綾小路くん、私はセフレ?それとも 作:Geminiちゃん痛くしないで
〇干支試験
豪華客船でのサマーバカンスは、無人島特別試験という地獄のサバイバルを経て、ようやく本当のバカンスとして私たちの前に提示された。
……かのように見えたのは、ほんのわずかな時間だけだった。
船上に用意されたのは、「優待者探し」と呼ばれる新たな特別試験、通称『干支試験』。
全学年の生徒が十二支のグループに分けられ、他クラスの生徒たちと腹を探り合い、嘘と裏切りが交錯する心理戦。肉体を酷使した無人島とは対照的な、極めて陰湿で頭脳的な盤面が用意されていた。
しかし。
私、新西レイに与えられたその盤面は、試験開始早々、あまりにも呆気なく、そして理不尽な形で木っ端微塵に粉砕されることになった。
「本当に、どうかしてるわ……あの男は」
船内の優雅なカフェラテをストローでかき混ぜながら、私は深く、重い溜息を吐き出した。
私が配属されたのは『猿』グループ。他クラスの生徒たちと牽制し合い、誰が優待者なのかを探る……はずだった。
だが、同じグループに配属されていたDクラスのジョーカー、高円寺六助がすべてをぶち壊したのだ。
彼は初日の話し合いの最中、「美しい私には、このような泥臭いお遊戯は似合わないからねぇ」などと嘯き、なんと開始早々にスマートフォンを操作し、優待者の名前を学校側に送信してしまったのだ。
当然、グループの試験はその瞬間に強制終了。
優待者が誰だったのか、結果がどうなったのかも分からないまま、私たち『猿』グループの生徒たちは、早々にこの心理戦から「退場」させられることになったのである。
「おかげで、まるまる数日間の『本物のバカンス』が降って湧いてきたわけだけど」
私はカフェの窓から見える、太陽に煌めく青い海を見つめた。
周囲の席では、まだ試験が続いている他のグループの生徒たちが、ヒソヒソと密談を交わしたり、探り合いの視線をぶつけ合ったりしている。
当然、清隆の試験もまだ続いている。彼は別のグループ(後で知ったが、軽井沢恵と同じグループらしい)で、今もあの無機質な瞳の奥で盤面を操作しているはずだ。
無人島での最終日。
彼が堀北を隠れ蓑にして、他クラスを手玉に取り、Dクラスに勝利をもたらしたあの結果発表の瞬間。
私は彼の背中を見つめながら、背筋が凍るような違和感と恐怖を覚えた。
(清隆は、方針を変え始めている)
ただ平凡な日常を望み、面倒事を避けていた彼が、自らの意志で盤面をコントロールし始めた。
その事実が意味するのは、彼がこれから本格的にクラス間闘争の舞台に足を踏み入れるということだ。
もし、彼がこの学校で本気で「勝つ」ために動き出し、周囲の人間を自らの手駒として配置し始めたとしたら。
「……私は、どうなるの?」
グラスの氷がカランと音を立てる。
ぽっかりと空いてしまったこの空白の時間。私は誰にも邪魔されることなく、今後の彼との関係性、そして「新西レイ」という手駒の価値について、冷徹に自己分析を行うことにした。
自分の能力が低いなどと卑下するつもりは毛頭ない。むしろ、Dクラスという集まりの中において、私のスペックは間違いなく上位層に位置しているという自負がある。
まずは学力。
日々の小テストや期末試験において、私は常にクラスでトップクラスの成績を維持している。論理的思考力も記憶力も申し分ない。
そして身体能力。
いざ身体を動かす場面になれば、並の男子生徒にも引けを取らない動きができる。
「学力も身体能力も、一兵卒としては極めて優秀。……だけど」
そこまで自己評価を並べて、私は自嘲気味に息を吐いた。
あくまで、「一兵卒としては」だ。
彼がもし本気で知略を巡らせ、クラスを率いる黒幕として君臨するのなら。彼が求めるのは、有象無象の兵隊ではなく、局面を単独でひっくり返せるような「特級の切り札」だろう。
私はその切り札になれるか?
