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柔和な顔立ち赤髪の少年――アラン第三王子は、箱馬車で城まで移動していた。
「兄さんって小さい頃から
箱の室内。幼馴染故か気安い口調でエルゼは話す。それを向かい側の席でアランは「ははは」と苦笑していた。
「でもヴィム君は凄いと思うよ。彼は腕や顔に傷はないんだよね? 傷跡って医師に〈回復〉を掛けて貰うくらいじゃ消えないからね。今まで目立った怪我をしてこなかったのは、普通に考えたら有り得ない。実力がある証拠さ」
話を聞く限り相当な腕というのは想像に難くない。ヴィムは学園も殆ど欠席で、ライザー家に行った際にも基本的には留守にしている。だからアランは、居たのなら会っておけば良かったなと、少し後悔していた。
「ま、まぁ確かに? 兄さんは凄い所もあるんだよね。模擬戦した事あるけど、確かに私より剣術は上だからね。同じ魔力の勝負なら私が一度も勝てなかったくらい強い。というか強すぎ……。妹相手なのに少しも負けてくれないし……。何か妙に負けず嫌いで……。普通妹に一度くらいは勝たせる気遣いとかあるべきなのに……」
最初は自慢げに兄を褒めていたエルゼだが、少しずつ不満が溢れ出す。そう、彼女はたった一度も兄に勝利した経験がない。
十年近く剣の指南を受けているのに……、戦う度に差が広がっている様な気さえする……。あのクソ兄貴……、どんだけ強くなれば気が済むのよ……。
私、兄さん以外なら同世代に負けた事ないのに。というか女に花を持たせる男気がないガキだから、兄さんはモテないんだよ。何で妹相手にムキになって勝ちにくるかな……。
エルゼは敗北の記憶を掘り返す程に、苦々しく顔を歪めた。
「……でもまぁ、正直感謝はしてる。騎士団から声を掛けて貰えたのも、兄さんが厳しく教えてくれたお陰だから」
溜息交じりにエルゼは思い出す、勝って楽しそうな兄の表情を。自分と同じで負けず嫌いで似た者兄妹なんだと、彼女は少し口角が上がる。
「ははは。随分と兄の事を恋する乙女顔で語るんだね。少し妬けるな」
冗談を言いつつ、クスクスと苦笑するアラン。
「いやいや……、それは勘弁……。兄さんに恋愛感情とか、一度も抱いた事もない……。兄さんって、適当だし、面倒くさがり屋だし、本当にだらしないんだよ。何歳になっても御父さん怒られて土下座してるし、すんごく格好悪い。放浪癖は治らないし、平気で下品な話もしてくるし、何か全てが平民っぽいの。貴族らしさが欠片もないというか……。中々家に帰って来ないから仕方ないんだけど……」
げんなりした様な口調。偽りのない本音。実際にエルゼは兄に恋愛感情なんて欠片も湧かなかった。彼女の好みはもっと爽やかで大人っぽい、それこそアランみたいな人物。いつまで経ってもガキ臭い兄では真反対である。
「……平民っぽいという点だけは、エルゼは人の事は言えないんじゃないかなぁ」
はははと、困った様に頬を掻いて苦笑い。アランは自分の事を棚に上げ過ぎでしょと、少し引いていた。彼から見ればエルゼは十分にお転婆で、公爵家の女性にしては口調もかなり荒い。話で聞くヴィムと凄く似ている。
「…………ッ⁉ え、あ、それは……。もしかして兄さんに影響受けてる……?」
ガチでショックだったのだろう。少し青ざめ、エルゼは震えていた。
「……正直、かなり影響受けてると思う。……ただまぁ――僕はそういうエルゼが好きだから。そこは安心して良いよ」
王子というフィルターもあるのだろうが、爽やかで大人っぽい笑顔だった。少し照れた様子もあるが、アランは
「~~~~っ! 何でそんな恥ずかしい事を平気で言えるかなぁ……」
真正面から好意を口にされ、これには流石にエルゼも顔を赤く染めて照れてしまい、片手で顔半分を覆い顔を少し伏せる。
普段は生意気で少しツンとした態度の、ダウナー系全開の彼女も好きな男相手にはどうしても動揺を隠し切れなかった。
「家族愛が強いというのも美徳だよ。というか羨ましい。僕の兄妹は、そういう家族愛とは無縁だから」
不意に見せる少し曇った笑顔。何か思い詰めている様子。アランは兄妹達の顔を思い出して少し肩を竦める。それをエルゼは「…………」悲しそうな顔で黙って見つめていた。
「……婚約者の君にこんな格好悪い事は言わない方がいいのかも知れないけど、僕は多分さ兄妹に認めて欲しいんだと思う」
アランは初めて口にした。エルゼ以外には言った事のない偽りない気持ちだった。もう彼女は魔導学園に入学できる年齢だ。故にそろそろ話しても良いと踏み切れた。というか、知って置いて欲しいと思ったのだ、自分がどういう人間なのかを。
