※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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工房の戦場

 工場が、息をした。

 

 そんな風に見えた。

 

 錆びた床の隙間から青白い光が漏れ、配管の奥で液体が走る音がする。カン、カン、カン、と古い金属の腹を叩くような音が連なり、止まっていたはずの搬送ベルトが、ゆっくりと震え始めた。

 

 廃工場。

 

 そう呼ぶには、ここはもう死んでいない。

 

 誰かの手で組み直され、素材を飲み込み、何かを作ろうとしている。

 

 それは工場ではなく、巨大な生き物の腹の中みたいだった。

 

「うわ、反応いい! やっぱりこの配管、まだ使えるんだ!」

 

 ライザが目を輝かせる。

 

 手には青い液体の入ったフラスコ。足元には色ごとに分けられた粉末と、金属片と、よく分からない植物の繊維。彼女が軽く手首を返すだけで、床の模様が呼応するように光を強めた。

 

 敵マスターの青年が、少し離れた位置でスマホを握っている。

 

「ライザ、説明しながら起動するな」

 

「だって、すごいんだよ? この工場、素材の残り方が面白いんだもん」

 

「準決勝だ」

 

「分かってるって。だから使ってるの」

 

 ライザは笑ったまま、こちらを見た。

 

「じゃあ、まずは廃工場くんに手伝ってもらおうかな!」

 

 その言葉が合図になった。

 

 床下の青白い光が、一気に走る。

 

「来るぞ」

 

 壌竜が短く言った。

 

 次の瞬間、俺たちの足元が爆ぜた。

 

 いや、爆発そのものは壌竜が押さえた。彼が一歩踏みしめた瞬間、床の奥から響いた衝撃が地中へ逃がされる。足裏に鈍い振動が来たが、吹き飛ばされるほどではない。

 

 ただ、完全には止まらない。

 

 床のひび割れから白い煙が噴き出した。

 

 視界が一気に濁る。

 

「煙幕です!」

 

 デルタの声が近くで跳ねる。

 

「匂いも混ざってる。鼻が変です!」

 

「変なのはいつものことじゃない?」

 

 ムジナの声が煙の向こうから聞こえた。

 

「ムジナ、今それ言うです!?」

 

「今だから言うんでしょ」

 

「二人とも、前を見る!」

 

 エリスの声と同時に、煙の中から金属片が飛んできた。

 

 バラバラの廃材が、ただ飛んでいるのではない。細い針のように削られ、青白い光を帯びながら一直線にこちらへ伸びる。エリスが剣を抜き、火花を散らして弾いた。バーゲストが前に出て、盾のように剣を構える。

 

「散開しすぎないでください!」

 

「分かってる!」

 

 エリスが金属片を斬り払う。

 

 その足元で、床がぬめった。

 

「っ!」

 

 エリスの靴裏がわずかに滑る。

 

 同時に、デルタの足首にも半透明の粘液が絡みついた。

 

「ぬるぬるです! 気持ち悪いです!」

 

「粘着液か」

 

 バーゲストが金属片を弾きながら言う。

 

「粘着、煙幕、金属片。連動しているようですね」

 

「うふふー。嫌な組み合わせですねぇ」

 

 ルプスレギナの声が煙の中で軽く響く。だが、彼女も無傷ではない。メイド服の裾に粘液が付着し、足元の動きを奪われかけている。

 

 織姫が手を上げかけた。

 

「三天――」

 

「待て」

 

 壌竜の声が、それを止めた。

 

 織姫の指が空中で止まる。

 

 俺はその横顔を見た。彼女は一瞬だけ俺の方を見て、それから壌竜の背中を見る。昨日なら、もう盾を張っていただろう。

 

 でも今は、待った。

 

 誰かが前に立つのを、見ている。

 

 壌竜は床に掌を置いた。

 

 泥が滲む。

 

 コンクリートの隙間から、黒褐色の泥が這い出すように広がり、粘着液と金属片の間へ割り込む。泥は壁になる。低く、分厚く、重く、廃工場の床に根を張るような壁。

 

「止めたです!」

 

 デルタが足元の粘液を引きちぎろうとする。

 

 だが、次の瞬間、泥の壁の内側から別の粘液が噴き出した。

 

「なっ」

 

 壌竜の眉がわずかに動く。

 

 泥の壁が、内側から絡め取られる。土の流れが、錬金術の粘液に引っ張られていく。壁の上を青白い線が走り、壌竜の作った泥の壁そのものが、別の反応の素材にされかけていた。