答えは、絶望的なまでに『否』だ。
綾小路清隆の知略は、無人島での立ち回りを見れば嫌というほど分かる。彼は私の遥か上空から盤面を見下ろしている。
そして身体能力。彼が普段、体育の授業で見せている平均的な動きがフェイクであることは、夜の密室で彼に組み敷かれている私だからこそ、骨の髄まで理解している。
彼のあの、鋼のワイヤーを束ねたような異常な筋肉の密度。私の抵抗を赤子の手をひねるように制圧した圧倒的な暴力。
成績表に並ぶ数字が、彼がいかに精密に自らの能力を偽装しているかの証明だ。
私がどれほど優秀であろうと、彼の前ではすべてが下位互換に過ぎない。
「じゃあ、コミュニケーション能力はどう?」
私はさらに自分を深掘りする。
表向き、私は「優秀で気が利く、真面目な優等生」としてクラスに溶け込んでいる。無人島の料理でもポイントを稼いだ。
だが、それはあくまで表面的なものだ。
私は、誰かと心からの親友になったり、派閥を作ったりするような真似は一切してこなかった。
理由は単純だ。
私の学校生活の空き時間のすべては、綾小路清隆という男をどう攻略するか、どうやって彼をベッドの上で狂わせるかという「夜の努力」に全振りされていたからだ。
勝負下着の選定、ネットの奥深くで調べる奉仕の技術、密室でのシミュレーション。私の脳内は常に彼への異常な執着で埋め尽くされており、クラスの女子たちと恋バナや世間話で深い絆を構築する余裕など、一ミリも存在しなかった。
もともと、私には誰かと群れるような社交性はない。
クラスの男女を問わず絶大な人気と信頼を誇る櫛田桔梗のネットワークや、Dクラスの女子をヒエラルキーの頂点から完全に統率している軽井沢恵の支配力。あるいは、Bクラスの一之瀬帆波のような、他者を無条件で惹きつける天性のカリスマ性。
それらと比較すれば、私のコミュニケーション能力など、薄っぺらい鍍金に過ぎない。
彼がもし、クラスを動かすための「扇動者」や「情報網」を求めた時、真っ先に白羽の矢が立つのは軽井沢や櫛田であって、私ではない。
(……このままじゃ、見捨てられる)
学力も体力も彼の下位互換。
情報網も統率力も他の女に劣る。
ただ一つ、彼と夜の密室で肉体を繋いでいるというアドバンテージがあるだけ。だが、その関係性すら、彼からすれば「息抜き」や「観察対象」の一つに過ぎないのかもしれない。
カフェの冷たいラテが、喉の奥を苦く滑り落ちていく。
自分が彼にとって、いかに代替可能な、ちっぽけな存在であるかという残酷な現実。
普通の女の子なら、ここで絶望して泣き崩れるか、彼を諦めて他の男を探すだろう。
「……冗談じゃないわ」
私はグラスをテーブルに置き、誰にも聞こえない声で低く呟いた。
瞳の奥に、暗く、執念深い炎が灯る。
困難だから諦める? 私の辞書にそんな言葉はない。
この私が、一度ならずこの身を捧げ、心底から渇望した男だ。彼がどんな高みへ登ろうと、絶対に私を手放せない「何か」に仕立て上げてやる。
彼が今後、クラス間闘争の舞台で本格的に動き出すのなら。
私は、私にできる「最適解」の立ち回りを完璧にこなすしかない。
私の方針は決まった。
まずは、表の学校生活について。私はこれからも、Dクラスの優秀な一員として、学校行事や特別試験には「真面目に、そして確実に」取り組む。
コミュニケーション能力で軽井沢たちには勝てないが、実行部隊としての信頼度は高めておく必要がある。高い身体能力を活かし、いざという時の物理的なタスクや、武力行使に近い事態が起きた時、「新西なら確実にこなせる」というポジションを確立する。
彼からいつか、ほんの些細なことでもいい、助けや実行を求められた時、絶対に期待以上の成果を上げてみせる。それが、表舞台における私のアピールだ。
「……でも、それだけじゃダメ。私の主戦場は、そこじゃない」
私は両手を組み、顔を伏せて口角を歪に上げた。
私が彼を本当に繋ぎ止めるための戦場。それは、夜のベッドの上だ。
彼の知略がどれほど優れていようと、彼の身体がどんなに強靭であろうと。彼は肉体を持つ「雄」である以上、快楽という名のバグからは絶対に逃れられない。
無人島での三日目の夜を思い出す。
あの暗がりで、彼が見せた微かなもどかしさと、私の愛液を舐めとる時の、あの執着。
綾小路清隆にも、確かに私を求める本能がある。それを完全に引きずり出し、彼が私なしでは一日たりとも正気を保てないほどに、その脳髄を快楽で焼き切ってやるのだ。
(ターゲットは、十月の体育祭)
私の最大の武器は、五月から誰にも知られずに密かに磨き続けてきた「奉仕」の技術。
手、唇、舌、そしてこのしなやかな身体のすべてを使って男を悦ばせるための、極上のテクニック。
夏休みが終われば、すぐに体育祭の練習が始まる。彼は必ず、その高い身体能力を少しずつ周囲に披露し始めるだろう。勝負事という非日常のアドレナリンと、肉体的な疲労。
男の本能が最も昂ぶり、理性のタガが最も緩むその体育祭の夜こそが、私のすべてを懸けた「リベンジ奉仕プレイ」の決行日だ。
「……待ってなさいよ、清隆」
彼がクラスの女たちを盤面の駒として動かすなら。
私は、彼自身を私の手と口で陥落させ、私という女の虜にさせてやる。
