せともの。~クラスの銀髪の美少女に、僕が攻略される話~ 作:霧里
いや、でも、流石に僕は悪くなくないか?
熱っぽい声。くぐもった吐息。いつもはあんな風でも、やっぱり女の子なんだし。
体調が悪い日には、心細くもなるんだろう。そう思って聞かない振りをする。
問題用紙に集中してる分には、多少のノイズは聞き流せた。だとしても、それをノイズと言うには、あんまり耳に絡んでくる。
まるで、僕の理性を試すみたいに。
おかしいな。
女の子の嬌声なんて、エロゲでいくらも聞いていたはずなのに。
どうして、彼女のものだけ特別に思うんだろう? イラストからマンガへ、そして初めて声付きの動画を見た時の感動か、それ以上。もうすっかりと、慣れていたつもりだった所に、飛び込んできた情動を持て余す。
ひどい妄想だ。
勉強を教えると言いながら、瀬戸さんを部屋に連れ込んだ。
隣り合って、肩が触れる。最初は悪戯っぽく戯れていた彼女の口数が減っていき、押し倒されて、ついに何も言わなくなった。
あの後、何回抜いたんだか。
そうでもしないと収まりが付かなかった。
教室で見かけても、そこでの僕らは、あくまで他人同士。
話す機会は一度もないまま、クラスメイトと呼んでいいのかも怪しい。
――後でね
送られてきたメッセージに、指が固まった。
すれ違いざま、瀬戸さんの匂いがフワリと舞い上がる。甘酸っぱい、オレンジの香り。既読は付いた。せめて一言返さないと、また不安にさせてしまう。
わかっているのに、送れない。
また血が集まってくる。
自分が信じられなかった。
今 二人きりになったら、僕は。勝手な期待を、押し付けないでいられるんだろうか……。
悶々としたまま一日が通り過ぎる。
放課後。教室の空気が変わってようやく、授業が終わったのに気づいた。
秘密基地に向かう足が動かない。廊下の真ん中で立ち止まり、やっぱり今日は……断りの連絡を入れようとした時だった。
「おーい、なぎかれー♪」
ポップで明るい、調子のいい声。ポンッと肩をたたかれて、驚いた手から滑り落ちそうになるスマホを、慌てて掴み直した。
「おぉ。ごめんごめん、そんな驚くなんて。怖がりなんだねぇ、キミって」
「グサッとくるね、そうだけどさ。えと、波多野さん、だっけ?」
「そだよん。姓は波多野で、名はみなも。以後、万事万端よろしくよしなに……凪ちゃん共々可愛がってね♪」
ふわっとした金髪に、桜色が透けて見える。
掲げられたピースサインと満面の笑顔。袖の余ったカーディガンが、彼女の小動物感をさらに際立たせていた。
「それはちょっと……」
浮気ではないはず。けれど、なんだかゾッとしない。すごい顔で睨まれそう。想像した瀬戸さんの視線に背筋が冷えた。
「ねーねーいーでしょー、なぎかれー。さきっちょだけでもいいからさ―。みなも とも遊んでよー♪ 二人で天井の染みをかぞえよーよー」
凄く……凄い、絡んでくる。
とりあえず黙ってほしい。
不用意に飛び出してきた言葉の意味を、履き違えそうになる。周囲からの視線も痛かった。そうじゃなくても、まずは友達からだろう。
瀬戸さんを見ていると、よく目に入ってくる女の子。
最初の印象はそれだけだ。名前を覚えていたのも、たまたま漏れ聞こえてきただけ。彼女の周りをウロチョロと。月と地球みたい、そう言えば詩的だけれど。
でも実際は、観光客を付け狙うトンビの方が印象に近い。
ウザイ……
思わず、口に出そうになるのを飲み込んだ。
友達だからって、その態度はあんまりじゃないか? 瀬戸さんを窘めようと思ったこともある。でも、これは……僕でさえそうなんだ。
「うっさい」だの「うざい」だの。彼女が我慢できるわけもなく。それで懲りる波多野さんでもなかった。多少の悪態なんてどこ吹く風。ひょいっと躱して、次の隙を伺う視線はまさに猛禽の類だろう。
「それでさ、なぎかれー」
「ちょ、ちょっとまって。その、なぎかれーってなに?」
テンポが早い。人を振り回すタイプの足の速さに、名乗り返すタイミングを見逃した。エスニックな呼ばれ方の正体も分からないまま。僕が困惑している間にも、波多野さんの興味は次々に移っていく。
「なにって?」
