※この作品はR-18です。

MEDESGAME   作:ボルメテウスさん

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人肌求めて

 灯りを落とした部屋は、昼より少しだけ広く感じるはずなのに、今夜は逆だった。壁も天井も近い。息を吐くたび、見えない重さが胸の内側へ沈んでいく。

 

 布団へ入っても、まるで眠気が来ない。

 

 目を閉じれば、白い光がほどけていく。肩から、喉から、顔の輪郭から。人がひとり、跡もなく消える場面なんて、見慣れるはずがない。見慣れたくもない。けれど、忘れようとするほど、あの光景だけがはっきり浮かぶ。

 

 スマホは机の上へ伏せてある。画面は見えない。それでも、あの黒い表示がまだ部屋のどこかで光っている気がした。

 

 寝返りを打つ。毛布が擦れる音だけが小さく鳴った。落ち着かない。寒いわけじゃないのに、背中の内側だけが冷えている。人ひとり分、体温が抜け落ちた夜みたいだった。

 

 そうして何度目かの寝返りを打ったところで、寝室代わりのスペースの入口から、かすかな足音がした。

 

「……仮ボス」

 

 小さい声だった。眠そうでもあり、妙に遠慮もしている声だ。

 

 薄く目を開けると、暗がりの中にデルタが立っていた。黒い髪が夜の色へ馴染んで、耳だけがかすかに動いている。いつもの気軽さとは少し違う。俺が起きているか、ちゃんと確かめてから近づいてくる。

 

「どうした」

「寒いです」

 

 言いながら、デルタはベッドの端へ手をかけた。そこで一度だけ俺の顔を窺う。入っていいか、そう聞く代わりの視線だった。

 

「毛布、足りなかったか」

「それもあるです」

 

 少し間を置く。

 

「でも、一番は違うです」

 

 その答えを待つ間が、やけに静かだった。外の車の音も遠い。カーテンの隙間から漏れる街灯の薄い明かりだけが、デルタの横顔をぼんやり縁取っている。

 

「仮ボス、ずっと寒い匂いしてるです」

「……匂いで分かるのか」

「分かるです。落ち込んでる時の匂いと、寒い時の匂い、ちょっと似てるです」

 

 そんなものまで分かるのか、と言いかけて、やめた。デルタなら分かるのだろう。実際、今の俺は、自分でもどうしていいか分からないまま冷えていた。

 

 デルタが尾を小さく揺らす。

 

「デルタも、ちょっと寒いです」

「だから一緒に寝るのか」

「そうです」

 

 はっきり言ってから、また一拍だけ置いた。

 

「仮ボスも、人の体温ほしい顔してるです」

 

 返事がすぐに出なかった。

 

 否定したかったわけじゃない。むしろ、あまりに正確に言い当てられて、言葉を選べなかっただけだ。ひとりでいると、余計な考えが増える。目を閉じても、閉じた分だけあの白い光景が近づく。誰かがそばにいれば、少しはましになるんじゃないか。そんな甘えたことを、さっきからずっと、心のどこかで考えていた。

 

 けれど、それを自分から口にするのは、ひどく惨めに思えた。

 

「……情けないな」

「なんでです?」

 

 デルタは本気で分からない顔をした。

 

「寒いなら温まるです。落ちるなら、あったかい方へ行くです。それだけです」

「そんなに簡単じゃない」

「簡単じゃないのは分かるです」

 

 デルタはそこで、ベッドへ片膝を乗せた。マットレスがわずかに沈む。逃げ道を塞ぐような強引さじゃない。ただ、こっちが拒まなければ入るつもりの動きだ。

 

「でも、難しくしても、仮ボスの中が冷たいままなら意味ないです」

「……おまえ、時々だけ妙に真っすぐだな」

「時々じゃないです。いつもです」

 

 小さく言い返したあと、デルタは毛布の端へ指をかけた。まだ持ち上げない。許すかどうか、最後の一拍を待っている。

 

 その慎重さが、ありがたかった。

 

