNIT:壌竜

 

「……準決勝」

 

 声に出すと、部屋の中にその言葉が沈んだ。

 

「次です?」

 

 デルタが尻尾を揺らす。

 

「休ませる気、ないわね」

 

 エリスの声は鋭い。だが、視線はスマホではなく織姫の方に一度だけ向いた。

 

「昨日見なくても、結局来るものは来るんだ」

 

 ムジナが欠伸を噛み殺しながら言う。

 

「言い方」

 

「事実」

 

「朝から面倒なこと言わないで」

 

「朝かどうかも怪しいけどね」

 

 バーゲストが静かに一歩前へ出た。

 

「逃れられぬなら、備えるべきです」

 

 その言葉に、壌竜がゆっくりと立ち上がる。

 

 床が、ほんの少し鳴った気がした。

 

「我の名が出ているな」

 

「ああ。次は壌竜が推奨ユニットだ」

 

 壌竜は俺のスマホを見ない。

 

 ただ、足元を見る。畳の下、そのさらに下の地面まで視線を落としているみたいだった。

 

「ならば、地の声を聞く戦になる」

 

「うふふー。今度は地面がお相手ですかぁ?」

 

 ルプスレギナが笑う。

 

 壌竜は首を横に振った。

 

「地は相手ではない。語るものだ」

 

「言い方が相変わらず重い」

 

 ムジナがぼそっと言う。

 

「軽い地など、踏めば沈む」

 

「そう返ってくると思った」

 

 俺はスマホを握り直す。

 

 昨日は見なかった。

 

 見ないことで、どうにか一晩を守った。

 

 けれど、今日は違う。

 

 見ないままでは、足を踏み出せない。

 

「準備しよう。今度は、こっちから見ないわけにはいかない」

 

 誰も反論しなかった。

 

 MEDESの黒い光が、部屋の床から立ち上がる。

 

 いつも思う。

 

 転送の光は、光なのに暗い。

 

 輪郭を奪うように広がり、部屋の壁も、テーブルも、伏せられたままの夜も、全部を飲み込んでいく。

 

 視界が揺れた。

 

 次に足の裏が捉えたのは、畳ではなかった。

 

 硬い。

 

 冷たい。

 

 ざらついたコンクリート。

 

 最初に鼻を刺したのは、錆びた鉄の匂いだった。

 

 次に、湿ったコンクリートの匂い。さらに奥に、薬品のような甘い刺激臭が混ざっている。どこかで腐りかけた植物の匂いもした。鼻の奥で、それらが勝手に調合されていく。

 

 目の前には、錆びたフェンスがあった。

 

 その向こうに巨大な工場棟が沈んでいる。割れた窓。折れた煙突。絡み合う配管。止まった搬送ベルト。工場の入り口は、口を開けたまま長い間眠っていた獣みたいだった。

 

「くさいです」

 

 デルタが容赦なく言った。

 

「うふふー。廃工場ですねぇ。実に分かりやすく危なそうです」

 

 ルプスレギナは楽しげだ。

 

「足場が悪いわ」

 

 エリスは床の亀裂を見ている。

 

「視界も遮られます。奇襲には注意を」

 

 バーゲストが剣に手を添えた。

 

「しかも、普通の廃墟じゃなさそう」

 

 ムジナが割れた窓の奥を見ながら言う。

 

「普通ではない……?」

 

 織姫の声が小さく落ちた。

 

 壌竜は答えるより先にしゃがみ込んだ。

 

 大きな掌を、コンクリートの地面へ置く。

 

 その動きだけで、周りの音が一段下がった気がした。

 

 壌竜は黙っている。

 

 デルタも珍しく黙った。ムジナが壁にもたれない代わりに、近くの錆びた柱へ背を預ける。織姫は両手を胸の前で重ねかけ、途中でやめた。昨日、何度も見た形だ。けれど今は、その手を自分の前で下ろしている。

 

「壌竜?」

 

 俺が呼ぶと、壌竜は地面から手を離さずに言った。

 