コテンと首を傾げて、口元に手を当てる。
いちいち動きがオーバーだ。瀬戸さんと一緒にいる時と変わらない。ほとんど動かない彼女の周りでパタパタと、賑やかしてる姿が目に浮かぶ。
「ふーあーゆーっ♪」
得意げに指を差された。
ピっと、余った袖から伸びた指先が、鼻先に触れそうだ。
ここにきて、自己紹介を求められてるとは考えづらい。「キミだよ」多分、そう言いたいんだろうけど、あんまり自信に溢れた態度に、指摘していいものか迷う。
「えと、多分。I mean youじゃないかなって?」
「んー……うんっ。いえすっ、ゆーっ!」
通じてないな。適当に頷かないで。
ラジオ体操みたいに傾いたかと思えば、我が意を得たりと破顔する。掲げられた手の意味がわからない。向けられた平手が ひらひらと。輝く瞳が ワクワクと。
恐る恐るだ。
正解が分からない。
それでも、伝わってくるものはあった。
ハイタッチ。と言うにはあまりにも。イメージにあるような、小気味の良い音は鳴らない。困惑する僕の調子に合わせたのか、波多野さんの手が静かに触れる。
「いぇーい♪」
ニコニコだ。
コミュニケーションを取ることに迷いがない。
どれだけ邪険に扱われようが、めげない、くじけない、そして押し付ける。先に折れたのも瀬戸さんなんだろう。何を言っても怒られない安心感も、手伝ったのかもしれない。
……じゃなくて。
勢いに飲まれそうになるのを、なんとか踏みとどまる。
「なぎかれー」とは? 改めて問い直すと「そうだった」と手を打った波多野さんは僕を見つめて。
「だってキミ。凪すけの彼氏でしょ?」
凪すけって、さっきもさ。瀬戸さん、よく許してるな。
普通に睨まれそうなんだけど。それすら意に介さないのは、肝が座ってるを通り越している気がした。
「ん、キミ? キミはぁ……ふーあーゆー?」
正しいな。今度は間違っていない。
欲を言えば What's your name? なんだろうけど、そこに正しさは必要なかった。
「秋月だよ。秋月 律」
「おぉ、規則正しそうなお名前だ」
なぜ拍手?
小さな手でパチパチと。それが妙にくすぐったい。そんな事初めて言われた。
ついでに「りっつん」なんて、あだ名で呼ばれたのもそうだ。
「りっつん とぅ みー」
なんでわざわざ英語で言いたがるんだろう?
最後の授業がそうだったせいかな。どうにも、脊髄で喋っている感じがいなめない。明日には別の言語を話していても、全然 驚けなかった。
「あなたは、凪の、彼氏ですか?」
カタコトに問われて、答えに詰まる。
上目遣いの視線だけは可愛らしいが、値踏みされているようで居心地が悪くなった。スマホ越しのやり取り。探られたくない腹はある。そんなんじゃない。違う。瀬戸さんのためにも、キッパリ言うべきなのに、首を振ることすら躊躇われた。
「そういうんじゃ……ないけど」
「違うかぁ……。違うなら、関係ないかなぁ……(チラっ」
含みのある視線。唇に当てた指先が、続く言葉を押し込んでいるような。
探るような態度を無視できず、釣られる形で波多野さんに詰め寄った。
「なに? 瀬戸さんに何かあったの?」
「やぁっぱ、気になる感じ?」
ニヤリ……勿体つけられた事が腹立たしい。猫じゃらしで くすぐられたような鬱陶しさだ。嫌な予感。なんでこうも胸がざわつく。責めるつもりはないのに、つい。彼女の肩を掴んでしまっていた。
「浮気者♪」
「ぁ……ごめん」
嫌がられた方がマシだった。小悪魔ように微笑まれ、慌てて手を離しても、もう遅い。
「きゃはーっ♪ 凪すけに言いつけちゃお~♪」
「ほんとに、止めて……。僕が悪かったから、待ってよ波多野さんっ」
脱兎の如く、逃げる波多野さんを追いかけた。
その一瞬。流れてきた視線が僕を見る。ちゃんとついてきているのか、確かめるように。きっとその先には、瀬戸さんがいるはずだ。
にしても。
逃げ足早いなコイツ。本当に案内する気があるのか。気を抜くと、普通に置いていかれそうだった。
******
めんどくさ……
目の前でニヤついている男の顔が、視界に入るだけで不快だった。
授業も終わってさ。ようやく、あっきーと話せるって時になに?
