冷たくない。
温かくもない。
まるで、人が触れることを想定していない材質だった。
押す。
重い音を立て、扉が内側へ開いた。
青白い光が漏れる。
管理人室は、想像していたより広かった。
円形の空間。
壁一面に無数の画面が並び、これまでの参加者、戦闘、契約、回答が表示されている。
数値。
波形。
適合率。
進化可能性。
信頼。
依存。
恐怖。
感情まで、色分けされた線として画面を流れていた。
「私たちを数字にしてる」
織姫が息を詰める。
「予想どおりですね」
バーゲストの声が低くなる。
部屋の中央には、一脚の椅子があった。
背もたれの高い黒い椅子。
誰も座っていない。
その周囲の床には薄く埃が積もっているのに、椅子の座面だけは綺麗だった。
つい先ほどまで人がいたようにも見える。
けれど、デルタは首を横に振った。
「いないです」
「隠れているのか?」
「人はいないです。でも、匂いは椅子からするです」
ライザが椅子へ近づこうとする。
その前に、部屋中の画面が一斉に黒くなった。
青白い光が消える。
次の瞬間、すべての画面へ同じ目の記号が表示された。
『ようこそ』
声が響く。
男とも女とも分からない。
若くも、老いても聞こえる。
スピーカーから出ているのではない。床も壁も天井も、部屋全体が声帯になったように振動していた。
『MEDES、最終優勝者の皆様』
デルタが俺の前へ出ようとする。
足元が揺れ、織姫に肩を支えられた。
それでも牙を見せる。
「出てくるです」
『申し訳ありませんが、現在の私には、皆様と同じ形で姿を現すことができません』
「生きてない匂いの人です?」
一瞬、声が途切れた。
『興味深い表現です。デルタ。やはり、あなたの感覚能力は記録以上に優れている』
「名前を呼ぶな」
俺の声が、思ったより低く出た。
すべての画面の目が、こちらを向いたように見えた。
『失礼しました。ですが、私は皆様をよく存じています』
「だろうな」
壁の記録を見る。
「勝手に調べて、勝手に戦わせて、勝手に数字へ変えた」
『敵意は理解しています』
「理解?」
エリスが剣を抜く。
「便利な言葉ね。分かったふりをすれば、何をしても許されると思ってる?」
『許しを求めているわけではありません』
「なお悪いわ」
ルプスレギナが笑う。
「正直な方ですねぇ。壊し甲斐があります」
『私を破壊すれば、最終処理を停止できなくなる可能性があります』
ルプスレギナの笑みが止まる。
管理人は脅したのではない。
事実を置いただけの声だった。
だからこそ、部屋の温度が一段下がったように感じた。
「最終処理とは何だ」
俺が尋ねる。
『その回答は、あなたの質問権を消費します』
「質問権?」
『優勝者へ、一つだけ質問への回答を許可しています』
「一つだけです?」
デルタの耳が立つ。
「仮ボスはいっぱい聞くって言ってたです」
「俺もそのつもりだった」
『全てへ答える義務はありません』
「俺たちには戦う義務を押しつけたのにな」
『その点について問われますか?』
画面に数字が現れる。
――QUESTION:1
その下に、入力欄。
「待って」
ライザが俺の袖を掴む。
「聞き方を考えた方がいい。相手は質問の範囲を狭く解釈するかもしれない」
「消えたマスターの行き先」
織姫が言う。
「それも聞かないと」
「最終処理の内容もです」
バーゲストが続く。
「管理人の正体も必要ね」
エリスが剣先を画面へ向ける。
「MEDESと管理人が別なら、誰が本当の敵か分からない」
「全部聞くです」
デルタが言う。
「だから一つしか答えないって言ってるでしょ」
「一つに全部入れるです」
「そんな簡単に――」
言いかけたエリスが、口を閉じた。
全員が俺を見る。
何を聞くべきか。
消えた者の現在。
最終処理。
管理人の正体。
計画の全容。
どれも外せない。
けれど、それらは全て一つの場所から始まっている。
このゲームが作られた理由。
最初の一歩を聞けば、その先へ繋がる。
俺は中央の空席を見る。
人がいた形跡だけを残し、今は誰も座っていない椅子。
その背後の画面には、魔神デルタの進化データが表示されていた。
――SUCCESSFUL EVOLUTION
――EMOTIONAL RESONANCE:OPTIMAL
――MASTER-SLAVE BOUNDARY:COLLAPSED
「境界が崩壊、だと?」
俺が読むと、管理人は答えなかった。
質問権を使わせたいのだろう。
ならば使う。
ただし、向こうの望む形ではない。
俺はスマホを胸の高さへ上げた。
「質問は一つでいい」
ライザが俺を見る。
「何を聞くの?」
指を入力欄へ置く。
消えていったマスターたち。
戦い抜いた契約体たち。
自分で選ぶことを取り戻したライザ。
守られることを受け入れた織姫。
最強を目指しながら、最後の一撃を外したデルタ。
このゲームがなければ出会わなかった。
けれど、出会いを感謝するために犠牲を肯定する気はない。
「なぜだ」
入力欄へ文字が現れる。
「なぜ、俺たちを戦わせた」
画面が瞬いた。
部屋中の目の記号が消える。
管理人はすぐに答えなかった。
代わりに、全画面へ同じ文字が一斉に表示される。
――PROJECT MEDES
次の行。
――PHASE ONE:COMPLETE
そして。
――PHASE TWO:READY
「フェーズ、ツー……」
ライザが呟く。
「これまでが第一段階?」
『そのとおりです』
管理人の声が、空席の背後から響いた。
『皆様を戦わせた理由は――』
部屋が揺れた。
画面の奥で、無数の世界が映し出される。
見知らぬ街。
異形の怪物。
燃える空。
崩れ落ちる塔。
その全ての中心に、人の形をした黒い影が立っていた。