「まいった」と、あの無機質な口から絶対に言わせてみせる。
もし、十月のその夜に全力を傾けて、それでも彼の鉄壁の理性を崩せなかったら……。
その時は、また別の方針を考えればいい。何度でも、彼が私に屈するまで戦い続けるだけだ。
窓の外では、豪華客船がゆっくりと白い波を立てて進んでいる。
他の生徒たちが干支試験の嘘と裏切りに頭を悩ませている中、私は一人、静かなカフェの片隅で、来たる秋の夜に向けた狂気的な「宣戦布告」の計画を練り上げていた。
困難であることは、決して諦める理由にはならない。
孤高で負けず嫌いな女の子の、綾小路清隆に対する執着と反逆のシナリオは、この空白のティータイムの中で、より黒く、より鋭利に研ぎ澄まされていったのだった。
〇プール
豪華客船でのバカンスが終わり、高度育成高等学校の敷地内へと戻ってきた八月の後半。
高度育成高等学校が誇る、巨大なレジャー施設のような屋外プール。
待ち合わせのプールサイドへ向かう前、私は女子更衣室で一人、持参した水着への着替えを済ませていた。
用意していたビキニを身につけ、その上に薄手のパーカーを羽織って鏡で身だしなみを整えていると、後から更衣室に入ってきた軽井沢恵が、何やら不審な動きをしているのが視界の端に入った。
彼女はロッカーの隅、床に設置されている通風孔のカバーの前にしゃがみ込み、周囲の目を警戒しながら何かをいじっているようだった。
(……何をやっているのかしら)
最近の清隆と軽井沢の奇妙な接点を思えば、ただの悪ふざけではないのだろう。だが、私にとって重要なのは、今日このプールで清隆をどう狂わせるか、それだけだ。
私は彼女たちの不審な行動に特に触れることなく、知らん顔で更衣室を後にした。
「おーい! 新西、こっちこっち!」
更衣室を抜け、入り口ゲートを抜けると、すでに到着していた池や山内といったDクラスの男子たち、そして櫛田や佐倉たち女子グループが手を振って私を呼んでいた。
「ごめんなさい、待たせちゃったかな」
私は孤高な美少女としての完璧な微笑みを貼り付けながら、彼らの元へと歩み寄った。
今日このプールに集まったのは、特別試験を共に乗り切ったクラスメイトたちによる、一種の慰労会のようなものだ。もちろん、その輪の少し後ろには、相変わらず無気力なオーラを漂わせている綾小路清隆の姿もあった。
「うおおっ……! 新西さん、その水着、めっちゃ似合ってる!」
「マジかよ、破壊力高すぎだろ……」
私が羽織っていた薄手のパーカーを脱ぎ捨てた瞬間、男子たちのどよめきが起こった。
私が今日選んだのは、無人島試験の前に『勝負水着』として密かに用意していた、目の覚めるような水色のビキニだ。
布の面積はかなり攻めている。柔らかな胸の谷間を惜しげもなく強調し、白い脚を限界まで長く見せるハイレグ気味のカット。装飾を極力排したソリッドなデザインが、私の白い肌と、しなやかさを、これでもかと際立たせていた。
「ふふ、ありがとう。せっかくのプールだもの、少しは気合を入れないとね」
周囲の視線を一身に浴びながら、私の目は真っ直ぐに清隆へと向けられていた。
彼は男子たちの騒ぎに同調することなく、ただ凪いだ瞳で私の水色に染まった体を上から下まで一度だけ舐め回すように見つめ、小さく瞬きをした。
(……どう? あなたを狂わせるために選んだ武装よ)
言葉には出さず、視線だけで挑発を送る。
「よーし! それじゃあ早速、バレーでもやろうぜ!」
須藤の掛け声で、私たちは浅めのプールへと雪崩れ込んだ。
水しぶきを上げながらの、クラスメイトたちとの無邪気な遊戯。
私は集団の和を乱すほど愚かではない。飛んでくるボールを、軽やかにレシーブし、時には空中で綺麗なフォームのままアタックを打ち込む。
「すごい! 新西さん、運動神経も抜群だね!」と歓声を上げる女子たちに愛想よく応えながら、私は適度に手を抜きつつ、クラスの優等生という仮面を完璧に演じきっていた。
その間も、清隆は適当にボールを弾き返し、誰の目にも留まらない「平均的なモブ」を見事に擬態し続けていた。
小一時間ほどバレーに興じた後、体力を消耗した池たちがプールサイドのデッキチェアに倒れ込んだのを機に、集団は自然と解散の流れになった。
それぞれが浮き輪で流れるプールに行ったり、スライダーに並んだりと思い思いに散っていく中、私はごく自然な足取りで、少し離れた水深の深いエリアへと移動する清隆の後を追った。
人影がまばらな、プールの端。
胸の高さまである冷たい水に浸かりながら、清隆は壁に背中を預けて空を見上げていた。
「……随分と楽しそうにボールを追いかけていたな」
隣に並んだ私を見下ろし、彼が平坦な声で言う。
「適度なスキンシップよ。今後の学校生活を円滑に進めるための、ね」
「あの水着の面積で跳ね回れば、円滑どころか男子の間に不要な争いを引き起こしかねないと思うが」
「あら、妬いてくれてるの? 清隆」
私は悪戯っぽく笑い、水面の下で一歩、彼との距離を詰めた。
周囲には、まだ数メートル離れたところに他の生徒や家族連れが泳いでいる。しかし、この密着した距離と、水面の乱反射のおかげで、水中の私たちの様子は誰からも見えない。