「地の流れが切られている」

 

「切られている?」

 

「本来なら、地は下へ沈み、奥へ続く。だが、ここは途中で曲げられ、別のものを混ぜられている」

 

 ムジナが眉を動かす。

 

「もう仕掛けられてるってこと?」

 

「恐らくな」

 

 壌竜が立ち上がる。

 

 その足元の埃が、わずかに揺れた。

 

 俺たちはフェンスの隙間から工場敷地へ入った。

 

 足を進めるたび、砂利と金属片が靴の下で鳴る。工場の中へ入ると、空気はさらに濃くなった。錆と薬品と湿気。その全部が、喉の奥に薄い膜を作る。

 

 内部は、荒れていた。

 

 いや、荒れているだけじゃない。

 

 荒れたものが、誰かの手で並べ直されていた。

 

 割れた薬品棚の瓶が、色ごとに分けられている。錆びた配管が途中で切断され、素材タンクのようなものに繋げられている。床に落ちた金属片や植物片は、偶然ではなく、何かの模様を作るように置かれていた。

 

 壊れた工場なのに、どこかで作業が続いている。

 

 そんな歪んだ気配があった。

 

「誰かが遊んだです?」

 

 デルタが床の模様を覗き込む。

 

「遊びに見えるなら、かなり危ない遊びだね」

 

 ムジナが言う。

 

 バーゲストが瓶の並びを見た。

 

「調合台のようにも見えます」

 

「調合……」

 

 俺は床に散った青白い粉を見る。

 

 指で触れようとした瞬間、壌竜の声が飛んだ。

 

「触れるな」

 

 俺の指が止まる。

 

 壌竜は床を見たまま言う。

 

「それも、地に混ぜられたものと同じ気配がする」

 

「相手はもう準備済みってことね」

 

 エリスが剣の柄を握り直す。

 

「次の相手が錬金術師なら、そうだろうな」

 

「錬金術……でしょうか」

 

 織姫が小さく言う。

 

 その声はまだ細い。けれど、昨日よりは前に出ていた。俺の背中の後ろからではなく、隣に立つ誰かの声だった。

 

「うふふー。準決勝らしく、面倒そうですねぇ」

 

 ルプスレギナが楽しげに笑った。

 

 その時、工場の奥から声がした。

 

「へえ……これ、元はただの配管なのに、中に残ってる成分が全然違う。現代の工場って、面白いもの使ってるんだね」

 

 俺たちは足を止めた。

 

 壊れた搬送ベルトの上に、少女がしゃがみ込んでいた。

 

 栗色の髪。明るい表情。周囲には素材袋、瓶、金属片、植物片、小さな調合器具のようなものが広がっている。彼女は敵を待ち構えていたというより、採取に夢中になっているように見えた。

 

 その少し後ろに、一人の青年が立っている。

 

 黒縁の眼鏡。くたびれたジャケット。片手にはMEDESのスマホ。もう片方の手で、何度もこめかみを押さえている。年齢は俺より少し上くらいだろうか。顔つきは穏やかに見えるが、立ち方に隙はない。

 

「ライザ。敵が来た」

 

 青年が低く言った。

 

「分かってるって。足音で気づいてるよ」

 

「なら、こっちを向け」

 

「あとちょっと! この素材、すごく気になるんだもん!」

 

 青年は目を閉じ、長く息を吐いた。

 

 怒鳴らない。

 

 けれど、その沈黙だけで、普段からこうなのだと分かった。

 

「……準決勝だぞ」

 

「うん、だから調べてるんだよ?」

 

 少女はようやく立ち上がった。

 

 ぱん、と手についた埃を払う。

 

 それから、こちらへ明るく手を振った。

 

「あ、来た来た! あなたたちが準決勝の相手だよね?」

 

「……そういうことになる」

 

 俺が答えると、少女はにこっと笑った。

 

「よろしく! 私はライザ。ライザリン・シュタウト! 錬金術師だよ」

 

