僕のファーストキスを奪った幼馴染が、超ドSだった件 作:微熱@
僕は、恥辱に満ちた深夜の〝散歩〟をどうにか無事に乗り切れたと思っていたが、そうではなかった。
帰り道で、美優が思い出したようにつぶやいた。
「ねえ、由紀人」
「……はい」
「昨日、ひまりと通話したでしょ」
足が止まった。心臓が止まった。呼吸が止まった。
「な……なんで……」
「あたしがあんたのスマホのパスワードを知ってるの、忘れた? 通話履歴なんて、いつでも確認できるのよ」
美優は振り返った。月光が彼女の瞳を冷たく照らしている。
「ルール違反よ、由紀人。LINEだけだと思った? あたしの許可なく、ひまりと連絡を取ること自体が違反なの」
「で、でも……通話のことは、何も言われてなかったよ……」
「言われなきゃ分からないの? あんたは犬なのよ。飼い主の意思を汲み取りなさい」
美優の声は静かだったが、その静けさがかえって恐ろしかった。
「でも、今日はもう許してあげる。たっぷり、犬のしつけをしたから」
美優はそう言って、また前を向いて歩き始めた。
「ただし、次はないわよ」
その言葉を背中越しに聞きながら、僕は美優の後を追った。
衣服を纏っているはずなのに、まだ裸のままのような気がした。美優の前では、僕は永遠にすっ裸だ。どんな服を着込んでも、どんな顔を取り繕っても、美優は僕の全てを見透かしている。
そして今夜撮られた写真が、新たな鎖として僕を縛り続ける。ひまりちゃんの名前を出されるたびに、あの全裸の犬の姿が脳裏にフラッシュバックするのだろう。
翌日、月曜日の朝。
睡眠不足の重たい体を引きずって教室に入ると、いつもの光景が広がっていた。クラスメイトたちの賑やかな朝の会話。窓から差し込む朝日。何も変わらない日常。
だが僕の中では、全てが変わっていた。昨夜の公園の記憶がこびりついて離れない。手足に直に触れた砂利の感触。夜風の冷たさ。犬のポーズで放尿した時の、あの底知れない屈辱。
席について鞄を開けようとした時、前の席からひまりちゃんが振り返った。
「おはよう、堀田君!」
「あ、おはよう、ひまりちゃん……」
ひまりちゃんの笑顔が眩しい。この子は何も知らない。昨夜、僕が深夜の公園で全裸にリードをつけられて四つん這いで散歩させられていたことも、犬のように足を上げて放尿させられたことも、その写真が美優の手によって、いつでも送信できる状態であることも。
「あのね、聞いて聞いて! うちのポメラニアンのラテちゃんがね、昨日やっと『お手』覚えたの! ずっと教えてたのに全然やってくれなくて、もう諦めかけてたんだけど……」
ひまりちゃんが嬉しそうに取り出したスマホには、画面には小さなポメラニアンが前足を差し出している動画が映っていた。ふわふわのクリーム色の毛並みに丸い瞳。確かに可愛い。
だが僕の脳裏には、昨夜、自分が美優に「お手」をさせられた光景が連想されいた。首輪にリードという犬と同じ姿で、命じられるままに美優の差し出す手に自分の手を乗せた、あの瞬間。
「す、すごいね……ラテちゃん、可愛い……」
自分でも分かるほど引きつった声で答えた。ひまりちゃんは気づいた様子もなく、続けて動画をスワイプする。
「こっちは『伏せ』の練習中の動画。見て、全然言うこと聞かなくて、あっちこっちに走り回って──」
「ラテちゃんって言うんだ。可愛い名前ね」
横から、涼しい声が割り込んできた。美優だった。自分の席に鞄を置きながら、ひまりちゃんのスマホを覗き込んでいる。
「あ、坂本さん! おはよう! そうなの、カフェラテみたいな毛の色だからラテにしたの」
「へえ、素敵。ポメラニアンのしつけって大変でしょ?」
「うん、もう本当に大変で……お手とかお座りとか伏せとか、何回も何回も繰り返さないと覚えてくれなくて」
お手。お座り。伏せ。
ひまりちゃんが発するその単語の一つ一つが、僕の胸にナイフのように突き刺さった。昨夜、全く同じ芸を全裸のまま美優にやらされた記憶が、脳内で炸裂する。
「分かるわ。ペットのしつけって根気がいるのよね。でもね、コツがあるの」
美優はひまりちゃんの隣に体を寄せ、まるで本当にペット談義に花を咲かせるかのように、穏やかな笑顔で語り始めた。
「ご褒美と罰をはっきり分けるのが大事なの。いい子にした時は思いっきり褒めてあげて、悪いことをした時はきっちり叱る。そうすると、犬って主人に従うことが快感になるのよ。……ねえ、由紀人もそう思わない?」
美優の視線が、ちらりと僕を射抜いた。
その穏やかな微笑みの裏に潜む黒い光を、ひまりちゃんは知る由もない。ペットのしつけ論を語る美優の言葉は、一字一句が僕への当てつけだった。ご褒美と罰。主人への服従。あたかも一般的なペット教育の話をしているように見せかけて、その実、昨夜の散歩で僕を完全に支配下に置いた事実を、僕だけに分かる形で突きつけているのだ。
「う、うん……そう……だと、思う……」
搾り出すような声で答えた。声が裏返らなかったのが奇跡だった。
「でしょ? ラテちゃんも、ちゃんとご褒美あげながら続ければ、もっと色々覚えるわよ。頭のいい子みたいだし」
「ほんと!? 坂本さん、犬のこと詳しいんだね!」
「まあね。あたし、犬を飼うのが趣味みたいなものだから」
美優はさらりと言い放ち、自分の席に着いた。
ひまりちゃんは「坂本さんって動物好きなんだ!」と無邪気に喜んでいたが、僕は机の下で自分の膝を握りしめることしかできなかった。
犬を飼うのが趣味。
その「犬」が誰のことを指しているのか。この教室の中で、真実を知っているのは僕と美優だけだ。
美優が自分の席に着いた後、こちらを一瞥した。その唇が、音もなく動いた。
読唇術など心得ていないが、彼女の口の動きが何を言っているのかは、嫌でも分かってしまった。
「ワン」
二文字だけの、声無き命令。
僕は反射的に視線を逸らし、教科書を開いた。情けなさで涙が滲みそうになるのを、ぐっと堪える。
ひまりちゃんが「堀田君、次の休み時間にラテちゃんの動画もっと見せてあげるね!」と笑顔で言ってくる横で、僕は自分の首筋にまだ昨夜の首輪の感触が残っているような気がして、制服の襟元を何度も何度も直し続けていた。