――FINALIZATION PROCESS:RESUMING
白い文字が浮かんだ途端、管理室の床を低い振動が走った。
足元ではない。
もっと深い場所。
この部屋を支えている何かが、眠りから覚めていくような音だった。
「止めろ」
俺は空席へ向けて言った。
声が壁へぶつかり、無数の画面の間を巡る。
「質問には答えたはずだ。次のゲームに生き残れる存在を作るため――それが理由です」
「理由の形をした言い訳だろ」
中央の黒い椅子は動かない。
けれど、壁に並ぶ目の記号が一斉に細くなったように見えた。
『どの部分を言い訳とお考えですか』
「全部だ」
スマホを握る。
画面の振動が掌へ食い込んでくる。
「誰かを生き残らせるために、関係のない人間を殺し合わせた。お前が言ってるのはそれだけだ」
『正確ではありません』
管理人の声は変わらない。
怒りも。
焦りも。
こちらを宥めようとする柔らかさすらない。
『私は、殺し合いそのものを目的としていません』
「結果として人が消えてるでしょ!」
織姫の声が、管理室を切り裂いた。
両手を胸元で握り、画面の一つを見上げている。
そこには敗北したマスターの姿が映っていた。
黒いノイズへ包まれる直前で、映像が止まっている。
「目的じゃなければ、何をしてもいいんですか」
『いいえ』
「だったら――」
『しかし、必要でした』
画面が切り替わる。
無数の戦場。
異なる世界から召喚された契約体。
剣。
魔法。
怪獣。
大地。
盾。
錬金術。
それぞれの力が、一つの画面の中で重なっていく。
『平穏な環境では、生命は自ら定めた限界を越えません』
契約体たちの身体へ、数字と線が重ねられる。
魔力値。
筋力。
反応速度。
精神負荷。
契約共鳴率。
文字列が、生きている人間の輪郭へ冷たく貼りついていく。
『訓練では足りない。模擬戦でも足りない。敗北後の生存が保証されている環境では、観測できる変化に限界がある』
「だから命を奪ったのか」
『命を奪うためではありません』
「言い換えるな」
エリスが剣先を床へ叩きつけた。
乾いた金属音が鳴る。
「逃げ道を消したんでしょ。死にたくなければ戦えって」
『はい』
あまりにも早い肯定だった。
エリスの剣を握る手が止まる。
『逃げ道があれば、生命はそれを選びます。それは正しい。自然な判断です』
管理人室に映る戦場が、次々に分割されていく。
『ですが、既存の法則を越える変化は、正しい判断の外側で生じる』
デルタが美森の銃弾を受ける。
織姫がすべてを守ろうとして膝をつく。
ライザが前のマスターから命じられ、錬金術の流れを乱す。
過去の光景が音もなく映し出される。
『死を目前にした肉体』
デルタの傷口から血が散る。
『喪失を恐れる精神』
俺の手が透明な壁を叩く。
『それでも他者を求める意志』
織姫が小さな盾を選ぶ。
『互いに異なる世界法則を持つ力が、契約を通じて一つの目的へ向かう時――』
映像の中で、黒紫の光が爆発した。
魔神デルタ。
彼女が立ち上がる瞬間だった。
床が低く震える。
映像には音がないはずなのに、あの時の咆哮が耳の奥へ蘇った。
「勝手に流すなです」
デルタが画面へ牙を剥く。
織姫に治療された傷はまだ残っている。
足元も僅かに揺れていた。
それでも、俺の前へ出ようとする。
「デルタ、無理をするな」
「無理じゃないです」
「傷が開く」
「でも、あれはデルタです」
壁の中では、魔神デルタが銃弾を正面から受け止めていた。
黒紫の外殻。
巨大な爪。
獣のような脚。
俺が見た姿と同じはずなのに、画面の中では違って見える。
名前も。
声も。
あの時交わした約束もなく、ただのデータとして映っている。
『これが、私の求めていた可能性の一つです』
管理人の言葉に合わせ、画面へ新しい表示が現れた。
――SUBJECT:DELTA
――EVOLUTION TYPE:RELATIONAL
――TRIGGER:SURVIVAL RESONANCE