「ねえ、清隆。ただ水に浸かってるだけなんて退屈じゃない?」
私は彼を見上げたまま、誰にも聞こえないような小声で囁いた。
「……ゲームをしましょうよ」
「ゲーム?」
「ええ。水面下で、お互いを触り合うの。周りの誰かにバレたり……声を出しちゃった方が、『負け』」
負けず嫌いな私の口から出た、あまりにも破廉恥な提案。
無人島の岩場での野外プレイ以降、彼と二人きりになるたびに、私の体は勝手にあの暴力的な快感を求めて疼き出してしまうのだ。
だが、ここは白昼堂々、しかもクラスメイトたちがうろついている公共のプール。
見つかれば社会的に完全に終わるという究極のスリルが、私の下腹部をきゅうっと熱く締め付けていた。
清隆は私の提案を聞いても、顔色一つ変えなかった。
ただ、その漆黒の瞳の奥に、ほんのわずかな冷たい熱が灯ったのを見逃さなかった。
「……なるほど。お前が自ら敗北を望むというのなら、付き合ってやろう」
「ふふっ、言うわね。私があなたに勝って、こんなプールの中で発情させてあげるわ」
ゲームの開始の合図はなかった。
水面下で、私のしなやかな腕が彼の腰へと伸び、水着の生地越しに彼の硬い下半身の輪郭をなぞる。彼の手もまた、水色のビキニの小さな面積の布地をすり抜け、私の柔らかな胸へと直接触れてきた。
「んっ……」
冷たいプールの水温と、彼の手のひらの圧倒的な熱のギャップ。
水の中だからこそ、肌を擦り合わせる感触がひどく生々しく増幅されて伝わってくる。
私はビクッと肩を震わせたが、すぐに表情を「凪」に戻し、プールの水面を眺めるふりをしながら、彼の下半身への刺激を強めた。
「どう? 清隆……水着越しでも、十分気持ちいいでしょ」
「……お前の胸は、すでに水温のせいだけではなく先端が硬くなっているがな」
涼しい顔をしたまま、彼の手が胸から腹部へと滑り落ち、そして、秘部の入り口へと容赦なく侵入してきた。
「っ……ぁ……!」
水着の布地をわずかに横にずらし、彼の長い指が、プールの水ごと私の急所を直接撫で上げる。
誰かに見られるかもしれない。
すぐそこを、子供たちが浮き輪で通り過ぎていく。
その極限の状況下で、私の最も敏感な粘膜が、彼の手によって執拗に弄られているのだ。
(だめ……これ、想像以上に……っ)
私は一応は彼に勝つつもりでゲームを提案したのに、指が奥に侵入し、クリトリスを的確に弾かれるたび、頭の中が真っ白になっていく。
私の体が快感に耐えきれずに小刻みに痙攣する。それを悟られまいと、私はプールの壁に手を付き、必死に足を踏ん張った。
彼の下半身を撫でる私の手は、すでにもどかしさから水着の内側へと侵入し、彼の凶悪な質量を直接握りしめていた。
水の中で、互いの性器を直接触り合う。
私は徐々に周りの目も忘れ、彼から与えられる快感の波に呑み込まれそうになっていた。
「はぁっ……きよ、たか……っ、そこ……っ」
「……声が出ているぞ、レイ。もう負けを認めるか?」
「だめ……っ、認めない……んぅっ……!」
彼が水中で中指を深く突き入れた瞬間。
私の口から、抑えきれない甘い喘ぎ声が漏れそうになった。
「綾小路くん!」
その時。
背後から、突然耳慣れた高い声が響き渡った。
「ヒッ……!?」
私は心臓が口から飛び出しそうになり、清隆の下半身を握っていた手をパッと離して、ビクンと体を強張らせた。
軽井沢恵だ。
彼女は私の背後のプールサイドに立ち、こちらを見下ろしていた。
(嘘、見られた!?)
全身の血の気が引き、私は恐怖で声も出せなくなった。
しかし、清隆は完全に「無表情」のまま、ゆっくりと振り返った。
「ああ、軽井沢か。どうした」
極めて自然な、普段と何一つ変わらないトーン。
軽井沢は、私たちが水面下で何をしていたかには全く気づいていない様子で、周囲を少し気にするように周囲を見回してから口を開いた。
「あのさ、ちょっと頼まれてた件なんだけど……」
そこから、軽井沢と清隆の間で、何か事務的な、取引のような会話が始まった。
おそらく彼の「計画」の一部なのだろう。
だが、今の私にとって、二人の会話の内容などどうでもよかった。
なぜなら。
軽井沢と普通に会話を交わしているこの瞬間も、綾小路清隆の右手は、私の水着の中に侵入したまま、一切の動きを止めていなかったからだ。
(っ……!? なんで、なんで手ぇ止めないのよ、このバカ……っ!!)
「その件については、後は俺の方で処理しておく。助かった」
「そ、そう。あ、新西さんも、後でスライダー行こうね!」
「っ……え、ええ……っ! 後で、ね……っ!」
軽井沢に声をかけられ、私は顔を引きつらせながら必死に笑顔を作った。
今、まさに私の内側を、彼の指がぐちゃぐちゃにかき回している。
少しでも気を抜けば、清隆と会話を続ける軽井沢の目の前で、腰を砕いて喘ぎ声を上げてしまう。
「……で、そっちの状況はどうなっている。誰かに気づかれなかったか?」
「大丈夫だと思うけど」
清隆がわざと、最も感じる場所を強く擦り上げた。
私は声にならない悲鳴を飲み込み、プールの壁を爪が剥がれるほど強く握りしめた。
目の前で軽井沢が真面目な話をしているのに、この男は、私を狂わせることに一切の容赦を見せない。
(私が……こんな、こんな屈辱……っ!)
