僕のファーストキスを奪った幼馴染が、超ドSだった件 作:微熱@
夏休みも残りわずかとなった八月二十八日。木曜日の午後。
美優が予告なく突然、僕の家に来た。
「由紀人。部屋入るわよ」
玄関で靴を脱ぎながらそう言った美優の声は、いつもの冷ややかさのようでいて、しかしその氷山の水面下に何かを潜ませていそうな不穏さを帯びていた。
嫌な予感がした。美優が予告なしに来ること自体が異例だ。普段は必ず事前にLINEで連絡をしてくる。いきなり来るのは、何かを確認しに来たとしか思えない。
「あ、美優、いきなりどうし──」
「部屋」
一言で遮られた。美優は僕を押しのけて階段を上がり、ずかずかと僕の部屋に入った。まるで何か確信を持っているかのように。
僕は慌てて、美優のあとを追った。
ひまりちゃんとの秘密を奈緒が喋ってしまったのだろうか? いや、彼女は自分の口で報告しろと言っていた。それを翻すような人ではない。
「ちょ、ちょっと──」
「あんたのスマホ見せて。ロック解除して」
美優はまず僕のスマホを奪い取り、LINEの履歴、写真フォルダ、検索履歴を手際よく確認していった。そして次に──
「ベッドの下」
その一言で、全身が凍った。ばれている……。でもどうして? 何か会話や態度に出てしまっていたんだろうか? とにかく、美優の鋭い感に察知されてしまったに違いない。
美優はパイプベッドの前にしゃがみ込み、雑誌の山の後ろに手を伸ばした。壁際の暗がりに隠してあるジップロックの場所を、美優は最初から知っている。僕が、そこに隠していると報告していたから。
美優の手がさらに伸びて、雑誌の山が崩される。そして、暗がりから引っ張り出されたのは──
「……は?」
美優の手が、止まった。
引き出されたジップロックは二つ、あった。
右側に、紺のハイソックス。これは美優のもの。精液と美優の匂いが混ざった、僕への宿題。
左側に、白いくるぶし丈のソックス。彼女の知らない、明らかに美優のものではない靴下。
美優が、ゆっくりと振り返った。
その瞳は、見たことのない色に染まっていた。怒りでも嫉妬でもない──裏切られた人間が、自分の目を疑いながら現実を受け入れようとする時の、硝子が割れる直前のような脆い光。
「由紀人。これ、なに?」
「あ……あの、それは──」
「これ、なに?」
美優は同じ言葉を、二度繰り返した。二度目の声は、圧倒的に低かった。
「なんであたしの靴下の横に、別の女の靴下があるのよ。それも、あたしのと同じ方法で保存して。誰のものか言いなさい」
嘘をつく選択肢は、もうなかった。
「……ひまりちゃんの、です」
美優は白い靴下の入ったジップロックを手に取り、透明なビニール越しに中身を見た。白いくるぶし丈のソックス。足裏の部分が、ほんの少しだけ灰色になっている。ひまりちゃんが、一日履いた靴下。
「いつから」
「八月十五日に……ひまりちゃんの家に行った時に……」
「ひまりの家で何があったの。全部話しなさい。全部よ」
僕は白状した。
全てを。
あの日、ひまりちゃんからキスされたこと。手を胸に当てさせられたこと。帰り際にひまりちゃんが自分の靴下をジップロックに入れて渡してくれたこと。そして──美優に「特に変わったことはありませんでした」と嘘の報告をしたこと。
美優は、話を聞いている間、一言も発しなかった。
一言も。
それが何よりも怖かった。
話し終えた後の沈黙は、十秒だったのか一分だったのか。
「──あたしが馬鹿だった」
美優の声は、もう冷たくすらなかった。乾いていた。水分を全て失った砂漠のような声。
「お泊まりの日、楽しかったって言ったの、覚えてる? あんたの前で自慰を見せたの。足で出してあげたの。全部、由紀人のことを信じてたからやったのよ」
美優の手が、白い靴下の入ったジップロックを握り潰すように掴んだ。
「あたしが、そうやって由紀人のこと信じてた間、由紀人はひまりとキスして、胸触って、靴下までもらって──あたしの隣に並べて保存してたの? あたしの靴下の横に? どういう気持ちで?」
声が、わずかに震えた。
「あたしの靴下の匂いを嗅いだ同じ鼻で、ひまりの靴下も嗅いでたの?」
僕は何も答えられなかった。答えようがなかった。全て事実だったから。
「ふざけないで……ッ!!」
美優が僕の胸ぐらを掴んだ。華奢な腕とは思えない力で、Tシャツの生地が破れるのではと思えそうなほどに強く。美優の目には、涙が滲んでいた。だがその涙は一滴も頬を伝わず、目の縁で必死に堪えられていた。
泣かない。泣いてなるものかという意地が、美優の体を支えていた。
「ここから出て。今すぐ」
「美優──」
「一人にして」
僕は部屋を追い出され、階段の上に立ち尽くした。閉じた扉の向こうで、美優が何をしているのか分からない。物を投げる音もしない。泣き声も聞こえない。ただ沈黙だけがある。
五分後、美優が扉を開け出てきた。顔は完璧に整えられていた。涙の跡はない。
「ひまりの靴下は没収する。あんたの手元に置いとかせるわけにはいかないわ」
ひまりちゃんの白い靴下は、美優のバッグの中に消えた。
「それと──」
美優が、僕にスマホを突き返してくる。
その画面には、たった今届いたばかりのLINEの通知が表示されていた。
『堀田君! 8月31日の花火大会、一緒に行かない? 実は……そろそろお返事、聞きたいなって。二人で、ゆっくり話したいな』
ひまりちゃんからだった。
花火大会。告白の返事。
最悪のタイミングだった。よりによって美優が全てを知った、この瞬間に。
「行きなさい」
「え……」
「花火大会、行きなさい。そしてひまりに引導を渡しなさい。断るのよ。あんたの口で、はっきりと」
美優の目は乾いていた。もう震えてはいない。すべてを焼き尽くした後の灰のように、静かで、そこには何もない。
「……元々、断るつもり、でした」
「へえ。あたしに嘘ついてた人間がそんなこと言っても、ちっとも信用できないけど。でもいいわ。行って、きっぱり断ってきなさい。それがあんたに残された唯一の贖罪よ」
自分でも、どの口が言っているんだろうと思う。本当に今の僕にひまりちゃんの好意を受け入れる資格はないと思っていたけど、信じてもらえなくて当然だ。
美優はそれ以上何も言わず、玄関を出ていった。一度も、振り返らなかった。