急に現れて、ちょっと付き合えだなんて。連れ出されたのは校舎裏。何をするにも、お誂え向きのスポットだ。
というか、お前は誰様よ?
ついさっき名乗っていたはずなのに、あんまりにも興味が無さ過ぎて聞き流してしまった。確か2年の……ダメだ思い出せない。スマホから、顔を上げるのすら億劫だ。聞いてもないことをベラベラと喋って、自慢話なら一人でやってろ。
あっきー は……また既読無視かよ。
やめろって言ったのに。どうしようもなく不安になる。何かやらかしてしまったんじゃないか。彼に嫌われるようなことを。
してるんだよなぁ……。
内心、頭を抱えていた。
目の前の某なんて目にも入らない。
エロゲで繋がった関係性。そのせいか、極端にハードルが下がってる気がする。
スマホ越しとはいえ。何をしてたかなんて、分からなかったとはいえ。身一つで、異性の気を引ける手軽さにも負けてしまった。息遣いも、興奮も、あの一瞬は鼓動の音すら一つになって。嘘にはしたくない。何もなかったと、水に流されるのはあんまりだ。
「なぁ、聞いてるか、俺の話?」
「は?」
ギロリ……
睨みつけてやった。
聞いてないし、話しかけんなし。
不可抗力。顔を見る気もなかったけど、睨みつければそうもなる。
「終わったんなら、もう行っていい?」
見上げたその顔はいかにもだ。スポーツが得意そうなイケメン。
後輩の女子達からキャーキャー言われて、天狗になってそうな顔。きっと女に困った事はないんだろうな。敵意を返されるなんて思ってもない。目を開いて、息を呑む。一瞬でもたじろいだのを誤魔化しきれていなかった。
「ちょっと待てって。ぶっちゃけさっ、俺達付き合わね?」
それならそれで、さっさとそう言え。
聞くだけでも振りをしないと、纏わりつかれて鬱陶しい。みなも がいれば、適当に茶化してくれたのに。いらんことはするくせに、必要な時はどうしていない。
勝手な言い草だ。ロクに構いもしないでさ。
「ちっ……」
舌打ちを一つ。
ムシャクシャしていた。あっきーとの時間を削られて腹も立つ。
「それは、波多野さんが可哀想だよ」彼ならきっとそういうんだろう。嗜められる自分を想像するのは簡単だ。あたしが悪い。分かっていても。みなもの肩を持ってるのが許せなかった。
「うざっ。一人でやってろ」
ほとんど八つ当たり。振るにしたって、もう少し言い方ってものがあっただろう。
こんな、相手を蹴飛ばすようなこと、怒らせたってしかたがない。
「おいっ! なんだよそれ。ちょっと可愛いからって調子のってんのかっ」
「なっ!? 触んなっ」
確かに、調子に乗っていた。
手を上げられるわけがない。暴力沙汰が噂になれば、社会的に殺される。
それが、女子相手となると尚更だ。睨んで、舌打ちすれば、大体が日和る。逆上される可能性を考慮に入れていなかった。
ドンッと、校舎の壁に手をつかれ退路を塞がれた。
押しのけようとして、腕を掴まれる。本気でイヤなのに、振りほどけない。
「離せっ! このっ……いっ。あ、ぐっ!?」
無理矢理引き戻され、校舎の壁に背中を打ち付けられた。
藻掻けば藻掻くほど、押し込められていく。怖いだなんて、初めて思ったかもしれない。
獣のような吐息を振りかけられる。
キツイ香水の匂いが鼻先を掠めた。
「やだっ。このっ、やめっ。あっきー……」
それで、どうなる?
