僕のファーストキスを奪った幼馴染が、超ドSだった件 作:微熱@
美優の靴下が僕の部屋に来てから三日が経った。
僕は律義に美優の命令を守り、毎朝起きた時と、毎晩寝る前に、パイプベッドの下に積んだ雑誌の後ろからジップロックに入ったの紺のハイソックスを取り出して匂いを嗅いでいた。
最初は何をしているんだろうという、恥ずかしさで顔が燃えるようだったが、三日も経つと恐ろしいことに習慣化してしまった。目覚まし時計を止める動作と同じくらい自然に、ベッドの下に手が伸びる。布地を鼻に押し当て、深く息を吸い込む。洗濯されていない靴下に残る美優の足の匂いが、脳の奥を甘く痺れさせる。
さすがに三日も経つと匂いは徐々に薄れ始めていたが、それでも布地の繊維の奥に、美優の体臭の記憶が微かに残っていた。特に足裏が触れていた部分を丁寧に嗅ぎ分けると、つま先は酸味が強く、土踏まずは石鹸の残り香が多く、かかとは体温で蒸れた汗の匂いが濃い。
美優の匂いテストに備えて、僕は真剣に嗅ぎ分けの訓練をしていた。我ながら、とんでもない変態行為だった。しかしもはや、それを恥じる感覚すら麻痺し始めていた。
(奈緒さんの言った通りだ……僕は本当に、どうしようもない変態なんだ)
自分が「普通の男」ではないという自覚が、日に日に深まっている。三日前まではまだ「美優に命令されたからやっている」と思えていた。だが今は違う。命令がなくても、手が靴下に伸びる。匂いを嗅がないと落ち着かない。それは命令への服従ではなく、自分自身の欲求だった。
朝十時。
スマホが鳴った。
『堀田君! 今日暇? 夏休みの課題、一緒にやらない? 数学のプリント難しすぎてぜんぜん分かんなくて』
ひまりちゃんからのLINEだった。
夏休みに入ってからも、ひまりちゃんは定期的にメッセージを送ってきていた。美優がLINEの検閲を続けているので、僕は毎回美優に画面を見せ、美優が指示した返信だけを送っている。
だが今日は、美優はまだ連絡をしてきていない。昨日の夜から今朝にかけてのLINEは既読がついたまま返事がない。奈緒も帰省しているし美優も何かと忙しいのかもしれない。
ひまりちゃんの提案を美優に転送すべきだろうか。
しかし、その前にもう一通のメッセージが届いた。
『もしよかったら、堀田君の家に行ってもいい? 私の家、お母さんの友達が来てるからちょっとうるさくて……』
僕の家に。ひまりちゃんが。
心臓が跳ねた。それと同時に、パイプベッドの下の雑誌の後ろに眠る紺のハイソックスの存在が、冷水のように頭をかけ抜けた。
(まずい。あれを見られたら……いや、ちゃんと隠してある。ベッドの下の雑誌の後ろだ。大丈夫……たぶん)
美優に報告すべきだ。分かっている。だが美優は返事をくれない。そして「自分から連絡しろ」とも「連絡するな」とも言われていない。ひまりちゃんのメッセージを放置すれば、また不自然な距離感が生まれてしまう。
僕は迷った末に、当たり障りのない返信を打った。
『いいよ。午後からなら空いてるよ。数学のプリント、僕も途中で詰まってたから助かるよ』
送信ボタンを押した直後に、後悔が押し寄せた。美優に報告していない。これは完全にルール違反だ。
だが、取り消しはもうできない。既読マークがつき、ひまりちゃんからすぐに返信が来た。
『やったー! じゃあ2時くらいに行くね! 堀田君の家、前に聞いた駅のそばのマンションだよね? アイス買ってくね!』
午後二時。あと四時間。
