火花の向こうで、デルタの爪と東郷美森の短銃が弾けた。
甲高い金属音が、夕暮れの街へ突き刺さる。
銃口はデルタの頬を逸れ、放たれた弾丸が背後の校舎へ吸い込まれた。コンクリートが砕け、白い粉塵が窓から噴き出す。
デルタの爪は、美森の肩を捉える寸前だった。
けれど、美森は身体を沈めた。
短銃を握ったまま、デルタの懐へ潜る。
「近づけば有利――そう思われましたね」
声は穏やかだった。
次の瞬間、デルタの腹へ膝が入る。
「ぐっ……!」
身体が浮いた。
美森はデルタを蹴り飛ばすと、空いた左手へ散弾銃を出現させた。
「デルタ、横へ!」
俺が叫ぶ。
だが、空中では踏ん張れない。
銃声。
爆発したような衝撃が、デルタの身体を後方へ吹き飛ばした。
黒い服が裂ける。
赤い飛沫が、沈みかけた夕日の中へ散った。
デルタは道路を何度も転がり、倒れた街灯へ背中からぶつかった。金属の柱が大きくしなり、根元のアスファルトに亀裂が走る。
「デルタ!」
「平気です!」
即答だった。
ただし、立ち上がるまでに一拍遅れた。
左腕から血が滴っている。腹部の服も裂け、その下に細かな傷が無数に走っていた。
デルタは牙を剥いて笑う。
「今の、痛かったです!」
「褒めている場合か!」
「強い相手は痛いです!」
それを喜んでいるように言う。
だが、左脚へ重心を移した瞬間、膝が揺れた。
美森は追撃しない。
散弾銃を下げ、距離を測っている。
優しさではない。
デルタが飛び込んでくるなら、その瞬間を撃つためだ。
「接近しても駄目です」
ライザが透明な壁越しに戦場を見つめる。
「デルタの方が速いのに?」
織姫が訊く。
「速いから読まれてる」
ライザの指が、道路に残った弾痕を辿った。
「美森はデルタを狙ってるんじゃない。次に踏む場所を撃って、逃げ道を一つずつ消してる。デルタが一番速く走れる道だけ残して、その先に散弾銃を置いてるんだよ」
道路には無数の穴が開いていた。
ばらばらに見えた弾痕は、上から見れば一本の細い道になっている。
デルタが選んだ道ではない。
美森が作った道だ。
「直線的な戦い方が、完全に利用されています」
バーゲストの声が低い。
「分かってる」
分かっているのに、俺の指示が届かない。
デルタは目の前の敵へ走る。
迷わず、真っすぐ、力の限り。
それがデルタの強さだ。
そして今は、その強さそのものが鎖になっている。
美森が一歩下がった。
散弾銃を消し、背後へ狙撃銃を呼び出す。
切り替えに迷いがない。
デルタとの間に距離が生まれた瞬間には、もう銃床を肩へ当てていた。
「来るぞ!」
「分かってるです!」
銃声。
デルタが地面を蹴る。
弾丸が足元を抉った。
二発目。
デルタは壁へ跳ぶ。
弾丸が外壁へ突き刺さり、逃げ道を塞ぐ。
三発目は撃たれなかった。
代わりに美森は銃口を下げる。
「撃たない?」
エリスが眉を寄せた。
「違う」
ムジナが呟く。
「待ってる」
デルタは壁を蹴り、美森へ飛んだ。
美森の指が引き金へ掛かる。
狙っているのは、飛び出したデルタではない。
着地点だ。
「止まれ、デルタ!」
俺の声へ、デルタの耳が動いた。
空中で身体を丸める。
着地するはずだった場所へ弾丸が突き刺さった。
辛うじて射線を外す。
だが、無理に姿勢を変えたせいで着地が崩れた。
片膝をつく。
その一瞬で、美森は狙撃銃を手放していた。
散弾銃。
轟音。
デルタの身体が再び跳ねる。
両腕で顔は守った。
けれど肩と胸、脚へ散弾が食い込む。
「くうっ……!」
デルタは倒れず、美森へ腕を伸ばした。
届かない。
爪の先が、美森の髪を僅かに揺らしただけだった。
「あなたの爪は強い」
美森は散弾銃を捨てる。
右手には短銃。
既に銃口がデルタの胸へ向いていた。
「ですから、届かせません」
連続する銃声。
一発目が肩。
二発目が脇腹。
三発目が右脚。
急所を外しながら、確実に動きを奪っていく。
デルタが後ろへよろめく。
美森はさらに二歩下がった。
届かない距離を保つ。
その顔に笑みはない。
少年マスターの方も見ない。
ただ、デルタが次にどう動くかだけを見ている。
「東郷さん!」
向こう側から、少年が声を上げた。
「もう、いいよ! そんなに撃たなくても――」
「下がっていてください」
美森は振り返らない。
「でも、あの子はもう……」
「まだ立っています」
デルタの両脚は震えていた。
呼吸も荒い。
血が道路へ落ち、一歩進むたびに黒い点が増えていく。
それでも、倒れていない。
「デルタは、まだやるです」
牙を剥く。
その口元にも血が滲んでいた。
「最強になるですから」
美森の目が細くなる。