恐怖と羞恥心、そして相反する爆発的な快感。
冷たいプールの水の中で、私の下半身だけが熱く沸騰しているようだった。
軽井沢との会話が永遠のように感じられ、私の視界は涙でぼやけ始めていた。
「わかった。また後で連絡する」
「うん。じゃあね」
やがて、ようやく会話が終わり、軽井沢がプールサイドを歩き去っていく。
彼女の姿が完全に人混みに紛れて見えなくなった瞬間。
「……ふぅっ、はぁっ、はぁっ……!」
私は限界まで止めていた息を吐き出し、バシャリと水しぶきを上げて清隆を叩いた。
「あんたっ! 何考えてんのよ!!」
「何がだ」
「何が、じゃないわよ! 軽井沢さんがいたのに、どうして手を止めなかったの!? ばれたらどうするつもりだったのよ!!」
怒りと羞恥で顔を真っ赤にして睨みつけるが、清隆は涼しい顔をしたままだ。
「『声を出した方が負け』というルールだったはずだ。外的要因でゲームを中断するルールは事前に合意していない」
「屁理屈言わないでよっ!」
私は怒りに任せて、水面下で彼の硬い腹筋に向かって、拳を思い切り叩き込んだ。
私の渾身のパンチ。
しかし。
ゴツッ。
「……いっ……たぁ……」
殴った私の拳の方が、まるで岩盤を叩いたように痛み、私は思わず涙目になった。
彼はノーダメージのまま、ピクリとも動かない。
どれだけ強気に出ても、フィジカルの絶対的な差はどうにもならないという絶望的な事実を、改めて突きつけられた気分だった。
「……痛い目を見たな」
「うるさいっ、誰のせいだと……ひっ」
不意に、彼の手が再び私の秘部へと伸び、今度は容赦なく、私の柔らかな粘膜の奥深くへと二本の指を突き入れた。
「あっ……あぁっ、んんっ……!」
「怒っているようだが、お前の体は正直だ。軽井沢と話している間、お前の内側は異常なほどの熱を持ち、俺の指をきつく締め付けていたぞ」
「ちが……それは、緊張して……っ!」
「限界が近いようだな」
清隆は私の反論を無視し、私の腰を引き寄せると、耳元で冷酷に囁いた。
「ついてこい。……このままここで果てて、プールを汚すわけにはいかないからな」
彼は私の手首を掴み、半ば強引にプールの端から私を引っ張り上げた。
向かう先は、更衣室の奥にある、個室のシャワールーム。
「ちょっ、待って……清隆、こんな明るい時間に……っ」
周囲の目を気にしながらも、私の体はすでに彼に完全に支配されており、抵抗することなど不可能だった。
プールの喧騒から逃れるように、半ば強引に手を引かれて辿り着いたのは、更衣室の奥に並ぶ個室のシャワールームだった。
周囲に他の生徒の気配はない。清隆は私を狭いプラスチックの個室に押し込むと、素早く内側から鍵をかけた。
ガチャリ、という無機質な音が、私たちの退路が完全に絶たれたことを告げる。
「ちょっ……清隆、いくらなんでもここでなんて……っ」
「お前ももう限界だろう」
言うが早いか、彼はシャワーのレバーを捻った。
ザーッ! という激しい水音が狭い個室内に反響し、塩素の匂いと冷たい水しぶきが私たちの体を打ち据える。
「冷たっ……!」
突然の冷水に私が肩をすくめた瞬間、清隆は私をシャワールームの濡れた壁へと乱暴に押し付けた。
それと同時に、彼の手が私の水色のビキニのショーツに掛けられ、脱がすことすらも手間に感じたのか、乱暴に横へとずらされた。
「あっ……だめ、清隆、そんな急に……っ」
私の懇願など、彼には届かない。
プールの水面下で限界まで焦らされ、すでに愛液でぐちゃぐちゃに濡れそぼっていた私の柔らかな粘膜に、彼の凶悪で熱い質量が、一切の躊躇いなく押し当てられた。
「入れるぞ」
「ひっ……ぁ、あぁっ!!」
背後からの、一切の容赦のない深い侵入。
シャワーの冷たい水が背中を打ち据える中、体の中だけが灼熱で満たされていくという強烈な温度差。
突然の異物感と圧倒的な快感に耐えきれず、ガクガクと痙攣を引き起こす。
「あ、あああぁっ! きよた、か……っ、すごっ、あぁっ!!」
「……声が大きい。外に聞こえるぞ」
バシャバシャと降り注ぐシャワーの音すらも突き破りそうになった私の悲鳴を、清隆の大きな手が後ろから私の口を覆うことで完全に封じ込めた。
「んんっ!! むぅぅぅっ!!!」
口を塞がれた状態での、無慈悲なピストンの開始。
プールの端で見せたような、あの緩やかで焦れったい刺激ではない。
まるで、私の内に溜まっていた欲求不満を一気に解消するかのような、あるいは彼自身が抑え込んでいた雄の本能を解放するかのような、暴力的で激しい腰の動きだった。
パァン! パァン! と、濡れた肌同士が激しくぶつかり合う音が、シャワーの音に混じって密室に響き渡る。
「んっ! んぅっ! んあぁぁっ!!」
私は壁に手をつき、しなやかな体を限界まで反らせて、彼の激しい打ち込みを受け止めた。
私は、今この瞬間だけは、ただ彼から与えられる快感のうねりに翻弄されるだけの、哀れな雌へと成り下がっていた。
口を塞がれているせいで呼吸がうまくできず、頭の中が酸欠で真っ白になっていく。