 

「えへへ、そこも使えるんだ」

 

 ライザの声が煙の向こうで弾む。

 

「地面に近いものなら、反応するかなって思ったんだけど……うん、するね!」

 

 敵マスターが低く言う。

 

「調子に乗るな。相手は対応してくる」

 

「分かってるよ。だから次を作るの」

 

「だから、説明するな」

 

「全部は言ってないもん」

 

 軽い。

 

 会話だけ聞けば、いつもの調子で実験している少女だ。

 

 けれど、現実には俺たちの足場が削られている。煙で視界を奪い、粘着液で動きを止め、金属片で追い込み、さらに壌竜の泥まで利用する。

 

 好奇心で笑っている。

 

 その好奇心が、容赦なく戦場を組み替えている。

 

「壌竜!」

 

 俺が呼ぶと、壌竜は低く唸るように答えた。

 

「これは地ではない」

 

「え?」

 

「地に似せた偽の流れだ」

 

 床の青白い光が、蜘蛛の巣みたいに広がっていく。

 

 俺にはただの線にしか見えない。だが、壌竜はその下を見ている。配管。床材。素材。粉末。粘液。すべてが流れを持っているように見せかけられている。

 

 本当の地脈ではない。

 

 ライザが作った、地面のふりをした工房の回路。

 

「読ませるための流れか」

 

 俺の口から言葉が落ちた。

 

 ムジナが煙の中からこちらへ視線を寄越す。

 

「偽の地図ってこと?」

 

「たぶん。壌竜に読ませるために、地面っぽく組んである」

 

「性格悪いね」

 

「ライザ本人は、性格悪いと思ってないだろうな」

 

「そこが面倒」

 

 ライザは本当に楽しそうだった。

 

 壌竜が泥を動かせば、それを素材として観察する。こちらが防御すれば、次はその防御がどう反応するかを試す。工場にあるものも、俺たちの能力も、彼女の目には全部“調べる対象”として映っている。

 

 敵マスターの青年が、ライザの後ろでこちらを見ている。

 

 彼はライザほど笑っていない。スマホを握り、工場全体の反応を見ながら、時折短く指示を出す。

 

「ライザ、右の搬送ベルトはまだ使うな」

 

「え、でもあそこ面白そうだよ」

 

「今は温存しろ。壌竜がまだ床下を探っている」

 

「……分かった」

 

 ライザが少しだけ口を尖らせた。

 

 だが、素直にフラスコを持つ手を下げた。

 

 あの青年の言葉には、反応する。

 

 振り回しているように見えて、完全に無視しているわけじゃない。

 

 俺はそれを頭の隅に置いた。

 

 今は、まず戦場だ。

 

「ライザの戦闘方法は、道具を使うことだけじゃない」

 

 俺はスマホを握りながら言った。

 

「この場所を素材にしている。工場そのものを調合の一部にしてるんだ」

 

 壌竜が、床に置いた掌へ力を込める。

 

「現場を素材化する者か」

 

「ああ。だから表面の流れを読むと、ライザが作った偽物を掴まされる」

 

「ならば、さらに下だ」

 

 壌竜が目を閉じた。

 

 床の青白い光が再び強まる。

 

 ライザがその動きに気づき、ぱっと表情を明るくした。

 

「あ、また潜る? じゃあ、こっちも深めに混ぜてみようかな!」

 

「ライザ」

 

 敵マスターが短く呼ぶ。

 

「大丈夫。今度はちゃんと様子を見るって」

 

「様子を見ると言いながら爆発させるな」

 

「爆発は結果であって目的じゃないよ」

 

「その言い方が一番信用できない」

 

 ライザは小瓶を投げた。

 

 床に落ちた瞬間、青白い粉が一気に燃えるように光る。偽の流れが再起動する。今度は細い糸ではなく、太い鎖のように床下を走り、壌竜の手首へ絡みつこうとした。

 

 泥が動く。

 

 だが、壌竜はそれを払わなかった。

 

 動かない。

 

「壌竜!?」

 

 デルタが叫ぶ。

 

 壌竜は答えない。

 

 青白い鎖が彼の腕を包む。床に膝をついた彼の身体が、一瞬だけ沈む。コンクリートが軋み、背中に重い圧がかかったように見えた。

 

 織姫が今度こそ手を上げる。

 