僕はまず部屋の掃除を始めた。散らかった参考書や漫画を本棚に突っ込み、ゴミ箱を空にし、床を掃除機で吸った。夏場の男子高校生の部屋が臭くないか確認し、窓を開けて換気した。
そして、最大の問題。
パイプベッドの下にしゃがみ込み、雑誌の山の後ろを確認した。ジップロックに入れた美優の紺のハイソックスが、壁際の薄暗がりに鎮座している。匂いが逃げないように密封するという、変態なりの工夫を凝らした保存方法だった。
もっと安全な場所に移すべきだろうか。クローゼットの上の棚? 机の引き出し? いや、どこに移しても「女子の靴下」という事実は変わらない。万が一ひまりちゃんに見つかったら──想像するだけで血の気が引く。
結局、僕はジップロックを雑誌の山の一番奥に押し込み直し、手前の雑誌を少し多めに積み上げて壁を厚くした。パイプベッドの下にわざわざ潜り込んで雑誌をどかさない限り、目に入ることはないはずだ。
(大丈夫。大丈夫だ。ひまりちゃんが僕のベッドの下を覗く理由なんかない)
自分に言い聞かせながら、僕はリビングで母さんに「友達が来る」と伝えた。母さんは「女の子?」と嬉しそうに聞いてきたので、「クラスメイトだよ」とだけ答えた。
午後一時五十五分。インターホンが鳴った。
「堀田君、こんにちはー!」
玄関を開けると、ひまりちゃんが立っていた。白いサマーワンピースにキャスケット帽子、サンダル履き。手にはハーゲンダッツの入った袋を提げている。汗で前髪が額に張り付き、上気した頬がほんのりと赤い。夏の太陽の下を歩いてきた少女の、生き生きとした姿。
「あ、ひまりちゃん。いらっしゃい」
「お邪魔しまーす! えへへ、堀田君の家、初めてだからちょっとドキドキしちゃう」
桃の匂いが、玄関先に広がった。ひまりちゃんの定番の匂い。だが今の僕には、匂いという刺激が以前とは全く異なる意味を持ってしまっている。奈緒に訓練されて以来、女の子の匂いに対する感受性が跳ね上がっていた。
ひまりちゃんの桃の匂いの向こうに、夏の陽射しで加熱された肌の匂いと、うっすらと滲んだ汗の匂いが感じ取れてしまう。美優とは違う系統の、もっとフルーティーで軽やかな体臭。
(だ、だめだ。匂いに反応するな。普通にしろ。普通の男として振る舞え)
心の中で自分に喝を入れ、ひまりちゃんを部屋に案内した。
「わぁ、堀田君の部屋だ! 意外ときれいにしてるね」
「急いで掃除した」
「あはは、正直でいいね」
ひまりちゃんは部屋をきょろきょろと見回し、それから僕の用意したクッションの上にちょこんと座った。
「えっと、数学のプリント持ってきたんだけど、三問めのあの連立方程式がどうしても解けなくて……」
ひまりちゃんがリュックからプリントと筆記用具を取り出し、勉強が始まった。ひまりちゃんはテーブルの上にプリントを広げて、分からないところを僕に質問してくる。
意外にも穏やかな時間だった。数学の問題を一緒に解き、ハーゲンダッツを食べ、時々くだらない雑談を挟む。美優のこと、貞操帯のこと、靴下のこと──それらの影が一瞬だけ薄れていく、まるで「普通の高校生」としての時間。
「あっ、堀田君、ここ間違ってるよ。xじゃなくてyに代入しないと」
「あ、ほんとだ。ごめん」
「ふふっ、堀田君って国語は得意なのに数学苦手なんだね。ギャップがかわいい」
かわいい。ひまりちゃんにそう言われると、胸の奥がきゅうっと甘く痛んだ。
勉強を始めて一時間半ほど経った頃。
「あの、堀田君。消しゴム落としちゃった……ベッドの下に転がっていっちゃって」