「敵なのに元気です」

 

 デルタが素直な感想を漏らす。

 

「うふふー。可愛らしいですねぇ」

 

 ルプスレギナが笑う。

 

 ライザの視線はすぐに壌竜へ移った。

 

 目の色が変わった。

 

 敵を見る目ではない。珍しい素材を見つけた時の目だ。

 

「それで……あなた、すごいね。地面に触っただけで何か分かったでしょ?」

 

 壌竜は静かに彼女を見る。

 

「分かるように、地を乱したのはそちらだ」

 

「やっぱり! 地面の流れを読んでるんだ。いいなあ、そういうの初めて見る!」

 

 ライザが一歩近づこうとする。

 

 青年がその肩を掴んだ。

 

「ライザ、興味で近づくな」

 

「えー」

 

「えーじゃない」

 

「でも、あの人すごいよ? 普通、地面の改変なんてすぐ分からないって」

 

「だから近づくなと言っている」

 

 青年は俺たちへ視線を向けた。

 

 その目には軽さがない。

 

 ライザを止める手にも、スマホを握る手にも、力が入っている。振り回されてはいる。だが、戦う気がないわけではない。

 

「すまない。彼女は、見たことのないものを前にすると止まりにくい」

 

「止める気はあるんだな」

 

 俺が言うと、青年はわずかに口元を歪めた。

 

「毎回、ある」

 

「毎回失敗してそうだね」

 

 ムジナの言葉に、青年は否定しなかった。

 

 ライザが振り返る。

 

「ちょっと、失敗してないよ。ちゃんと役に立ってるでしょ?」

 

「役には立っている。順番が問題だ」

 

「順番って大事?」

 

「大事だ」

 

「そっか。じゃあ次から気をつける」

 

「それも毎回聞いている」

 

 敵同士の会話なのに、妙に日常感がある。

 

 けれど、壌竜だけは視線を足元から外さなかった。

 

「油断ではない」

 

 彼が低く言う。

 

「足元に意識を残している」

 

 ライザが嬉しそうに頷いた。

 

「そうそう。調べないと戦えないでしょ?」

 

 その一言で、空気が変わった。

 

 好奇心が遊びではない。

 

 彼女にとって、見ること、触れること、知ることが、そのまま戦う準備なのだ。

 

「……なるほど。調査がそのまま準備か」

 

 俺が呟くと、ムジナが小さく頷いた。

 

「好奇心と戦術が同じ場所にあるタイプ」

 

「厄介ですね」

 

 バーゲストが剣を抜かずに構えを整える。

 

 ライザは自分の足元に置いていた小瓶を拾った。

 

 中の液体が、青く光る。

 

「この工場、いい素材がいっぱいあるんだよ。鉄も薬品も植物片も、ちょっと手を加えるだけで使えるものになる」

 

「説明してどうする」

 

 青年が言う。

 

「だって、すごいんだもん」

 

「準決勝で敵に手の内を話すな」

 

「全部じゃないから大丈夫!」

 

「大丈夫の基準がいつも曖昧だ」

 

「でも安心して。ちゃんと戦うから」

 

 ライザの声が少しだけ変わった。

 

 明るさは消えない。

 

 けれど、手に持ったフラスコの光が強くなる。

 

「じゃあ、まずは様子見」

 

 壌竜が一歩前へ出た。

 

「来るぞ」

 

 床のひび割れに詰められていた青白い粉が、線のように繋がった。

 

 配管の奥で液体が走る音がする。

 

 カン、カン、カン、と錆びた管の中で何かが跳ねる。搬送ベルトの下に隠れていた素材片が反応し、床の模様が光を帯びていく。

 

 工場の床が、一瞬だけ呼吸した。

 

 地面が膨らむ。

 

 床下の空洞に何かが流れ込む。

 

 ただのコンクリートだったはずの足元が、誰かの手で別の生き物に作り替えられていく。

 

「下だ!」

 

 俺が叫ぶ。

 