――RESULT:DEMON DELTA
「サブジェクト……」
ライザが低く呟く。
「実験対象ってこと?」
『観測対象です』
「同じでしょ」
彼女は抱えていた紙束をテーブル代わりの端末へ置いた。
鉛筆を握る。
けれど、記録を始めない。
「魔神デルタは、通常の個体進化じゃない」
『そのとおりです』
管理人の声に、初めて僅かな熱が混じった。
温度のない声が、ほんの一瞬だけ前のめりになる。
『デルタ単独の魔力では、あの形態へ安定して到達できなかった』
「安定してないです」
デルタが言う。
「すごく痛かったです」
『肉体負荷は大きい。しかし、従来想定されていた暴走型の変化とは異なり、自我と目的意識を維持していた』
映像が拡大される。
魔神デルタの瞳。
縦に細い紫の光。
その中へ、俺の心拍数や発声記録が重ねられる。
――MASTER STATEMENT:I WANT TO LIVE
――CONTRACT RESPONSE:SYNCHRONIZED
――BOUNDARY STATUS:COLLAPSED
「消せ」
声が出た。
『何をでしょう』
「俺の言葉を、そんなふうに表示するな」
あれは記録のために叫んだんじゃない。
観測されるためでもない。
デルタに生きてほしかった。
俺も生きたかった。
みんなで帰りたかった。
それだけだ。
『事実を表示しているだけです』
「事実を切り刻むな」
胸の中にあったものを、表示項目へ分けられている。
生きたい。
失いたくない。
帰りたい。
それらが数値と分類名へ置き換えられ、何度でも再生できる材料にされている。
デルタの尻尾が、俺の脚へ触れた。
巻きつくわけではない。
ただ、そこにある。
「仮ボス」
「ああ」
「デルタは、デルタです」
画面を睨んだまま言う。
「魔神でも、実験でもないです」
「分かってる」
「最強になるために強くなったです」
「そうだな」
「仮ボスと帰るためです」
管理室の光が、デルタの横顔を青白く染める。
それでも紫の瞳は、画面の数字に負けていなかった。
『その意志こそが、重要なのです』
「黙れ」
俺は一歩前へ出る。
「デルタの言葉を、お前の理屈に使うな」
『私は利用しているのではありません。評価しているのです』
「同じことだ」
『違います』
画面が切り替わる。
今度はデルタだけではない。
織姫。
ライザ。
壌竜。
エリス。
バーゲスト。
ムジナ。
ルプスレギナ。
それぞれの戦闘と選択が、小さな画面へ分けて表示された。
『盾を張る範囲を自ら選択した井上織姫』
織姫の肩が動く。
『命令を待たず、未知の解析を望んだライザリン・シュタウト』
ライザの鉛筆が紙へ触れる。
だが、文字にはならない。
『地を素材ではなく、対話する存在として扱い、異質な錬金術との共同作業を成立させた壌竜』
壌竜は画面を見上げる。
「地は、観測のために語ったのではない」
『理解しています』
「理解していない」
壌竜の声が、床下の振動より深く響いた。
「地に残るものを数えても、地の声を聞いたことにはならぬ」
管理人は答えなかった。
代わりに、画面上の線が伸びていく。
契約体から俺へ。
俺から契約体へ。
相互に行き来する光。
『力だけではない』
管理人の声が部屋全体へ広がる。
『恐怖。信頼。執着。保護。喪失。生存への意志』
線が交差する。
『それらは本来、数値化できないとされていた』
「だったら、しなければよかったのに」
ムジナが壁へ寄りかかったまま言う。
「数えられないものを無理に数えて、分かった気になってるだけでしょ」
『数値化は理解のためではありません』
「じゃあ何のため?」
『再現のためです』
空気が変わった。
ライザの鉛筆が、紙の上へ一本の線を引く。
「再現……」
彼女が顔を上げた。
「何を?」
答えは分かっていた。
それでも、聞かずにはいられなかったのだろう。
管理室の中央。
空席の背後に、魔神デルタの立体映像が浮かび上がる。
黒紫の身体が、縦横に走る光の線で分解されていく。