ひまりちゃんがベッドの横に身を屈めて、奥を覗き込んだ。パイプベッドは脚が四本あるだけの簡素な造りで、下のスペースは丸見えだ。消しゴムが床を滑って、雑誌の山の裏側──壁際の奥の方まで転がり込んでしまっている。
「あっ、ひまりちゃん、僕が取る──」
「ううん、大丈夫! 堀田君は座ってて、手が届くと思うから」
ひまりちゃんが、パイプベッドの下に腕を伸ばした。細い腕が雑誌の山の隙間を縫って、壁際の暗がりへと手探りで進んでいく。
「もうちょっと……あった! ……あれ?」
ひまりちゃんの手が止まった。消しゴムを掴もうとした指先が、その手前にある別の何かに触れたのだ。
僕の心臓が凍りついた。消しゴムが転がった先は、雑誌の山の裏側。つまり靴下を隠した、まさにその場所だった。
「ん……? なにこれ、袋……? 中に何か入ってる……?」
ひまりちゃんの指が、ジップロックの透明なビニールを捉えていた。消しゴムと一緒に手前に引っ張り出され、紺色の布地が薄暗いベッドの下から陽の光の中に晒された。
「あっ……! ひまりちゃん、それは──」
僕が制止する前に、ひまりちゃんは好奇心に従ってビニールの中を確認していた。
紺色のハイソックスが一足。丁寧に折り畳まれた状態で、ジップロックの透明な袋に入っている。
明らかに男性用ではない。丈の長さ、サイズ感──どう見ても女性用の、それも高校生の女の子が履くようなハイソックスだった。
時間が止まった。
「堀田君、これ……」
ひまりちゃんが身を起こし、ハイソックスの入ったジップロックを手に持ったまま、僕の顔を見た。丸い瞳に、困惑と驚きが渦巻いている。
「えっと……女の子の、靴下……? なんでベッドの下に……?」
弁解を。何か言わなければ。言い訳を。理由を。
だが、何も出てこない。頭が真っ白になった。
ひまりちゃんの目の前に、美優の靴下がある。しかもジップロックに密封された状態で。男子高校生のパイプベッドの下、雑誌の裏に隠されていた女子の靴下。
どう考えても、一つの結論しかない。
「あ、あの、これは……その……」
「もしかして、堀田君って……」
ひまりちゃんの声が小さくなった。頬の赤みが引き、代わりに耳たぶまでが真っ赤に染まっている。
「堀田君って、こういうの……好き、なの?」
「こういうの」。
その三文字に込められた意味の重さが、僕の全身にのしかかった。ひまりちゃんは、僕を──女の子の靴下を嗅いで興奮するような変態だと、今この瞬間に認識しようとしている。
否定しなければ。違うと言わなければ。部活のマネージャーの忘れ物だとか、妹のものだとか、何でもいいから嘘を──けれど僕は部活に入っていないし、妹も存在しなかった。
「あ、あの……これは、その──」
言葉が詰まった。嘘が出てこない。美優の靴下だと言えば、美優との関係に踏み込まれる。他の女子のものだと言えば、ますます変態度が増す。自分のものだと言えば、別の方向で終わる。
「……わ、忘れ物、なんだ。友達の妹の……うちに遊びに来た時に、忘れていって……返そうと思ってたんだけど」
苦し紛れの嘘だった。友達の妹? この部屋に女の子が来たことなど、今日まで一度もない。
しかも、なぜジップロックに入れているのかという最大の疑問点には、何一つ答えられていない。
「そ、そうなんだ……」
ひまりちゃんは靴下をそっとベッドの上に置いた。その指先が微かに震えていた。
「ごめんね、勝手に見ちゃって……あの、堀田君のプライベートだし、私が口出すことじゃないんだけど……」
「い、いや、謝らないで、ひまりちゃんは悪くない……」
それきり、僕もひまりちゃんも何も口にできなくなってしまった。