「防御を!」

 

 バーゲストが前に出る。

 

「三天――」

 

 織姫の声が続こうとした瞬間、壌竜が短く言った。

 

「待て」

 

 織姫の手が止まる。

 

 昨日なら、そのまま盾を出していたかもしれない。

 

 けれど、今は壌竜の背を見た。彼が前に出るのを見て、手を胸の前で止めた。

 

 壌竜が片足を強く踏みしめる。

 

 低い音が工場の床を走った。

 

 爆ぜかけた青白い光が、彼の足元で押さえ込まれる。床のひび割れが広がり、粉の光が一瞬乱れた。

 

「止まったです!」

 

 デルタが声を上げる。

 

「完全には止まってない」

 

 ムジナが即座に言う。

 

 壌竜の足元から、細いひびがさらに伸びる。彼は膝をつき、掌を床に置いた。コンクリートの奥から、低い振動が返ってくる。

 

「既に地の流れを組み替えているか」

 

 ライザが目を輝かせた。

 

「あ、今ので止めるんだ。すごい! あなた、地面そのものに干渉してる?」

 

 壌竜は顔を上げない。

 

「興味で踏み荒らすには、地は深すぎる」

 

「うん。だから面白い」

 

 ライザは笑った。

 

 青年はその横で、スマホを握り直す。

 

「ライザ」

 

「分かってる。次はちゃんと当てる」

 

「当てるな。勝て」

 

「はいはい、勝つために当てるの」

 

「順番の問題だと言っている」

 

 敵の会話は軽い。

 

 だが、床下で走る光は軽くなかった。

 

 俺のスマホが震える。

 

 今度は伏せる暇もない。

 

 画面に文字が浮かぶ。

 

 ――SEMI FINAL:START

 ――TARGET:RYZA LIN STROUT

 ――RECOMMENDED UNIT:壌竜

 ――BATTLE CONDITION:FIELD ALCHEMY

 

「フィールドアルケミー……戦場そのものを錬金術で変えてくるのか」

 

「面倒な準決勝」

 

 ムジナが言う。

 

「でも、相手が地面を使うなら」

 

 エリスが壌竜の背を見る。

 

「壌竜殿の領分でもあります」

 

 バーゲストが静かに続けた。

 

 織姫は壌竜の背中を見ていた。

 

 さっき出しかけた手は、まだ胸の前で止まっている。盾を出していない。代わりに、壌竜の足元から広がるひびと、押さえ込まれる青白い光を見ている。

 

 守るために前へ出ることだけが、守り方ではない。

 

 そのことを、誰かが言葉にしたわけじゃない。

 

 ただ、壌竜が前に立っている。

 

 それだけだった。

 

「下がれ。地の声が荒れている」

 

 壌竜が言う。

 

「壌竜、任せる」

 

「承った」

 

 彼が立ち上がる。

 

 その足元から、今度はこちらのひびが伸びた。青白い粉の光を押し返すように、鈍い土色の揺らぎが床を走っていく。

 

 ライザはフラスコを構えた。

 

「じゃあ、始めようか。あなたの地面と、私の錬金術。どっちがこの工房を使いこなせるか!」

 

 壌竜がゆっくりと片足を前に出す。

 

 床が軋む。

 

「工房ではない」

 

 彼の声は、工場の奥まで沈んでいった。

 

 ライザが首を傾げる。

 

「え?」

 

「ここは、まだ地だ」

 

 錆びた工場の床が、二つの意思に挟まれて軋んだ。

 

 ライザの錬金術が、廃材を素材へ、床を罠へ、工場を工房へ変えていく。

 

 そのたびに、壌竜の足元から低い振動が返る。

 

 作り替えられた地面を、もう一度、地面へ戻すように。

 

 準決勝は、まだ始まったばかりだった。

 

 けれど、俺には分かった。

 

 今回の戦いは、敵を殴り倒すだけじゃ終わらない。

 

 この場所そのものを、どちらが握るかの戦いになる。

 

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