せともの。~クラスの銀髪の美少女に、僕が攻略される話~ 作:霧里
どうしよう。
ドキドキする。胸の高鳴りが収まらない。
歩き慣れたはずの廊下が、別の道のように見えるほど。気分はまるで、ラブレターを受け取ったときのよう……ではなく、絞首台に向かう罪人の方が近いかも。
どっちの経験もないけれど、出来れば前者であってほしかった。
放課後。
帰り支度を済ませて席を立つと、不意に声を掛けられた。
「ちょっときて?」すれ違いざまに呟いたきり、瀬戸さんはさっさと廊下に出てしまう。気のせいかと思うほど小さな声は、だけどそうじゃないらしい。
遅れて廊下に出てみれば、足を止めて振り返った彼女と目が合った。
何も言われない。
それっきり、先を歩く彼女を慌てて追いかけた。
そこに何があるんだろう。下校の波に逆らって、人影はどんどん減っていく。
無視、してもよかった。彼女との接点なんてこれまでなかったから。きっと、別の誰かに声を掛けたのだろうと頷いて。それでも逃げ出せなかった理由は一つだけ。
見られたかもしれない。
不安が胸を締め付ける。
逃げたって、明日もまた顔を合わせるんだ。今度はもっと強引にくるかもしれない。黙っていてほしければ……。それこそ、エロゲみたいなシチュエーションじゃないか。
「あの……瀬戸さん?」
「ん……」
返事はあった。無視されると思っていただけに、ちょっと気が緩む。
俯いていた顔を持ち上げて、一秒と持たず顔を伏せる。階段を登り始めた彼女の背中。ひらり、ひらひら。視界の端で揺れる薄い布から、慌てて目を逸らした。
女子が何を考えてるのかわからない。
見られたら烈火の如く怒るくせに、わざわざスカートを短くして。
逃げ出したいけどそれは無理。鈍る足を無理矢理動かした。付かず、離れずだ。
瀬戸さんの背中が遠のくほどに、スカートの中が近づいてくる。
笑い声? だったんだろうか。ふっと、聞こえた吐息。つい吸い込まれそうになる僕の視線を遮ったのは、彼女の手のひらだった。
無心だ。無心。
考えちゃいけない。足元に視線を固定して、念仏のように階段を数える。
2階から3階へ、3階からその先へ。ざっと煩悩を数える頃には、屋上の扉が見えてきた。出られるんだろうか? 鍵が掛かってそうなイメージはあった。
階段を昇りきった瀬戸さんは、扉に手をかけることなく踊りの場の隅へ腰を下ろす。
みかん、好きなのかな?
再び感じたシトラスの香り。よく見れば、隅っこに紙パックのオレンジジュースが転がってたりもする。いわゆる秘密基地的な? 舞い上がるホコリの一つに、彼女の雰囲気が染み付いているようだ。
校舎の端も端。
それも屋上の手前だなんて、確かに誰もこないだろう。口元が緩む。人目から離れて、こっそりと。オレンジジュースのパックをちゅーちゅー吸ってる姿を想像してしまった。子供っぽい一面を見つけて、冷たいばかりの印象が少し和らぐ。
「なに?」
睨まれて、口元を引き結ぶ。つっけんどんと、不器用な口調に気圧された。
元が美人な分だけ、当たりが強い。眉根を寄せられただけで、射すくめられた気になってしまう。
「えと、いや……その。オレンジ、好きなのかなって?」
「ん、ぁぁ……悪い?」
めんどくさ。
物言わない溜息が、そう言ってるように聞こえた。
似合わない……かな? 勝手な想像だけど、きっと。コーラとか、ジンジャエールとか、そういうキツイのを飲んでるイメージは確かにあった。
「違う、違うっ。僕も好きだし、全然いいと思う」
「そっ……。じゃあ、飲む?」
「あ、うん……え?」
頷いて、気づく。いまさら断れる空気でもない。
紙パックから伸びた白いストロー。そこには歯型と、薄いリップの跡。
気にしないのか? 「別に?」て言いそうではある。わざわざ指摘するのも、なんか僕だけ気にしてるみたいでイヤだ。
「にひっ……♪」
「……」
なんか、なんかもう。
からかわれていた。
紙パックを受け取って、その軽さにようやく気づく。
振ってみれば、一滴二滴あるかどうか。このまま吸い付いてやろうか。目の前でジュッと音を立てれば、瀬戸さんだって少しは慌てるかもしれない。
熱くなる頬を隠せないまま、見上げる彼女を見下ろした。
弧を描いた口元は、悪戯が成功したのを喜ぶみたいだ。
「ふふっ……♪」吐息が漏れる。春風に吹かれるように、瀬戸さんのスカートもゆらゆらと。緩い体育座りみたいな格好だった。見えそうで、見えない。階段を昇っていた時だってそう。スカートの中がチラついて、何処を見ていいか分からなくなる。
「秋月も、ああいうの興味あるんだ?」
「……えと、なんの話し?」
「……」
無駄な抵抗は沈黙で抑えつけられた。
やっぱり、その話か。苦しいが、頷く以外に他はない。何を誤魔化したって、主導権は向こうが握っているんだ。
「スマホ、貸して?」
「いや、それは……」
思わず、ズボンのポケットに触れていた。それで何が変わるわけじゃない。
むしろ、そこにあるんだと瀬戸さんに教えてしまっているようなものだ。「なんで?」とか「どうして?」とか、僕の疑問は一斉無視。「いいから」のたった一言だ。スマホを取り返そうとして、掴み損ねた指が滑る。
吸い付くように滑らかな肌だった。
冷えた指先の向こうにも確かな温もりがあって、爪の先に、骨の硬さも感じられた。どれ一つとして同じ所がない。いつからだ。全て均一なガラスの感触が、女の子のイメージに結びついたのは。頭を撫でても、胸をつついても変わらない。セリフだって同じパターンの繰り返し。その瞬間を切り取ったんだ。そりゃ可愛いんだけど……。
触れてみたい。
いつもゲームでしているように。撫でて、つついて。瀬戸さんはどんな反応をするんだろう? 思う反面、動けなかった。どう扱ったらいいか分からない。華奢な指先は、触れれば折れてしまいそう。悲鳴でも上げられたら最悪だ。躊躇いが足を竦ませる。
「はい、チーズ」
「え、あ……」
取られたスマホの画面を向けられていた。
顔認証もこうなると弱い。あっさりとロックを外した瀬戸さんは、手慣れた手つきで指を這わせる。
何がしたいんだろう?