今、彼がここにいたとして。こんなのとケンカして勝てるような性格じゃ。
体格だって、あたしと同じかそれ以下か。助けにきてほしい。ゲームの勇者様みたいにかっこよく。でも、そのせいで怪我をさせるのは。
躊躇いに、足が竦む。
殴るか、蹴るか。
何も考えずに、やり返せば良かったのに。
壁との間に挟まれて、完全に身動きが取れなかった。少しでも遠ざかろうと、顔を逸らすくらいしか出来ない。悔しい。こんな男に好きにされて。つい彼を頼ろうとした自分の弱さにも。
涙が溢れるその直前、鋭い声が遮った。
「離して下さいっ!」
怒ってる。そんな、あっきーの声を初めて聞いた。
聞き慣れた声のはずなのに、安心するどころか不安になる。ケンカ慣れなんてしてるわけがない。あたしにだって、それが虚勢なんだと分かるほどに痛々しい。
「ダメっ、あっきー。あたしは大丈夫だからっ――!?」
「大丈夫じゃないでしょっ、こんなのっ。これ、僕のなんで。止めてもらっていいですか?」
は?
何を言おうとしたのか、すっぽりと頭から抜け落ちた。
耳に飛び込んできた言葉の意味が繋がらない。「僕の」って何? いつから あたしは あっきーのになったんだ? 冷たいだけだった涙に温度が戻る。こんな状況なのに嬉しいと、弾む鼓動を抑えられない。
でも、だからこそダメだった。
「凪、何だお前、こんな女みたいなやつと付き合ってんのか?」
「うるさいっ! アンタには関係ないでしょっ」
「まぁ、そうだな。じゃあ、今からコイツの事ボコるけど。いいんだな? 俺には関係ないしな」
あれだけ、振りほどけなかった男の手が あっさりと。
背中を向けて、その足は あっきーの方へと踏み込んだ。拳が大きく振りあがる。
いや。ダメ。やめて。
手を伸ばしても届かない。「逃げて」って、こんな状況で、なんであたしの心配してるんだ。自分だって泣きそうな顔してるのに。ケンカにもならないでしょ、もっと自分の心配してよ……。
「ちっ」
――それでも、いいのかな。
あたしが乱暴されて、彼が助かるなら。
イライラして、ハラハラさせて。あれだけ荒れていた心の波が、すんっと凪いだ。
天秤の針が、大きく傾く。あたしと彼の重さは釣り合わない。皿の底が抜け落ちた。心が決まって、肝が座る。あっきーが殴られるその直前。あたしは握りしめた天秤を、大きく振りかぶっていた。
******
目前に迫る男の拳に、僕は目を閉じるしか出来なかった。
ドスっと、鈍い音がして、頬に強烈な衝撃が走る。
加減も何も無い。視界がぐにゃりと揺れて、ひっくり返った。尻もちをついて、擦り切れた手のひらが、粘着くように熱い。
殴られたのか。
口の中に広がる血の匂い。頭がぼやける。立ち上がろうとして目眩がした。
やっぱり、僕じゃ敵わないか。ケンカにもならない。でも、それでよかった。
瀬戸さんが解放されている。
そのまま逃げてくれれば僕の勝ちだ。波多野さんが人を呼んでくれているはずだし。もう何回か、痛い思いを耐えるだけ。
「ほら、どうすんだよ凪。大切な彼がどうなってもさっ!!」
殴られる。流石に、やり返す度胸までは……。瀬戸さんが無事なら、あとはどうとでも。なけなしの勇気は、そこに注ぎ込んでしまった。後のことを考えていたら、きっと足が竦んでた。覚悟を決めて、強く目を閉じる。でも、やっぱり痛いのは嫌だな。
「ぐおっ!!」
聞こえたのは野太い男の悲鳴。
次に襲ってくるはずの痛みは、いつまで経ってもやって来ない。人が膝から崩れ落ちるのを初めてみた。あれだけ恐ろしく見えた彼は小さく蹲り、頭を抑えて呻いている。
「人の男に何やってんだっ!!」
「なっ、は!? まてって、ちょっ……マジでっ」
完全な不意打ち。
見境のないフルスイング。
スマホの角で、後頭部に一撃だ。振り向いた彼の顔に、靴底がのめり込む光景が、ゆっくりと流れていく。立ち上がる暇なんて与えない。無防備に開いた横腹に、容赦なくもう一発。ローファーのつま先が、深々と吸い込まれていった。
ちょっとした既視感。
子供の頃に見た光景。
テレビの中で暴れる大怪獣が、銀色の巨人を蹴り上げる。
怒りのまま口から火を吹いて、何度も何度も踏みつけた。
「ちょっとっ!? 瀬戸さん、ダメだってそれ以上はっ」