「王族は実力や功績でしか、価値を評価されない。でも、それに不満はないんだ。寧ろ分かりやすくて良いとすら思ってる……。僕はいつか兄妹に恥じない人間になるよ。それで君みたいな兄妹で笑い合える関係を目指す」
先程とは違う決意に満ちた表情。王族の中で、最も才能に恵まれない不遇の王子と言われるアラン。彼は自分の身の程を知っている。
だが、その上で自分の努力が実を結ぶ事を信じていた。
異能も持たず、魔力にも恵まれておらず、剣術の才もない。だが努力の甲斐あって下級魔導師からは脱した。
……今はまだ四級魔導師だけど、いずれ三級に上がってみせる。座学も上位五人以内をキープして、エルゼに相応しい男にならないと。
「…………。大丈夫。アランならきっと――――」
優しく微笑み、エルゼは言葉を発したが、みるみるうちに顔色が悪くなる。その目は恐怖に染まっており、背筋が凍る想いだった。
――外に何か、いる。
急に馬車は止まり、馬が声を上げた。そしてキャビンの扉は無遠慮に開かれ、「き、緊急事態ですッ……‼」と騎士が血相変えて声を震わせていた。
「…………? どうしたんだい? そんな――」
「アラン様を連れて逃げて下さい。狙いは私だと思うので」
何のことは未だに理解できていないアランを遮り、騎士の胸元を手で押しエルゼは強引に馬車から降りる。
「エルゼ……?」
戸惑い自分も外に顔を出そうとするアラン。だが騎士がキャビンの出入り口の前に立ち塞がり、外を見せようとしない。
「アラン。好きだった、本当に。政略結婚とか関係なく、アランの事をずっと想って生きていたから……。それを忘れないで」
少し振り返り視線が合う。エルゼは悲し気な表情を浮かべ、また視線を元に戻す。背を向けるアランは何も言えず、騎士は「エルゼ様……」と、言葉を選ぼうとするが、体に走る緊張で言葉が上手く出てこない。
「早く逃げて、私は貴族として騎士を犬死させる訳にはいかないから。何より王子優先。貴方達は自分の務めを全うして」
「…………ッ‼ ご武運を……ッ!」
死を覚悟し背を向けて話すエルゼ、騎士がアランを奥に押し込み扉を閉めた。馬車は動き周囲の乗馬した騎士も動き出す。
緊張で体が震え汗ばむ。どうにか逃げようと思考を巡らせ、焦りで呼吸が荒くなった。いつの間にか騎士の気配は消え、自分以外を逃がす事が出来た事に安堵する。
「――ギャッギャッギャ!」
体長は成人した男性と同程度の黒ゴブリン。その名称通り、肌はテカテカと黒光りしており、通常のゴブリンよりも
黒ゴブリンは、二級モンスター……。騎士団長でも苦戦するという、この化け物に私の剣がどこまで通じるか……! どうにか傷を負わせ、引きさがってくれる事を願うしかない。
モンスターは意外と慎重だし、実際騎士が逃げる間このゴブリンは手出ししてこなかった……。それは数が減った方が好都合と判断したから。
つまりこのゴブリンは警戒心が強くて慎重という事……。多少傷を負えば逃げてくれる可能性は高い……。
呼吸が段々と荒くなり、あまりに恐怖に眩暈すら覚える。心臓が痛い。胃がキリキリとして、妙な浮遊感を抱いてしまう。エルゼは初めて死というものを意識し、冷水を浴びせられ長い夢から現実に引き戻された様な心境だった。
「ギャッ!」
黒ゴブリンが握っていたボロボロの剣を不格好に構え、凄まじい力で地面を蹴る。真っ直ぐ正面に飛び込んできた切っ先を、「く……!」ギリギリのタイミングで受け流すエルゼ。
凄い魔力密度……! モンスターだし技量は足りないけどッ! 力で押し切られる!
「…………これはッ!」
エルゼもまた三級。一切成す術がない程、実力が大きく劣る訳ではない。
途轍もない力の猛攻を続けられるが、辛うじて剣で受け流し対応する。モンスター故に単調で力任せ。集中すれば対処できない攻撃ではない。だが、それは十数秒程度なら。
長引けば必ず綻びは生まれ、殺される……。何より――体の震えが止まらない……。
『魔力に頼り過ぎたら駄目だよ。力が劣っていても技量で何となる事は実際多い。その上で技が力を凌駕すると信じる。嘘でも信じる事が大切なんだよ。それを強く信じられる心を身に付けないと、剣に迷いが生まれてしまう』
これはヴィムが口にしていた言葉。その時は『何その具体性に欠ける根性論。今どきじゃないよ、兄さん。精神的な話じゃなくって、もっと技術的な話してよ』とエルゼは呆れていた。
ギュッと剣を握る力が強くなり――。
兄さん……! これは無理……! 絶対に勝てない……!
気づくとエルゼは握った剣の切っ先がぶれていた。迷いが剣に生まれていた。
――それを、この黒ゴブリンは見逃さなかった。