「ならば、倒れるまでお相手します」
「東郷さん!」
「この方を侮る方が、失礼です」
少年の声が止まる。
美森は短銃を構えたまま、静かに続けた。
「私たちと同じです。帰りたい方がいて、守りたいものがある」
夕日が沈む。
街の赤が、少しずつ黒へ変わる。
「ですから、譲ってはくださらない」
短銃の撃鉄が起きる。
「私も、譲れません」
少年はスマホを胸へ押し当てた。
小太りな身体が震えている。
それでも目を逸らさなかった。
俺も同じだった。
目を逸らせない。
デルタが撃たれるたび、指先が冷たくなる。
透明な壁を壊して飛び込みたかった。
織姫に盾を張らせたかった。
バーゲストを前へ出したかった。
だが、MEDESの表示は変わらない。
――INTERFERENCE:PROHIBITED
これはデルタの戦いだ。
俺にできるのは、画面越しに指示を出すことだけ。
任せる。
これまで何度もそう言った。
デルタなら勝てると信じて。
けれど、本当に任せていたのか。
ただ、戦う痛みを彼女へ預けていただけではないのか。
俺は透明な壁へ掌をついた。
冷たい。
デルタは再び走り出す。
右脚を引きずりながら、それでも速い。
美森が狙撃銃を構える。
一発。
デルタが避ける。
二発。
肩を掠める。
三発。
右脚へ命中する。
デルタの身体が崩れた。
膝が道路へ落ちる。
爪がアスファルトを引っ掻いた。
美森は散弾銃へ持ち替える。
照準は、倒れたデルタの胸。
「終わらせます」
少年が息を呑む。
俺の中で、何かが切れた。
「勝て、じゃない」
声が漏れた。
美森の指が引き金へ掛かる。
「デルタ!」
俺は壁を叩いた。
「生きろ!」
銃声は鳴らなかった。
美森の指が、ほんの僅かに止まる。
デルタの耳が動いた。
「俺は死にたくない!」
喉が裂けるほど叫ぶ。
「お前も、みんなも失いたくない!」
今まで、言えなかった。
マスターなら冷静でいなければならない。
誰かを守るなら、自分の恐怖を見せてはいけない。
そうやって、スマホを握る手の震えを隠してきた。
けれど、もう隠す余裕なんてなかった。
「帰りたいんだ!」
透明な壁へ額を押しつける。
「全員で、このゲームの外へ!」
デルタが顔を上げた。
血で濡れた黒髪の隙間から、紫の瞳がこちらを向く。
「仮……ボス?」
「聞こえるなら応えてくれ!」
スマホを握る。
掌へ縁が食い込む。
痛みがある。
その痛みさえ、今は必要だった。
「最初の相棒――デルタ!」
スマホの画面が黒く染まった。
一瞬、故障したのかと思った。
次の瞬間、黒の中へ紫の線が走る。
――CONTRACT RESONANCE:DETECTED
「何?」
ライザが画面へ顔を近づける。
紫の線が俺の指へ絡みついた。
冷たくない。
熱い。
血管へ直接火を流し込まれたような熱が、腕から胸へ駆け上がる。
息が止まる。
けれど、手は離さなかった。
画面の奥から、もう一つの鼓動が返ってくる。
速い。
荒い。
獣が檻の中から爪を立てているような鼓動。
デルタだ。
「仮ボスの声……」
デルタの傷口から、黒紫の光が漏れた。
最初は細い煙だった。
肩。
脇腹。
右脚。
銃弾に穿たれた場所から立ち上り、彼女の身体へ絡みついていく。
「強い匂いがするです」
デルタの爪が、道路へ深く食い込んだ。
アスファルトが割れる。
美森が一歩下がった。
散弾銃を構え直す。
「東郷さん、あれは……」
「分かりません」
初めて、美森の声に僅かな硬さが混じった。
「ですが、止めます」
引き金が引かれる。
散弾がデルタへ殺到する。
黒紫の魔力が膨れ上がった。
弾丸が飲み込まれる。
いくつかはデルタの身体へ届いた。
だが、血は飛ばない。
魔力が獣の毛皮のような外殻となり、銃弾を食い止めている。
黒い耳が逆立つ。
尻尾が二回りほど大きく膨らみ、先端から紫の火花が散った。
両腕を覆う魔力が、巨大な爪の形へ伸びる。
脚には獣の骨格を模した黒い装甲が形成され、踏み込むだけで地面が沈んだ。
「デルタの身体が……」
織姫が息を呑む。
「違う」
ライザが画面とデルタを交互に見る。
「変わってるのは身体だけじゃない。契約そのものが、形を作ってる」
スマホの文字が激しく乱れる。
――CONTRACT RESONANCE:OVERLIMIT
――UNIT EVOLUTION:UNREGISTERED
――DATA ACQUISITION:EXECUTING
「収集してる」
ライザの声が低くなる。
「MEDESが、この変化を記録してる」
その言葉に、背中が冷えた。
だが今は、画面から目を逸らせない。
デルタが立ち上がる。