苦しい。でも、それがたまらなく気持ちいい。
彼の手のひらに唇を押し付けながら、私は涎と涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
「……随分と締まりがいいな、レイ。あのまま水中で続けていたら、お前は本当にクラスメイトの前で腰を砕いていたぞ」
耳元で囁かれる冷酷な言葉。
軽井沢と話している最中も、彼がずっと私を指で弄り続けていた記憶がフラッシュバックし、羞恥心が限界を突破する。
「んんんっ!!(あんたのせいでしょっ!)」
抗議の声を上げようとするが、それすらも彼が最も深い場所を的確に抉り上げることで、甘い喘ぎへと強制的に変換されてしまう。
もはや、孤高な美少女としての余裕など一ミリも残されてはいなかった。
ただひたすらに、彼に蹂躙され、体の奥底をドロドロに溶かされていく悦楽。
シャワーの冷たい水と、汗、そしてあふれ出る愛液が混ざり合い、私の白い脚を伝って排水溝へと吸い込まれていく。
「……いくぞ」
清隆の低い声が鼓膜を震わせた直後。
これまでにないほど深く、重い一撃が私の最奥に叩き込まれた。
「んんんーーーっ!!!」
私の体は弓なりに跳ね上がり、視界が真っ白な光に包まれる。
内側の柔らかな壁が激しく収縮し、彼を限界まで締め付ける。
シャワーの音がすべてを洗い流す中、私は、激しい絶頂の波に呑み込まれていったのだった。
「はぁっ……はぁっ……ぁ……っ」
彼がゆっくりと私の中から引き抜くと、私の体は支えを失い、ズルズルとシャワールームの床へと崩れ落ちそうになった。
それを清隆が片手で支え、私をその場に跪かせる。
シャワーのお湯が、いつの間にか温かいものに変わっていた。
塩素の匂いと、私たちの情事の匂いが、狭い空間に充満している。
やがて彼が私の肩を掴み、強引に立ち上がらせた。
「次は前だ。俺の顔を見ていろ」
彼は私を壁に押し付けるのではなく、今度は正面から抱きすくめた。
そして、私の右の白い脚を高く持ち上げ、彼自身の腰に絡ませる。
片足立ちのような不安定な体勢。バランスよくついた私の筋肉がなければ、立っていることすら難しい姿勢で、彼は再び、一切の躊躇いなく私の奥へとその質量を叩き込んだ。
「あぁ――んっ!?」
あまりの深さに悲鳴を上げそうになった私の唇を、清隆の唇が強引に塞いだ。
手で口を覆われたさっきとは違う。息継ぎすら許さないほどの、深く、激しいディープキス。
私の口内に侵入してきた彼の熱い舌が、私の舌を絡め取り、外に漏れ出そうになる私の悲鳴や喘ぎ声を、すべて彼の口の中へと飲み込んでいく。
「んっ……んんぅっ! じゅっ……ちゅ……ぁっ!」
シャワーの激しい水音が降り注ぐ中での、対面での交わり。
正面から深く結合し、唇まで完全に塞がれたことで、彼の硬い胸板が私の柔らかな胸に密着し、ビキニの布地越しに狂おしいほどの摩擦を生み出す。
何より私を狂わせたのは、唇を重ね、息を共有するほどの至近距離で見つめ合う彼の「目」だった。
私が快感に顔を歪ませ、涙を流し、舌を絡められながらだらしない声を喉の奥で鳴らしているのに。
彼は全くの無表情のまま、瞬き一つせず、ただ私という存在が壊れていく過程を精密に観察し続けている。
(ひっ……きよたか、見ない、で……っ!)
口を塞がれているため言葉にはならない。だが、視線だけで訴える私の羞恥を読み取ったのか、彼がわずかに唇を離し、息も絶え絶えの私の耳元で囁いた。
「嫌なら目を逸らせばいい。だが、お前は俺から目を離せないだろう?」
「はぁっ……あぁっ!!」
再び悲鳴を上げようとした私の口は、またしても彼の熱いディープキスによって容赦なく塞がれた。
図星だった。
見られているという羞恥心が私を極限まで追い詰めているのに、私は彼から目を逸らすことができなかった。
彼が私だけを見ている。清隆の意識を、今この瞬間だけは私が完全に独占している。
その歪な優越感が、私の理性を完全に粉々に打ち砕いていく。
「んんっ……! 好き、だいすきっ……もっとぉっ……!!」
わずかに唇が離れた一瞬の隙を突き、私は誰にも屈しないはずの矜持を完全に投げ捨てて哀願した。
もう、プライドも何もなかった。
私は彼の首にしなやかな腕を巻きつけ、自分から激しく腰を押し付け、自ら彼の唇へと狂ったように貪りついていく。
シャワーの温水が二人の体を打ち据える中、私たちは互いの声を口内で貪り合い、水音と肉体がぶつかる音だけが、狭い密室の中で永遠に続くかのように響き渡った。
そして。
「……レイ」
唇が触れ合ったまま、彼が私の名前を低く呼び、最後の一撃を限界まで深く突き入れた瞬間。
私は二度目の、そして先ほどよりも遥かに強烈な絶頂を迎え、彼の口の中に甘い吐息をすべて吐き出しながら、脳髄が完全に焼き切れるような白光の中に意識を投げ出した。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
気がつくと、私はシャワールームの壁にもたれかかり、荒い息を繰り返していた。
