※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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敵の焦り

 土色の柱が、廃工場の床を支えていた。

 

 さっきまで沈みかけていた足場は、壌竜の足元から生えた柱によって、どうにか形を保っている。砕けたコンクリートと湿った土が混ざり合い、錆びた鉄骨を噛むように固定していた。

 

 だが、安心できる床ではない。

 

 靴裏の下では、まだ青白い光が脈を打っている。

 

 ライザの錬金術は止まっていない。むしろ、床の奥で息を潜めながら、次にどこへ伸びるかを探っているみたいだった。

 

「……次は、もっと慎重に混ぜる」

 

 ライザは新しい素材瓶を手に取った。

 

 その声は、さっきより少し低い。壌竜を見ている。けれど、その視線は時々、工場の柱や床下へ向いていた。どこまで混ぜれば崩れるのか。どこまでなら使えるのか。彼女の目は、戦場をただの敵陣としてではなく、壊れる寸前の素材として測っている。

 

 敵マスターの青年は、彼女の後ろでスマホを握り締めていた。

 

 さっきまでこめかみを押さえていた指は、もう動いていない。画面を見て、壌竜を見て、こちらの足場を見て、またライザを見る。

 

 口元が薄く結ばれる。

 

「ライザ。慎重にやる時間はない」

 

 ライザの手が止まった。

 

「でも、今の反応、思ったより深く入ってる。このまま強く混ぜると、工場の基礎が――」

 

「工場の心配をしている場合か」

 

 青年の声が、鉄板を叩いたみたいに響いた。

 

 ライザは振り返る。

 

「心配っていうか、ここが崩れたら私たちも――」

 

「迷うな、ライザ。勝て」

 

 短い命令だった。

 

 けれど、その一言で、ライザの指が素材瓶の首を強く握った。ガラスの中で、青い液体が細かく揺れる。

 

 俺はその手を見た。

 

 さっき、マスターへ光が走った時、ライザは迷わず前に出た。

 

 今は、動かない。

 

 敵を前にして止まったのではない。壊れかけた床と、背後のマスターと、自分の手元の瓶。その三つの間で、一瞬だけ視線が揺れた。

 

「……分かってる。やる」

 

 ライザは前を向いた。

 

 でも、いつものような明るい声ではなかった。

 

 敵マスターは続ける。

 

「お前の好奇心も、躊躇も、今はいらない」

 

 ライザの肩がわずかに上がる。

 

「……好奇心がないと、調合は――」

 

「勝てるなら壊せ。準決勝だぞ」

 

 工場の奥で、配管が鳴った。

 

 それはライザの錬金術が反応した音なのか、それとも古い工場が軋んだ音なのか、すぐには分からなかった。

 

 エリスが剣を握り直す。

 

「嫌な命令ね」

 

 ムジナが低く返す。

 

「うん。手元が曇るやつ」

 

「曇る?」

 

「見たいものを見られなくなる」

 

 ルプスレギナが笑みを浮かべたまま、目だけを細めた。

 

「うふふー。あれは、なかなか雑な扱いですねぇ」

 

「雑ってレベルじゃないです」

 

 デルタの耳が伏せる。

 

「ライザ、嫌な匂いになったです」

 

 壌竜は床に掌を置いたまま、低く告げた。

 

「急いた手は、深くは届かぬ」

 

 ライザが顔を上げる。

 

「届かせるよ」

 

 彼女は素材瓶を三つ同時に投げた。

 

 青、琥珀、黒。

 

 色の違う液体が床で割れ、混ざり合う。先ほどまでの調合は、流れを探り、場所を読み、必要なものを選んでいた。今度は違う。床下へ押し込むように、強引に光が沈んでいく。

 

 甘い薬品の匂いが濃くなった。

 

 鼻の奥が痺れる。

 

 床のひび割れが青白く光り、配管の中で液体が逆流する。薬品棚に残っていた瓶が勝手に震え、割れた棚から液体が垂れた。それが床に触れた瞬間、別の反応が起きる。

 