背丈が大きくなったわけではない。
それなのに、戦場全体が狭くなったように見えた。
黒紫の魔力が身体の周囲で渦を巻き、狼の頭部を思わせる輪郭を作っている。
口元から覗く牙は長く鋭い。
紫の瞳の中で、縦に細い光が燃えていた。
美森が狙撃銃を呼び出す。
「姿が変わったところで、射程は変わりません」
即座に発砲。
魔神デルタは避けなかった。
弾丸が肩の外殻へ突き刺さる。
黒紫の装甲へ亀裂が走った。
その亀裂から、さらに強い魔力が噴き出した。
「当たったのに……」
少年が声を震わせる。
「強くなっている?」
美森は答えない。
二発目。
胸へ命中。
三発目。
左脚へ命中。
魔神デルタの身体が僅かに揺れる。
それでも前へ進む。
一歩ごとに、道路が砕ける。
「避けろ、デルタ!」
「嫌です!」
「嫌って――」
「もう、弾に道を決めさせないです!」
魔神デルタが地面を蹴った。
衝撃波が道路を走る。
姿が消えた。
次に見えた時には、美森との距離が半分まで縮んでいた。
「速い!」
美森が狙撃銃を捨て、散弾銃を構える。
発砲。
魔神デルタは腕を前へ出した。
黒紫の爪が散弾を弾く。
火花が夜の入り口へ散る。
「近づかせません!」
美森が二発目を放つ。
魔神デルタの肩が抉れる。
外殻の破片が舞う。
だが、その破片は地面へ落ちる前に魔力へ変わり、デルタの背中へ吸い戻された。
「仮ボスが生きるなら!」
デルタが吠える。
三発目。
胸へ食い込む。
足は止まらない。
「デルタも生きるです!」
美森は散弾銃を捨てる。
短銃を両手に一挺ずつ。
左右から連射。
黒紫の外殻へ弾痕が増えていく。
そのたびにデルタの速度が上がる。
十メートル。
五メートル。
三メートル。
「デルタは一人で最強になるんじゃないです!」
美森が最後の弾丸を撃つ。
魔神デルタが首を傾ける。
弾丸が頬の外殻を削った。
「仮ボスと!」
爪が短銃を弾く。
「みんなと!」
もう一方の短銃へ拳を叩きつける。
銃身が折れ曲がった。
「最強になるです!」
魔神デルタの爪が、美森の喉元で止まる。
美森の残った短銃も、デルタの胸へ押し当てられていた。
互いに、あと一歩。
動けば届く。
美森の額から、一筋の汗が落ちる。
それでも視線は逸らさない。
「姿が変わっただけではありませんね」
呼吸を整えながら言う。
「あなたを前へ進ませる意志まで、強くなっている」
「仮ボスは強いです」
「マスターの力を、ご自身の力だと?」
「違うです」
デルタは牙を見せた。
「デルタの力も、仮ボスの力です」
美森の瞳が僅かに揺れる。
向こう側で、少年がスマホを握り締めていた。
唇が動く。
何かを言おうとしている。
けれど、まだ声にはならない。
俺のスマホが震えた。
――UNIT EVOLUTION:ACQUIRED
――NAME:DEMON DELTA
――FINALIZATION DATA:UPDATED
更新。
その文字を見た瞬間、喜びより先に嫌な冷たさが走った。
MEDESは見ている。
デルタが変わった理由も。
俺が生きたいと叫んだことも。
そのすべてを、完成のための情報として取り込んでいる。
「ライザ」
「分かってる」
彼女はもう紙へ記録を始めていた。
しかし、目は画面だけを見ていない。
魔神デルタを見る。
俺を見る。
契約の光を見る。
「この進化は、最終処理に使われる」
「止める方法は?」
「今はまだ分からない」
「なら、調べろ」
「うん」
短い返事だった。
命令を待つ声ではない。
自分で選んだ仕事へ向かう声だ。
戦場では、魔神デルタと美森が同時に後ろへ跳んだ。
距離が開く。
美森は壊れた短銃を捨て、狙撃銃を呼び戻す。
魔神デルタは両爪を地面へ触れさせ、獣のように低く構えた。
前半の優劣は消えていた。
美森の射線が支配していた道路は、今や魔神デルタの魔力でひび割れている。
銃口と紫の瞳が、暗くなった街の中で向かい合う。
「デルタ」
「はいです」
「無茶をするな」
「無茶じゃないです」
「傷を力に変えてるんだろ。長くは続かない」
デルタの耳が動く。
どうして分かったのか、と言いたげだった。
黒紫の外殻の下では、今も血が流れている。
強くなったのではない。
傷ついたまま、止まらなくなっただけだ。
「勝つために死ぬな」
俺は言った。
「生きて帰るために勝て」
魔神デルタの尻尾が、大きく揺れた。
「了解です、仮ボス」
美森が狙撃銃を構える。
「第二射、参ります」
「今度はデルタの番です!」
二人が同時に地面を蹴る。
銃声と咆哮が、夜へ変わる廃校都市を震わせた。
決勝戦の最初の勝負は、ようやく本当の始まりを迎えていた。