爪。
外殻。
脚力。
傷を魔力へ変える構造。
契約共鳴。
夢主の生存意志。
一つだった姿が、部品へ切り分けられる。
デルタの喉から低い唸り声が漏れた。
『魔神デルタを』
「やめろ」
『より正確には、その進化現象を』
「やめろと言ってる!」
スマホを掲げる。
画面の奥から熱が返ってきた。
デルタとの契約回路が反応している。
壁の映像から何かが引き抜かれるたび、胸の奥に細い針を刺されるような感覚が走った。
「これ……」
ライザが自分の端末を確認する。
「記録を映してるだけじゃない。今も契約からデータを抜いてる!」
「止められるか?」
「やってる!」
ライザが器具をスマホへ接続する。
三つのガラス球が激しく明滅した。
『無駄です』
「そういうのは、やってから言って!」
ライザは画面を睨みつける。
「観測系と契約系は別って分かってる。横から入ってるなら、横から塞げる!」
『優れた判断です。以前のあなたには見られなかった』
ライザの手が止まりかける。
すぐ、器具を強く押し込んだ。
「前の私を知ったように言わないで」
『全戦闘記録を保有しています』
「それでも知らないよ」
歯を食いしばる。
「私が何を作りたいかは、私が決める」
ガラス球の一つが割れた。
鋭い音。
光が散る。
それでも残り二つを両手で支え、解析を続ける。
画面上の魔神デルタへ、ひびのようなノイズが走った。
『興味深い』
「その言葉、嫌いになりそう」
ライザの額を汗が伝う。
管理人は気にした様子もなく、説明を続ける。
『第二段階では、第一段階で観測された進化現象を人工的に再現します』
魔神デルタの映像が複製された。
一体。
二体。
三体。
同じ輪郭を持つ黒い影が、管理室の奥へ並んでいく。
『異なるマスター』
影の胸へ光が灯る。
『異なる契約体』
別の姿が重なる。
『異なる感情条件』
光の色が変わる。
『それらへ同じ結果を移植し、再現性を検証する』
「感情を移植するつもり?」
織姫の顔から血の気が引く。
『感情そのものではありません。感情が契約へ与えた変化です』
「同じことじゃない!」
『違います』
「さっきから、そればかりですねぇ」
ルプスレギナが笑った。
声だけは楽しそうだ。
だが、指先から爪が伸びている。
「人の心を切り分けて、使いやすい部分だけ持っていく。ずいぶん綺麗な言葉を選ぶんですね」
『あなた方の力が、より多くの生命を救う可能性があります』
「だから、俺たちから奪うのか」
『奪うのではありません。複製です』
「許可してない」
『許可は必要ありません』
その一言で、何かが静かになった。
誰も喋らない。
画面の光だけが明滅する。
低い機械音が、規則正しく続いている。
俺は空席を見た。
そこに座っている者はいない。
顔もない。
目もない。
だからこそ、殴る相手すら見つからない。
「お前は、可能性を作ったつもりか」
『作ったとは述べていません』
「同じだ」
一歩進む。
バーゲストが横へ並ぶ。
エリスも剣を構えた。
織姫はデルタの背へ手を添える。
ムジナが壁から離れ、壌竜が床へ掌を向ける。
ルプスレギナの笑みが深くなる。
ライザは壊れかけた器具から手を離さない。
全員が、自分の場所を選んでいた。
「お前がしたのは、命を崖から突き落としただけだ」
俺の声が、管理室の中央へ落ちる。
「落ちなかった奴を見て、飛べるようになったと喜んでる」
『結果として、魔神デルタは誕生しました』
「違う」
デルタの頭へ手を置く。
耳が僅かに横へ倒れた。
「デルタは最初からここにいた」
「はいです」
「俺の隣にいて、肉を食って、勝手に走って、何度言っても無茶をした」
「勝手じゃないです」
「今は黙ってろ」
「はいです」
小さく返事をする。
その声が、壁の中の魔神デルタよりずっと大きく聞こえた。
「魔神デルタは、お前の実験が生んだんじゃない」
『では、何が生んだと?』
「俺たちが選んだ結果だ」
スマホを握る手へ力を込める。