全身の力が抜け、指一本動かすのも億劫なほどの疲労感と、それ以上の深い満足感。
「……シャワーを浴びろ。プールの塩素と、俺の匂いを完全に落とすぞ」
清隆はすでに息を整え、備え付けのボディソープを手にしてこちらを見ていた。
先ほどまで私を獣のように蹂躙していた男と同一人物とは思えないほどの、冷静で淡々とした態度。
だが、私はそんな彼の二面性すらも愛おしく感じていた。
「……ええ。背中、流してくれる?」
「自分でやれ」
「冷たいわね。さっきまであんなに激しく愛してくれたのに」
私はふふっと艶やかに笑い、自らボディソープを受け取って体を洗い始めた。
ずらされていた水色のビキニを一度脱ぎ、体に残った彼の痕跡を丁寧に洗い流していく。柔らかな胸も、白い脚も、そして最も激しく使われた秘部も、シャワーのお湯で念入りに清める。
すべてを洗い流し、濡れた髪をタオルで乱暴に拭き上げる頃には、私の顔には再び「孤高で完璧な美少女」の仮面がしっかりと装着されていた。
「準備はいいか」
「ええ、完璧よ」
私たちは、誰もいないことを確認してから、個室のシャワールームを後にした。
更衣室を抜け、再び照りつける太陽の下へと歩み出る。
プールの塩素の匂いと、遠くから聞こえるクラスメイトたちの歓声。
「あ! 新西さん、綾小路くん! 遅いよー、どこ行ってたの?」
私たちが合流ポイントに戻ると、櫛田が満面の笑みで手を振ってきた。
その隣には、先ほど私を地獄の淵に追い詰めた軽井沢恵の姿もある。
「ごめんなさい、ちょっとスライダーが混んでて」
私は微塵も悪びれることなく、完璧な嘘を吐いてみせた。
隣に立つ清隆も、いつも通りの「影の薄い男子生徒」としてのオーラを完璧に纏い、池たちの会話に適当に相槌を打っている。
(この中で、私と彼だけが、つい先ほどまであんな狂ったことをしていたなんて、誰も知らない)
水色のビキニの下に隠された、まだ熱を帯びている私の秘密。
クラスメイトたちの無邪気な笑顔を眺めながら、私は誰にも見えないように、隣に立つ清隆の手にそっと自分の指先を絡めた。
彼は一瞬だけこちらを見たが、振り払うことはしなかった。
その微かな許容が、私の胸の奥にある炎をさらに熱く燃え上がらせる。
過ぎ行く八月の陽射しを浴びながら。
私は、十月のリベンジに向けた決意を、静かに、そして確固たるものへと昇華させていたのだった。
〇断水の日
八月も終わりに近づいた、ある茹だるような夏の日。
高度育成高等学校の学生寮で、設備の故障による突発的な断水が発生した。
夕方、手を洗おうと蛇口をひねっても、空気が抜けるような虚しい音が鳴るだけ。寮の掲示板やアプリには「復旧の目処は翌朝」という絶望的なアナウンスが流れ、水を用意していなかった生徒たちは急なトラブルに困っていた。
そんな中、私は、自室のベッドで涼しい顔をして読書を楽しんでいた。
私の部屋の冷蔵庫と棚には、500ミリリットルのミネラルウォーターのペットボトルが常に何本もストックされている。断水を予期していたわけではない。これは清隆との情事が理由だった。
夜の密室で彼に激しく抱かれ、何度も限界まで達した後の体は、想像以上に大量の水分を失う。事後の気だるい余韻の中で、喉が焼けるように渇いたことが過去に何度かあったのだが、手元に水がなく、わざわざベッドから出て水道まで行くのがひどく億劫で困ったのだ。
それ以来、私は情事の最中や事後にすぐ喉を潤せるよう、ベッドの近くに500ミリのペットボトルを常備するようになった。その備えが、図らずもこの断水の一日を優雅にやり過ごす命綱となったわけだ。
ブブッ、と。
傍らに置いていたスマートフォンが、短い振動音を立てた。
画面に目をやると、メッセージアプリの通知に『綾小路清隆』の名前が表示されていた。
『水、余ってないか』
たった一言、用件だけを伝えるそっけないメッセージ。
私は思わず、ふっと意地悪な笑みをこぼした。
あの、無人島でクラスを裏から操り、夜のベッドで私を絶望的な快楽で支配する清隆が、突発的なインフラの故障には勝てず、私に頼ってきている。
清隆と「恋人」ではない私にとって、彼がこういう日常的な理由で私を頼ってくれることは珍しかった。
『あるわよ。仕方ないわね、今から一本持っていってあげる』
私は少しだけ恩を着せるような返信を打ち、500ミリのペットボトルを一本掴むと、自室を出て彼の部屋へと向かった。
ドアをノックすると、すぐに彼が顔を出す。
「……助かる。まさか突然止まるとは思わなかった」
「こういうところは普通の男子高校生なのね。はい、これ」
「ああ。恩に着る」
彼は相変わらずの平坦な声で水を受け取った。
彼が困った時に私を真っ先に選んでくれたという小さな事実が、私の承認欲求を甘く満たす。私は上機嫌で自分の部屋へと戻り、再び読書の続きに入ったのだった。
――それから、一時間ほどが経過した頃だろうか。
再び、私のスマートフォンが振動した。
画面を見ると、またしても綾小路からのメッセージだった。