「離せっ! 離してっ!! だって律っ。コイツ、アンタのことっ――」
「いいからっ! 僕は大丈夫だからっ。落ち着いてよ、お願いだからっ。凪っ――!!」
倒れた彼は動かない。漏れた吐息に、おかしな音すら混ざっていた。
情けない。大怪獣を相手にしてるわけでもないのに。不良に勝てないどころか、好きな女の子一人止められないなんて。
「おーいっ。せんせっ、こっちこっちっ! はやくって。りっつん、無事!? あーもーっ。なにやってんのさっ、凪すけっ。うぇいと、うぇいとっ。お座りだよっ、落ち着けってバカっ!!」
波多野さん、よかった。間に合って。
にわかに騒がしくなると、人の気配が大きくなる。二人がかりで瀬戸さんを抑えてようやく。間に先生が入ってやっと。彼女の無事を見届けて気が抜けたのか、僕が覚えていたのはそこまでだった。
******
「ケガはない?」
何も言えなかった。
保健室で、ようやく目を覚ました あっきーの最初の言葉がこれ。
あたしのせいで殴られたのに。もっとさ、嫌われたって全然おかしくないのに。
顔が見れない。
もし、何か一つでも違っていたら。あっきーはもっとボロボロにされてたかもしれないし。あたしもどうなってたか分からない。そんなの、今更になって。顔を見られたくなかった。震えだした指先を誤魔化すように、スカートの端を握りしめる。
「……うっさい、バカ」
ようやく絞り出した返事に、可愛げなんて何処にも。
膝を抱えた子供みたいだ。憎まれ口を叩いていい場面じゃ全然ないのに、もう自分じゃどうしていいか分からない。震える手に、あっきーの手が重なった。たったそれだけで、指の隙間からスカートが滑り落ちていく。
「うっさい じゃ、何も分からないよ?」
責めてるようで、全然怒っていなかった。
ふわりと、柔らかい。包み込むような温もりに絆される。一つ、二つ……手を重ねたまま時間がすぎる。会話はない。何を言っていいか分からなかった。「うざい」と「うっさい」以外に知ってる言葉なんて、あたしには。
いや、あるか。
一つだけ。
あっきーに――律に教えてもらった大切な言葉が。
ぎゅっと、重ねた手に力を込めた。意地っ張りだとか、照れ隠しなんかじゃなくて、その手を離したくない。例え振り払われてでも、ずっと掴んでいたかった。
「ごめん。あたしのせいで、巻き込んで……」
「瀬戸さんのせいじゃ……。僕の方こそ、心配かけてごめんね。もうちょっとかっこよく出来ればよかったんだけど。勇者(ゲーム)みたいにはいかないや、あはは……」
違う。そんなことない。
助けに来てくれたのは他の誰でもない、律なんだよ?
冗談めかして笑う彼を、あたしは笑えなかった。
頬に出来た痣ですら、輝いて見える。高鳴る心音。止めようのない恋心をぶつけたら、ちゃんと受け止めてくれるだろうか?
「凪って、言った……」
「ぇ、ぁ……そう、だっけ? 慌ててたからさ、僕も……」
気まずそうに顔をそらす。明らかに覚えのある反応だ。
「僕のってなに? あたし、いつから あっきーの物になったの?」
「それは……。瀬戸さんだって僕のこと物扱いしてたよね? 人の男にって。大体、あっきーなんて言い出したのもっ」
「は? 今それ言うの? イヤだったらさ」
「イヤだとは言ってないでしょっ」
不毛な睨み合いだった。
膨らませた頬の中に入ってるものは同じ筈なのに、それを口から出せずにいる。
よく分からないチキンレースを、最初に降りたのは あたしじゃない。やっぱり、彼のほうが何倍も勇気があった。
「凪?」
「ひゃっ!?」
沸騰したケトルが鳴いたようだ。
素っ頓狂な声を上げて吹き出したあたしは、ビクっと肩を跳ねさせた。
「ふふっ……。ひゃって、なにさ、それ。あははっ♪」
律に笑われて、顔が熱くなる。
温かくなった胸の内は、冷えた指先をお湯に浸けたように むず痒かった。
「うっさい。律のバカ」
ふいっと、知らんぷりをしながらも、あたしは彼に自分の跡を残す。
繋いだままの手に、少しだけ爪を立てた。
ここまで御覧頂きありがとうございました。
よろしければ、いいね、高評価等、宜しくお願いします。
僕のって、言われたいだけだった。
みなも ちゃん、モブでも良かったんだけど。味気ないなって盛ってたら、エライことになってた。