 連鎖。

 

 その全部が、一斉に壌竜の足元へ流れ込んでいく。

 

「壌竜!」

 

「来るな」

 

 俺が一歩出ようとした瞬間、壌竜が止めた。

 

 彼は片膝をつき、両掌を床へ押し当てる。

 

 土色の柱が震えた。

 

 青白い光がその柱に絡みつく。さっきは床下を流れていた式が、今度は壌竜の作った足場そのものを食い潰そうとしていた。

 

 工場の床が斜めに傾く。

 

 金属片が滑り、古い工具が壁際から落ちる。織姫の前へ向かって、砕けたコンクリート片が飛んだ。

 

 織姫の指が上がる。

 

 けれど、今度は大きな盾ではなかった。

 

「三天結盾」

 

 小さな光が、飛散物の前だけに開く。

 

 破片がそこで止まり、床へ落ちた。

 

 織姫はすぐに手を下ろす。壌竜の土色の脈動は乱れていない。彼女はそれを確認するように、壌竜の背中を見た。

 

 バーゲストが横で剣を構える。

 

「必要な場所だけを守っています」

 

 エリスが短く頷いた。

 

「今のは悪くないわ」

 

「……はい」

 

 織姫は小さく返した。

 

 その声は、煙と薬品の匂いの中でも消えなかった。

 

 壌竜の足元で、泥が盛り上がる。

 

 泥人形が三体、床から這い出した。人の形をしているが、顔はない。腕は長く、足元はまだ地面と繋がっている。壌竜が指を動かすと、泥人形たちはばらばらの方向へ走り出した。

 

 一体は配管へ。

 

 一体は薬品棚へ。

 

 一体は床に広がる青白い線へ。

 

「泥人形……!」

 

 ライザの目が一瞬輝きかける。

 

 だが、背後から声が飛んだ。

 

「見るな。潰せ」

 

 ライザの顔が、途中で止まる。

 

 彼女の視線は泥人形に向いたまま、瓶を握る手だけが動いた。

 

「……分かってる」

 

 黒い液体が床へ落ちる。

 

 泥人形の足元で青白い光が弾け、一体が粘液に飲まれた。もう一体は金属片の射出に貫かれ、崩れる。だが、最後の一体が床の線へ手を突っ込んだ。

 

 その瞬間、壌竜の目が細くなる。

 

「見えた」

 

 床下で、土色の脈動が走った。

 

 ライザの調合式は強い。

 

 だが、さっきまでの滑らかな流れではない。青白い線の一部が濁り、別の線とぶつかって歪んでいる。ライザの視線が何度も工場の基礎へ向き、それをマスターの声が遮るたび、式の流れが荒くなる。

 

 俺にも分かった。

 

 完璧な罠じゃない。

 

 今のライザは、見えているのに、見ないようにさせられている。

 

「今、ライザの手が止まった」

 

 俺は呟いた。

 

 ムジナが隣で低く言う。

 

「止まったね」

 

「あの命令で、調合の流れが乱れた」

 

「命令って便利だけど、雑に使うと変な線が入る」

 

 エリスが奥歯を噛む音がした。

 

「……ほんと、嫌な感じ」

 

 ライザのマスターは、こちらの揺らぎに気づいていない。

 

 彼はライザの背へ言葉を投げ続ける。

 

「押し切れ。壌竜が足場を固める前に潰せ」

 

「でも、これ以上入れると地下水が反応して――」

 

「関係ない」

 

「関係あるよ。そこが暴れたら、こっちの足場も――」

 

「お前の躊躇はいらないと言った」

 

 ライザの唇が閉じる。

 

 次に彼女が投げた瓶は、少しだけ軌道が荒かった。

 

 壌竜はそれを見ていた。

 

「その濁り、地が覚えた」

 

 彼が床を叩く。

 

 低い地鳴りが走った。

 