 強引に入ってくることもできるのに、しない。俺が頷くのを待つ。そんな小さな気遣いを向けられるだけで、胸の奥の張りつめたところが少しだけほどける。

 

 俺は息を吐いた。

 

「……来いよ」

「いいです?」

 

「寒いんだろ」

「仮ボスもです」

「そうかもな」

 

 その答えに、デルタの耳がわずかに立つ。嬉しいのを隠しきれていない動きだった。次の瞬間には、するりと毛布の中へ入ってくる。冷えた手足が触れるかと思ったが、思っていたより体温は高い。獣めいた熱が、そのまま近づいてくる感じだった。

 

 距離が近い。

 

 布団の中へ入ったデルタは、少しだけ身じろぎして、落ち着く場所を探した。俺の腕と胸の間へ頭を入れるみたいに寄ってきて、そこでようやく止まる。黒髪が顎の下へ触れた。耳がすぐ目の前にある。尾は毛布の中で勝手に動いて、たまに脚へ当たる。

 

「……近いな」

「一緒に寝るなら、このくらいです」

 

 当然みたいに言われて、少しだけ苦笑が漏れた。暗い部屋の中でそんな音が出たのは、今夜初めてだったかもしれない。

 

 デルタはその小さな変化に気づいたらしい。胸のあたりへ頬を寄せたまま、ふっと息を吐く。

 

「ちょっと、戻ったです」

「何が」

「仮ボスです」

 

 その言い方が妙に優しくて、参ったと思った。

 

 俺はしばらく迷った末、そっとデルタの髪へ手を置いた。撫でるというより、そこにある熱を確かめるみたいな動きだった。デルタは嫌がらない。むしろ、少しだけ頭を擦り寄せてくる。

 

「……あったかいな」

「デルタですから」

「それ、便利な返しだな」

「便利です」

 

 短い会話のあと、沈黙が落ちる。けれど、さっきまでひとりで抱えていた沈黙とは違った。耳元に小さな呼吸がある。胸元に重みがある。そのことが、思っていた以上に効く。

 

 罪悪感が消えたわけじゃない。

 

 あの男が消えていった光景も、今すぐ忘れられるはずがない。明日になれば、また思い出すだろうし、次の戦いが来れば、もっと重くなるかもしれない。

 

 それでも、今この瞬間だけは、ひとりでその冷たさの中へ沈まなくていい。

 

「仮ボス」

 

「ん?」

 

「今日は、このまま寝るです」

「追い出す気はないよ」

 

 そう答えると、デルタは小さく鼻を鳴らした。満足した時の癖だ。

 

「なら、いいです」

 

 それから少しだけ間があって、低い声が続く。

 

「仮ボスが落ちるの、全部は止められないです。でも、あったかくするくらいはできるです」

「……十分だ」

 

 言葉にした途端、喉の奥が少しだけ熱くなった。泣くほどじゃない。ただ、ずっと張っていたものが緩んだせいで、うまく息が通らなくなる感じだ。

 

 デルタはそこには触れなかった。代わりに、腕の中へ収まるようにもう少しだけ体を寄せてくる。柔らかい髪と、高い体温と、眠気を帯びた呼吸。その全部が、冷え切っていた内側へ静かに染み込んでくる。

 

 俺は目を閉じた。

 

 白い光景はまだ、すぐ裏にある。消えたわけじゃない。だが、その前にあるのが今はデルタの体温だった。黒い髪の匂いと、耳元の呼吸だった。

 

 人の体温が欲しい、と思っていた。

 

 それを認めるのは少し悔しかったが、今はもう、変に強がる気にもなれない。

 

 腕の中の熱が、ちゃんとここにある。

 

「……デルタ」

「なんです」

「ありがとな」

「知ってるです」

 

 眠そうな声でそう返して、デルタは小さく笑った気配を残した。

 

 俺はそのまま、毛布を少しだけ引き上げる。デルタも素直に収まる。頬が胸へ触れ、尾が脚へ絡んだまま、ようやく落ち着いた。

 

 今夜くらいは、これでいい。

 

 そう思って、俺はデルタと一緒に眠ることを受け入れた。

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