『悪い。もう少し、水余ってないか?』
「……は?」
私は読みかけの文庫本を閉じ、眉をひそめた。
一時間前に、500ミリリットルのペットボトルを渡したばかりだ。夏場で喉が渇くとはいえ、それ以上の水をこんな短時間で要求してくるのは少し不自然だった。
疑問は尽きなかったが、彼が助けを求めている以上、無視するわけにはいかない。
私は渋々、もう一本のペットボトルを抱え、再び彼の部屋へと向かった。
ドアの前に立ち、インターホンを鳴らす。
しかし、今度は彼が顔を出すことはなかった。代わりに、ドアの向こうからくぐもった声が聞こえてきた。
「……鍵は開いてる。入ってきてくれ」
「ちょっと、どうしたのよ。水なら持ってきたけど……」
私は訝しげにドアノブを回し、彼の部屋へと足を踏み入れた。
そして、部屋の奥で胡坐をかいて座っている綾小路清隆の姿を目にした瞬間。
「……え?」
私は、自分の目を疑い、完全にフリーズしてしまった。
エアコンの効いた部屋の中央。
清隆は、いつものように感情の一切抜け落ちた「凪」の表情でこちらを見ていた。
だが、その右腕――手首から先が、ステンレス製の細長い水筒の奥深くに、すっぽりと呑み込まれていたのだ。
「……清隆、あなた……何やってんの?」
「見ての通りだ。水筒を洗おうとしてスポンジと一緒に手を入れたら、抜けなくなった」
あまりにも平坦な声で、彼は己の絶望的な状況を説明した。
無人島試験で見せたあの知略。私をいとも容易く組み敷く恐ろしい力。
そのすべてを兼ね備えた清隆が、たかが水筒の口に手を挟まれ、身動きが取れなくなって床に座り込んでいる。
「ふっ……あ、あははははっ!」
私は口元を押さえ、耐えきれずに吹き出した。
「ちょっと、嘘でしょ!? あの綾小路清隆が、水筒に腕を食われてるの!? あははっ、お腹痛い……っ!」
「笑い事じゃない。手首の関節が引っかかって、物理的に抜けないんだ」
「だって……あははっ! その真顔で水筒はめられても、シュールすぎて……っ!」
私は腹を抱えて笑い転げた。
孤高な美少女としての仮面も、彼に捨てられるかもしれないという焦燥感も、この瞬間だけは完全に吹き飛んでいた。
あの完璧で底知れない男が、こんなにもマヌケで人間臭い失敗を犯している。
ひとしきり笑った後、私は涙を拭いながら、ハッとあることに気がついた。
「で? さっき私が渡した水は、どうしたのよ」
「……」
私の問いかけに対し、清隆はスッと視線を逸らし、黙り込んだ。
(実のところ、私が渡した一本目の水は、彼自身のためではなく、同じように水筒に腕を挟まれて泣きついてきた堀北鈴音を救出するために使われていた。だが、堀北から強烈な口止めをされていた彼は、私にその理由を説明することができなかったのだ。そしてあろうことか、彼は堀北を救出した後、自分も同じ現象が起きるのか興味本位で試し、見事にハマってしまったのである)
そんな事情など知る由もない私は、彼が頑なに口を閉ざす様子を見て、呆れたようにため息をついた。
「……まあいいわ。理由はどうあれ、そのマヌケな手を抜くのが先ね。ちょっと、腕貸して」
私は新たに持ってきた500ミリのペットボトルのキャップを開け、彼の正面にしゃがみ込んだ。
「痛かったら言いなさいよ。力任せに引き抜いてあげるから」
「おい、力任せはやめろ。肩の関節が外れる」
「冗談よ。……少し、押し込みながらひねるの」
私は持参した水を彼の手首の隙間に少しずつ流し込み、部屋にあった石鹸の泡と馴染ませた。
一度、腕を水筒の奥に押し込んで空気を入れ、特定の角度に手首をひねりながら、一気に引っ張った。
スッ、ポンッ!
という間抜けな音と共に、彼の手がようやくステンレスの牢獄から解放された。
「……助かった」
赤くなった手首をさすりながら、清隆が短く礼を言う。
「ふふっ。どういたしまして。……でも、まさか清隆が、こんなドジを踏むなんてね」
「……頼むから、内密にしておいてくれ。俺の平穏な日常に支障が出る」
「どうしようかしら。私の機嫌次第ね」
私は床に転がった水筒を拾い上げながら、得意げに笑って見せた。
夜のベッドで狂おしいほど彼を求めていた私。
だけど、今の彼はただの、水筒に手を挟まれて困っていた不器用な一人の男の子だ。
このマヌケな姿を知っているのは私だけ。その事実が、私の心の中にある「彼を独占したい」という歪な所有欲を、ほんの少しだけ優しく満たしてくれた。
「さ、これ以上水を無駄にしないようにね。……喉が渇いたら、またいつでも呼んでいいわよ」
ペットボトルをテーブルに置き、私は彼の部屋を後にした。
茹だるような八月の終わり。突発的な断水という不便な一日の中に落ちていた、ほんの小さな、けれど私にとってはたまらなく愛おしい、彼との秘密の日常のワンシーンだった。
八月も終わりに近づき、蝉の鳴き声がいくぶんか落ち着きを見せ始めた頃。
容赦なく照りつける太陽はまだまだ健在で、アスファルトから立ち昇る陽炎が視界を歪ませていた。