僕の個人情報に価値があるとは思えないし。エロ画像でも漁られてる?
際どいのは何枚か。あんまり露骨なのは保存してなかったはずだけど。
直後。
響いてきたBGMに、耳を疑った。
耳慣れたエロゲの起動音。それをフルで聞いたのは何時ぶりだっただろう。
状況が分からない。
クラスの女子が自分の隣でエロゲをプレイしている。
耳をくすぐる少女の喘ぎ声。いつも股間に響くその声も、今日は笑い声に掻き消されていた。
「あはははっ。めっちゃおっぱい揺れるじゃん」
「うはっ。ちんこデカ」
「勇者さま早いって。しかも、どんだけ出すんだよ。女の子ベトベトじゃん。いひひひひっ……♪」
爆笑だ。
不良っぽいって思っていた女子が、エロシーンを見ながら笑い転げている。
これなら猫に話しかけてくれた方が、まだ反応できた。どういう顔をすればいい? 熱くなった頬を隠すみたい頭を抱える。笑い声を聞いて、誰かきたりしないだろうか? 頼むから、せめて声を抑えて。
見られてたと分かった時よりも心苦しい。
流れているのは同じエロシーンのはずなのに、興奮するどころか萎縮してしまっていた。
涙を湛えた目尻を拭う。
一頻り笑った瀬戸さんの顔はキラキラと輝いて、普段の鬱屈した彼女とは別人のようだ。可愛い、と思った。いつもそうしていれば、きっとモテるんだろうに……。考えて止めにした。ゲームのキャラじゃないんだ。人気のために笑えだなんて、そんなの理想の押し付けだ。
「あ、ごめん」
分からなかった。
余計なことを考えていたせいで、文脈が繋がらない。
急に謝られて、はっとなる。さっきまでの笑顔が嘘みたいだ。神妙な面持ちで見つめ合ってようやく。見惚れてしまっていた事に気づいた僕は、照れくさくなって顔を伏せた。それでもおかしい。からかわれる ならともかく、どうして?
「いや。好きなもの笑われるのは、普通にイヤでしょ? だから、ごめん。バカにするんじゃなくってさ」
ああ、そういう話か。
不良っぽい。それだけで、瀬戸さんのイメージを決めつけてしまっていた。ちゃんとそういう気遣いもできる子なんだ。
「その……キモいとかって、思わないの? 結構、覚悟してたんだけど?」
「別に? あたしが何かされたわけじゃないし。ああ、でも。階段上がってる時、パンツ覗こうとしてたのはキモかったかな?」
「ぃっ、ゃっ……あれはっ。見てないっ! ていうかっ、そんな短くしといてっ、見えそうになるだろっ!」
「あはははっ、必死すぎっ。ウケる」
笑われてしまった。
それも、今まで僕が抱いていた彼女のイメージとは少し違って。もっと冷淡に、あしらわれるものだとばかり。初めて話してみた瀬戸さんは、意外なまでに親しみやすかった。
「そんなに……面白かった?」
だから、口が滑った。いや、そんなネガティブな感じじゃない。もっと単純に話してみたいと思う。とりあえずは、エロシーンであんなに笑っていた理由から。
「いや、笑うでしょ? あれは。おっぱいドーンっ、ちんこバーンってさ。くふっ、バっカだぁって」
「おっぱいドーン……んっ」
「ちんこバーン」
「ひくっ。やめ、それ。あははっ」
「ほら、笑うじゃん」
「いや、んふっ。そんな言い方されたら、そりゃ……」
思い出し笑い。話しながらも唇は波をうち、瀬戸さんは身悶えたようにお腹をよじる。やっぱり、可愛い。扉の窓から差し込んできた夕日が、瀬戸さんをスポットライトのように照らしだす。
よく笑って、よく話す。つられて僕も笑ってしまった。エロシーンの話をしていたはずなのに、空気は乾いたまま。振り返っても夢みたいだ。一頻り笑いあった僕たちは、下校のチャイムに背中を押されて立ち上がる。
通学路の途中、瀬戸さんの背中を見送った。
じゃあ、また明日。とはならない。スマホに視線を戻した彼女とはそれっきり。
別々に帰る理由がなかったから、一緒に歩いていただけだ。
今日は特別。明日にはきっと元通り。彼女にとっても僕にとっても。青春の1ページに、ちょっとドキッとするような話があってもいいだろう。ありがとう。
胸にしまった思い出が、残りの帰り道を少しだけ彩った。