 ただの衝撃ではない。工場の下に潜っていた土色の脈動が、青白い式の濁った部分へ食い込む。泥人形が残した指跡を辿るように、壌竜の力が錬金術式の根へ伸びていった。

 

 青白い光が跳ねる。

 

 床が大きく揺れた。

 

「デルタ、跳ぶな!」

 

 エリスが叫ぶ。

 

「跳ばないです! ちょっと浮いただけです!」

 

「それを跳ぶって言うのよ!」

 

 デルタが爪で床を掴み、バーゲストが剣を床へ突き立てて体勢を保つ。ルプスレギナはメイド服の裾を押さえながら、しかし笑っていた。

 

「うふふー。地面がダンスしてますねぇ」

 

「笑う場面じゃない!」

 

 エリスが吠える。

 

「余裕は大事ですよぉ?」

 

「余裕の方向が違うわ!」

 

 織姫の小さな盾が、頭上から落ちる破片だけを止める。

 

 壌竜の背中は動かない。

 

 大地に根を張った岩のように、彼は揺れる床の中心にいた。

 

 ライザは目を見開く。

 

「式の根に触ってる……? でも、そこはもう混ぜて――」

 

「混ぜたつもりの地に、まだ届いていない」

 

 壌竜がゆっくり立ち上がった。

 

 足元から土色の柱がさらに隆起する。今度は支えるだけではない。柱は床下を押し上げ、青白い式の流れを断ち切る位置へ食い込んでいく。

 

 工場の床が、ばきりと鳴った。

 

 ライザのマスターが叫ぶ。

 

「ライザ、出力を上げろ!」

 

「待って、今上げたら――」

 

「勝て!」

 

 ライザの手が、素材瓶の上で止まる。

 

 その一瞬だけ、工場の音が遠くなった。

 

 青白い光。

 

 土色の脈動。

 

 錆びた柱。

 

 割れかけた床。

 

 マスターの声。

 

 ライザの横顔。

 

 全部が、ひとつの線の上に並ぶ。

 

 俺は、その線を見た。

 

 ライザは迷ったんじゃない。

 

 見ていた。

 

 壊れた後のことを。

 

「壌竜!」

 

「ああ」

 

 壌竜が掌を開く。

 

 地鳴りが、今度は拘束の形を取った。

 

 青白い式の流れが、一瞬だけ鈍る。床下で走っていた錬金術の連鎖が、土色の脈動に絡め取られた。完全に止まったわけじゃない。だが、勢いが死んだ。

 

 その隙に、夢主陣営の足場が押し上げられる。

 

 沈んでいた床が戻る。

 

 エリスが前へ出る。

 

 バーゲストが横に並ぶ。

 

 デルタが粘液を振り払い、低く唸る。

 

 織姫は盾を消し、両手を下ろしたまま、壌竜の背中を見る。

 

 ライザのマスターは奥歯を噛んだ。

 

 音が聞こえた気がした。

 

「……まだだ。ライザ、次で押し切る」

 

 ライザは返事をしなかった。

 

 彼女は床を見ている。

 

 壌竜が食い込ませた土色の脈動を、割れた基礎を、まだ反応を続ける地下水を、順番に見ている。

 

 その手に握られた瓶は、まだ投げられていない。

 

 壌竜が低く言った。

 

「足元を失う者に、勝利は立てぬ」

 

 廃工場の床下で、青白い光と土色の脈動が押し合う。

 

 勝敗はまだ決まっていない。

 

 けれど、さっきまで俺たちを飲み込んでいた工房の腹に、ひびが入った。

 

 俺はスマホを握る。

 

 まだMEDESの問いは表示されていない。

 

 それでも、答えの欠片は増えている。

 

 ライザの戦い方。

 

 ライザの手が止まる理由。

 

 そして、彼女を急かすマスターの声。

 

 準決勝は、まだ続く。

 

 けれど、次に見るべきものははっきりした。

 

 ライザが何を混ぜるのか。

 

 そして、何を混ぜたくないのか。

 

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