「三天――」

 

「待て」

 

 壌竜の声が、さっきより低く響いた。

 

 織姫は止まった。

 

 けれど、指先は震えていた。盾を出したくてたまらない手だ。それでも、彼女は壌竜の声を聞いた。

 

 壌竜は、動かないまま掌を床に叩きつけた。

 

 鈍い音。

 

 それは工場の音ではなかった。

 

 もっと下。

 

 床材でも、配管でも、錬金術の粉でもない。コンクリートの下に眠っていた本来の地面が、深く喉を鳴らしたような音だった。

 

 青白い鎖が揺らぐ。

 

 壌竜の足元から、鈍い土色の脈動が浮かんだ。

 

 それは派手な光ではない。

 

 むしろ、青白い錬金術の輝きの中では地味に見える。けれど、その鈍い色が走った瞬間、床の模様が一部だけ乱れた。

 

 蜘蛛の巣に、太い根が食い込む。

 

 そんな光景だった。

 

「……掴んだ」

 

 壌竜が呟く。

 

 ライザが目を見開いた。

 

「え、今の……下の層?」

 

 敵マスターの青年が一歩前に出る。

 

「ライザ、下がれ」

 

「待って、今のすごい。表層の反応じゃない。もっと下から――」

 

「下がれ」

 

 その声は、さっきまでより強かった。

 

 ライザの肩が少し跳ねる。

 

 彼女はフラスコを握り直し、一歩だけ下がった。

 

 壌竜が立ち上がる。

 

 腕に絡んでいた青白い鎖が、土色の脈動に押されてほどけていく。床に広がった錬金術の線が、ところどころ寸断される。

 

 デルタの足元の粘液が緩んだ。

 

「動けるです!」

 

 エリスが粘液を斬り払い、前に出る。

 

「やっと足場が戻ったわね」

 

「完全ではありません」

 

 バーゲストが金属片を弾きながら言う。

 

「ですが、流れが変わりました」

 

 壌竜が片足を踏みしめる。

 

 床が隆起した。

 

 泥と砕けたコンクリートが混ざり、土壁が立ち上がる。さっきの泥壁とは違う。表面だけではない。床の下から押し上げられた重さがある。

 

 土壁が粘着液と金属片の連鎖を分断した。

 

 配管から走っていた青い液体の流れが止まる。搬送ベルトの下の素材片が反応しきれず、床の上でぱちぱちと火花だけを散らした。

 

 ライザは驚いた顔をしていた。

 

 けれど、すぐに笑った。

 

「すごい! 錬金術式ごと押し返したんじゃなくて、下から地面を戻したんだ!」

 

「工房に変えた床を、地へ戻しただけだ」

 

 壌竜の声は揺れない。

 

 ライザは腰のポーチから新しい素材瓶を取り出した。

 

「じゃあ、次はもっと深く混ぜるね」

 

「ライザ、無茶はするな」

 

 敵マスターが警告する。

 

「分かってる。壊すんじゃなくて、混ぜるの」

 

「それが危ないと言っている」

 

「でも、あの人相手に浅い調合じゃ意味ないよ」

 

 ライザの目は壌竜を見ていた。

 

 好奇心。

 

 警戒。

 

 戦意。

 

 その全部が、同じ瞳の中で混ざっている。

 

 壌竜は一歩前へ出た。

 

「地の底は浅くない」

 

 床が低く鳴る。

 

 錆びた工場の壁が、その音を受けて震えた。

 

 青白い錬金術の光は、まだ消えていない。土色の脈動も、まだ廃工場全体を取り戻したわけではない。

 

 けれど、さっきまで工房の腹の中に飲まれていた足場が、一部だけ俺たちの下へ戻ってきた。

 

 俺はスマホを見る。

 

 MEDESの文字はまだ冷たいままだ。

 

 ――BATTLE CONDITION:FIELD ALCHEMY

 

 フィールドアルケミー。

 

 戦場そのものを素材にする錬金術。

 

 だが、素材にされる前から、そこには地面がある。

 

 壌竜はそれを掴んだ。

 

 まだ勝ってはいない。

 

 ライザも止まっていない。

 

 むしろ、彼女は今まで以上に目を輝かせている。

 

 けれど、廃工場の床下で、鈍い土色の鼓動が確かに鳴り始めていた。

 

 この場所は、まだ完全な工房じゃない。

 

 ここは、まだ地だ。

 

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